第十二話 「貴族と平民」
ロス。
それはこの世界において、貴族を意味する名だ。
俺の失った……かつての名前。
平民の身分に堕ちた俺にとって、貴族は上位の存在だ。決して逆らってはいけない相手になる。
目の前にいる少女、エリザベス・ロス・ツヴィーヴェルン。彼女もまた名前から分かるように、貴族だ。そんな格上の相手に俺は……
「エリザベスだから、お前これからエリーって呼ばせてもらうな」
「き、気安い人ですね。私の名前を知って、そんなこと言ってきたのはあなたが初めてですよ……」
だって、どう見てもエリザベスって感じの見た目じゃないんだもの。お嬢様っぽくないんだもの。
ごとごとと揺れる荷馬車。
その荷台の上で俺たちは簡単に自己紹介をしていた。
しかし、荷馬車ってのは案外乗り心地が悪いな。道の整備が行き届いてないこともあるのだろうけど。次の街、リコルに着くまでに慣れればいいのだが。
「ところで、クリスさんはどうして冒険者に? 見たところまだ若いようですが」
「今年で十三になる。まあ、ちょっと実家の方でいろいろあってな……一言で言えば、追い出されたんだよ」
領地を追われてもう二年になる。
今更のことなので、俺はなんでもないふうに語ったのだが、
「その若さで……苦労してるんですね」
エリーことエリザベスは俺の過去を聞いて、そのセピア色の瞳からほろりと涙を流す。
敬語が抜けないところといい、低い姿勢といい、貴族の癖に貴族らしくないやつだな。こいつ。
「エリーだって、それなりに苦労してるんじゃねえの? お前だってかなり若いだろ」
「私は十六歳です。我が家のしきたりで十五の時から、世界を回ってるんですけど……なかなか上手く行かなくて」
そう言って愛想笑いを浮かべるエリー。
商売が上手く言ってないのか……まあ、要領悪そうだしな。
内心とてつもなく失礼なことを考えながら、俺はパンッと手を叩いて話題を変える。
「とにかく、これからよろしくな。魔物とかが出たら俺が対処する。夜警も俺がするから今のうちに寝させてもらうよ。何かあったらすぐ呼んでくれ」
「分かりました。あ、そこの奥に毛布あるので使ってもらっていいですよ」
「ありがとう。助かる」
俺は御者の位置から、荷台の奥に身を移す。
雨対策として張られた布屋根のおかげで中は薄暗くなっている。これなら寝やすくていい。
とはいえ、ぐっすり熟睡というわけにもいかない。俺は荷台の側面に体を預けるようにして、わざと寝にくい姿勢をとる。これで、何かあってもすぐ動けるだろう。
少しずつ、意識を闇に落としていきながら俺は、
──誰かと旅をするなんて、初めてのことだ。
そんな風に、改めて思うのだった。
魔物。
この世界の至るところに存在するその獣の危険度は、意外と高くない。というのも人間が強すぎるのだ。剣術、魔術、最近では魔法具と呼ばれる誰でも簡単に魔力の恩恵を受ける道具も発明されている。
それにより、人間側と魔物側のパワーバランスが崩れてしまった。
しかし、それでも警戒は怠れない。特に、行商などを行う者はより注意が必要となる。道中はどうしても魔物との接触がある上、自分以外にも荷物や馬を守らなければならないからだ。
そのため、よっぽど腕に自身があるとき以外は冒険者を護衛として雇う。
そして、約束で護衛役を受けることになった俺は……
「轟け、奔れ──《デア・ドンナー》!」
雷光一閃。
俺の得意とする雷の魔術が地面を迸り、バチバチと魔物に襲い掛かる。
巨大アリの魔物、アント。数が多く素早い彼らは魔物の中でも厄介な部類。しかしそれでも、広範囲の魔術が使える俺にとっては脅威にもなりはしない。
魔術とは、それほどに強力なのだ。
「ひいぃぃぃぃっ!」
隣でエリーが情けない声を上げる。
馬を走らせながら、後方に迫っていたアントの群れを焼き払った俺は、周囲に視線を走らせながら話しかける。
「ビビリすぎだろ。行商やってるならこのくらい、何度も経験してるだろ」
「私が驚いてるのは、あなたの魔術にですよ! なんですかあれ!?」
馬の手綱を握っているエリーが涙目で俺の方へと振り向きながら泣き言を叫ぶ。
おい、前向け。危ないだろうが。
「威力、射程距離、攻撃速度、効果範囲……どれを取ってもこの魔術が使いやすいんだよ。多少うるさいけど、我慢しろ」
「鼓膜、鼓膜が……次は使う前にちゃんと言ってくださいよぉ」
「あ、打ち漏らしだ。迸れ──《ドンナー》」
「ひいぃぃぃぃっ!」
轟音。続いてエリーの悲鳴が天に響く。
俺は慣れているから気にならないのだが、エリーはこの雷の音が苦手みたいだ。
あれかな、車を運転してるやつは揺れなんて気にならないけど、後部座席だと揺れに対して酔っちまう……みたいな。うん、違うな。
なにはともあれ、魔物の撃退に成功。
俺はエリーの隣に腰を下して一息つく。
「いや、流石にBランクなだけはありますね」
「魔術が上手に使えれば誰でもなれるさ」
「いや、それがすごいんですけどね」
エリーの賞賛に、俺は微妙な気分にさせられる。
魔術の才能はメテオラで底上げしたものだ。だから、褒められてもあまり嬉しくないというのが本音。
「まあ、褒め言葉として受け取っておくよ」
「素直じゃないですねー。まあ、いいです。安全に次の街にたどり着けそうですし」
次の街、か。
「なあ、リコルってどんな街なんだ? 俺行ったことないから良く知らないんだよ」
「そうですね……リコルは炭鉱の街なのでそれなりに裕福なところです。ですが、その反面。労働環境が悪く、治安も良いとは言えません。貧富の格差も大きいので、住むにはあまりお勧めできないです」
「住むつもりはないから別にいい。俺は旅人なんでね。気分が移れば街を移るだけだ」
しかし、リコルというのはあまりいい雰囲気ではなさそうだな。
炭鉱、ということは資源のある豊かな街であるのは間違いないが……冒険者の仕事もそういう系が多いだろう。嫌だなあ。
「話を聞く限り、長居をしそうにはないな」
住みやすい土地を探して、というわけでもないのだが俺はこの二年間、各地を転々としてきた。
かつて抱いた『英雄になる』という誓いは、未だ忘れてはいない。だから、正確に言うなら、俺の求められるような場面を捜し求めている、といったところだろうか。
服に覆われ、今は見えない左肩。
そこにある痣はこの二年間で87へと形を変えていた。空腹に死に掛けたとき、魔物に奇襲され負傷したとき、そして……誰かに助けを求められたとき。俺はメテオラを使ってきた。
俺が過去に思いを馳せていると、
「川の流れから見て、近くに水場がありそうですね。少し寄っていきましょう」
と、エリーが提案してきたので、それに頷き進路を変える。
エリーは行商人としての生活が長いためか、俺より旅に関しての知識が豊富だった。行き倒れたこともある俺からしてみれば、非常に羨ましい。
それから数分後、大きな道を逸れて森の中に入り、そうしてたどり着いたのはそれなりに大きな湖だった。
「わぁ、すっごく綺麗ですね!」
「確かに、綺麗だな」
森の木々から漏れる太陽の光を反射してキラキラと輝いて見える水面。それは透き通るように澄んでいて、飲み水にも使えそうだ。
俺は水筒を取り出して、水を汲む。一応後で煮沸消毒はするつもりだ。こういうので腹を痛めたら地獄だからな。
隣でエリーも同じように水を汲む。それから、何を思ったのかエリーは突然服を脱ぎ始め……
「って、はいぃぃ!? 何してんですかエリザベスさん!」
「え? 綺麗な水ですし、水浴びでもしようかと思いまして」
確かに、旅を続けていたら体をタオルで拭くくらいしかできないため、こういうチャンスは逃すべきではないと思うが……一応、俺も男だってのに、無防備すぎじゃありませんかね。
上着を脱いだエリーは下着姿。この世界にもブラという観念は存在しているようで、何気に豊満なその二つの果実に視線が吸い寄せられる。
くそっ! 地味な顔してなんて凶器を持ってやがる……ッ!
「お、俺は荷台に戻ってるから」
その破壊兵器が俺の精神を破壊する前にと、慌てて回れ右。
「駄目ですよ、クリスさんもちゃんと体洗っておかないと」
しかし、逃げ切れない!
俺の腕を背後から掴んだエリーに動きを封じられる。
そのまま何気なく俺の服に手をかけ、脱がそうとし始めるエリーに俺は戦慄する。
「な、何するつもりだよ!」
「何恥ずかしがってるんですか。女の子同士ですし、構わないでしょう」
なん……だと……
こいつ、気づいてなかったのか!?
「バカ! やめろ! 俺は男だ!」
なぜかいい笑顔のエリーに羽交い絞めにされ、服を脱がされながら俺は抗議する。
こいつ、マジモンの変態か!?
「何言ってるんですか。こんなに可愛らしい姿で、男の子の訳がないでしょう」
気持ち悪いくらい息の荒いエリーに、俺は抵抗を許されない。
そして俺は、無慈悲にも身包みを剥がされ……
「いやぁぁぁぁああ!」
チーン。
「あ、れ? ……本当に、男の子じゃないですか!?」
「どこ見て言ってんだ! いい加減離せ!」
拘束の緩んだ隙に、俺は湖へとエリーを蹴り飛ばす。
バチャーン、と間抜けな音と共にエリーは湖に落ちた。
──しまった。女の子相手にやりすぎた。
流石に蹴りはなかったと後悔していると、ザバッと水面から水滴をたらしたエリーが起き上がる。
「す、すいません。ずっと女の子かと思ってまして……」
俺より先に謝り始めたエリーの顔は、血の気が引いたみたいに真っ青だ。
水に落ちたからでは片付けられないその変化を、俺が不思議に思っていると……
「……ッ!」
水に落ちたエリーの下着が濡れて……ぐはっ!
「オレ、ニダイ、モドル」
あまりの衝撃にカタコトになりながらも、何とかそれだけ伝えた俺は、荷台に退散する。
全く、子供には刺激が強すぎるぜ。
去っていったクリスを見送り、一人佇むエリー。
その時。クリスと同じように、エリーもまた、別の意味で心臓を揺らしていた。
「……ごめん、なさい」
ポツリと懺悔を漏らし、何かを耐えるかのように体を震わせるエリー。その瞳はすでに、クリストフのほうを向いていない。
過去を思い起こした少女は自らの体を抱き、一人呟く。
「──ごめんなさい」




