「出撃前夜」
とにかく俺達には時間が無い。
いつヴォイド達が移動するかも分からなかったからだ。俺が第五大隊、レオナルドの副官として扱われることになってから、俺達はすぐに移動を開始した。
廃村、昔はリーアルと呼ばれていたらしいその村に潜伏しているヴォイド達。先行させていた偵察隊の報告から、彼らが移動していないことがわかると、俺達は一層緊張感を募らせて行軍を続けた。
ヴォイド達の潜む村まで後一歩というところで、レオナルドはここで一日休憩を取ると宣言した。ここに来るまででも、結構体力を奪われていたからな。異論を挟むものはいなかった。
元々は温泉街だったということで、近くには天然の温泉が湧出しているらしい。暇があれば行って、体を癒してこいとのお達しに兵たちは皆沸き立った。
とはいえ、俺は顔を見せるわけにはいかない身だ。誰かと一緒に温泉に入るわけにも行かず、とはいって入らないのもそれはそれで勿体無いので夜遅い時間まで粘っていた。すでに朝と言っても良い時間帯、朝焼けが微かに空を染め始める時間帯になって初めて俺は行動を開始した。
周囲には仲間となった軍人たちがいびきを立てて眠りについている。この時間なら、多分誰もいないだろう。
話に聞いていた温泉の場所へ行ってみると、なるほど、指を入れて確かめると丁度良い温度の温泉が視界に広がった。思ったより広い。これなら顔を隠さなくても一人になれたかもしれないほどだ。
長湯すると誰かに見られるかもしれないので、俺は手早く支度をすませて入浴することに。冷たい外気から、熱い湯の中へ。最初は痛いくらいの熱さだったが、次第に慣れて丁度良い温度になってくる。
この世界では風呂という概念も薄いからな。こういうゆっくり湯につかれるのは貴重な時間だ。肩までどっぷりつかって楽しんでいると、次第に眠気が俺を襲ってきた。
(……今まで色々あったからな)
疲れるのも当然だ。
そうして俺は、危ないと分かっていてもついうとうとしてしまっていた。
「…………はっ!?」
危ない! 今、一瞬寝てた!
慌てて体を起こすと、
「ふ、ははは。慌てた顔面白いな、お前」
こっちを見て、笑みを浮かべるレオナルドの姿があった。
いつの間に近くに来たのか、全く気が付かなかった。これが暗殺者とかだったら、ぶっすり逝っていたな。
「……来てたなら起こせよ」
「悪い、悪い。お前の寝顔が結構可愛かったんでな」
俺が仏頂面で抗議すると、そんな気持ちの悪いことを言い出すレオナルド。
男に可愛いなんて言われても、気持ちが悪いだけ……ん?
そこまで考えて、俺は違和感に気付いた。
湯船からうっすら見えるレオナルドの胸元……気のせいか? 男にしては盛り上がっているような……
「ん? ああ、気付いたか」
レオナルドは俺の視線に気が付いたのか、ざばっ、と湯から上がりその肢体を晒す。引き締まった体、綺麗な金髪は湯に濡れていつもの荒々しさが失われている。
しかし……そんなところは問題にもなっていなかったのだ。
「ふぁっ!?」
俺は心底驚いて、変な声を上げていた。なぜなら外気に晒されたレオナルドの体。そこに、男なら無いはずのものが上半身にあり、あるはずのものが下半身についていなかったのだ。
つまり……
「お、お前、女だったのか!?」
「おう、女だぜ」
ぐっ、と親指を立てて男前に語るレオナルド。
というかっ!
「何で男みたいな名前を……」
「俺の家は特殊でな。女でも男みたいな言動を強制されてたんだ。ま、今となってはこっちのほうが楽でいいけどな」
俺の問いを先回りして答えるレオナルド。いや、レオナルドちゃん。
「あ、隊の連中には言うなよ。知らない奴が大半だから」
「いや、言っても信じてもらえないような……」
「あん? 俺が女らしくねぇってのか?」
腰に手を当てて、あぁん!? とヤクザみたいな態度で俺に詰め寄るレオナルド。どうみても女には見えない。
悪鬼のような顔で俺を睨んだレオナルドは、すぐに表情を崩して「冗談だよ」と、言って笑った。
「けどま、本当に隊の連中には言うなよ」
「言わないけどよ……隠しておく必要あるのか?」
心底驚いたが、俺に本当のことを言ったということはそれほど隠し通しているというわけでもないのだろう。仲間にぐらい、打ち明けてもいいのではないかと思ったのだが、
「あいつらにとっちゃあ、俺は最強の存在なんだよ。いや、俺はあいつ等の前では最強の存在でなくちゃいけねえんだ。俺が女だと知れたら、きっとあいつらは幻滅する。それが嫌なんだよ、俺は」
最強の存在。
そんなもの、普通に考えれば存在しない。戦いには相性というものがある。魔術や、得意距離、武器のリーチや地形にコンディション。そう言ったもので簡単に優勢劣勢が変わるのが戦というものだ。
けれど、レオナルドはその在り得ないものこそが自分なのだと言って譲らない。
「俺はもう誰も失いたくねえ。そのためには俺が最強の存在になって、アイツらの前に立つしかねえんだ」
「…………」
俺はレオナルドの過去に何があったのか知らない。
けれど、レオナルドの語る言葉が本気であることだけは分かった。
誰も失わないために、皆の前に出て戦い続ける。
それは俺の目指した形の、正反対に位置しているように思えた。
「お前もよ、誰も失いたくなんてないんだろう? 戦い方を見てれば分かる。お前は誰かを傷つけるよりも、誰かを守るために戦い続けた奴だ」
「……かもな」
もし、レオナルドの言う通りなのだとしても……守れなかったのならば、そこに意味は無い。存在理由が、ないのだ。
「なのに、お前は今、一人だ。これはどういうことだ? 前の隊から逃げ出したって言ってたしよ」
「俺は……俺も、失いたくなかったんだよ。俺はお前みたいに強くないから、誰かを守って戦えるほど強くないから……」
だから、手放した。
だから、置いてきた。
もう二度と、失わないために。
もう二度と、傷つけないために。
「……お前に何があったかは知らねえよ。俺らは知り合ったばっかだしな、知ってる訳もねえ。だけどよ……お前と話していると、どうも人事みてえに聞こえないんだよな」
「それは……何となく、俺も思ってた」
多分、俺とレオナルドは似ているのだと思う。
歩いてきた道のりが、刻んできた道程が、たった一つ、その果てに辿り着いた『答え』が違うだけで。
だとしたら……俺達は似たもの同士なんかじゃなくて、正反対の人種なのかもしれない。コインの裏と表のように。鏡写しの存在は、どんなに似ていても、正反対であるように。
「俺はさ、勿体無いって思うんだ」
考え込む俺に、レオナルドが独白を始める。
「勿体無い?」
「ああ、勿体無い。折角会えたのによ、離れ離れになるなんてそんなの勿体無いって思わないか? この広い世界でよ、出会えただけでも上等。それを守るために戦えるなら最上、なあ、そうは思わないか?」
「……一期一会、か」
レオナルドの言葉、それは別れを許容したものの台詞だった。
出会いがあるから、別れもある。それは必然で、避けられないことなのだ。
けれど……それでも俺は……
『永遠』は存在しているのだと、信じたかったのだ。
「…………」
「守るために離れる。まあ、危険から遠ざけるってんなら、それでもいいかもしれねえけどよ。それ、本末転倒じゃねえか? 一緒に居るために、一緒に居ないみたい感じがするけどよ」
「……かもな」
本末転倒、矛盾というのならその通りだ。
俺の権能自体、矛盾の塊のようなものだしな。
きっと、それを望んだ俺の魂も、矛盾のような存在なのだろう。
「だからよ、結局俺が言いたいのは後悔だけはすんなってことだ」
思えば長く語り続けたこの場を、レオナルドはそう言って締めくくった。
後悔、か。そういう性格だったなら、俺ももっと楽に生きられたかもしれない。そんな風に、思った。
「ま、堅苦しい話は終わりにしようぜ。折角の出撃前夜なんだ。もっと有意義な話をしようじゃねえか」
「有意義な話?」
もう話は終わりといった雰囲気だったのに、更に語り始めるレオナルド。何を言うのかと思っていたら、
「お前、好きな奴はいねえの?」
なんて、いきなり恋話をし始めたのだ。
「……なんでいきなりそんなこと聞くんだよ」
「いいじゃねえか別に。俺はこんな秘密抱えてるからよ、恋愛なんて出来ねえんだ。人の話くらい聞かせろ」
なんと横暴な理屈だろう。
びっくりを通り越して呆れる。
「んで? クリスは誰か好きな奴はいるのかよ」
前にアドルフにも聞かれたその質問。何でいい年こいた大人が皆、そんな話をしたがるのか。俺には理解できん。
「あん? もしかして好きな奴もいねえの? その歳で? かー! 枯れてんなあ、おい」
「別にいないとは言ってないだろ」
「お? じゃあいるんだな? 誰だよ、名前ぐらい教えろ」
まるで修学旅行の夜みたいなテンションで、ぐいぐい迫ってくるレオナルド。別にいるとも言っていないのだが、何でそこまで知りたがるのか。
好きな奴、アドルフと話していたときに浮かんだ顔を思い出す。
何だかんだあって脇に置いてきた問題だけど……そうなのだ。
アイツは……アネモネはヴォイドの仲間なのだ。
アネモネがいたせいで、アダムを取り逃がし、サラが死んだ。
そう言う風につなげることは出来るのだが、不思議とアネモネを責めようという気持ちは湧いてこなかった。アダムには、感情が抑えきれないほどだというのに。
「…………」
「あー、何物思いにふけってんだよ。そんなに愛しの君が愛おしいか!」
「違うっつの」
というか出撃前夜に、恋話って下手したらフラグだぞ?
誰が言うか。
「あーあー、もういい。俺は上がる」
「あ! ちょっと待てよクリス! 別に良いだろうが! 『女同士』なんだし、恥ずかしがってんじゃねえ!」
レオナルドの手が立ち上がろうとした俺の肩を掴む。
レオナルドの台詞に凄く、すごーく気になる点があったのだが、レオナルドの馬鹿力に押されて俺達はもみくちゃになって湯に沈む。
何だか、前にもこんな展開があったような気がしないでもなかった。
湯の中で瞳を閉じた俺の二の腕に、ふにふにとした柔らかな感触が押し付けられる。それほど豊満というわけではないが、確かに感じられるその柔らかな感触を必死に振り払い、俺は湯船から起き上がった。
「ぷはっ! 殺す気か!」
突然のことだったから、危うく溺死しかけた。
抗議する俺と、湯船から顔だけ出したレオナルド。
体勢は最悪だった。
「……あ」
気が付いたときにはもう遅い。
レオナルドの丁度眼前に、俺の男である証がぶら下がっていた。
「は?」
レオナルドの間抜けな声が聞こえる。そして、かああっ、と一瞬にして顔を真っ赤に染めたレオナルドは、
「うわああああっ!?」
そんな女とは思えない悲鳴を上げて、俺に殴りかかるのだった。
この出来事以来、俺はレオナルドのことを改めて男として扱うようになったのは言うまでもない。




