「躊躇い」
戦場に立つということがどういうことか、俺は覚悟していたつもりだった。
けれど、想像と現実は違う。
俺はヴォイドの手に握られたレオナルドの生首を見たときに、確かに思ったのだ。
──嗚呼……俺はまた失ったのか、と。
「これはどういうことだ。アネモネ」
ヴォイドの鋭い声が、耳に響く。
そうやって初めて、視線をヴォイドへと戻すことが出来た。危ない。戦場で敵から目を離すなんて愚の骨頂。自殺行為だった。
ヴォイドに水を向けられたアネモネは、
「見ての通り。私はクリスについていく」
「約束を忘れたか? わしはやろうと思えばいつだって彼女を殺せるってことを忘れるな」
「……確かにその通り。だから……」
すっ、とアネモネが両手を突き出す。
「ここで死んで、ヴォイド」
ズバンッ! と、空間が断裂する音が響く。目には見えない斬撃がヴォイドを襲うが……
「忘れたか、アネモネ」
その一撃も、ヴォイドの紅蓮によって阻まれる。
「お前の攻撃はわしには効かん」
「……貴方の攻撃も、ね」
アネモネとヴォイドが睨みあう。彼らの力量はほとんど同じとアネモネが言っていた。ならば……俺が参加することで、戦況は傾く!
「むっ!」
俺はヴォイドに向けて、一気に駆けた。花一華を構え、ヴォイドに切りかかるがヴォイドもさるもの。懐から取り出した短刀によって阻まれる。金属がぶつかる甲高い音が周囲に響き、俺とヴォイドは鍔迫り合いになって渾身の力で押し合う。
「ぐ、うううう!」
「お、おおおお!」
思ったとおり、ヴォイドに対しては権能を使わない攻撃のほうが効果がある。それならばアネモネより俺が攻撃に回ったほうがいいだろう。
「ヴォイドぉぉぉぉぉぉおおおおおおおお!」
俺は渾身の力で、刀を振りぬいた。
片手で短刀を扱っていたヴォイドは両手で振りぬいた俺に力負けした形だ。数歩後退し、体勢を立て直そうとするヴォイドに向けて、俺は魔術を放つ。
「轟け、奔れ──《デア・ドンナー》!」
これで決める。これでこの戦争を終わらせる。
そんな意気込みで放った最強最速の一撃が、ヴォイドに直撃した。
確かな手ごたえを感じ、俺は緊張感を飲み込む。
衝撃に砂埃がまった路地、ゆっくりとその視界が晴れたその先には……
──ヴォイドが蹲るようにして、地面に突っ伏していた。
「ぐ、が……はっ」
胸を押さえるヴォイドは吐血している。
しかし妙だ。
電撃によるダメージには見えない。服も焦げている様子もない。もしかしてかわされたのだろうか……いや、確かに直撃したのは見た。もし、あれが見間違いでないのなら……
「メテオラを使ったのか?」
権能ではなく、単純なメテオラ。
俺がヴォイドに対して魔術を放ったのは、権能を使わない攻撃のほうがヴォイドに効果があると判断してのことだった。しかし、ヴォイドからしてみれば権能ではない攻撃はメテオラで防げば良いだけのこと。彼はとんでもない回数のメテオラが使えるのだから、ここで出し惜しみする意味は無い。
しかし……
「何でアイツは苦しんでんだ?」
吐血し、ぜぇぜぇと荒い息を繰り返すヴォイドの様子に演技らしさは感じられない。本気の本気でダメージを追っている様子。俺がいぶかしんでいると、
「ヴォイドは運命を大きく変えるメテオラは使えない。彼の中にある神殺しの権能が運命の改変という神の力を認めないから」
隣に立つアネモネが、ヴォイドの苦しむ様子を眺めながら教えてくる。
「……どうやらクリスの魔術を防ぐのでも、かなり体に負担がかかるみたい」
「……だったら、今がチャンスってことか」
俺は、再び魔術を放つためにヴォイドへと手を向ける。
ヴォイドは痛みから動くことが出来ないようだった。ここで魔術を発動し、ヴォイドに止めを刺す。それで戦争は終わるのだ。
「…………」
たった一つ。幾度と無く繰り返し使ってきた魔術を放つだけで良い。
それで戦争は終わり、レオナルドの敵を討ち、日常を取り戻すことが出来る。
だというのに……俺は躊躇してしまっていた。
ヴォイドは俺の友達だったのだから。
「クリスがやり難いというのなら、私がやる」
戸惑う俺に、自ら手を下そうと手を挙げたアネモネに、
「待ってくれ」
俺は制止の声をかける。
これは俺が背負うべきものだと思うから。
「……俺がやる」
「……分かった」
一歩下がったアネモネに、俺は内心感謝を告げる。
これで……やるしかなくなった。
これが戦争。殺し合いのゲーム。
代理戦争という言葉を聞いてから、いつかこんな日が来るのではないかと思っていた。知人を殺す、その感覚。それがどれほどの重みとなって俺に襲い掛かるのか、怖い。
恨みのある見知らぬ人間を一人殺しただけでも、俺は一時期参ってしまっていた。それが友人ともなればどうなるか……想像もしたくない。
気付けばカタカタと指先が震えていた。
自分でやると言いつつも、その一歩が中々踏み出せなかったのだ。
そして……
「クリスっ!」
「っ!?」
アネモネの焦ったような声に、俺は上空から降ってきた新たな敵に気が付き、慌てて回避行動に移っていた。一瞬前まで俺の首があった場所を通過していく刃。俺は冷や汗が出るのを感じながら、その影を見送ると、その影は一目散にヴォイドの元へと飛んでいった。
ヴォイドの体を抱き起こし、肩を貸すその人物は……
「……クレハ?」
ヴォイドのお付、クレハだった。
「ぐ、な、何しにきたんよ……クレハ。お前には隠れているよう命令したはず……」
「馬鹿を言わないでください。ヴォイド様の窮地に、私だけ隠れていられると本当に思っていたのですか?」
苦しげに呼吸を繰り返すヴォイドを、愛おしそうに抱いたクレハ。
「また私を一人にするつもりだったのですか?」
「…………悪い」
「本当に、今回ばかりは許しませんよ……反省してください」
クレハの肩を借りて何とか立ち上がったヴォイド。その瞳には先ほどよりも強い意思の力が感じられた。
「私も戦います。ヴォイド様は少しの間、体力の回復に努めてください」
「馬鹿言え、あの二人相手にお前が適うわけないじゃろう」
「だとしてもです。私の命でヴォイド様が助かるのなら、安過ぎる買い物です」
クレハはヴォイドと同じように、服の内側に隠し持っていた二本の短刀を両手に構え、戦闘の意思を見せる。
実際クレハの戦うところを見たことがあるわけではないが……先ほどの身のこなしを見る限り、そこまでの脅威には見えなかった。故に決着が少しだけ遅れるに過ぎない。そう思っていたのだが……
《嗚呼、憧憬こそが人の性。求め、欲し、渇望せよ。それこそ我欲の究極なり──》
聞こえてきた祝詞に、ハッと視線を向ける。
するとそこには案の定、不敵な笑みを浮かべた神父の姿があった。
《──人の業に是非はない、正否はない、美醜はない。誰しも輝ける明日を望んでいるのだから──》
歌い上げるのは傲岸不遜な我欲の頂点。
ただ一つの祈りを胸に、アダム・ヴァーダーは世界を変える。
《──卑欲連理・神聖なる祝福》
そうして現れるのは祝福の理。
押し付けられた幸福を前に、アダムは笑う。
「さあ……終幕の時間です」
新たな転生者が、参戦した瞬間だった。




