day 1 -Alice-
「那菜、おっはよー!」
私立開花高等学校・附属小中学校初等部、通称「花小」五年一組の教室では、今日もクラスのムードメーカーである梓川蜜柑の声が響き渡っていた。
「わわ……ちょっと……。……おはよう、蜜柑」
ツインテールを揺らしながら胸に飛び込んできた蜜柑に対して若干照れながらも返事を返したのは、煌星那菜、学級委員長だ。那菜は若冠十一歳にして身長は百六十センチ台に到達しており、容姿端麗頭脳明晰で、小五にしては性格が大人びている少女である。百三十センチと小柄な蜜柑と比べると、まるで姉妹のようだと囁かれている。
蜜柑が天真爛漫な性格に対し、大人しい性格の那菜。真逆の性格で一見馬が合わなそうな二人だが、クラスでは大の仲良しとして知られている。実際この二人は席も毎回隣同士で、毎日一緒に登下校しているのだ。
この日はたまたま蜜柑の方に用事があり、那菜が先に教室に来ることになった。だからこそ蜜柑は、那菜の胸に踞っているのである。
「もう……蜜柑ったら、いつまでそうしてるの? またニ穂ちゃんに怒られるよ?」
噂をすればなんとやら。学級副委員長を務めている、姫園二穂が二人の前にやってきた。
「蜜柑ちゃん、いいんちょーをこまらせたらダメだよ! いいんちょーも! だまってるだけじゃダメだよ!」
ニ穂は規則やマナーに厳しい。どちらかと言うと那菜よりも委員長気質であり、上級生に対しても態度を口出しするほどなのである。もっとも、蜜柑と対して変わらない身長のニ穂の言動は、上級生……中等部の生徒から見れば、逆に小動物のようでカワイイと評判である。本人は納得していないようだが、実際カワイイのだから仕方が無いだろう。那菜は衝動的に注意をしてきたニ穂の頭へと手を伸ばした。
「ふぇっ……!? なに!? ちょ、ちょっと……いいんちょ~……? うにゃぁ……」
なでなで……なでなで……。クォーターのためサラサラの金髪を生やしたニ穂の頭は、撫でているだけで気持ちがいい。ニ穂は最初抵抗していたが、撫でられるのが気持ちよくなったのか、猫なで声まで出し始めた。撫で続けて那菜は、そのあまりの気持ちよさにヨダレを垂らしてしまった。
……ペロリ。垂れたヨダレが何者かに拭われ、さらにそのまま舐められた。
「うん……おいしい……。那菜ちゃんのは……おいしい……」
「さ、桜子ちゃん!? い、いつからいたの!? あ、えっと……おはよう」
和泉桜子。花小五年一組の中でも一風変わった少女である。桜子は女の子が大好きであり、中でも那菜が大のお気に入りだ。本人に自覚があるのか無いのかは分からないが、いわゆる百合っ子というやつである。
「うん……おはよう……。ごちそう……さまでした……」
桜子はペロリと自分の唇を舐めると、ゆっくりと席へと戻っていった。
「また桜子のクセがでたよ……。あ、みんな、おはよう」
桜子と入れ替わるようにやってきたのは篠田梨華。眼鏡が印象的な彼女は、那菜の次に頭がいい。現に今梨華が手にしているのは、中二の計算ドリルである。
「おはよう、梨華ちゃん。どうしたの?」
「那菜、この問題が分からないんだけど……。……って、どうしたの蜜柑? そんな不満そうな顔して」
さっきから蜜柑は唇を尖らせてつまらなそうな顔をしている。その理由は単純、那菜にかまって貰えないから、である。
「べっつにー……。それよりだんだん朝の会だよー? みんな、席にもどらないと」
蜜柑は分かりやすく那菜をチラチラと見ながらそう言った。小学五年生。まだまだ甘えたいざかりの那菜にとって、親友を他人に奪われることは耐えがたいことだった。とは言えこれはいつも通りの光景。その扱い方も熟知している少女達は、那菜に一言告げて自分の席へと戻っていった。
程無くして先生が教室に入ってきて、点呼をとっていく。授業、中休み、授業、給食、昼休み、授業、掃除……。今日も一日を終えた五年一組の仲良し(?)五人組は、並んで帰路へと着いた。
―少女達の平凡な日常は、この瞬間で終わりを告げた。
「あれ? あそこにいるのって真帆じゃない? おーい!」
梨華の親友であり、五人とも比較的仲がいいクラスメイトの真帆が、通学路を一人で歩いているのを見つけ、声をかける梨華。真帆は振り向くと、笑顔で手を振り、五人に向かって駆け出そうとした。
―刹那。真帆の頭が、地面へと転がった。
五人は一瞬、状況を理解することが出来なかった。仲良しのクラスメイトの、首から上があるべき場所に無いのだ。その場所からは鮮血が迸り、頭を失った胴体は、転がった頭の横へと崩れ落ちた。
「キャ……キャアァァァァッ!!」
遅れて悲鳴が響き渡る。それは誰のものなのか、あるいは全員のものなのかは分からない。ただ五人の少女は、目の前で起こった事を拒みはすれど頭では理解していた。
人が、殺された。真帆が、死んだ。
その事実に目を背けようとしても、目の前には凄惨な光景が広がっている。少女達が項垂れる中、那菜は目の前の空間を何かが切り裂いてくるのを見た気がした。
(殺される―!)
直感的にそう感じた那菜は、隣にいた蜜柑を突き飛ばした。
「那菜……!?」
蜜柑を突き飛ばす際に僅かに身体が沈んだのが功を奏し、那菜の頭が転がることは無かったが、代わりに髪の毛が数本宙に舞った。
何かが、自分達の命を狙っている。再度那菜の前方の空間が歪み、見えない刃が襲い掛かってきた。
「せぇぇぇぇい!!」
しかし、その刃が那菜に届くことは無かった。漆黒のドレスに真っ黒の刀。コスプレか何かと見間違える格好でその場に現れたのは、那菜達の一つ上、六年一組の学級委員長を務めている、御影香月だった。
「みんな、大丈夫!?」
先程の見えない刃は、香月の刀によって防がれたらしい。香月は数メートル先に転がる真帆の遺体に顔を一瞬歪めたものの、すぐさま見えない敵へと斬りかかっていった。
那菜達にとって香月は、幼馴染みであり頼れる先輩だ。そんな彼女が、魔法少女さながらの衣服を身に纏い、見えない敵と戦っている。敵もそれなりの手練れのようで、香月の衣服が時折裂けていく。
魔法少女というものは、女子小学生ならば誰もが一度は憧れたことがあるだろう。魔法少女になり、悪の敵と戦う。そんなことを夢見たことがあるだろう。那菜達も例外では無く、彼女達の家には魔法少女のコスプレ衣装やら変身道具やらが置いてある。休日は公園に集まって魔法少女ごっこ等もやったりするぐらいである。
だが今、那菜達の目の前に広がる光景は、そんな憧れとは程遠いものだった。歯を食いしばって、見えない敵と戦う香月。そんな魔法少女を最初から見ていたら、魔法少女に憧れを抱きすらしなかったと思える程のものであった。
香月は今、何と戦っているのか? 何から、世界を守っているのか?
そんな疑問が頭に浮かび上がると同時に、那菜の記憶の奥底の扉が一瞬だけ開いた。
『君達はこれから、世界を救うことになるんだから』
狭い建物の中に並んだ、七つのカプセル。その一つの中で眠りに就いた那菜は―。
「うぅっ……!」
頭が、割れるように痛い。呻き声を上げてその場に踞る那菜。それに一瞬気を取られた香月の身体が、見えない敵によって吹き飛ばされた。
「香月ちゃん……!」
香月にいち早く駆け寄ったのは、家が隣同士の桜子だった。その表情には、誰も見たことの無い焦りの色が浮かんでいた。
「桜子……。……皆も……早く……逃げて……! アイツら……『グリフ』は、『アリス』じゃないと倒せない……!」
『グリフ』に『アリス』。聞き慣れない言葉ではあったが、那菜達は、それぞれの言葉が見えない敵と香月のことを示しているということを何となくだが理解することが出来た。それと同時に、傷付いて動けそうに無い香月の姿を見て、絶望感が彼女達を襲った。
香月の身体に触れているからなのか否か、桜子と二穂と梨華には、見えない敵……『グリフ』が、人型の形をしているということを空間の歪みで認識することが出来た。―また、それが明らかに那菜を狙っているということも。
「那菜、にげて!」
二穂の声は、踞る那菜には届かない。だが、その那菜の身体を支えている蜜柑には、その言葉が意味することを、そして自分がすべきことを理解することが出来た。
自分が、那菜を護らなくちゃいけない。
いつも優しく、姉のような那菜。時には叱ってくれるし、時には護ってくれる、蜜柑にとってかけがえの無い存在……それが那菜だ。……だから、だからこそ。
「今度は蜜柑が……那菜をまもる!」
蜜柑の心が、熱く燃え上がった。それと同時に蜜柑の身体を橙色の光が包み、その衣服までもが変化していき、たちまち甘酸っぱい蜜柑色の衣装へと身が包まれた。さらに光は二振りの剣を形作り、それが蜜柑の両の手へと収まった。
「まほー少女、蜜柑……参上!! 悪を……たおす!」
蜜柑はそう叫ぶと、双剣を手にグリフへと突っ込んでいった。持ち前の運動神経をフルに発揮し、左右の剣を次々と叩き込んでいく。
「蜜柑ちゃんが『アリス』に……。あの動き……速い!」
蜜柑の動きはどんどんスピードを増していき、剣の動きは香月にしか視認出来ない程になっていた。
このままいけば勝てるかも知れない。香月がそう思った矢先、天空に新たな歪みが生まれた。
「蜜柑、伏せて!」
蜜柑がとっさにしゃがみ込むとほぼ同時に、先程まで蜜柑の頭があった空間が裂け、そのすぐ側にあった電柱を真っ二つにした。
安堵するのも束の間、支えを失った電柱が、踞ったままの那菜へと倒れ出した。そして運が悪いことに、それを目にしていたのは桜子ただ一人だった。
(あ……。誰も……見ていない……? 私……しか……? 私が……やらないとなの……? そうしなきゃ……、私の……私の……那菜ちゃんが……)
普段大胆な行動をとることが多い桜子だが、彼女は本来引っ込み思案な性格なのである。だが今は、自分がやるしか他にない。
桜子にとって那菜はお姉さんのような存在である……と同時に、妹のような存在でもある。実際、身長では桜子がクラスで二番目に高いのだ。だからなのか、桜子は那菜のことを友達から一歩進んだ対象として意識している。だが那菜は自分のことをどう思っているのかが分からない。そう不安になると、桜子はつい那菜にイタズラを仕掛けてしまうのである。桜子は、誰が何と言おうと那菜のことが大好きだ。そんな那菜を、絶対に失いたくなんてない。そう思うと、自然と桜子の心は熱くなった。
蜜柑に襲い掛かった斬撃は、香月のおかげで空振りに終わった。しかしそれは、新たなグリフの登場を意味していた。
空を見上げた梨華の目には、何かが猛スピードで降りてくるのが映った。朧げな空気の揺らぎとしか認識することは出来なかったが、それが再び蜜柑を狙おうとしていることだけは理解出来た。
那菜と蜜柑という、大の仲良し。容姿端麗頭脳明晰な那菜と仲良く出来る蜜柑を、梨華はどこか羨んでいた。運動神経は抜群だが勉強は全然出来ない。そんな蜜柑が那菜と仲良くしているのを見るたびに梨華は、何か嫉妬のような感情を抱いていた。だから今朝も、本当は分かっている問題を那菜に聞きにいったのである。梨華は別に蜜柑が嫌いというわけでは無い。話もするし、一緒に遊んだりする。ただ、裏表無く明るく人と接することの出来る蜜柑のことが、羨ましかっただけなのだと思う。
(蜜柑に聞かないと……。人と……那菜と、明るく接する方法……!)
そのためにも蜜柑を、そして那菜を失うわけにはいかない。梨華の心の中に、熱い炎が生まれた。
「「私が……護る!!」」
桜子と梨華の心が、同時に弾けた。桜子を桃色の、梨華を蒼色の光が包み込み、その衣服が形と色を変えていく。
桃色の槍を携えた桜子が、倒れてきた電柱を薙ぎ払う。
蒼色の二丁拳銃を構えた梨華が、降下してくる鳥型のグリフへと弾を撃ち込む。
体勢を立て直した蜜柑も含め、三人は二体のグリフへと立ち向かっていく。
(一気に三人も覚醒するだなんて……。この子達なら……もしかして……)
香月はグリフの攻撃の余波から二穂を護りながら、そんなことを考えていた。だが香月はそれを深く考えるがあまり、とっさに動くことが出来なかった。
二体のグリフと香月達の距離とは徐々に離れ始めていた。数の上で攻勢に立ったこともあり、三人が一気に仕掛けようとした……直後だった。
二体のグリフは突然向きを変えると、踞る那菜へと猛スピードで突っ込んでいった。
「しまっ……!」
グリフの攻撃を止めることは最早誰にも出来なかった。
鳥型グリフの一撃が、那菜を捉えた―かに見えた、その時だった。
シュゥゥ……ン
ほとんど音も無く、二体のグリフを光線が飲み込んだ。その光線の発生源を振り返った二穂は、目を大きく見開いた。
「志穂……!?」
巨大なレーザーガンを手に、無表情で立っていたのは、二穂の妹にして花小三年一組の姫園志穂だった。彼女の緑色のドレスが、風に儚く揺れる。
「……あまり長引かせるのは……かわいそうだから……。だって、ほら……」
抑揚の無い声で二穂達の背後―真帆の遺体があった場所を指差す志穂。そこには、あるはずの真帆の遺体が存在していなかった。
志穂はそのまま、ゆっくりと腕を横に動かした。そしてそれが指差したものを見て、五人は激しく戦慄した。
なぜならそこには、鳥型グリフの翼を背に生やした、真帆……だったものの死体が転がっていたのだから。
「ほら……ね……? これが『アリス』に成れなかったもの……『グリフ』の末路なんだから……」
July 1st 《day 1-end》