卑しい夢を見る
「うわぁん、また、仄ちゃんにフラれちゃったよ香ちゃん」
さあ寝ましょうとベッドに入った途端、窓から冷たい外気と共に騒がしく侵入して来たのは、幼馴染みの内の一人。
「これで何回目よ、功。あんた達バカップルの痴話喧嘩にアタシを巻き込むな」
毎度の事のため、ベッドの中で窓に背を向け寝そべったままの体勢で顔だけを向け迷惑ですという声で言い放つ。
「そんな冷たいこと言わないで慰めてよ香ちゃんってばぁ」
功は勝手にベッドに上がり込んできて布団に潜り込みアタシのお腹を両腕でガッシリとホールドしてきた。
「い・や」
アタシと功と仄は幼なじみで、隣家に住んでいて生まれた時から一緒だったアタシと功が幼稚園に入学した時に功の裏に引っ越して来たのが仄だ。
幼稚園も同じだし家も近いから直ぐに三人は仲良くなった。
功は愛らしい女の子の仄に一目惚れして、ずっと好き好き言っては抱きしめて頬にキスして、ナイトのように側で守っていたっけ。
園児だから周りは微笑ましいという目で見ていた。
だから大人になったら仄ちゃんと結婚すると言う功に、日本では同性同士の結婚は認められていないから生まれ変わるか法を改正しない限り無理という現実を突き付けるのはいつもアタシで、その度に喧嘩をした夜は、今と同じように窓から功が入って来て抱き着いてきたものだ。
功が自分は女の子で女の子を好きになるのは世間的にはオカシイことだと自覚したのは中学卒業の頃。
「ふふっ、仄ちゃんと僕が結婚出来る歳までもう少しだよ」
先生に挨拶へ向かった仄を待つ間、高校も仄と一緒で浮かれている功が嬉しそうに言ってくるのに対して、
「それは無理だって言ってるでしょ。功も仄も女の子なんだから。そもそも付き合ってすらいないのに」
と言えばいつもだったら、結婚するったらするんだもん、香ちゃんのバカ、意地悪などと言い返してくるのに、彼女はただ、
「うん。そうだね」
と寂しそうに笑い肯定しただけだった。大人へと近づいた功に、女である事実が枷へと変貌したのだなと汲み取れた。
だからアタシは見兼ねて知っていたけど教えなかった事を口に出す。
「…海外なら認められている国もあるから、そこに二人で移れば結婚出来るかもよ」
「知ってる。でも、そうしたら香ちゃんも来る?」
「そりゃあ幼馴染みだから、結婚パーティーには駆け付けるけど」
「そうじゃなくて」
平均男子よりも背が高くその分手足も長い功の腕がアタシに伸び、細く美しい指先が手首を絡め取る。睫毛が影を作る切れ長で研磨された金属の神々しさを連想させる瞳が滅多に見ない真剣味を湛えてアタシを射ぬく。
「…アタシは日本を離れるつもり、無い」
「だったら行かない。僕は香ちゃんと離れたくないもん」
「バーカ」
狡いと思った。一番大好きな人が居るくせにアタシに向かってそんな事を言う。
本当は仄が現れる前から功のことがずっと好きで、三人で居るのはとても楽しいけれど時折、心の片隅ではアタシ達の前に彼女が現れなければ良かったのにと思う醜悪なアタシは例え生まれ変わったって功の一番になれないから、こんな些細な一言が死ぬほど嬉しくて、死ぬまで好きな人と好きな人が追い求める女の子を見つめ続ける人生を受け入れてしまう。
「秘密にしてたけど、アタシもあんた達と同じ高校だから」
「知ってるよ。だからあの学校にしたんだもん」
ああ、全く、功から離れたくないのはアタシの方だ。
功に転機が訪れたのは高校に上がって直ぐだった。
功の何度目か数え切れないくらいの告白にやっと仄がOKを出したのだ。
アタシはその場に居なかったが、夜に忍び込んできて抱き着く功に聞かされて、
「良かった、良かった」
と彼女の背をあやすように叩きながら言ったアタシの顔は上手く笑えていたんだろうか。
それからは三人でお揃いの物よりも、功と仄、二人だけのお揃いが増えていった。
今アタシのパジャマの下に潜む不埒な指にしている指輪もそうだ。
指輪って硬くて冷たくてアタシは大嫌い。
「こら、腹を触るな」
「だって香ちゃんのお腹、柔らかくて気持ちいいんだもん」
「ぁあん?デブって言いたいのか貴様」
「えっ、いやっ違くてっ」
力付くで背中にへばり付く功に向き直って今度はこっちから腕を伸ばして頭をアタシの貧相な胸に抑え込む。
「くっ…苦しいよ香ちゃん」
「ふふんっ」
抱き潰してひとつになりたいけれど、例え身体を重ねたとしても人はひとつにはなれないと知っているから、少しだけ腕の力を緩めてやれば、彼女は怖ず怖ずとアタシの背に腕を回し、縋り付くみたいに黒く固い髪を緩く握った。
「…仄ちゃんに嫌いって言われた」
滅多に聞かない功の弱りきった声。
「そんなの喧嘩の上での言葉でしょ。気にすること無いって」
少しだけ握る強さが増した彼女の手。引っ張られる髪はちょっとだけ痛いが、功はもっと痛くて縋ってきた。
「明日の朝、激甘フレンチトースト作ってあげるから、それ食べたら一緒に、仄に謝りに行こう。あの子なら絶対笑って許してくれるって。もしダメだったらアタシが何度でも許してやってって言ってあげるからさ」
サラサラとして短い髪を撫で慰めながら言えば、功はようやく胸元から顔を上げて、
「うんっ、ありがとう香ちゃんっ、大好きだよ」
一番好きでは無い女に笑顔でそんなことを言うものだから、少しだけ意地悪してやりたくなって
「どのくらい?」
と聞けば、
「食べちゃいたいくらい」
と返ってきた。望んだ答えじゃなかったけれど、功もアタシとひとつになりたいんだと考えれば悪くない答えだと思った。
アタシの髪を握り締めていた手が頭に添えられ優しく弄ぶ。ベッドに入った時の眠気が振り返してきた。明日は早起きをしてフレンチトーストを作らないとならない。
「眠いの?香ちゃん」
「うん」
「おやすみ香ちゃん」
「おやすみ功」
目を閉じてしまえば、あっという間に夢の底へと引っ張られてしまう。
「誰よりも大好きだよ香ちゃん」
唇に降る温もりとアタシが欲して止まない言葉。
アタシは卑しい夢を見る。
読んでくださってありがとうございます。
このお話はこれで終わりですが、もしかしたら香や仄視線で続きっぽいものを書くかもしれません。
需要なんて全く無いと解っていながらも頭の中で展開が騒がしいので。
忘れなければですが。
ですが次回は連載の「社長と少年」の続きを書きたいと願ってます。
ではお目汚し失礼しました。