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神の創りし新世界より A  作者: ゴウベン
第二部 待ち人、来たる
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8.章子とオリル

「世界が合併した時のことはよく覚えてるわ」

 学院に向かう馬車の中でオリルはそう独白した。

 御多分に漏れずゴウベン、オリル、章子、昇のメンバーだけしかこの馬車の中にはいない。

「空気が急に変わったもの。なんていうんだろう、こう、部屋に詰まっていた空気が開いた扉から勢いよく外に抜けていく感じかな」

 オリルは自分の両手を見ながら当時のことをよく思い出そうとしているようだった。

 章子はそれを見ながら改めてまじまじとオリルを見る。

 本当にいまこの目の前で話をする少女が過去の人間のデータからコピーされて生み出された生命だとはとても思えない。

 それほどオリルは一人の個性ある少女に見えた。

 そして章子の隣ではそれをやってのけた人物がちょうど隣に腰かけている。

「自分が昔の自分自身をコピーして創られた命だって聞かされてどう思う?」

 章子は前々から自分がどうしても知りたかったこの話題をあえて、この密室の機会に体当たりで聞いてみたのだ。

 オリルはしばらく考えてから口を開いた。

「やっぱり、昔の自分は気になるわ。でもそれはもう「生きてる「位置」」が違うから、私であっても私じゃない。だから、すこしは割り切れるのかな」

 生きてる位置が違う?

「それってつまり、どういうこと?」

 章子が問うとオリルはオリルの隣でうつらと頬杖をつく昇を見る。

「昇にならわかるでしょ?」

 漫画でよくある鼻水の袋が割れた時のような顔をして昇が気付く。

「は?」

「私と昔の私の違いを昇ならわかるでしょ?」

「そんな話してたの?」

 昇が首すじに手をあてがい痛そうに顔を向ける。どうやら寝違いを起こしたようだった。

「僕の見解なんて妄想の塊でしかないよ」

「それでいいから」

 オリルは昇に促した。昇が先に席に着いた時にさり気にその隣に座ったのはオリルだった。

「位置エネルギーの違いでしょ。今いるオワシマスさんと昔のオワシマスさんとではもうその存在を固定している位置エネルギーの場所がすでに別物になってるっていう話。

 いや、位置エネルギーっていうのは僕たちが理解する為の外枠の言葉だ。本当なら君たちの言葉で言うと「事」ってことになるんだろうな」

 オリルはやはりという顔をする。それは章子の隣に座るゴウベンも同様だった。特にゴウベンは当然といった顔をしている。

「事?」

「ごめん」と最初に昇は手を合わせて章子に謝った。

「光より速いものは位置エネルギーだって言ったけど、このオワシマスさんたちの文明で一番重要なのは位置エネルギーよりももっと速い「事」ってやつなんだ」

 章子にはやはりチンプンカンプンだった。

「そう「事」よ。私たちの魔法の起点は全てその「事」によっているの。事は光よりも引力よりも位置よりも速いわ。ううん。速いんじゃない。どんなに離れていてもすぐそばに伝わる絶対的なもの」

 オリルの話の流れを昇が引き継ぐ。

「夜空には星が輝いているのに、その星がもうないかもしれない可能性に僕は不思議だった。事実はすでにここまで届いているのに。光の変化はまだ届いていない。だから僕たちは事実を知れない。でも実際その星はそこにはないという「事」は発生している。

 そこで僕は思ったんだ。僕たちの星空はいつも昔の嘘で一杯だって」

「そこで気づいたんだ」と昇は言う。

「僕たち、この時代の人間にはその「事」を知覚できる器官がないってことに」

「オワシマスさんたちにはあるっていうこと?」

 章子の問いにオリルは首を振った。横にだ。

「今の私たちにも臓器としての意味で事を知覚できる器官は無いわ。私たちが「事」を察知できるのは魔法を使った時だけ。それも個人の能力で察知できるのはどんなに意識を集中しても目の届く距離まで。機械的な社会的集団手段なら広くても太陽までの距離が限界ね」

「視力と一緒よ」とオリルは言う。

「事を見るにも性能というものがいる。視力にも目の良い人と悪い人がいるように。……でも」

 オリルは章子の隣を見る。

「あなたはどうなんですか? ゴウベン」

 その集まった視線にゴウベンが口を開こうとする前に昇がそれを遮った。

「知らない方がいいよ。きっと後悔するから」

「ほう、後悔とは一体君は何に後悔したのかな?」

 ゴウベンが問うと昇は答えた。

「自分に」

 その答えは当の神をこれ以上もないほどに悲しい顔にさせる。

「そうだったね。君はそうだった。常に」

 この時のゴウベンが何を考えているのか三人には分からなかった。分からなかったが、その顔は人間から見てもどうしようもなくいたたまれなくなるものがあった。

「そんな事より、この時代の星空を勉強した方がよほど為になると僕は思うな」

「半野木くんって、勉強好きなんだ?」

 まさかと昇は言う。

「勉強なんてどこをどう手を付けていいか分からなかった程だよ。テストの点数だってそれは散々なものだった」

「何人中何位?」

 章子は素朴に疑問だった。

「それを聞くの?」

「三百人中、ビリから二番目だったね。一学期の期末は」

 ゴウベンがしみじみと昇の隠し事を暴露する。章子もその順位は予想してなかった。

「それって……」

 致命的だ。どこをどう考えても致命的すぎる。

 昇のその歯噛むような表情から察するにゴウベンの言葉は真実だろう。それもおそらく名前を書き忘れたとか、わざと手を抜いたとかそういうレベルの話でもないようだ。

「だから僕の言葉なんて信用しない方がいいんだ」

 昇は拗ねた。その態度はほとんど反抗期の子供だった。今までの神がかったように自分の意見を述べた時の姿が今の昇の態度からは微塵も感じられない。

 章子はその姿を見て落胆する自分を自覚せずにはいられなかった。

 まるで自分の弟を見ているようだった。自分の弟と精神年齢の変わらない男子とこれから一緒に見知らぬ世界を渡らなくてはならないと思うと急に不安な気持ちで一杯になる。

「ゴウベンさんに、もう一つ質問があるんですけど」

 そんな章子の不安をよそにオリルは何かを秘めた笑みでゴウベンに問いかけた。

「なにかな?」

「私と昇との間に子供はできますか?」

 その質問には、さっきまで口元を尖らせていた昇も咳き込んだ。章子もその質問の意味を理解して目を見開くだけで声も出ない。

「できるよ。このリ・クァミスから昇君のいた七番目の現在までそこに住まう人と人との遺伝子、染色体はほぼ変わりなく推移している。君たちが望むと望まないとに拘わらず交配は可能だね」

 ゴウベンは、とても思春期の女子中学生程の年端のいかない少女に話す内容ではない事を平然とオリルに言ってのける。

 なのに聞き終えたオリルは澄ました顔で何事もなかったように礼だけを述べた。

「どうしたの?」

 オリルは今更のように気づくと目を点にして自分を見ている第七の少年少女に声をかける。

「これからの為にも重要なことでしょ? 良くも悪くも」

 しかし、その言葉の意味が二人の客人の心に届くには数時間の時間を必要としていた。




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