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「念の為、こっちでも時間を確認するか」
コントローラーを操作し、ゲーム内の時計を起動させる創流。
ゲーム世界の時間とリアルの時間が並んで表示される。
「どうして?」
創流の真後ろに立っているクウェイルがソファーの背凭れに手を突いた。
「インターネットに繋がっているから、そこの時計より正確なんだよ」
パソコンの上に置いてある時計と見比べてみると、コンマ数秒程度のズレが有った。
思っていたよりは正確だった。
「54分」
緊張のせいか、少し低めの声で呟くクウェイル。
後60秒。
黙ってゲーム内の時計のカウントを見詰める二人。
5
4
3
2
1
ゼロになると同時に地下室を見渡す創流。
特に変化は無い。
入り口の鈴も鳴らない。
メイド服のクウェイルも口をへの字にしたまま。
キーボードを持ち、ギルド会話を打つ創流。
「時間になりましたが、変化無しです」
24時間インしっ放しの茎宮先輩のキャラに報告する。
やれと言われた訳ではないが、何もしないのも落ち着かないのでやってみた。
「ん?」
画面に文字列が表示されると同時に、膝に置いてある無線キーボードがずり落ちた。
と思ったら、地下室の壁に向かって吹っ飛んで行った。
それが壁にぶち当たる音に驚くクウェイル。
「何?どうしたの?突然の反抗期?」
「うわっ、この下に居る!」
足を上げ、ソファーの上でヤンキー座りになる創流。
背後のクウェイルからは見えないが、ソファーの下から細い腕が伸びて来ていて、それがキーボードをぶん投げたのだ。
「ええ?」
クウェイルはその場で四つん這いになり、ソファーの下を覗いた。
それより早くソファーの下から飛び出す人影。
「ゲームで報告していたとは。防犯装置や電話が無いからハズレを掴まされたのかと思ったよ」
そう言ったのは、そこらの主婦が着ている様な野暮ったい服を身に纏った女性。
しかしプロレスラーが被る様なマスクを被っていて、あからさまに不自然な不審人物だった。
「お前が、怪盗トードストール?」
創流が訊くと、マスク女はキシシと笑った。
耳障りな笑い声だ。
「そうよ。お宝は頂いたわ」
音も無く後退り、床に転がっているキーボードを踏み砕くマスク女。
壁に激突した時点で部品が取れていたのでもう壊れていたと思うが、これで完全にお釈迦になった。
「いつの間に?って言うか、どこから入って来たんだ?」
ソファーから降り、身構えながら訊く創流。
「どこからって、そこからよ。今朝早くにトイレの窓から建物に入って、ずっとソファーの下に隠れてたの」
マスク女は、若い二人から目を離さないまま出入り口の方を指差した。
その手には小箱が握られている。
あれは、まさか宝石?
「今朝から?朝からずっと?」
「そうよ」
「驚いた。意外に地味な事をするんだな。俺はてっきり穴を掘って下から入って来たのかと」
「そんなマンガみたいな事をする訳ないじゃない。泥棒なんて基本的にコッソリする物よ」
と言う事は、クウェイルが寝ている脇を通って地下室に入り、創流が寝ているスキに真下に隠れたのか。
そして気付かれないままソファーの中に隠してある宝石を盗み出した、と言う訳か。
「でも、逃げるのはちょっと苦労しそうね。上は女子高生達がパーティしているんでしょ?」
「そうよ!警備員も居るんだから!簡単には逃げられないよ!」
ソファー前に出て来たクウェイルが鼻息荒く応える。
「ラクロス部だっけ?体力が有る子供は、たまに向こう見ずな事をするから危険なのよね。でも、その男の子はただ身体が大きいだけみたいね」
創流が不安視していたそのままの内容を言う怪盗。
だが、マスクの下では笑んでいる様な声色だ。
「何をするつもり?」
危険を察したのか、創流を庇う位置に移動するクウェイル。
しかし体格差のせいで全然庇えていない。
「一番弱い人間を人質にし、それを盾にして逃げるのよ。運動不足でハチミツが苦手になったって言ってたのを聞いてたからね」
「そんな事は絶対にさせない!」
激しく手を打ち、いただきますのポーズをするクウェイル。
「ちょっと待って、クウェイル!」
創流が止めるよりも早く、合掌した両手を前に突き出すクウェイル。
直後、怪盗のマスクの右耳の部分が弾けて破けた。
少しくすんだ色の金髪が飛び出る。
結構な長髪。
「素晴らしい!危険を承知で姿を晒した甲斐が有ったわ!」
今度は創流がクウェイルを庇う位置に移動した。
「やっぱりクウェイルの正体を探るのが目的か」
「え?どう言う事?」
灰色の瞳で創流の背中を見上げるクウェイル。
「だって、普通なら俺よりクウェイルの方が弱そうに見えるだろ?人質にするにも、身体の小さなクウェイルの方が都合が良い」
ようやく矛盾に気付いたクウェイルが息を飲む。
「……あ。もしかして、わざと挑発して、私に必殺技を使わせた……?」
満足そうにキシシと笑う怪盗。
「必殺技とか言う物から漂う夜の匂い。貴女、かなりの上級悪魔ね!ザコじゃない悪魔に出会ったのは初めて!お宝より良い物だわ!」
「何を言ってるの?」
眉を顰め、訝しむクウェイル。
「私はね、どうやら記憶喪失みたいなの。どこで生まれ、育ったのか分からない。本名も分からない」
小箱を片手で弄びながら語る怪盗。
「でも、人間じゃないって事は分かってる。宝石の記憶が読めるから。そう言う能力が有るの。知ってた?古い石って物知りなのよ」
弄んでいた小箱を質素なスカートのポケットに仕舞った怪盗は、静かな溜息を吐いた。
「自分が人間じゃないなんて事は誰にも相談出来なかった。だから私の事を知ってる石が有るかも?って思って世界を股に掛ける怪盗を始めたの」
クウェイルを指差す怪盗。
「だけど、それより手っ取り早い存在に出会えた。上級悪魔なら私の事を知っている筈。私は何?」
怪盗に詰め寄られ、クウェイルは顎を引く。
「そんな事は知らない。私は人間よ。悪魔じゃない」
「人間は素手で飛び道具を撃たない。それに、こんなに夜臭くない」
「その夜臭いってのは何なのよ」
「悪魔の臭いよ。魔力の臭いでもある。さぁ、私の情報を教えて。教えてくれたら宝石は返してあげる。私の正体が分かれば必要無い物だからね」
「待て。この子は本当に人間だ。まだ人間だ、と言ったら分かってくれるか?」
話に割り込む創流。
ちょっと雲行きが怪しい。
クウェイルを挑発し、興奮する様に仕向けている気がする。
相手は怪盗、つまり犯罪者だ。
他人を思い通りに動かす悪知恵を働かせている可能性が有るので、相手のペースに乗るのは得策ではないだろう。
だから本当の事を言って一旦引かせる作戦に出る。
「まだってどう言う事?」
マスク女が首を傾げる。
その質問にはクウェイルが応える。
「そのままの意味よ。まだ、その上級悪魔って奴に目覚めていないの。でも、どうして上級悪魔だと貴女の事を知ってるの?」
返事をせず、じっとクウェイルを見詰める怪盗。
怪盗の瞳は透き通るような青。
綺麗だが、マスクのせいで間抜けだ。
「……なるほど、人間との混血か。臭いは古いけど、見た目通りの年齢なのね。となると、貴女の親に当たるのが良いかな?」
「残念。両親は死んでる」
無表情で肩を竦めるクウェイル。
先祖の事を言わないのは正解だろう。
「まぁ良いわ。ちょっと長居し過ぎているから、今日の所は引く。でも、貴女の事を徹底的に調べてから、また会いに行く。待っててね」
ウインクした怪盗は、おもむろにマスクを脱いだ。
長い金髪が広がると同時に、その頭から白い煙幕が噴き出す。
「うわっ!」
「キャッ」
創流とクウェイルが怯んだ直後、鈴の音がけたたましく鳴った。
唯一の出入り口が開けられた様だ。
しかし、地下室のドアはクウェイルが鍵を掛けていた筈。
となると、無理矢理破って出て行ったのか?
「クソッ!逃げる時は強引だな!」
追い掛けようと一歩踏み出したらテーブルの脚に蹴躓いた。
そして何かが落ちる音。
ベチャっと言う水っぽい感じだったので、テーブルの上に置いたホットケーキが落ちてしまった様だ。
煙幕のせいで足元も見えない。
そうしてマゴマゴしていたら、遠くでガラスが割れる音が聞こえて来た。
「窓を割って逃げた、のか?くそ、バイト失敗だ……」
これ以上は動く意味が無いので、煙幕の中で立ち尽くす創流。
数秒後、物音を聞き付けた女の子達が騒ぎ出した。
煙幕が上がって行っているらしく、火事ではないかと叫んでいる。
そのお陰で地下室の煙が薄くなって来た。
「失敗は失敗。音子に謝ろう。今はお互いの無事を喜ぼうよ」
メイド姿のクウェイルは、仁王立ちでそう言った。
危機が去って気が抜けたのか、怪盗より薄い色の金髪が僅かに乱れている。
「そうだね。後片付けも必要だ」
ダメになったキーボードとホットケーキを見て溜息を吐く創流。
ダブルで勿体無い。
「創流はエアコンを点けて煙を外に出して。私は上に行って適当に言い訳するから」
視界が晴れた階段を登って行くクウェイル。
怒っているのか機嫌が悪いのか、ぶっきらぼうな喋り方がクウェイルらしくない。
クウェイルが負の感情を表に出すのはこれが初めてじゃないだろうか。
残された創流は、彼女にあんな態度を取らせてしまった己の無力さに歯噛みをした。




