9.世界合併
リ・クァミス最高学府学会院での簡易検査を昼前に終えて章子と昇は学院の広い待合室にいた。
「検査、学校の健康診断と何も変わらなかったね」
「検疫検査なんだから血も取られるかと思ってビクビクしてたよ」
二人で雑談しながら待っていると髪の短い見知らぬ少女が遠い廊下から歩いてきた。
「お疲れさま。二人とも身体検査は終了したわ。健康状態は体内、体外とも特に問題はなかったから、これで問題なく渡航許可が下ります。それでさっそくだけど、これから港に移動しましょう」
章子と昇はその声を聴いて驚く。
「その声、オワシマスさん?」
「ほんとに?」
「どうしたの? 何か変?」
二人の反応にオリルも短くなった自分の髪の先を触る。
オリルは同性の章子でも羨むような腰まで届くあの長い黒髪を、何の躊躇もなく肩にも届かないほど短く切り揃えていた。
「すごく勿体ない。なんで切ったの?」
「なんでって、これからの長旅にあの長い髪は邪魔だと思ったから」
「魔法があればそういうのも簡単そうに見えるけど」
「あのね。なんでも魔法があれば解決できると思ったら大間違いなんだから」
昇の言葉にオリルも眉根をよせる。
「魔法だってまだ万能じゃないのは昇もよく知ってるでしょ?」
「まだ、でしょ?」
昇が言うとオリルははぁ、と呆れるように呟く。
「それで港ってどの辺りにあるの? オワシマスさん」
「オリルでいいわよ。私も昇って呼ぶから」
「いや、結構前からそう呼んでるよね? 一応何も言わなかったけど」
「何も指摘しないからそれでいいんだと思ってた」
こういう考えかたは自分たちの世界のどっかの外国人に似てるんじゃないかと昇は思った。
「じゃあわたしもオリルって呼んでいい?」
話しに割って入って章子がオリルを覗く。
章子は注意深くオリルの反応を伺っていたが、それは杞憂だった。
「当然でしょ? 章子」
オリルは屈託なく笑っていた。
髪型の違いで人の印象は大きく変わるというが、オリルのここまでの変貌ぶりには流石に戸惑う。
ここまで長い黒髪のおかげか何処となく落ち着いて聡明な印象だったのが、髪が短くなったせいで快活な印象に様変わりしている。
「だって、昇くんっ」
「え?」
オリルの快諾に乗じて章子も昇との距離を測るべく呼び方を意図的に変えてみたが、その反応は予想以上だった。
「いや、えっと」
〝昇くん〟
それは昇にとっても、どこかこそばゆい響きを持っていた。
元いた地球の世界の学校生活の中でも、今の章子と同じく自分の名前を下の名で、さらにくん付けで呼ぶ女子がいたことを思い出す。
大して親しかったわけでも無いその女子も、章子に似て同じ雰囲気を醸し出すクラスの優等生だった。
「咲川さんまでそう呼ぶの?」
「どうしたの? 昇くんもわたしのこと章子って呼んでいいんだけど」
それを聞いた昇は何度か下の名前で呼ぼうとしたが最初のあ……でどうしても止まってしまう。
何度か脳内で繰り返してみて昇は思った。
(これって呼び捨てでもさん付けで呼んでも、一度でも下の名前を口にしたらもう取り返しがつかないような?)
それだけ同郷の異性を下の名で呼ぶことは何か将来のことまで約束してしまったかのように思えて憚られる。
「やっぱり咲川さんでいいよ」
別の呼び方も考えてはみたがやはり昇にはその呼び方がしっくりきた。
章子は少し残念な様子だったがすぐに開き直ったようだった。
「ちぇ、でもわたしは昇くんって呼ぶから」
「どうぞ」
念を押す章子に昇は目を伏せる。
オリルはそんな二人の様子を気にするでもなく先頭を切って歩いていた。
「どこに行くの? オリル」
「港って言ったでしょ?」
「港って海の?」
「そうよ」
オリルは笑って頷いた。
オリルの言う通り促されるまま、また正門から馬車に乗り今度はオリルの実家とは反対の方角へ向けて移動する。
暗い樹々と明るい草原の織りなす景色の途絶える先で、港に着いたのは空腹を感じだす昼過ぎだった。
「船に乗る前に、昼食を取りながらこれからのお話をしましょう」
オリルは章子たちを連れて海港の岸壁近くの大規模な乗船所の建物の中に入っていく。
その人のまばらな乗船所の一角にある食堂の展望台で三人が卓を囲んで食事をとっていた。
「それで、これから向かう先を決めておきたいんだけど、二人はまず何処に行きたいの?」
食事を終えたオリルがポケットから取り出した一枚の紙を広げる。
ゴウベンとの別れ際に貰ったこの新惑星の世界地図だ。
「私たちとゴウベンさんからの情報を突き合わせるとこの世界には第二、第三、第四、第五、第六の文明が元の地形そのままに存在しているわ。それで私たちはこれから何か目的をもってこの世界を回らなくちゃいけないんだけど、今はそれをどうしようかっていう話をしたいの」
「第二から第六までの情報はある程度、馬車の中で聞かせてもらったからなんとなくわかるけど」
章子の言葉にオリルは頷き先を促す。
「私はまず六番目の文明に行って見たいかな。順番で言えばオリルたちの次の時代の二番目の世界ってことになるんだろうけど。わたしは昇くんの言った「私たちの進化は仕組まれた進化だ」っていう言葉がすごく気になってる。もしその予測が当たっているなら、今の六番目が何を考えてるのか、どうしても知りたい」
章子は同意を求めるように昇を見た。
「僕はまず第五に寄りたい」
「なぜ?」
オリルが問うと昇は答えた。
「第五が僕たちの地球を大きくさせた手段が知りたい。「覇都の遺産」を使ったのならなおの事その遺産のことを知っておきたいから」
オリルはその答えを微笑みで受け取る。
「第五時代はここから南、この惑星の赤道直下に位置してるわ」
「この集められた六つの世界が全てこの新惑星の北半球と南半球のごく一部分に集約されて配置されたっていうのは聞いた」
昇の言葉にオリルは頷く。
「そう。私たち六つの世界は全てそこに集められてる。これが私たちの言う世界合併よ。そしてその世界と世界の距離は各々でやっぱり隔絶されているぐらい遠い。その気でも起きない限り、情報の少ない今の状態ではまだ気安く渡航できる距離ではないわね」
「そしておそらくは、一つ一つが今の地球よりも小さい世界だったからこういうことが可能だった」
「そう思うわ」
「で、それをどこの時代世界の地形にも当てはまらない未知の巨大な超大陸が三つで取り囲んでるのね」
「そうね。たぶんこれはあのゴウベンが独自に作り上げたこの新惑星用に用意された新しい大陸だと私たちは考えてる」
「その超大陸はこの新世界に強制的に呼ばれた君たちに対する神さまからのせめてもの贖罪ってわけだ」
「中でもこの北から南まで跨っている陸続きの巨大な大陸はすごく大きい」
「その一番大きい超大陸を私たちは超大陸第一位、パンゲアと名づけた」
「で、この南と北に位置する超大陸が第二位のゴンドワナと第三位タイラントか」
「そしてこれらの陸地を要するこの新惑星を転星。私たちの言葉で転生の意味を持つリビヒーンって呼ぶことにしたの」
「僕たちの世界じゃケイオスって呼ばれてるね」
「でもアレって他の小惑星にもう名前が使われてるんだったよね?」
例によってまたそんなことで揉めている自分たちの世界。
「でも、それは僕たち現代の地球文明らしいといえば地球の文明らしいし」
昇は自分に言い聞かせるように呟く。
「僕たちは僕たちのできることをしよう」
それは昇自身に対する決意でもあった。
「なら、これで話は決まったわね」
オリルが席を立つ。
「私たち第一文明は、私と章子と昇計三名の行先の決定権を半野木昇、神に選ばれたあなたに譲渡します。章子にはとても悪いと思うけど、ゴウベンが昇を重要視している以上、私たちもそれに乗じるしかないわ」
章子は控えめな表情で笑って頷く。
オリルはそれを見て前を向いた。
「じゃあ、この新世界を創った神、ゴウベンが乗船口で私たち三人を待ってる」
そして二人を促す。
「行きましょう」




