6.最初の夜(2)
夜虫の音が静かに聞こえる。
昇は一人、部屋を抜け出して夜の庭先に出た。
ここにも秋の夜長がある。よく見れば目の前を横切る砂利道の向こうで、麦とススキ穂を足して二で割ったような植物が金色いろにあたり一帯の丘陵地帯にまで広がっている。
それを見ながら昇はすぐそばの一本の樅木の傍らにある岩に腰を下ろした。
最初は一人でこの異世界での秋夜を満喫するつもりでいた。
しかしそれは儚くも裏切られてしまう。
「眠れないの?」
この家の少女、オワシマス・オリルが玄関の戸口から姿を見せると昇に向けて問いかけてきた。
長い髪を手ですき昇に向かって歩いてくる。
「きみの家なのに勝手に抜け出してごめん」
昇が謝るとオリルは気にしていないとでも言いたげに昇の前で立ち止まる。
「別にいいわよ。私もこの家にはあまり帰ってこないから」
「そうなんだ」
「そう。いつも学校で寮暮らし。ここには年に一度ぐらいしか帰ってこない」
「きみの時代でも一年は三百六十五日?」
「そうね」
「そうか。少し安心した」
「そんなに変わらないわよ。昔も今も」
「きみたち第一が言うんだったら、そうなのかもね」
昇のその言葉に耳を傾けながら、オリルは何も言わずに昇の隣に腰を下ろした。
「さっき、面白い話をしてたわね」
当然のことのように昇に問いかける。
「やっぱり聞いてたんだ」
「当然でしょ? 自分の家に見知らぬ男女を一つの部屋に泊めるんだから」
「それって、たぶん盗み聞きしてたのはオワシマスさんだけじゃないってことだよね?」
「この家に残っていった先生たちが数人、監視はしてたかしらね」
昇は含み笑いをして見せた。
「それでどうだった? 僕の突拍子のない妄想は?」
「月の自転の方はその通りよ。私たちの時代では月は自転してるように地球から見えてた」
「月の表面に模様はあった?」
オリルは昇の質問に面喰った顔をする。
「本当にいろいろなことを聞いてくるのね」
「やっぱり気になるからね。地球のことだし」
昇の笑みにオリルは少々不審がる。それでも一応、質問には答えて見せた。
「それなりにちゃんとあったわ。クレーターのないところが濃い無地みたいな感じで模様になってた。それが移り変わって回ってる感じかな」
ということは過去の地球から見える月面は裏表関係なく海と呼ばれる部分が均等にあったということだ。
「ぼくたちの今の月の裏側はクレーターでぼこぼこらしいよ」
オリルはそう、と呟く。
「きっと落ちる隕石の数が偏ってしまったのね」
本当に他人事のような意見だった。
「もう今の地球には興味なくなったんだ?」
昇が言うとオリルは、じと昇を見る。
「今の私たちが興味に感じてるのは君だけよ。半野木昇くん?」
その言葉に昇はやはり笑っていた。やや呆れに近い笑いだったかもしれない。
「一番科学力の進んでる文明の人間が一番科学技術の遅れている文明の人間に興味を持つなんてね」
「それって皮肉?」
「どっちかっていうと自嘲かな。こんな自分に興味を持たれても裏切ることしかできないよっていう」
「それはこちらの判断で決めさせてもらうわ」
オリルはどこか不機嫌な面持ちだった。
「明日はまた学院に戻って検疫を受けてもらいます。その後すぐに旅立つことになると思うから覚悟しててね」
「検疫?」
立ち上がったオリルを見上げて昇は聞いた。
「ゴウベンさんから貰ったあなたたちの診断データは見させてもらったわ。でも一応、こちら側での簡単な簡易検査も受けてもらうから」
昇は頷いた。
「それでいいよ。でも旅立ちについてはどうなるの?」
オリルはそれまでとは打って変わって笑っていた。
「それはまた追って後で知らせます。でも悪いようにはしないわ。ゴウベンさんからもそこら辺は強く好待遇とするようにと言われてるから」
それならあからさまな劣悪な待遇になることだけは避けられそうだった。
「じゃあ、そういう感じでよろしくお願いします」
「善処します」
昇が頭を下げるとオリルも深々とお辞儀を返す。
頭を上げた時には二人の視線が意図せずかち合ってどちらからともなくクスクスと笑いあった。
新世界での初めての秋の月夜でのことだった。