「喪失」
「…………」
ゆっくりと瞼が持ち上がる。
妙に体が重い。意識がはっきりしない。まるで夢の中を彷徨い歩いているかのような気分だった。
「……やっと起きたのね、クリス」
声が聞こえてそちらに視線だけやると、退屈そうに椅子に座っているヴィタの姿が目に映った。
ここは……カナリア達と一緒に暮らしていた借家か。この部屋には見覚えがある。
俺が周囲を確認していると、ヴィタは立ち上がり黙ったまま部屋を出て行った。
何だったんだろう。何となく不機嫌そうに見えたけど。
「……つぅ」
起き上がろうとして、体に走った激痛に思わずうめき声が漏れる。
よく見れば体中に包帯が巻かれていて、左腕に居たっては棒で固定されている。間違いなく骨が折れたときの対処法だ。それほどの怪我を俺は負っていたということか。
「……アネモネ」
意識を失う前の最後の記憶を呼び覚ます。
正直言って、手も足も出なかった。
力が足りなかった。俺の、力が。
「クリス!」
ダンッ! と勢いよく扉が開かれたと思ったら、そこから弾丸のようにエマが飛び込んできた。
「良かった! やっと起きたんだね!」
「エマ! ストップ! その勢いでタックルされると多分俺死んじゃうから!」
今にも抱きついてきそうな勢いのエマを右手で静止する。
ぼろぼろと涙を浮かべるエマ。
俺は怖くなって、まず知りたかったその情報を聞いてみた。
「な、なあ。俺、どれくらい寝てたんだ?」
「……三日」
「三日!?」
エマの言葉に、俺は信じられない気分だった。
まさかそれほどの時間を寝ていたなんて……それよりも!
「カナリアは!? イザークは!? あれからどうなったんだよ!」
「ちょっと落ち着いて、順番に話すから!」
取り乱す俺をエマが冷静にと諭す。
「わ、悪い……」
「エマも詳しい話を知っている訳じゃないから、とりあえずカナリアのところへ行こう」
エマの言葉に、俺は移動しようとして、体が上手く動かないことに気付く。どうやらかなりダメージが残っているようで、エマに肩を借りて何とか歩くことが出来るレベル。松葉杖を準備する必要がありそうだ。
「…………」
重苦しい雰囲気のまま俺はカナリアの部屋へと案内された。
ノックをして返事を待ってから、俺はその部屋に入っていく。
「クリスか。お互い派手にやられてしまったな」
「カナリア……」
俺を出迎えたカナリアは俺と同じように包帯まみれの体だった。
隣のベッドではイザークが眠りについているのも見える。
「イザークは?」
「未だ意識が戻らない。我らよりもっと酷い怪我だったようでな。一時は生死の境を彷徨っていたそうだ」
「そうか……」
イザークもヴォイドに負けたということなのだろう。
「それで……アダムは?」
「……すまない。取り逃がしてしまった」
「そうか……」
カナリアを攻めることは出来ない。俺だって何も出来なかったのだから。
アネモネに手も足も出なかった苦い記憶が蘇る。
「シャリーアは今大変な状況にある。アダムの作り出した空は二日前に消えたそうだが……その被害者が余りにも多すぎた」
「……!」
そうだ。
そういえばあれからサラはどうなったのか。
サラも決して容態が良いとは言えない状況だった。クリスタも、今頃俺を心配しているかもしれない。
すぐにでも会いに行かなければ。
「カナリア、悪いけど俺は行くところが出来た。少しの間席を外すぞ」
「……それは、サラ殿の所へ行くのか?」
今すぐにでも向かおうと思っていた俺の出鼻を挫く形で、カナリアが問いかけてきた。
「そうだが……なんでカナリアが知っているんだ?」
「…………」
俺が問い返すと、カナリアは目を伏せて口をつぐんだ。何かを言おうとして、言葉を選んでいる様子だった。
その様子にとてつもなく嫌な予感を感じながら、俺は言葉を待つ。
「昨日のことだ。アドルフという御仁が尋ねてきてな。クリスに伝言を残して行ったよ」
「……なんて言ったんだ」
「…………」
「カナリア!」
「サラさんが……」
俺の目を見ないまま、カナリアがゆっくりとその重たい口を開いていく。
続く言葉が何なのか、俺は審判を受ける罪人のような気持ちで待っていた。
そして──
「二日前に……亡くなれたそうだ」
その、罪状を受け取るのだった。
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戦争とは何か。
争いとは何か。
それは醜い奪い合いのゲームだ。
利権を、地位を、尊厳を、生命を賭けて人は争い奪い合う。
ヴォイドはそれを虚しいと感じていた。
なぜ人は争わなければいけないのか。誰もが平和を望んでいるはずだというのに、なぜこのような戦闘行為を人は繰り返してしまうのか。
答えは簡単だ。
人が愚かだからだ。
歴史から学ぼうとせず、自身の経験によってのみ選択をするからだ。そうすれば当然、『自分が死ぬかもしれない』なんてことは考慮の外に位置してしまう。誰だって死んだ経験なんてないのだから当然だ。
しかし、何事にも例外は付きまとう。
それが今回、ヴォイドという人間だった。
ヴォイドは自分が愚かな人間であることを知っている。
しかし、いくら愚かでも経験から学べることもある。
一度死んで、ヴォイドは心底理解していた。
争うことの無意味さを。
故にヴォイドは宣戦したのだ。
この狂った世界を正すために。
愚かな歴史を終わらせるために。
今度こそ……誰も傷つかない理想の未来を描くために。
「だから頼むぞ、皆」
ヴォイドは改めて己の仲間を見渡す。
クレハ、アダム、アネモネ。
たったそれだけが、ヴォイドの信頼できる数少ない仲間だった。
「王国近衛兵の半分がグレン帝国周辺の抑えに向かってくれとる。連絡を絶った状態の帝国軍は大体五万といったところかのう」
「それを私たちで叩くという訳ですか」
「そうじゃ」
「……また、無茶を言う」
「しかし、不可能でもなかろう。わしらは全員殺戮に特化した能力をもっとる。それに加えて、メテオラもある。相手が何十万だろうと勝てるわけがない」
それほどに神の力は絶大なのだ。
そして都合の良いことにアダムの権能もアネモネの権能も効果範囲が広いという特性を持っている。ヴォイドが殺戮に特化したと言ったのはそういう理由だった。
ヴォイド自身にしてみても、権能こそ一点特化型だが彼には鋼糸の技がある。あれこそ対多人数戦を想定した効率よく人を殺す技術だ。
ヴォイドの言った通り、この三人ほど殺戮に特化した能力者はいないだろう。
「しかし、良いのですか? ヴォイド様」
「ん? 何がよ、クレハ」
「神の力に頼る。そのことについてです」
「…………」
ヴォイドは本来であれば転生者同士で戦うための権能を、全く関係がないとろで人殺しのために使おうとしている。
そして、それは彼の信条である『理不尽』に当たるのではというクレハの疑問。
それに対して、ヴォイドは強い口調で言い返す。
「関係ない。わしの目的のためならば使えるものは神だろうと使う」
「……そうですか」
遠く聳えるグレンフォードを鋭い視線で睨むヴォイドには見えていなかった。
彼の従者が、どれほど悲しそうな表情をしているのかが。
「では、これより……」
しかし、それに気付いたところで最早遅い。遅すぎる。
「グレン帝国侵攻作戦を開始する!」
運命は終焉に向けて動き出してしまっているのだから。




