「不可視」
《──卑欲連理・永久に続く物語》
《──卑欲連理・絶対領域》
《──卑欲連理・神を殺す者》
祈りの種類は全く異なる三人だが、その純度は果てしなく高い。
例えばアダム・ヴァーダーの権能を例にしても、奴はその他大勢を対象とする権能ゆえに、純度という面では他者に劣る。しかし、その点に関して言えば、ここに集った三人は途方もなく他者を拒絶している。
俺の権能も、アネモネの権能も、ヴォイドの権能も、他者という存在を必要としない。ヴォイドに至っては神殺し、つまりは他者を害することにこそを望んでいる。
攻撃性という面で、ヴォイドの権能に適うものはいまい。
その必殺の紅蓮が、俺に向けて飛び掛る。
これも当然。向こうからしたら権能を使える俺を真っ先に排除したいはずだ。迫り来る紅蓮のメテオラに、俺は自身のメテオラをぶつけ、返す。
音は無い。
ただ光だけが反響し、キラキラと幻想的な風景を作り出す。
その光景に魅入る暇もなく、ヴォイドの攻撃が迫り来る。
キラリと鋭く光ったあの線は……
「……鋼糸か」
やっかいな技だ。
俺は包囲されないように慎重に立ち居地を変える。
しかし、屋上では足場に難儀する。上手くかわそうとは思うものの、少しずつ逃げ道が狭まっていく。
このままではまずい。
そう思ったときのことだった。
「俺を忘れてんじゃねえぞお!」
蜘蛛の巣のように張り巡らされた鋼糸の結界を、引き千切るように進入する者が一人。レオナルドだ。
レオナルドが鋼糸の包囲網に穴を開けてくれたおかげで、何とかその攻撃圏内から脱出する。どうやらレオナルドにはヴォイドの攻撃があまり効果ないらしい。
神殺しの権能であるが故に、転生者以外には効果がない……ということなのだろう。だったら、組み合わせは決まったようなものだ。
「レオ、お前はヴォイドを頼む」
「ああ、そのほうが良さそうだな。ってことはクリスはあの女の子か。気張れよ、ここが正念場だ」
俺達は短く言葉を交わし、別々の方向へ駆け出す。
俺はアネモネ、レオナルドはヴォイドの元へ。
この組み合わせが最も相性の良い戦い方だ。
アネモネとは前回戦っているし、その力もある程度は掴んでいる。何とかするしかない。
「……アネモネぇぇぇっ!」
俺は迫り来る感情を押しつぶすように、目の前の少女へと飛び掛った。狙うのは首。彼女によって鍛えられた刀を彼女自身に向け、振りぬく。
その刃がアネモネに届くその寸前……
まるで見えないトラックにでも轢かれたかのような衝撃が、俺を襲った。
「ぐ、はっ!?」
初動がまるで見えなかった。前回までは手の動きに合わせて攻撃が飛んできていたから、それが必要な動作だと勘違いしていたのだが……どうやらそれすらもフェイント。この一撃を確実に当てるためのフェイクだったようだ。
体勢の崩れた俺に、アネモネの更なる追撃が襲い掛かる。
吹き飛ばされ、錐揉みしながら向かいの家へと激突する。
派手な音を立てて室内へと転がり込んだ俺を、アネモネが追ってくる。気付けば眼前に現れるアネモネ。この瞬間移動のような現象も、恐らく彼女の権能だ。
「ちっ!」
見えない攻撃に晒され、焦燥感が募る。
レオナルドとヴォイドが遠くになってしまった。何が起きているか分からないというのはそれだけで精神的苦痛になる。俺は少しでも早く勝負を決めようと、アネモネに襲い掛かる。
「ああああああああっ!」
先ほどと同じ斬撃……と、見せかけて今度は魔術。
アネモネの権能のパターンはある程度掴んでいる。その特徴の一つが、攻撃と防御は同時に出来ないというもの。俺が勝つにはカウンターを狙うしかない。さきほどと同じタイミングで防御を行うのなら、ワンテンポ遅れた魔術が届くはず……そう思っていたのだが、
バジィ、と弾かれるように紫電が散った。アネモネの背後に流れるように電撃が流れ、木造の家へと着火する。ぼうっ、と燃え広がる室内で俺とアネモネは対峙する。
そこからはお互い、一歩も引かない乱戦だった。
アネモネの不可視の一撃をかいくぐり、刀、もしくは魔術で攻撃を狙う。アネモネはかわし、弾き、あるいは反射させてそれらの攻撃をいなしていた。
戦っていたら分かる。
アネモネの権能はその攻撃力も脅威だが、その本領は防御にこそあるのだと。
ここまで一撃も攻撃が決まっていない。
あと少し、あと少しで決まりそうなのだが、そのあと少しが千里の道ほどに遠いのだ。まるでここではないどこかにある陽炎に切りつけているかのような、そんな手ごたえのなさを俺は感じていた。
数分の乱戦に、最初に耐え切れなくなったのは家屋のほうだった。音を立て崩れる屋根。アネモネは例の瞬間移動で回避し、俺は幾度か落下物を食らいながらも、倒壊前に脱出に成功。
屋上から屋内、そして路地へと。俺達の戦場は移り変わる。
広い場所では攻撃が効かなかったが、この路地ならば圧殺できるかもしれない。
「燃え盛れ──《デア・フレア》!」
まず最初に炎の魔術でアネモネを押す。
これには目潰しの意味も含まれている。前回の戦いから、アネモネの視界外に行けば不可視の攻撃も当たらなくなることを知っていたからだ。
そして、続く魔術こそが本命。
滅多に使わない雷系統の三小節……
「轟け、奔れ、黄金の閃光──《ヴァリエ・デア・ドンナー》!」
黄金色の光が、狙ったとおりアネモネの頭上へと叩き込まれる。そして、僅か遅れて届く轟音。本物の雷に勝るとも劣らない一撃が地面に突き刺さり、バチバチとその威力を伝える。
回避は不可能。
その威力は絶大。
相手が何者であろうとも、この一撃で決まり。
その、はずだった。
「……っ」
晴れた視界のその先に、アネモネは変わらぬ姿で立っていた。
「……全て私に届かない」
アネモネが両手を俺に差し出す。
それは慈悲を与える女神のような神々しさを伴っていた。色の無い少女の、ある種の儀式だったのだろう。俺は吸い込まれるようにその挙動に飲まれ、
「断頭断首──《鬼斬り》」
一瞬光った煌きに、俺は右腕を切断された。
「ぐっ、う、アアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」
鮮烈な痛みが吹き荒れる。
ちょん切られた右腕が宙を舞い、鮮血を撒き散らす。
今までの不可視の一撃と同じで、全く見えなかった。
打撃から斬撃へ、系統の変わった攻撃でその脅威度も遥かに跳ね上がってしまっている。このままでは……まずい。
「ちいっ!」
見えない攻撃なんて相手に出来るわけもない、俺は素早く距離を取ろうと後退するが、
「逃がさない」
アネモネの瞬間移動に距離を詰められる。
そして、再び宙を舞う左腕。
痛い。痛い。痛い。
これが戦いの痛さ。生の実感をかみ締め、俺は腕の再生を急ぐ。
「私は一本の刀」
ズタズタにされていく周囲の空間。その中には当然俺も入っており、腕やら足やらを持っていかれながら、俺は再生し続ける。
それは最早一方的な残虐であった。
傷を回復することで手一杯の俺を、アネモネが攻め立てる。
勝勢は決まった。だからだろうか、ここまで一度として会話の成り立たなかったアネモネが俺に語りかけてきた。
「貴方は戦いになんて向いていない。なのにどうして戦うの?」
そんな、根源的な問いに、俺は答える。
「……俺が、生きてるからだよ」
「生きているから?」
アネモネは分からないといった表情を作る。
そうだろう。元々感情の薄いこいつのことだ。心を理解することは出来ても、納得は出来ないのだ。
いつだってそうだった。
自分勝手で、猫みたいに気まぐれなやつだった。
一緒にいてこれほど疲れる相手もいないだろう。
だけど……俺は……そんなこいつのことが……
「…………」
「どうかしたの?」
「……何でもねえよ」
揺れた天秤を立て直す。
そうだ、俺は選んだのだ。立ち止まることは、許されない。
「生きているから痛いんだ。生きているから悲しいんだ。それら全ては生きてる者の特権だ。死んだものには痛がることも悲しむことも出来ない。だから……死んでいった者の為に、俺が代行するんだよ」
復讐。
それはあまりにも陳腐な響きの言葉だった。
「……そう、それが貴方の望みなのね」
ポツリと、アネモネは言葉を漏らす。
「それは私には望めない感情だから、少しだけ……羨ましい」
「またお得意のあれか? 私は刀だからって……何回言ってんだよ。お前は人間だろうが、いい加減目を覚ませ」
俺の言葉に、アネモネは目をぱちくりさせている。
そんなに意外なことを言っただろうか。
「……貴方には私が人間に見えるの?」
「当たり前だろうが。むしろ、それ以外の何に見えるってんだ」
「……そう」
一瞬だけ、そう、一瞬だけアネモネは嬉しそうな表情をして、再び両手を差し出した。
「貴方と一緒にいる時間は、そう……楽しかったよ、クリス」
遊びは終わり。
そういわんばかりのアネモネの態度に……再び不可視の斬撃が飛んでくる。
そう、戦いはまだ、終わってなどいないのだから。




