05
日が暮れ始める頃、エーレンは目覚めた。
昨日は色々有ったが、問題無く快眠出来た様だ。
ベッド代わりのソファーから身を起こし、身形を整える。
(ノトルはどうなっただろうか……)
寝る前に読んだ本には、人間の風邪は無理をせずに寝ていれば治る病気だと書いてあった。
だから心配はしていないが、不安は拭い切れない。
(動けないくらい衰弱していたのに……。本当だろうか……?)
姿見の前に立ち、髪形のチェックをするエーレン。
エーレンは、バンパイヤの吸血を下卑た行為だと思っている。
ただの食事ならそうは思わなかっただろう。
しかし、バンパイヤが行う吸血は、人間の命を自らの力に変える魔法の様な物である。
それがどうにも気に食わない。
なぜなら、力の弱い魔物程無駄に人間の命を喰らうからだ。
誇り高きバンパイヤが下等な魔物と同じ行動をしている部分にプライドが刺激される。
子供の頃からそう思って育ったので、成人していざ吸血しようとしたら出来なくなっていた。
強く思い込んだせいで、無意識の内に一人で勝手に心の傷にしていたのだろう。
だが、吸血には複数のやり方がある。
純血のバンパイヤであるエーレンは、命を食べる吸血ではなく、人間を仲間に変える吸血をする事が出来る。
主と僕と言う関係になるが、そうすれば彼女を人間の苦しみから解放してやれる。
(ノトルの病気が治るのなら、それも良いのか……?)
吸血はしたくないが、彼女が救えるのならやるべきなのかも知れない。
それをすれば父も安心するだろうし。
自室から出たエーレンは、考え込みながら窓の無い階段を下りる。
(ん?何だ?何が起こっている?)
城の方から妙な臭いが漂って来ている。
生温かく、甘ったるい感じの異臭。
嗅いだ事が無い種類の臭いなのでとても不快だが、かと言って嫌悪感は抱かない。
訳が分からないので、早足で臭いの元を探すエーレン。
「あ、おはようございます、エーレン。って言っても、もう夜ですけど」
キッチンで火を使っているノトルが頭を下げた。
この城に女性服は無いので、当然ながらまだネグリジェ姿だ。
「料理でしたか……。身体の調子は大丈夫なのですか?」
「はい、もうすっかり。だから何かをお腹に入れようと思って。エーレンもいかがですか?」
微笑むノトル。
少しだけ疲れが窺えるが、確かに元気そうだ。
(人間は弱い生き物と言われているが、とんでもない。結構な生命力ではないか)
「どうしたの?」
一人でにやけるエーレンを不審に思い、眉間に皺を寄せるノトル。
余所見をしたせいでフライパンからジャガイモを少し零してしまった。
「いえ。人間の食べ物に興味が有るので、食べてみたいですね。頂いても宜しいですか?」
「はい、勿論。料理には自信が有るんですよ。もう少しで出来上がりますから、待っててください」
「では、私はリビングに居ますので」
「分かりました」
キッチンの隣に有るリビングのソファーに座るエーレン。
様々な書物で散らかっていた筈だが、その全てがテーブルの横に積まれていた。
本棚が無いので、一旦そこに集めた様だ。
そんな片付け方をした張本人がリビングに現れる。
「どうぞ。調味料が殆ど無かったので、これくらいしか出来ませんでしたけど」
テーブルに並べられる二人前のコーンスープとベーコン入りの野菜炒め。
それを見て肩を竦めるエーレン。
「ああ、調味料の存在を忘れていました。今後の買物はノトルと一緒の方が良いみたいですね」
「え?今後、と言う事は、ここに居続けても良いんですか?」
「この城は広いので、掃除に終わりは無いでしょう。それでも良ければ」
「あ、はい!ありがとうございます!頑張ります!」
勢い良く頭を下げるノトル。
その顔は喜びに満ちている。
人間が魔界で暮らしても長生きは出来ないだろうが、彼女がそれで良いのなら良いんだろう。
いざとなったら血を吸って下僕にすれば良いし。
そう思いながらノトルの胴に視線を向けるエーレン。
「しかし、ドレスはすぐに必要ですね。いつまでもネグリジェでは不便でしょう。食事の後、私が調達に行きます」
「いえ、女性用の服を殿方に買わせる訳には……」
顔を赤くして手を振るノトルを真面目な顔で見詰めるエーレン。
「もしも一人で買いに行くつもりなのでしたら、それはいけません。一人で城から出る事はとても危険なので禁止とします」
「どうして?」
「昨日も言いましたが、ここは魔界と呼ばれる世界です。人間向けの店は無い物と思ってください」
「では、これはどこから調達したんですか?」
首を傾げながらスープを指差すノトル。
「人間を奴隷にしたり、ペットとして飼ったりする物好きも居ますから。そんな人向けの店に人間が一人で行ったら、どうなるか分かりますね?」
「……はい、分かりました。私は奴隷って事ですね?ご主人様」
いたずらっぽくそう言ったノトルは、ソファーに座っているエーレンに青い瞳を向けた。
自らを奴隷と称した割にはへりくだった態度は見せていない。
魔界には居ないタイプの、面白い女性だ。
「そうですね。奴隷として貴女を手元に置く事にしましょう。奴隷は勝手に外出してはいけませんよ?」
ノトルのおふざけに付き合うエーレン。
そして二人は微笑み合う。
「では、頂きますね、ノトル」
「はい。私も頂きます」
エーレンの対面に座り、スプーンを手に取るノトル。
そんな彼女を見ながらエーレンは思った。
(これは、当分はノトルの血を吸えないなぁ)
彼女を魔物に変えてしまったら、この無邪気さが失われてしまうかも知れないから。