「殺す覚悟」
廃村での戦闘が終わり、アネモネは思った通りカナリアのところに助けを求めたようだった。もともと友人と呼べるものもカナリアぐらいしかいなかったアネモネにとっては当然と呼べる選択だったのだと思う。
しかし俺にしてみればその選択は少し、いやかなり気まずいものだった。
「…………」
トン、トン、トンとカナリアが机を小突く音だけが規則的に響く。
俺とカナリアは机を挟んで話し合うような形をとってはいるもののお互いに口を開こうとはしない。傍にいるアネモネもこの場の気まずい雰囲気を感じてか、一向に喋る気配を見せない。
もちろん、この場は俺がまず謝らなければいけない空気であることは理解している。けど……俺を真っ直ぐに睨みつけるカナリアの視線があまりにもきつくて言葉が出てこない。
普段は頼りになる隊長も、怒れば鬼のような恐怖の対象でしかない。下手なことを言ってしまえばもう一度どぎつい一発をもらうことになるだろう。
「…………はぁ」
いつまで続くともしれない沈黙の中、目を伏せたカナリアが重たいため息を吐いた。
「いつまでも黙っているわけにもいかない。とりあえず、今までのことを話してくれないか?」
「……そうだな」
俺はカナリアと別れてからの話を思い出しながら語る。
サラの仇を討つため一人アダム達の足取りを追う俺の前にレオナルドが現れたこと。そしてレオナルドと一時共闘関係を結んでいたこと。その末にひとつの戦場でアダムを討ち取ることに成功したこと。
それらの話をカナリアに聞かせた後、彼女は俺に問いかけてきた。
「それで、クリスはこれからどうするつもりだ?」
これからどうするのか。
その答えはすでに決まっていた。
「俺は……ヴォイドを追うよ」
「それは何の為に?」
間髪いれず問いを重ねるカナリア。
彼女の真っ直ぐな瞳が俺を貫く。どこまでも純粋な光を見せるカナリアの瞳に見つめられると、何もしていなくても罪人にでもなったかのような気分にさせられた。
「…………」
「…………」
俺もカナリアもそこで黙り込み、再び沈黙が場を支配する。さっきまでの気まずい雰囲気とはまた少し違う、ぴりぴりとした空気だった。
「クリスは……ヴォイドを殺すつもりなのか?」
やがて放たれたカナリアの問いは本質を突いていた。
あえて明言を避けてきた俺の意思をカナリアは真っ直ぐに尋ねてきたのだ。
カナリアには嘘を付きたくなかった。彼女の愚直なまでに真っ直ぐな光に一度は憧れた俺だから、彼女の光の前でくらい真摯に生きたかったのかもしれない。
だから、俺はカナリアの瞳から目を逸らすことなく告げた。
「そうだ」
「…………」
俺の『答え』を聞いたカナリアが何を思っているのかは分からない。
俺にはアネモネのように人の心を理解する術はないのだから。
ちらり、と俺の後ろに立つアネモネに視線を移す。いつもの眠たげな眼には何の感情も伺えない。彼女はこれからどうするつもりなのだろう。俺の刀になってくれるとは言っていたが、これからの方針については何も話し合っていない。
──一緒に来てくれたらいいのにな。
ふと、そんな思いが頭を過ぎる。
誰も俺の戦いには巻き込まないと決めたのに。そんな決心すら揺らぎそうになるほど、俺はこの小さな少女に依存してしまっていたのだ。
「お前の覚悟は分かった」
口を開くカナリアに、俺は再び視線を戻す。
「だが……それは許可できない」
「許可って、何だよそれ。何で俺の行動にカナリアの許可がいる?」
「我はお前の隊長だ。部下に対して絶対的な強権を持っている」
「俺はもう軍を離れた。今更カナリアに付き従う理由はない」
「いいのか? それはつまり一度交わした契約を反故にするということだぞ。三年の刑期を従軍することで代わりとする……忘れたわけではないだろう?」
それはかつてカナリアと交わした契約。
俺を牢獄から救ってくれた恩人の提案だった。
だけど、
「俺にはやるべきことができた。悪いが……もう『軍人ごっこ』は続けられない」
「本当にいいのか? 契約違反は重罪だ。更に罪が重くなるぞ」
「俺は俺の意思に従って生きている。その結果ならどんな結末だろうと受けて入れるさ」
もう物語は動き出してしまった。
だから止まらないし、止まれない。
このままでは、終われない。
「お前は、なんで……そこまでッ」
俺の固い意志を悟ったのか、口惜しそうにカナリアが唇を噛む。
少しの間目を伏せたカナリアはやがて、顔を上げる。その表情には諦観と覚悟が伺えた。
そう、俺の憧れたカナリア・トロイはそういう女だった。
「アネモネ」
「うん」
俺は思わず笑ってしまいそうになる顔を努めて冷静に構え、相方の名を呼んだ。そして……
「交渉は終わり、これからは……実力行使に移らせてもらうぞ!」
カナリアの怒号のような声に、前後の扉が派手な音を立てて開かれた。
「空を駆け、敵を貫け──《デア・ブリッツ》!」
バシュッ! と空気の抜けるような音と共に一筋の光線が俺に向けて放たれる。その光線の向こうに揺れる桃色の髪を見て、俺は納得した。
そうだよな。カナリアがいて、お前がいないわけがないもんな。
迫り来る光線を紙一重で交わし、俺は目の前の少女に愚痴のような言葉を漏らす。
「久しぶりだってのに、随分な挨拶じゃないか……ヴィタ」
「うっさい! 裏切り者は大人しくお縄につきなさいっ!」
憤慨している様子のヴィタ。
まあ、それはそうか。こいつがカナリアを裏切った男を許すわけがない。
「クリス!」
背後からアネモネの声が響く。
ああ、分かってる。開かれた扉が一枚だけではないのだから。
「解放ッ!」
背後から迫る気配に俺は即座に反転、目の前の男が構える鉄の棒を腰から抜いた『花一華』で受け止めようと思い……
「ちっ!」
即座に却下した。
予想以上の速度で振り下ろされたユーリの武器、金砕棒をまともに受ければ細身の刀なんてぽっきり逝ってしまう。
床を転がり緊急回避した俺の先に待っていたのは……
「クリスッ! 覚悟!」
我らの隊長、カナリア・トロイその人だった。
ふた振りの白刃を一本の刀で受け流す。実戦で二刀流を相手にするのは初めてのことだ。いなしきれないいくつもの斬撃が俺の身体に裂傷を刻んでいく。
単純な技量ではカナリアに勝てない。
即座に敗北を悟った俺はバックステップでカナリアから距離を取り、一思いに窓へと突っ込んだ。
「逃がすか!」
ヴィタの声が響き、一閃。
魔術の攻撃の厄介さは魔術師として戦ってきた俺が一番良く知っている。物理的な防御が意味を成さない以上、魔術には魔術で対抗するしかない。
すでに発動しているヴィタの魔術に対抗できる速度と威力を持つ魔術を、俺はひとつしか知らなかった。
「奔れ──《ドンナー》!」
俺は口早に呪文を唱え、右手を迫り来る光線に向け、放った。
それは難易度の高い要求。投げられた針を剣の先で迎え撃つような精密さをもって俺は魔術を行使した。
光線と雷撃が衝突し、周囲にスパークを撒き散らす。
純粋な光と雷であればこんなことにはならないだろうが、これはそう言う概念をまとった魔術。互いの本質はただのエネルギーの塊であるが故に起こる現象だ。
魔術は魔術によってのみ対抗できる。
それを実演して見せた俺に、ヴィタが驚きの表情を向けていた。
「っと」
僅かな音を立て、着地も成功。
無理な体勢から離脱を図ったにしては上手くいった。
「そんじゃ、このまま逃げますかね」
アネモネには瞬間移動がある。いずれ追いつくだろう。
そう思って俺はその場を離れようとしたのだが、
「どこへ行くつもりだよ」
「っ!」
近くの木に寄りかかるようにして立つソイツは完全に気配を消していた。気付いたときにはもう遅い、その位置は完全にそいつの攻撃範囲だったのだ。
「ぐがッ」
腹部に感じた衝撃。
ものすごい勢いで放たれたソイツの掌底は俺の身体を浮き上がらせ、軽々と吹き飛ばした。
完全に予想外の一撃だったから回避も防御も間に合わなかった。重くのしかかる痛みに耐え、俺は敵の様子を伺う。
ヴィタやユーリ、そしてカナリアとはまるで違う雰囲気を俺は感じていた。
全く、どうしてこれほどの気に気付かなかったのか。まるで野獣ではないか。出会った瞬間に脳が警報を鳴り響かせる。そんな相手。
「つまらねェ結末だぜ、クリス」
ポキポキと指の関節を鳴らすその男。
「往生しろや」
赤髪の男、イザークが『殺気』を放ちながらそこに居た。




