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雪が本格的に深くなり、ミンナもエピオルの家に来られなくなった。
こうなると村人全員が自宅に籠る。
道も畑も家さえも雪に塞がれ、外に出たとしてもどこにも行けないので、寒さを堪えて春を待つしかないのだ。
それなのに、誰かが玄関のドアをノックした。
「ごめんください。ノトルニスさん、いらっしゃいますか?」
大きな声でそう言う来客。
若い女性の声だ。
(誰だろう?お母さんの名前を出すって事は、村の人じゃないよね。村の人なら、お母さんはもう居ないって事を知ってるし)
本を脇に置いてソファーから離れるエピオル。
暖炉の火の煙が煙突から上がっているだろうから、居留守は使えない。
玄関に立ち、ドアから少し離れた所で応えるエピオル。
教会の人間だったら何かをされる前に殺さないといけないだろう。
「どちら様ですか?」
「私達は、昔、ノトルニスさんにお世話になったコロス家の四姉妹です」
聞いた事が無い名前だ。
少し不審に思ったが、本当に母の知り合いなら大雪の中に放置は出来ない。
警戒しながら鍵を外すエピオル。
「どうぞ」
「失礼します」
外でフードとマントに積もった雪を払った四人の人間は、遠慮勝ちに敷居を跨いだ。
ブーツに付いた雪で玄関が濡れるが、それは仕方が無い。
「あら?……この子……」
金髪を綺麗に編み上げている女性の顔面がエピオルに迫る。
「な、何ですか?」
「貴女、もしかすると、エーレンスレイヤーさんのお子さんですか?そっくり!」
四人の視線がエピオルに一斉に集まる。
両手を打ち合わせて破顔する金髪オカッパの子。
「と、言う事は、お母様はノトルニスさんですか?うわぁ、凄い!」
「あ、あの……?」
訳も分からずに身構えているエピオルの頭を優しく撫でた黒髪の女性がクールに訊く。
「ノトルニスさんは奥?」
「い、いえ、実は……」
四人の雰囲気に飲まれてしまったエピオルは、警戒を忘れて女性達をリビングに通した。
全員身体が冷え切っている様子なので、暖炉を勧めてから事のあらましを語る。
「そんな……。魔女裁判だなんて……」
三女のアイスキュロスが目に涙を浮かべる。
「それでは何も訊けませんね……。やっとこの家を見付けたのに……」
唇を噛む長女テスピス。
「私のお父さんを知っているって事は、貴女達も人間じゃないんですか?」
五個のカップにお茶を淹れながら訊くエピオル。
「いいえ、人間です」
「だった、だよ」
テスピスが即答すると、次女ソフォクレスが訂正した。
意味が分からずに首を傾げるエピオル。
「だった……?じゃ、今は何なんですか?」
「それをノトルニスさんに窺おうと思って来たんです。ノトルニスさんの手紙を頼りに三年掛かりでここに来たんですけど……」
火に当てていた手を下し、質素な絨毯に目を落とすテスピス。
会話が止まってしまったので、アイスキュロスが暖炉に背を向けてから口を開いた。
「私達四姉妹は魔物に誘拐され、エーレンスレイヤーさんのお城に連れて行かれました。そして、貴女のご両親に助けて貰いました」
誘拐と聞いてエピオルの表情が強張る。
夢魔の誘拐事件のせいで一人ぼっちになってしまったので、現在の嫌いな言葉ランキング第一位だ。
「それが今から約八年前の事です」
「え?八年前?」
黙って暖炉に当っている栗色癖毛の四女、エウリピデスを見るエピオル。
エピオルと同じ六歳程度にしか見えない。
「そう。私達は、何故か成長が止まってしまったの。恐らく、誘拐されたあの時から。あ、手伝うわ」
テーブルにお茶を並べているエピオルに気付き、立ち上がるテスピス。
そのテスピスを無視して暖炉脇に置いてある一人掛けのソファーに座る次女ソフォクレス。
「ノトルニスさんが居ないのは分かった。でも、エーレンスレイヤーさんは?エーレンスレイヤーさんは居ないのか?」
「残念ですけど、お父さんが何処に居るのかは分かりません。春になったら捜す旅に出ようと思っているくらいです」
次女を必要以上に見詰めながら答えるエピオル。
テスピスも部屋の中心に有る長ソファーに座り、お茶を一口飲んで落ち着く。
そして一息吐いてから口を開く。
「やはりそうですか。彼はバンパイヤだから人里には居ないとは思っていました。どこにいらっしゃるのか、心当りは有るの?」
「いいえ、全然、さっぱり。でも、お父さんと一緒にこの家で暮す事がお母さんの願いでした」
テスピスの対面に有るもうひとつの長ソファーにエピオルも座る。
「だから、意地でもお父さんを見付けて、有無を言わさずにこの家で私と過ごして貰います。ああ、その前にお母さんのお墓に連れて行かなきゃ」
「そう……」
テスピスが何かを言おうとしたら、暖炉の前で座ったままのアイスキュロスが大声を出してそれを遮った。
「エーレンスレイヤーさんはこの家に一度も来た事が無くて、ノトルニスさんはエーレンスレイヤーさんがこの家に来るのを待っていたんですね?」
頷くエピオル。
「お母さんは、お父さんは親子三人で暮す準備をしているって言ってました。だから居ないんだと。なので、私はお父さんを見た事が無いです」
「準備をしている、と言う事は、エーレンスレイヤーさんは魔界に居るのでは?もしそうなら、捜しても見付かりませんよ?」
「魔界?」
エピオルが右眉を上げて訊くと、アイスキュロスは派手にオカッパを揺らして頷いた。
「はい。エーレンスレイヤーさんのお城が有る、沢山の魔物が住む世界です」
「それは何処に有るんですか?」
父の手掛かりかも知れないので前のめりになるエピオル。
「ごめんなさい、分かりません……」
テスピスの隣りに座るアイスキュロス。
小さくなっている妹の肩を抱く長女。
「私達は魔方陣で魔界に連れて行かれたので、魔界が何処に有るのかは分からないんです。ごめんなさい」
「魔方陣って、光って、丸の中に文字が並んでる、アレですか?」
人差し指を上げ、空に円を描くエピオル。
「意識が朦朧としていたのでハッキリとは覚えていませんが、光の円陣だった事には間違いありません」
「それなら心当りが有りますよ。まだ跡が残っている筈です。それを使えば魔界に行けるかも?」
どこかを指差しているエピオルに首を傾げて見せるテスピス。
「跡……、は、どうでしょう?それに、魔界は魔物の世界です。凄い危険な場所ですから、行けても命の保証は有りませんよ?」
「それは大丈夫です。ちょっと待っててください」
寝室に行き、自分のベッドの裏に隠してある紙の束を手に持つエピオル。
すぐにリビングに戻ったエピオルは、テスピスに歩み寄りながらその紙の束を示す。
「これはお母さんが調べた、私の事です。読んでみてください」
「では、失礼します」
エピオルに紙の束を手渡されたテスピスは、それに集中した。
静かになり、暖炉で薪が爆ぜる音がリビングに響く。
「あの、ちょっと良いですか?」
顔を上げ、対面の長ソファーに座るエピオルを見るアイスキュロス。
「厚かましい事だとは思いますが、春が来るまで、この家に泊めて貰っても宜しいでしょうか」
「勿論良いですけど、食料が一人分しかありません。念の為に余分に買っておきましたけど、それでも節約して二人分くらいしかないです」
「それなら大丈夫です。私達は保存食を持ってますから。……はぁ~、良かった。またこの雪の中を歩くのかと思っていて、気が重かったんです」
アイスキュロスは胸を撫で下ろした。
他の姉妹達も安堵の吐息。
だが、宿泊を許したはずのエピオルは怒った顔で腕を組んだ。
「そうなると、貴女。えーっと……?」
「ソフォクレス」
「ソフォクレス。退いて。そこはお母さんが縫物をしたりするソファーなの」
「おっと、それは失礼した」
慌てて立ち上がる黒髪の次女。
「知らなかったからしょうがないけど、もう一回座ったら本気で殺すからね。お母さんのベッドや食器に触ってもよ。他の人達も、良いね?」
頷く姉妹達。
そのやりとりから一人外れていた長女は、紙の束を膝の上に置いてエピオルを真っ直ぐ見た。
「ダンピール、ですか……」
「そう。ハーフ」
母の席である一人掛けのソファーに移動し、頷くエピオル。
こうして自分が座れば、他人が座った事がリセットされる気がするから。
「魔物が恐れる程の強さを持っているのなら、魔界に行っても大丈夫かも知れませんね」
「まだ試してないけど、弱い魔物なら視線と殺気で殺せるみたい。人間相手でも、本気を出して睨むと悪影響が有るみたいです」
暖炉を見詰め続けている四女の背中に視線を送るエピオル。
あの子くらいなら力を込めて目を合せれば殺せるだろう。
だから、その事を知った後は意識的にミンナと視線を合せていない。
ミンナにも視線を合せない理由を話してあり、納得して貰っている。
それでも雪が山道を覆い隠すまで遊びに来てくれていたんだから根性の据わった子だ。
掛け替えの無い友人だ。
「でも、幾ら強い力を持っているとしても、女の子が一人で行く所じゃありません。行く時は私も連れて行ってください」
胸に手を当て、お願いするテスピス。
三女も同じ想いらしく、勇ましい顔付きになっている。
「どうして?危険な場所だと言ったのは貴女ですよ?それなのに一緒に行きたいの?」
「自分達がなぜ年を取らないのかを知りたいからです。出来れば普通の人間に戻りたいんです」
テスピスは思い詰めた表情になる。
まぁ、余程の覚悟を持ってここまで来たのは分かる。
女だけの旅の辛さはエピオルも知っている。
旅路では、女子供が相手だと下心丸出しになる大人の多い事多い事。
本当に人間は度し難い。
そんな想いを吐き出す勢いで立ち上がるアイスキュロス。
「私達にもエーレンスレイヤーさんに会わなければならない理由が有るんです。万が一の時は見捨ててくださっても構いません。連れて行ってください」
「良いんですか?生きて帰って来れないかも知れないんですよ?」
「そんな考えではダメだ」
席を譲った時から立ったままのソフォクレスは、腰に手を当てて断言する。
「絶対に生きて帰る。そう信じないと望みは叶わない。私達は、ここに来るまでに何度も死に掛けた。人間の世界でもだ。魔界なら尚更だろう」
「信じないと、か。……そうですね」
エピオルは窓の前に立ち、白い曇りを手で拭い取った。
そうして作った穴から空を見上げる。
今月に入ってからずっと日の光を遮っている厚い雲は、飽きもせずにボタン雪を産み出している。
年を跨ぐ頃には、この窓も雪に埋まるだろう。
「春が来たら、私は予定通りの行動を始めます。お父さんが絶対に見付かると信じて。貴女達の行動は貴女達で決めてください」
太陽の傾きで時刻を計れない空に背を向けたエピオルは、四姉妹に向って微笑んだ。
「でも、冬の間は気楽に過ごしましょう。やっぱり大勢の方が良いですもん。一人だと妙に寒いんですよ、この家」
エピオルに歓迎されている事に気付いた四姉妹は、揃って表情を弛めた。




