11.新世界の風
夜に船の甲板へでると勢いよく吹く潮風が章子と昇を出迎えていた。
「わたし、船に乗るのなんて初めて」
髪を潮夜風に撫でられながらそれを手で押さえて章子は言う。
「僕はよく家族旅行でフェリーとか乗ってたけど、これはちょっと次元が違うな」
今、章子たちが乗る第一文明の船はフェリーのような客船ではない。
複数のマストに帆を張る大型の高速帆船だった。
「こういう乗り物って本当に中世みたいだよね」
章子はどこか憧れを込めて言う。
「大航海時代の……」
過去の地球史の海で数多に進水していただろう帆に風を受けて進む船。この第一の帆船は強くそれを想起させるものだった。
「ただ、この帆船が他と違うのはこれが風がなくても進むってことか」
第一の魔方システムによって風を人為的に引き起こすことのできるこの帆船は自然の風の有無を完全に受け付けない。
その安定性は台風がこようと時化がこようと、最小限の揺れで突き進むことができるこの船の性能にも表れている。
「この技術が私たちの世界にもあればいいのに」
甲板の手すりに顔を預けて章子はそう呟いた。
きっとそれは向こうの世界も思うとこだろう。しかし、そうなった世界の顛末を昇は容易く想像できた。
「燃料のいらない乗り物を持つ文明なら、きっとこの第一文明のほかにもいっぱいあるよ」
そう言うと章子はため息をつく。
「それが本当ならますます私たちの世界が本当にバカらしく感じるよね」
章子の隣で昇も空を見上げていた。
夜の甲板から見上げた空には地球からでも見えていたあの「夏の大三角形」が見えた。
「なんだっけ? あれ。星の名前覚えてないんだ」
昇はこういう物を覚えるのが苦手だ。
「ベガとデネブとアルタイル。でも見えるんだね。この星からでも地球の時に見えたのと同じ星が」
「そりゃ同じ時間にいるからね。
だから、この夜空が僕らと元いた地球の世界を繋げている。同じこの星空を見上げればいつでも僕らは向こうの地球と同じ時間で繋がってることが実感できる」
「今ごろ何やってるかな。お父さん、お母さん」
「心配してるよ。なんたって僕たちはまだ中二だ」
「昇くんの家族もね」
「まあね」
章子は腕を伸ばして背伸びをする。
「んー。でも明日からみんなは学校だと思うと少し罪悪感があるなー」
「こっちはちょとした修学旅行気分だもんね」
「しかも男女二人だけのね!」
いたずらっぽく笑う章子にもう一人の声が飛んできた。
「三人でしょ?」
甲板に出てきたオリルが風に手を触れるように歩いてくる。
「私のことも忘れないでくれる? まったく夕食の時間が終わったと思ったら、こんなところにいて」
「ごめん」
「ごめんなさい」
「夜の甲板は結構危険よ。今は船もかなり速度を出してるし」
「どれくらいで着きそう?」
「大体五日ほどね。合併直後のような緊急性の必要な非常事態航海でもないし。そんなに慌ててはいないわ」
「慌てなくて五日……」
おそらくそれは地球の基準で言えば異常に早い到着だろう。
まだ右も左もわからないこの世界でこれほどの短時間に自分たちとはまったく違う異世界へ船を着けさせることのできるこのオリルの時代の把握能力は末恐ろしいものがある。
「だからそれまでは部屋でじっくりと勉強しないとね」
「それが学生の本分だもんね」
章子と昇は二人で降参するしかなかった。
「当然、数式や科学式の勉強も平行してするのよね?」
「「え?」」
章子は当然のつもりで驚いたのだったがどうやら昇は正反対の意味で驚いたようだった。
「昇くん、サボる気だったでしょ?」
「え? いや……そんなことは……」
昇はしらを切ろうとしているが考えていることは見え見えだった。
これで日本の中等教育の中核でもある五教科(英、数、国、理、社)は意図せず学習できることになる。
しかもその五教科はすべてにおいて最先端だ。
「なんかワクワクしてきた」
「なんかげっそりしてきた……」
その昇の仕草に笑いながら夜の潮風を受ける。
高揚とした心にこの海の風は心地よかった。
章子はまた入浴後には甲板に上がってみようと思っていた。
この風が新世界の風に感じる。
これから新たなる世界に臨む三人は思い思いを胸の内に秘めて夜の船内に戻っていった。
そして何日目かの迎えた朝にオリルは章子たちに言った。
「第五時代の陸地が見えてきたわ」
新世界の風はすぐ目の前にあるのかも知れなかった。
お疲れ様でした。
第二部「待ち人、来たる」 これにて終了です。
次回、第三部「覇都の遺産」 お楽しみに。




