10.二つの言葉
「それで、これから向かう先は五番目の時代。第五文明に決まった訳だけど」
大海に揺れる船の一室の中でオリルは言った。
「その前に聞いておきたいんだけど、私と昇くんの立ち位置ってこれからどうなるの?」
章子が手を挙げるとオリルは言った。
「章子と昇はこれから私たち第一が他世界に派遣している使節団の一つとして行動してもらいます。これから二人は私たちと同じ第一の人間としてこれからしばらくの間、他世界で振る舞ってもらうことになるわ」
「食事やお金は? 私たちの持ってきた私たちの通貨は通用しないんでしょ?」
「それも私たち第一から支給されます。この渡航中は一人につきひと月で約十万円ほどの価値の通貨が使えるようになるわ」
オリルの言葉を聞いて章子は驚く。
「オリルってわたしたちの世界の通貨価値が分かるの?」
「ああ。そっか」
オリルは今それに気づいたように章子に語り掛ける。
「そちらの通貨の価値も会話で大まかにこちらに伝わってくるの。だいたい飲み物1〜2杯分で百から百五十単位の価値と言ったところかしら」
「だいたいそんな感じだよ」
「うん。で続きだけど。もちろん章子と昇にはその支給額に見合うだけの働きをしてもらいます。といっても最初は勉強ね。私たちの初期魔法を身に着けてもらうの。初期魔法といっても私たちにとってはただの言葉や文字にすぎないんだけど」
「どういうこと?」
「絶対口語と完全文語。私たちも他の世界に触れるまでは自覚がなかったんだけど、どうやらこの言葉はどの世界の人たちにも通じる万能の言葉みたいなのね」
「その言葉は、水や火などの魔法行使の時にも使わてるの?」
「そう。でも私たちはこれが他の言語の世界にも通じる万能の言葉だなんて思いもしなかった」
オリルのその言葉を聞いて昇は言う。
「っていう事は、唱えるだけで水や火などといった魔法現象を引き起こすことができる世界法則干渉能力を持つその言葉は、そのまま人の持つ意思を明確にその単語に乗せて人に伝達させることも可能だったってわけだ」
「え? もしかして唱えるだけで火を燃やし続けることができるの?」
「ううん、それは出来ないわ。火や水を起こし続けるにはその状態を維持し続けなければいけないの。言葉を唱えたその後の集中力で」
「つまり精神力がいるんだ」
「そうよ。これが最初は息を止めてるぐらい辛い。言葉による意思伝達だけなら一瞬で済むから何も感じないんだけど」
「訓練すれば長くできる?」
オリルは頷く。
「勉強と一緒よ。難しい問題も最初は時間がかかって辛いけど慣れれば早く楽に解けるようになる。魔法も何回かやってみて仕組みに慣れていけば頭の中で言葉を唱えるだけでも発動できるようになるし、さらに難しい魔法にも挑戦できるわ」
「ちなみにオリルは今どれくらいできるの?」
「火や風みたいに流動的なものなら、これぐらいの威力を三時間は可能かな」
オリルが指先を章子に向けると扇風機の「強」レベルの風が吹き始める。
「一瞬だけでいいなら岩壁に穴を開けたりすることもできるわ」
それはちょっと考えたくないレベルの話だった。
「で、話が脱線しちゃったんだけど。これから章子と昇には私たちのこの言葉をまずは学んでもらいたいの」
その課せられた義務には章子も昇も異議は無い。むしろ問題はその先にあった。
「それで章子と昇は絶対口語と完全文語のどっちから先に学びたい?」
「「え?」」
「だから絶対口語と完全文語のどっちから先に学びたいの?」
繰り返すオリルに章子と昇も目を白黒させる。
「……ごめんなさい。どういうこと?」
「どういう事ってそういう事なんだけど……」
「いや絶対口語と完全文語って同じ言葉じゃないの?」
「違うわ。絶対口語が話す方の言葉で完全文語が書いて読み解く文の言葉。私たちの言葉は話す言葉と読み書きする文の言葉でそれぞれ別々の異言語なの」
「別の言葉って……」
「もちろん使ってれば自然と一つになる。でも私たちの国語の授業でも自分たちの言葉を学ぶときはこの二つを切り分けて学習するわ」
「それは……」
声に出して言うのも憚れるが、なんて面倒くさい言語なのだろう。
「この二つの言葉は言語学的面から見れば、まったく別の言葉よ。話し言葉と書き言葉でまるまる別世界の異邦の言語だと思っていい。それに、とてもじゃないけどこの短時間で両方ともを同時に学ぶなんていうのは効率が悪いわ」
章子と昇は顔を見合わせて考える。
「咲川さんはどうする?」
「昇くんは?」
二人して考え込んでいるとオリルも肩で息を落とす。
「別に今すぐじゃなくてもいいんだけど、決定は早ければ早いほどいいのはわかるでしょ? なにしろ次の第五時代に着くまであと一週間もないんだから」
それは章子や昇にも嫌というほど分かっていた。
「僕は完全文語かな」
他の世界でも書きはともかく読む力は重要になってくるような気がする。
「じゃあ私も……」
「咲川さんは絶対口語のほうがいいと思うよ」
追随しようとする章子を昇が引き止める。
「なんでそう思うの?」
「咲川さんは僕たちの世界とこっちの世界を結び付けたいんでしょ? だったらこれから必要になってくるのはコミュニケーションの取りやすい会話力だと思うから」
確かにその理屈には筋が通っている。
「昇くんは違うの?」
「僕はどっちかっていうとこっちの世界と向こうの世界は隔絶させておきたい側の人間だから」
その目は、絶対にこの考え方は変えないという意思を感じさせた。
「それに咲川さんと僕とで別々の言葉を覚えていった方が、欠点が補えられていいと思わない?」」
その昇のぎこちない笑みは多少頼りないながらも章子の心象を捉えていた。




