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窓際にふたつの椅子を置いたフィオとエピオルは、それに座ったままフードを被せた頭を外に食み出させた。
「広場に人間が集まり始めたから、そろそろね」
楽しそうな声色のフォオ。
しかしエピオルの方は不安で仕方が無い。
母の一大事なのだから。
「本当に良いアイデアが有るんですか?」
「ええ。これよ」
エピオルの目の前で紙の束を振るフィオ。
「お昼御飯が終わってから、ずーっと書いていた物ですね?これは何ですか?」
「これは、エピオルをここに連れて来る代価としてダスターに教わった魔法よ。フフフ……」
嬉しそうに含み笑いをしたフィオは、一瞬動きを止めた後、フードの上から額を叩いた。
「いけない、使えるかどうかを試してないや」
部屋の中心に戻ったフィオは、余っていた白い紙に何かを書き込む。
「本当に大丈夫なんですか?」
「それをこれから試すの。集中するから、ちょっと黙ってて」
フィオはエピオルの知らない言語で呟き始めた。
そしてその紙を宙に放り投げると、それが白い鳥に姿を変えた。
「ええ?!」
驚いて背筋を伸ばしたエピオルの肩を掠めて窓から大空へと飛んで行く鳥。
「うん、大成功。これはダスターが若い頃に住んでいた東洋の魔法で、形式を踏めば誰でも使える、シキガミ、とか言う名前の魔法なの」
窓際に戻ってきたフィオが椅子に座る。
「当然それなりの魔力が必要だけどね。さて、そろそろ始まるかな」
二人は舞台に顔を向ける。
数分程待つと、観衆のざわめきが一際大きくなった。
偉そうな神官が舞台に上がり、何かの本を読み上げ始めたのだ。
しかしそれは誰も聞いていない。
なぜなら、人々の視線は二人のシスターに両脇を固められているノトルに向けられているからだ。
薄汚れたドレスに身を包んでいるノトルは、ゆっくりと舞台に登らされた。
両足に包帯が巻かれており、それが原因で歩けない様だ。
「あ、お母さんだ!お母さんだよ、フィオ!!」
「うん、分かってるから大声を出さないで」
「お母さーん!!おかっ!」
「うるさい!」
フィオがエピオルの口を乱暴に押さえると、エピオルの声が出なくなった。
陸に上がった魚の様に口をパクパクさせるエピオル。
「ごめんね。簡単な魔法を掛けただけだから、すぐに喋れる様になるわ。それより、ノトルニスがエピオルに気付いちゃったよ」
不機嫌そうに顎で舞台を示すフィオ。
「教会の人間にエピオルが見付かったら、貴女は勿論、私まで危なくなるのよ?分かったら大人しくしてなさい」
エピオルが舞台に視線を戻すと、遠目ながらノトルと目が合った。
しかしすぐに顔を逸らすノトル。
「ホラ、ノトルニスは分かっているじゃない。さて、始まるわよ」
フードを少し広げ、長い耳を舞台に向けるフィオ。
エルフは森の中で狩りをする種族なので、ざわめきの中で遠くの音を聞くのは得意な方だ。
舞台では、誰も聞いていない宣言が終わっていた。
本を閉じた偉そうな神官は、それを横に控えていた若い神官に渡す。
すると別の神官が上がって来て、大きな紙を偉そうな神官に渡した。
それを広げた偉そうな神官が大きく咳払いをすると、観衆のざわめきが小さくなる。
「先日、辺境の村で夢魔と言う悪魔が退治された。その退治を行ったのが、このノトルニスである。
ノトルニスは約十年前、外国に有る彼女の自宅で眠っていた所を何者かに誘拐され、行方不明となった。
そして現在は六歳になるノトルニスの娘と共に、その辺境の村で暮している。
ノトルニスは行方不明の間の記憶が無いと証言し、その村の住人もノトルニスの過去を知らず、教会の者が調べても分からなかった。
しかし、ノトルニスの娘は金色の瞳を持っており、更に六歳とは思えない程の運動能力と知能の高さを持っているとの事。
その村では、その娘は悪魔の子だと噂されていた」
悪魔の子と言う言葉に反応して、再び観衆がざわめき始めた。
その騒ぎが神官の読み上げを止めてしまう。
「悪魔の子、ねぇ……。エピオルが一緒に捕まってたら動かぬ証拠に仕立てあげられてたわね」
顎を掻きながら呟くフィオを見上げるエピオル。
声が出せないので強い視線で意思を伝える。
「ん?ああ、誤解だって言いたいのね。村で貴女達がどんな風に囁かれているのかは知らないけど、悪魔の子とは呼ばれていないって事は分かるわ」
民衆のざわめきがなかなか収まらない様子を眺めながら続けるフィオ。
「何故か。教会が金色の瞳を持つ娘の名前を出さないから。出さないんじゃなくて、出せないのね。知らないのよ」
エピオルの表情を見たフィオは、理解していないなと思って更に続ける。
こう言った解説をするのは大好きなので、必要以上に饒舌になる。
「つまり、ノトルニスは勿論、村人も貴女の名前を教会に伝えていないの。そんな用心をしてくれる人達が、そんな噂をすると思う?」
フィオは鼻で笑う。
「事実と嘘を混ぜて真実味を上げてるって訳ね。ふふふ。人間の悪知恵は凄いわ。でも、それに騙される方は莫迦ね。それくらい気付きなさいよ」
観衆が落ち着いてから読み上げが再開される。
「つまり、ノトルニスは行方不明の間に悪魔に子を孕まされ、悪魔の力を手に入れた魔女である。
その証拠に、ノトルニスの足の裏に魔女の証だと思われる紋章が刻まれていた。それをシスターが確認した。
魔女ならば夢を渡る夢魔を捕らえ、退治する事も可能であろう。
しかし、ノトルニス本人は魔女である事を否認し、自ら足の裏を傷付けてしまった。
なので、これよりノトルニスが魔女かどうかを判別する裁判を行う」
神官が紙を畳むと、黒い覆面を被った筋骨隆々の男が舞台に上がった。
予め動きが決まっているのか、淀み無い動きで舞台の中心に被さっていた布を大袈裟に取り払う覆面男。
そこには水槽が有り、なみなみと水が張ってある。
観衆に中の様子が見える様に、前面がガラス張りだ。
「ノトルニスの両手両足を縛り、水槽に沈める。ノトルニスが魔女ならば、魔法で浮かび上がるだろう」
その言葉を聞き、エピオルは口を開いたまま凍り付く。
偉そうな神官はまだ何か言っているが、民衆が歓声を上げ始めたので何も聞こえない。
しかしフィオには聞こえている様で、整った顔を歪ませた。
「浮かんで助かったら魔女で、沈んで死んだら人間って事?どっちにしろ殺すって事じゃん。人間って残酷ねぇ。ホント、ろくでもない生き物だわ」
嫌悪感を込めて持っていた紙を扇状に広げるフィオ。
「本物の魔女が人間なんかに捕まると思ってるのかしら。それとも、ただ単に殺人ショーがやりたいだけ?」
固まったまま舞台を見詰めているエピオルを横目で見たフィオは、それから広場を見渡した。
風の流れ、舞台までの距離、人々の熱気による上昇気流を計算する。
「どっちにしても、今時、首都でこんな邪悪な事が行われるのは珍しいかも。足の裏の紋章が有るから強気になってるのかな?」
紙の束を空に向って放り投げるフィオ。
その紙が沢山の白い鳥となって舞台に向って飛んで行く。
そうしている間にノトルは縄で縛られ、シスターと共に舞台の上に備え付けられた階段を登る。
階段の果ては水槽の縁。
もう一歩進んだらノトルニスは水に沈む。
「さぁ~て。性根の腐った人間共には手加減をしないからね。紋章って奴も見てみたいから、ノトルニスを助けるわよ」
フィオがそう言うと、白い鳥が舞台を囲んで燃え出した。
突然現れた火の玉に広場全体が浮き足立つ。
その瞬間、一人の男が火の間を擦り抜けて舞台に上がった。
「おお、さすがダスター。タイミングバッチリ」
両手を動かし、火の玉を操りながら感心するフィオ。
ダスターは体当たりで偉そうな神官を弾き飛ばし、覆面の男に殴り掛かった。
しかしその拳は空を切る。
覆面の男は暴れる被告人を押さえ付ける役目も担うので、荒事に慣れているのだ。
そんな覆面の男と睨み合うダスター。
スキを見せた方が殴られる。
「むむ!意外と強いぞ覆面男!おや、敵の援軍が現れた!そっちは私がやっつけるべきだわね。それ!」
まだ鳥のままでいる紙を雷に変え、ダスターに群がろうとしていた大勢の神官騎士の剣に当てるフィオ。
激しい電気ショックで武器を落とす神官騎士達。
「魔女だ!この女は魔女だ!」
ダスターにひっくり返された偉そうな神官がヒステリックに叫んだ。
無から火と雷を産むと言う超常現象を起こしているのはノトルだと判断した観衆も魔女を殺せと騒ぎ出す。
「まずい、まずいー!狂気と恐怖に染まった群衆は止まらないわよ~♪ダスター、しっかり頑張って!」
妙に楽しそうなフィオは、火の玉を使って階段付近に居る人間を追い払った。
ノトルもその状況に混乱しているのか、ダスターに顔を向けている。
ダスターはノトルに向かって階段を降りろと叫んだが、そのスキを覆面男に突かれて横っ面にパンチを食らってしまう。
そして階段を駆け上がる覆面男。
それを阻止しようと火をぶつけるが、覆面の男は皮膚を焦がしながらもノトルを猫の子の様に持ち上げた。
沸き上がる観衆。
その時、窓枠を叩きながら口をパクパクさせていたエピオルの耳の後ろの部分の髪に電気が走り、僅かに蠢いた。
「……っ!逃げてー!!おかーぁさーん!!!」
いきなり大声を搾り出すエピオル。
その衝撃でフィオの唇が切れる。
「痛!……こ、この子、無音の魔法を返したわ!子供のくせに、気合だけで!ダンピールってこんなに凄いの?」
フィオは後悔した。
実は、フィオはノトルを助ける気が全く無かった。
生の魔女裁判が見たかったので、ノトルが危なくなるギリギリまでワザと待っていたのだ。
(ごめん、ダスター。私、邪推してた。綺麗な人妻に恩を売るスケベ親父かと思ってた!エピオルを闇に染めたらダメなんだわ!)
フィオが焦りながら考えを巡らせていると、ノトルがエピオルと視線を合わせた。
そして、自分を持上げている覆面の男にも聞こえない程の小さい声で囁いた。
「エピオル。人間を憎んじゃダメよ。だって私は人間なんだし、エピオルも半分は人間なんだもの。最後に会えて嬉しかった。愛してる、エピオル」
その声はエピオルの耳にしっかりと届いた。
次の瞬間、ノトルは放り投げられた。
派手に水飛沫を上げて水槽に沈んだノトルは、下着に錘が仕込まれているので、水槽の底に仰向けで横たわった。
「うわあああぁああぁ!!」
絶叫しながら窓から飛び降りたエピオルは、そのまま観衆の中に消えて行く。
ここは二階なのに、普通に着地していた。
幼女の身体能力じゃない。
「どうしよう……。何の準備も無しに掛けられた後の魔法を返せる程の力を持ったダンピールが人間を憎んだら、間違い無く世界が滅びるわ!」
残されたフィオは身体を震わせて後悔する。
「私は何て莫迦な事をしたんだろう!……いいえ、悪いのは人間よ!今はノトルニスを助ける事に集中しなきゃ!」
フィオは残りの紙を全て空に飛ばした。
今度は武器ではなく、騎士その物に雷を落とす。
神官やシスターにも雷を当て、舞台から追い払う。
もう手加減している余裕は無い。
突然、観衆の中から悲鳴が上がった。
余りの人の多さに業を煮やしたエピオルが殺気を放ったらしく、幼女の周囲に居た数人の人間が失神している。
自分がやった事が理解出来ていないのか、戸惑った風に辺りを見渡しているエピオル。
しかし立ち止まっていたのは数秒で、思い直して舞台に向って走り始めた。
殺気を纏っている銀髪の幼女から逃げようとする人達が舞台への道を開けたので、エピオルは全力で走れている。
「エピオルの方には手助けは要らないわね。ダスターは何やってるの!でかいくせに手間取っちゃって!」
覆面男を猛烈な火で追い払いながら叫ぶフィオ。
戦う相手が逃げてしまったダスターがようやく水槽の縁に立つと、エピオルが舞台の前に到着した。
二人は何かを叫び合った後、ダスターが水槽に飛び込んでノトルを担ぎ上げた。
急いで水槽から出たダスターは、エピオルも小脇に抱えて何処かに走り去って行った。
それを追い掛ける教会の人間達。
「ふう……。私もだけど、エピオルに滅ぼされても文句言うんじゃないわよ、人間」
窓を閉じたフィオは、荷物を纏めて逃げる準備を始めた。
残された観衆は、訳も分からずにただざわ付くだけだった。




