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神格の転生者~そして英雄は愛を歌う~  作者: 秋野 錦
神章 そして英雄は愛を歌う

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「語られなかった物語」

 それは語られなかった原初の物語。

 七つの罪が七つの想いを胸に激突した罪の物語。


 その記憶を持つものは僅か二人。

 その片割れであるイザークはその記憶を胸に今日まで生きてきた。生きているのか死んでいるのか、そんなことも分からない感覚の中、生にしがみ付いて生きてきた。

 そう言う意味でもやはりイザークはクリストフと類似の感性を持つ者である。それ自体はイザークが新たに気付いた事実から考えてもある種当然とも言える近似ではあるが。


 ひとえに、イザークは救いを求めていたのだろう。

 繰り返される現実に嫌気がさしたといってもいい。


 この地獄を終わらせるためには、代理戦争を勝ち抜き前世をやり直し全ての元凶を叩くしかない。つまりは……家族を救えなかったあの過去を。


 妻を失い、娘を失い、そして最後には己の愚かさから息子まで失ってしまった。そうなる前にできることは確かにあったはずなのに。自分がもっと彼らと寄り添う努力さえしていれば少なくともあんな悔恨は残らないはずだった。



 力が足りなかった、想いが足りなかった、勇気が足りなかった。



 『強欲』な自分は全てを求め過ぎていた。

 だからこそ、失うことが怖くなって目を逸らしていたのだ。手のひらから全てが零れ落ちたときにはもう遅い。イザークに残されていたのは到底埋まることのない心に空いた虚無と、深い後悔だけだった。



 妻と娘を助けるための力が足りなかった。失意に沈む息子を励ませるだけの想いが足りなかった。全てを失う恐怖を乗り越えるための勇気が足りなかった。



 全て足りない、何もない。何もないからこそ全てを求めた。

 それこそが彼の祈りの出発点。


 強奪とは、マイナスをゼロに戻すための作業だ。

 そうでなければ採算が取れない。

 そうでなければあまりにも……救いがなさすぎるだろう。


 そのための清算は己の手で行うべきもの。だからこそ、イザークの権能は彼の両手に発現する。もう二度と、大切な人を取りこぼさないように。

 力を、想いを、勇気をその手に込め、これで奪うのは最後だと。いつもイザークはたったそれだけの望みを抱き拳を振るうのだ。


『汝に捧ぐ鎮魂歌』


 ──どうかせめて、安らかに逝ってくれ。


 そんな自分勝手な想いを暴力という代償行為にひた隠して……。

 それが過去を変えるため、修羅へとその身を墜とした男の末路だった。

 失い続けた男の復讐譚。

 その脚本に乱れが生じたのは原初の物語が終わる、まさにその瞬間のことだった。


 誰も信じない、誰も求めない。


 そう……決めていたはずだったのに。




「何で……なんでオレなんかを庇ったンだッ!? カナリアッ!」




 腕の中で今まさに命尽きようとしている女の名前を呼ぶ。

 オレ達には何の信頼関係もなかった。オレ達には何の恋愛感情もなかった。

 なのに、だというのに……この女はッ!


「オレはそんなこと……『求めて』いないンだよッ!」


 そんな情けはいらない。そんな助けはいらない。

 そんなオレの叫びにカナリアは焦点の合わない視線を向け、ゆっくりと震える指先でオレの頬をなぞった。そしてオレの生存を確認したのであろうカナリアは血色の失せた顔に……笑みを浮かべた。


 ユーリもヴィタも、この戦争で死んでいってしまった。

 三国が全兵力を上げて起こした戦争はとてつもない被害を生み、それに呼応するかのように代理戦争もその激しさを増していった。空はすでにどす黒い群青に包まれている。この世の終わりとも言うべきこの世界で生き残っているものはすでに元の一割近い。


 そんな世界で『誰かを助ける』だなんて自己満足以外のなにものでもない無意味な行為だ。さらにそのせいで自分が命を落とすだなんて……笑い話にもなりゃしない。


「カナリア……カナリア……カナリア……」


 メテオラもすでに意味を成さない。奴の槍で貫かれた以上、待っているのは確実な死、それだけだ。オレももう奴から逃げ切れはしないだろうし、カナリアの行為は事実、オレの命をたった二、三分延命しただけだ。

 だからこそ、カナリアがなぜこんな無意味なことをしたのかさっぱり分からなかった。その行為は、オレの常識からかけ離れた行為だったから。


「……な、泣くなよ……イザーク」


 震える声でその名を呼ぶオレに、瀕死のカナリアがゆっくりと語りかけてきた。


「カナリアッ!」


 もしかしたら助かるかもしれない。そんな一縷の望みから声をかけるが、すでに憔悴したカナリアは途切れ途切れにそのダイイングメッセージを伝えるだけだった。


「……悲しむことはないイザーク。こ、これは決められていたことなのだから……」


「決められていたこと?」


「……ああ、だって……約束しただろう?」


 死の間際でカナリアが零した言葉に、忘れかけていたその約束を思い出す。


「わ、我に力を貸す代わり……この命をお前に譲る。そ……そういう約束だっただろう」


「それは……そんな、嘘だろ……」


 そんな口約束を、本気にしていたのか?

 それはオレにとって事を起こすまでの時間稼ぎ程度の意味しかもっていなかた。ほぼ互角の力を持つと認めていたカナリアと敵対しないための詭弁でしかなかったというのに……。


「か、カナリア……お前は……こんなときまで」


 よりによって今、それを持ち出してくるのか。

 そんなことをされたら……疑う余地なんかないじゃないか。


「……お前は我より先に死んではならん。我は……お前との約束を破りたくないのだ」


「…………」


「だからこれでいい。ああ……」


 ゆっくりと降りる瞼に、オレは限界を悟った。


「待ってくれ! カナリア! オレは……まだお前に、何もッ!」


 返していない。

 貰ったものに対して、何も返せていないッ!


「……さよ、ならだ……イザ……く」


 伸ばした手は虚空を掴む。。

 オレはまた……失ったのだ。


「あ、あ、あ……」


 何だこれは?

 何だこの感情は?


「あ、ああ、あああああああ」


 ぼろぼろと瞳から涙が零れ落ちる。その雫が目の前の少女に降り注ぐが、彼女はもう二度と瞳を開くことはない。そのときにオレは気付いた。気付いてしまった。


「嗚呼アアアアアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!」


 ──オレは目の前の少女のことが……好きだったのだと。


 あの光のような少女のことが、あの料理の下手な少女のことが、あの無鉄砲な少女のことが、あの堅苦しいしゃべり方の少女のことが、あの意外と健啖家な少女のことが、あの時たま可愛らしい仕草を見せる少女のことが……好きなのだ。誰よりも、誰よりも。オレはカナリア・トロイという少女を、愛していた。


 人は失って初めて、その大切さに気付く。

 ああ、まさしくその通り。

 全ては遅過ぎる後悔だ。


「何や……もう死んだんか」


 じゃりっ、と砂を靴が踏みしめる音にオレはその男へと視線を向ける。圧倒的な殺意をそこに宿して。


「ヴォイド……イネインッ!」


 この戦争を起こし、転生者達を殺していったこの男の目的は知らないし、知りたくもない。そして……知る必要もない。これから死ぬものの抗弁なんて、誰も聞きやしないのだから。


 気付けばオレはその男へと襲い掛かっていた。

 しかし、それも彼の側近達に阻まれる。

 混沌とした群青、アダム・ヴァーダー。

 冷酷無道の殺戮人形、クレハ。

 そして……


「おい、ヴォイド。何もここまでする必要はなかったんじゃないのか」


 純白の祈りを神へと捧げる者、クリストフ・ロス・ヴェール。

 それがオレにとっての忌むべき対象だった。


「この屑共がッ、全員まとめて地獄に墜ちやがれッ!」


「ほらみろ、クリス。コイツらは殺さんと止まらん人種よ。わしらの障害になる前に邪魔者は排除するしかない」


「……はぁ」


 勝手にしろと言わんばかりにため息をついてみせ、クリストフはオレ達に背を向けてどこかへ歩き始めてしまった。戦力が一つ減ったが、それはオレにとって救済を意味しない。

 なぜなら……


「そういう訳で……逝ってくれや」


 全く悪びれた様子もなく、その紅蓮の槍を差し向けるこいつがいるから。

 そして次の瞬間、オレの身体はカナリアと同じく深々とその槍によって貫かれた。


「が、ふっ……」


 内臓が根こそぎ潰され、血の塊が喉奥から上がってくるのを感じる。明らかに致命傷。オレは自分の死を悟った。

 とてつもない衝撃に吹き飛ばされ、地面を転がるオレが辿り着いたのは何の因果か……愛しい少女の元だった。


「カナ……リア……」


 オレは最後の瞬間に、手を伸ばしていた。

 深い後悔と悔恨にその身を焼きながら。


「……すまない」


 口から漏れたのは謝罪の言葉。



 オレに彼女を守れるだけの力があれば、オレが彼女への想いに気付いてさえいれば、オレに……誰かを信じるだけの勇気があれば。彼女は、カナリアは死ぬことなんてなかったかもしれない。



 だから、すまない。

 届かない言葉を目の前の少女に贈る。

 鎮魂歌にしては気がきかないにもほどがあるけど……オレは愛を(うた)わずにはいられなかった。

 もしも来世というものがあるのなら……もしも来世に君にまた出会える奇跡に巡り合えたなら……

 

 ──君が忘れてしまっても、オレは決して忘れない。

 ──君に助けてもらったことを、君のことが好きだってことを、忘れない。


 最後の最後、全てを求めたオレが最後に求めたのは、そんなちっぽけな願いだった。薄れゆく意識の中、オレは心の中で最愛の少女へと語りかける。





 ──なあ、カナリア。もしまた会えたなら……今度こそ、オレはお前に伝えられるかな?





 この心に宿る小さな想いを。



 ──ああ、いつでも我はお前のことを待っている。



 返ってくるはずのない答えを、もう二度と見られるはずのない光景を幻視する。その穏やかな景色はかつて経験した一幕、オレが始めて部隊に配属された日のことだった。ユーリがいて、ヴィタがいて、そしてカナリアがいた。そしてその全員が笑顔を浮かべていた。

 いや……オレだけは仏頂面を浮かべてやがる。人を疑うことしかしなかった瞳に確かな拒絶を滲ませて。ああ……もっと早く知っておけば良かったな。


 瞳を閉じ、最後の景色を幸せなもので満たす。

 ああ……もし生まれ変われるのなら……


 ──今度はもっと、素直に生きてみよう。


 そう心に決め、オレは絶命した。

 微かに光る、空色の光を瞼の裏に映しながら。

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