03
「温かい飲み物をと思ったのですが、人間向けの食料が有りませんでした。これから街に行って何か見繕って来ますので、しばらくお待ちください」
「あの、私は大丈夫ですから、気を使わないでください」
暖炉の前で白湯を飲みながら強がるノトルニスだったが、身体の震えを抑える事が出来ない。
これは風邪を引くかも知れない。
「毛布をどうぞ」
「ありがとう」
暖炉の火に照らされている男を改めて見詰める少女。
男は銀髪灰眼だった。
今まで相手の色が良く分からなかったのは、その色が薄闇に溶けていたからだったのか。
少女は普通の金髪碧眼なので、男は特に反応していない。
「それより、私はこれからどうなるんですか?」
白湯入りのカップを床に置きながら訊く少女。
両手を火に翳し、出来るだけ早く身体を温めようと努力する。
「明日にでも貴女のご自宅に送って差し上げます。ですので、安心してください」
「……そんな事をしたら貴方のお父様に叱られませんか?」
「何とかしますから、大丈夫です」
宙を舞う男の視線。
絶対に大丈夫じゃないって顔をしている。
最強であるはずのバンパイヤの情けない姿に呆れを込めた笑みを向けたノトルニスは、暖炉に翳していた手を下げた。
「私、家に帰りたくありません。ここに置いてください。花嫁修業は真面目にしていましたので、家事なら一通り出来ますから」
「それは駄目です。ここは魔界なので、貴女の命の保証が有りません」
「魔界とは?」
「様々な魔物が闊歩している世界です。貴女からすれば異世界ですね。ここの住人は人間を単なる食料としか見ていません。とても危険です」
「異世界、ですか……」
力無く俯く少女。
長い右の前髪がその顔を隠す。
「帰っても幸せは有りません。ここで本当に死ぬのも、帰って生きたまま死ぬのも……、どっちでも大した違いはありません。だったら……」
言葉を切り、一気に白湯を飲むノトルニス。
一息吐いた後、思い直して暖炉に顔を向ける。
男に媚びを売る様な言動は淑女が行う事ではない。
家の為の結婚を覚悟した身がどうなろうと、全ては神の思し召しだ。
「ごめんなさい、わがままを言って。帰れと仰るなら、私はそれに従います」
火を見詰めたまま動かなくなった少女のつむじを眺める男。
(そう言えば、結婚がどうとかと言っていたな。そんなに嫌なのか?)
腕を組み、考える。
(家事、か……。我が城を掃除してくれるのなら、それも良いか。本人もそう願っているし)
暖炉が有る客間と男の寝室以外の部屋は、数百年分の埃が積もっている。
男の一人暮しなので、使わない部屋はほったらかしなのだ。
貴族的な活動も全く行っていないので、使用人を雇う必要も無かったし。
「それでは、身体が暖まってからで宜しいので、この城の掃除をお願い出来ますか?」
男がそう言うと、少女は目を丸くして驚いた。
「え?それは、私をここに置いて頂ける、と言う事ですか?宜しいのですか?」
「はい。その働きを見てから帰すかどうかを決めましょう。それでいかがですか?ええ、と?」
「ノトルニスです。ノトルとお呼びください」
男に向き直り、正座で名乗る少女。
「ノトル。私の名はエーレンスレイヤーです。エーレンとお呼びください。では、私はこれから街に行って来ます」
エーレンは、ノトルに軽く礼をしてから暖炉の部屋を後にした。
彼女をこの城に連れて行けと言ったのは父だし、置いておけばいつでも血を吸えると言い訳も出来るから、この判断が一番の正解だろう。