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「そっかぁ」
疲れた溜息を吐いたエピオルは、紙の束をソファーの肘掛けに置き、両手で顔を擦った。
「何か分かったの?」
ミンナは顔を上げ、読んでいた本を開いたままで膝の上に置いた。
「うん、分かった。とても分かり易く纏めてあって、しかもお母さんの注釈入りだった。お父さんの事も分かった」
「へぇ。何だったの?」
「聞きたい?」
「うん」
気だるそうに銀髪を掻き上げたエピオルは、その行為によって乱れた長い髪を手櫛で整えた。
雪が積もる音が聞こえる程の退屈な間を辛抱強く待つミンナ。
「……そうね。ミンナなら良いかな。でも、驚くよ。私の正体を知ったら」
「エピオルの正体?驚くの?」
「うん。誰にも言わないって約束出来るんなら教えてあげる」
「誰にも言わないって約束するよ。絶対誰にも言わない」
ミンナの青い瞳を窺うエピオルの金の瞳。
彼女にはとても助けられた。
救われた。
ミンナになら裏切られても良いか。
打ち明けたせいでこの村に居られなくなったら、私が殺してあげよう。
「私はね、ダンピールなの。つまり、人間じゃないの。その言葉は前から知ってたんだけど、その意味は分からなかった」
「エピオルが、人間じゃない?じゃ、何なの?」
「だからダンピールよ。嘘じゃないよ。これが嘘じゃなければね」
紙の束を拳で小突いたエピオルは、ソファーに深く凭れた。
「でも、人間じゃないってのはちょっと違う。お母さんは人間だからね。お父さんが人間じゃないの。つまりハーフね」
「ハーフって、何の?」
「バンパイヤだって。吸血鬼。そのバンパイヤと人間のハーフをダンピールって呼ぶんだって」
「ふ、ふーん」
「最近、怒ったりして頭がカーっとなると、ムカついた相手を喰べたくなるの。人間を喰べたくなる、って感じ。でもそれは勘違いで……」
寒いせいで湯気が目立っているティーカップを見詰めるエピオル。
「本当は相手の血を飲みたくなってるんじゃないかな。どっちをするにしても噛み付くからね。本当に人間に齧り付いた事が無いから分からないけど」
実際には夢魔のチークを襲っているが、あの時の事はハッキリとは覚えていない。
血の臭いに塗れた記憶が有るので噛み付いたのは事実だが、肉を喰らったのか、血を飲んだのか、その区別が出来ないのだ。
だからその事は言わない。
正体を明かして置いて今更だが、余計な事を言うと教会がまた来そうな気がするから。
「お父さんがバンパイヤだから、血を飲みたくなる、って事?」
「多分ね」
ミンナは焦げた魚を我慢して食べている時の様なしかめっ面になっている。
信じているかどうかは分からないが、そのまま続けるエピオル。
「で、ダンピールは不死身のバンパイヤを退治する事が出来るらしいの。ただそう書いてあるだけだから、どうやって、は分からないけど」
「退治って、お父さんを?」
「私の場合はそうなるかな。勿論、退治なんかする気は無いけど」
「ああ、良かった。そりゃそうよね」
「後は、ダンピールの運命とか寿命とかが書かれていた。とにかく、ダンピールは魔物にも人間にも嫌われるみたい。最強だから」
「最強って、どう言う事?」
「人間は魔物に勝てない。魔物で一番強いのはバンパイヤ。そのバンパイヤを退治出来るから最強。って言う単純な理由よ」
「なるほど」
「……ミンナはどう思う?人間じゃない私を」
「えー……?」
可愛らしく小首を傾げながらソファーに深く凭れるミンナ。
「どう?って言われても、ねぇ。エピオルはエピオルだし。うーん……」
「……私は人間が嫌い。ハッキリ嫌い。自分がダンピールって存在なのが嬉しいくらい嫌い。私はお母さんを殺した人間を一生許さない」
「やっぱり、そうなんだ。ノトルさんが帰って来ないのは、死んじゃったからなんだ……」
「うん。訊かれなかったから今まで言わなかったけど、教会に殺された。首都の人間達は、お母さんが死ぬ所を見て喜んでた」
深く長い溜息を吐き、その時の光景を頭から追い出すエピオル。
あの広場での出来事は忘れられないだろうが、思い出したくない。
「そんな……」
六歳の幼女にはショッキング過ぎる話に戸惑うミンナ。
しかし、同い年のエピオルの目の前で繰り広げられた事実なのだろう。
だからミンナはそれを受け止めた。
「人間なんか皆殺しにしたいくらい、大っ嫌い。でも、お母さんもミンナも人間なんだよね。私も半分は人間だし。だから……」
耳の後ろを人差し指で掻くエピオル。
最近、耳の後ろの髪に違和感を感じる。
一部分だけ固くなって来ている気がする。
「だから、春が来たら旅に出ようと思ってる。お父さんを捜す旅に。そして、色々な人間に会いたいと思ってる」
閉まっている窓を見るエピオル。
ダンピールがどう言う物かを理解したので、本当なら今すぐ出発したい。
だが、冬の野宿のやり方が分からない。
首都から帰って来る時は秋だったので木の実や小動物で飢えを凌げたが、冬の食料確保のやり方も分からない。
無茶をしても犬死にするだけなので、今はじっと待つしかない。
「その旅でミンナみたいに良い人に出会えたら、もしかしたら人間への憎しみが薄れるかもしれないかなって思うから」
「そっか……。ねぇ、エピオル。私の事、嫌い?」
ミンナが微笑みながら訊いて来たので、エピオルも微笑んで応える。
「好き。じゃなかったら、もう殺してる」
「良かった。じゃ、この村に帰って来てね。私、待ってるから。いつまでも待ってるから」
「うん。帰って来る。約束する」
二人は指切りをした。
そして、また明日も会う約束をした。




