「心の弱さ」
《──卑欲連理・絶対領域》
アネモネの祝詞により、周囲の空気がぴりぴりと痛いほどの緊張感に包まれていく。それほどの威圧感を、目の前の少女が放っているのだ。
アネモネが自ら戦おうとするなんて、正直信じられない。
俺はこの少女の堕落具合をよく知っている。放って置いたら飯もろくに取らないほどの面倒くさがりだ。
そんな彼女が、自ら前線にやってきた。
その意味するところ。彼女の譲れないこと、とは何なのか。
俺はその答えを知らない。
しかし、ここでアダムを取り逃がすわけにはいかなかった。
「…………」
ちらりと、隣のカナリアに視線を送る。
未だアネモネが俺達に敵対したという事実が飲み込めていないようで、呆然としている。
仕方がない。ここは俺が前に出るしかないようだ。
「カナリア、アダムのこと見張っていてくれ」
「クリス?」
「アネモネとは、俺がやる」
本当は俺だってアネモネとは戦いたくない。
しかし……今のカナリアを戦わせるわけにもいかない。
「……そう」
前に出た俺を、アネモネはいつもの無表情で出迎えてくれた。
思えばコイツとの付き合いも結構不思議だよな。刀を作るためにアネモネの工房へ行ったのが始まり。あの時はここまで親密な仲になるとは思ってもいなかった。
こいつが転生者で、俺も転生者。
その時点で、俺達の運命は決まっていたのかもしれないけれど。
「……すぐに、終わらせる」
呟いたアネモネ。
権能を展開しているのだろう。それだけは分かるのだが、肝心の能力が分からない。俺はどんな攻撃にも対応できるようにと、注意していたのだが……
──ドンッ!
「……がッ!?」
いきなりのことだ。
気付けば俺は吹き飛ばされていた。
まるでトラックに跳ね飛ばされたかのような衝撃が俺を横合いに殴り、強制的に地面を舐めるように転がされる。
余りにも突然のことすぎて、アネモネが何かしたのだと気付くことすら困難だった。
アネモネはただ立っているだけ。ただそれだけなのに。
(一体、何をされた?)
おそらくアネモネの権能による攻撃だろうが、そのカラクリが分からない。
痛む体を押さえ、立ち上がる。
するとすぐさま先ほどと同じ攻撃が俺を襲う。
今度は左から。さっきとは真逆から繰り出された攻撃に俺は再び地面を転がされる。
「ぐっ……」
傍目から見れば自分一人で地面を転がっているようにしか見えないだろう。
アネモネの攻撃が見えない。
それが一番の問題だった。
防御も、回避も不可能。
ならば……
「燃え盛れ──《デア・フレア》!」
火系統の魔術を唱え、アネモネと俺の間に炎の壁を出現させる。
とにかく何でもいいからアネモネの攻撃を止めなければ話にならない。視界が利かない状況なら、あの不可視の攻撃も出来ないのではないかと考えてのことだ。
「……邪魔」
しかし、その炎すらもアネモネの前では意味をなさない。
まるで巨人の手によってかき消されるかのようにその灯かりを消していく炎。
だが、妨害にはなっている。
少しの間だが、アネモネの攻撃を止めることが出来た。
この隙に攻勢を取る!
「轟け、奔れ──《デア・ドンナー》!」
俺の右手から放たれた紫電がアネモネに迫る。
俺の持ちうるカードの中で最強最速の魔術。
獅子の咆哮とも呼ばれる雷撃は地面を抉り、小さな少女にその凶悪な顎門を晒す。
止められるものではない。回避できるものではない。
アネモネの攻撃とはまた違った意味での不可避の一撃が勝利を決定付ける。
……はずだった。
「なっ!?」
電撃が弾かれる。
まるで見えない壁に遮られたかのように俺の雷撃は四散する。
アネモネに対し、何のダメージも与えないままに。
「……届かない」
まるで千里の道程が俺とアネモネの間に存在しているかのように。
不可視の攻撃に、四散した雷撃。
これらから俺は何となくアネモネの権能の正体を掴み始めていた。
「……足りない。足りないよ……クリス」
「!?」
俺の名前を呼んだアネモネの姿が消える。
まるで最初からそこに居なかったかのように。
そっ、と首筋に誰かの手が添えられる。
細く、ひんやりとした指先。
俺の真後ろに、アネモネが立っていた。
これが刃物なら俺は喉を掻っ切られて死んでいただろう。
そう思うと、俺は戦闘中だというのにその場から動くことが出来なくなった。
ただ呆然と立ち尽くす俺に、アネモネは告げる。
「貴方はとても弱いね……クリス。貴方の心はとても温かくて、優しい。けれど余りにも弱すぎる。そんな心では……私には届かない」
ねぇ、とアネモネが俺に問いかける。
「どうして貴方は権能を持っていないの?」
「それは……」
女神が俺に会おうとしないから。
そんなことはアネモネも知っていることだ。
だからなのか、アネモネは俺の言葉を待たずに否定する。
「違うよ、クリス。貴方はただ気付いていないだけ。貴方が逃げ続けているだけだってことに」
逃げて、逃げて、逃げ続ける。
何から?
現実? 理想? 未来? それとも……
「それを認めない限り、貴方は私に届かない」
「お前、何を……」
「だから、今日はこれでおしまい」
アネモネの指先が、俺の背中を押す。
まるで出来の悪い子供を送り出す母親のように。
そして、次の瞬間に……俺は吹き飛ばされ、意識を失った。




