《四日目》 火曜 午後 神の所業
「その彼も私のことを神だと言うんだよ」
昨日の夕暮れ時の別れ際にゴウベンは笑ってそう言っていた。
(あなたは本当に神様ですよ。ゴウベンさん)
章子は学校にいる間中ずっと昨日ゴウベンと名乗った人物と話した話題を反芻していた。
それは昨日の神・ゴウベンとの会話の終りかけのことだった。
「あの惑星にあるっていう文明が過去の古代文明なら、その人たちは過去からタイムスリップしてここに来たってことですか?」
黄昏の中で問い詰める女子中学生に神・ゴウベンは言った。
「それは違うね。さっきも言ったが過去に生きていた最中の人々を完全にコピーして向こうの地上に肉付けしたっていうのが一番正しいかな」
「それって人間をコピーしたってことですか? つまりクローン?」
「君たちにとってはクローンという言葉が一番理解しやすいのかもね。ただ君たちのいうクローンと決定的に違うのは向こうの人々は何もない空間から物質だけ集めて、あらかじめ別のところに記録してあった構成組織情報をそのまま肉体的に一瞬で書き起こしたものだから、その時までに身体的、精神的に受けていた傷跡やニキビ、シミ、白髪の位置、骨格や体の姿形、それまでの記憶や思考中の内容に至るまでそっくりそのままコピーしてあるけどね。はたして君たちのクローン技術でそこまでできるのかな?」
「は……?」
「わかりやすく言えば、今そういう状態の君を私のすぐ隣にもう一人出現させることができるっていういことだね」
この男は一体何を言っているのだろう。そんなことを言ったら今現在のわたし、咲川章子自身の存在なんてもはや必要ないじゃないか。
「ただし。私はそれをして新たに作った君の方を向こうに連れていくなんて手っとり早いことはしないよ。もちろんもう一人の彼に対してもそうだ。また、もう一人の君を作ってそれを替わりに君の家族のもとに残すなんてことも絶対にしないから安心してほしい。けれども君のほうがそれを強く望むなら話は別だがね」
それは章子にとって、いや一人の一個人にとってあまりにも残酷な可能性の提案だった。
「そんなことができるんですか?」
「だから、あの惑星がある」
「あなたは本当に神様なんですか……?」
ゴウベンは苦笑して言う。
「あの子も同じことを言うよ。私を神様だとね」
「違うんですか?」
「違うよ。私は君たちと同じどこにでもいる人間だ」
「人間ならこんなことはしません!」
章子は断言するが神・ゴウベンもまた断言する。
「するよ。いや他の人間ならもっとひどいことをするのかも知れないね」
「あなただってもう十分酷いことをしてます!」
「酷い? 何が?」
「あの惑星にある古代文明だってもう本当はもう滅んじゃってて今はもうなくなっちゃってるんでしょう?……、それってつまり死者を生き返らせれるってことじゃないですか。そんな命を弄ぶようなことをして、これ以上酷いことってないじゃないですか!」
神は笑う。
「そうだね。たしかに向こうの世界でも蘇生罪というものがある」
章子はそれを聞いて表情を強張らせる。
「君たちの法律ではもっとも重いものでも殺人罪が関の山だろう? しかしもっと科学技術がすすめば勝手に故人を蘇生させることを禁じる蘇生罪というものが存在するようになる」
「人を生き返らせるのが罪?」
「そうだ。進んでしまった時間の中で昔死んでしまった人物を生き返らせるのはこれ以上ない罪だとその法は説いているね」
「だったら……!」
「ただし! それは、その生き返ってしまった故人たちに、故人たちが生きていた世界ごと与えられなかった科学技術の遅れた文明の中での話だ!」
神は声を荒げる。
「故人たちの生きていた世界ごと一緒に出現させてやることができれば、それは果たして罪だろうか?」
神はやはり笑っていた。章子はもはや何も言うことはできない。なぜなら……。
「これを言ってはなんだが、私はそれをやったよ?」
なぜならこの神はそれをやってのけたからだ。
「やっぱりあなたは……神様ですよ……」
「だから私は神ではないと言っているのに」
やれやれといった風にゴウベンは首を振る。
「一つ聞いていいですか?」
「なにかな?」
ゴウベンは頷く。
「なんで今この時に生き返ってほしいっていう命は生き返らせてくれないんですか?」
ゴウベンは急に真面目な顔をした。
「そんなこといつでもできるからさ」
章子の顔が蒼白になる。
「いつでもできることなら別に今じゃなくてもいいだろう?」
「どういうことですか?」
「今この世界で生き返ってほしいと願われている命が一体いくつあると思う? とてもじゃないがそれらをいちいちその場で生き返らせるなんて手間なことはできないよ。私は神じゃないからね。だったら……」
その先の言葉を章子は予測することができた。
「だったらいっそ、その世界まるごと一度に全部を生き返らせた方が早い?」
ゴウベンは頷く。
「しかしどうせ生き返らせるなら、過去に今まで死んだ人間や他の殺されたり自然死した生物たちもいっぺんに生き返らせた方が手っ取り早いだろう?
君たちもよく言うじゃないか?
「すべての命は平等だ」と。
さてここで問題だ。 一体今まで地球上で死んでしまった全ての命は総合計してどれほどの数にのぼるのだろうね?」
神は言っているのだ。今まで死んでしまった命を全て今ここで一度に生き返らせることができるのだと。
「もう一言付け加えると、君たちの考える転生はあり得ないよ?」
神は言う。
「普通に考えて輪廻転生はあり得ないことがこれでよくわかっただろう? 私の力を使えば仮に実在するとしてその輪廻転生分も生き返らせることができる。それこそ無制限にね。一体君たちが何回生まれ変わるのかは知らないが、私はその生まれ変わる回数さえ凌駕して死亡者数よりもさらに超えた蘇生者数を増やし続けるよ?」
章子は思考の追いつかない頭で思った。
(魂がリサイクルされる前にどんどん新しい魂を作り出すってこと? そんな……、そんなこと)
そして導き出される結論。
(この神に敵う存在はいない)
「まあ、そんなつまらない話をしていてもしょうがない」
「つまらない話?」
神は頷く。
「そんなどれだけ物の命を生き返らせられるかなんてつまらない話だろう。そんな万能神を気取る暇があったら。ただの一個人として、すべての命を気にかけながら君たちの人生を傍観していた方が余程有意義だ」
「……あなたは酷い神です」
「私は神じゃないと言っているのに……」
そんな神・ゴウベンがこの上なく苦笑している場面で、章子はハッと現実に戻った。
気づけばもう昼休みを過ぎている。辺りを見回すと教室の皆が章子を注目していた。
目の前に集まった昼食仲間の一人が章子を心配そうにのぞき込んでいる。
「昨日からアキコ変だよ?」
章子はガタと席を立った。広げただけで何も手を付けていない弁当箱もそのままに口に手を抑えたまま教室を出る。
章子は何も口にしていないのに吐き気を覚えていた。
教室をでて下駄箱を出て、上靴のまま校庭の空から見えたのはあの青い有明の惑星だった。肉眼でも薄っすらとその姿が確認できる。
「あそこに今も、大昔に死んだ過去の人たちが暮らしてるなんて」
十四才の少女にこの現実はあまりに残酷だった。
「私のおばあちゃんもきっと生き返らせることができるんでしょう? あなたなら……」
章子の祖母はこの夏に他界した。とても面倒見のいいやさしい祖母だった。しかし御多分に漏れずしつけだけは厳しかった。
章子は祖母とケンカをした。今年の正月のことだ。
新年の挨拶もせずにクリスマスプレゼントの携帯に首ったけだったから、祖母に取り上げられそうになった時にケンカになったのだ。
「仲直りもできずに、おばあちゃんは逝っちゃいました」
お盆に会ったときに仲直りしようと思っていたのに、章子の祖母はお盆を前に急逝した。
「生き返らせてください。もう一度おばあちゃんに会わせてください」
目に涙を蓄えながら校庭の砂に崩れ落ちる前に章子は気持ちを持ち直して再び駆け出していた。
もはや章子にとって学校はどうでもよかった。
とにかく閉じられた校門をもよじ登って学校の外に出た。目指したのはゴウベンと出会った場所だ。
「当然いますよね? ゴウベン!」
章子の足が止まった。目の前の先にその人物はいる。
「こんな真昼間に。飛び出した学校はいいのかい?」
ゴウベンの不敵な笑いを前にして章子は用意していた言葉をぶつける。
「会わせてください!」
章子は濡れた瞳をそのままに神を射抜くように見る。
「もう一人のその子に会わせてください!」
章子の息は切れ切れになっていた。
「お願いです。会わせて……会わせてください……。お願いします……」
そこでとうとう崩れ落ちた。
今の章子ではとても一人では耐えられなかった。生者と死者を区切る境目が今の章子には分からなくなっていた。
そして、そんな精神状態で考える。
もう一人の少年はこの事実を知ってもまだ正気でいられるのだろうか。こんな章子みたいに取り乱して学校さえも飛び出して形振り構わず神に会いに行くようなことはしないのだろうか?
その心を読んだかのように神は言う。
「しないね。彼は……」
章子はやはり繰り返すだけだった。
「会わせてください……どうしても……会わせてください……お願い……しま……」
神はそれを憐憫を含ませた眼差しで見つめる。
「もう君には会わない方がいいのかもしれないね」
「そんな……」
章子が悲鳴を上げた。
それだけはダメだ。耐えられない。どうしても今、会いたい。今会わないと、自分の心がもう持たない。死者の存在に自分の心が縛り付けられている。
「大丈夫、君なら乗り越えられる。もし会っていると仮定するなら彼もきっとそう言うだろう」
「そんな根拠……、だったら会わせて……!」
少女の悲痛な叫びも虚しく、ただ神は笑っている。
「今度は金曜日だ。その日の君が帰路に着くころにまた私は現われよう。その時に彼に会える時間と場所を教える。もし本当に、君にあの惑星に行く気があるならだ」
「イヤっ、いま、いま会わせて! お願い! お願いします! わたしは今、その子に会いたい!」
今の章子にとって、その少年の存在だけが心の拠り所だった。
しかし容赦なく神はその姿を消していく。
「待って、行かないで! お願いです! お願……!」
章子は手を伸ばす。だが、もはやそこには初秋に散り始めた木の葉だけがカサカサと風に吹かれるだけだった。
「ふっ、ふう、ふぅぐうぅぅぅ……」
少女は泣いていた。壊れかけた心もそのままに地べたにしゃがみ込んで神の消えた後もしばらく立ち上がることもできないまま。衆目も気にせずにただ涙を流し続けていた。