32
面会時間の15時になったと同時にクウェイルがお見舞いに来た。
「やほー、来たよー」
「おう」
病院のベッドで横になっている創流は、視線だけを来客に向けた。
折れた肋骨に自分の声が響いてキツイが、それは顔に出さない。
この怪我はクウェイルのせいで負ってしまった物とも言えるので、平気そうにしていないと気にしてしまうだろうから。
って言うか、気にしているからこそ、速攻でお見舞いに来ているんだろう。
時間的に本日最後の授業をサボっている。
「お見舞いと言ったらリンゴだよね。剥いてあげる」
ベッド脇の椅子に座ったクウェイルは、スーパーの袋からリンゴを、学生鞄からナイフを取り出した。
「ありがとう」
この病室は6人部屋なので、金髪美少女は他の入院患者の注目を集めている。
禁欲的な入院生活をしている人達には、クウェイルの麗しい姿は目の毒だろう。
普段なら何でもない高校の制服も刺激的に見えていると思う。
そんな事は気にせず、鼻歌交じりで赤いリンゴの皮を剥いて行くクウェイル。
厚切りだが、普通に出来ている。
「で、どれくらい入院するの?」
「最初は10日って言われてたんだけど、若いから一週間で退院出来そうだって」
「一週間かぁ」
「順調なら5日。まぁ、肋骨が一本折れてるだけだからね。ちょっと痛いだけで自力で動けるし」
「そっか。良かった」
皮を剥き終えたリンゴを綺麗に皿に並べて行くクウェイル。
彼女も顔に出さない様にしているが、不安が解消されてホッとしているのが手に取る様に分かる。
「田舎から出て来た母さんも、それを聞いてさっさと帰っちゃったよ。薄情だよね。あいてて」
ついうっかり肩を竦めてしまい、痛みに顔をしかめる創流。
「大丈夫?でも、出て来てくれるだけ良いよ。私の先祖なんて本当に出て来なかったもん」
「それは計算外でした」
イブニングドレスを着た赤髪少女が堂々と病室に入って来た。
病院に着て来る服装ではないから思いっ切り浮いていて、言ってしまえば不審者レベルだった。
クウェイルをこっそりと眺めていた他の入院患者達も何事かと言う顔になっている。
「あんた……!」
立ち上がり掛けるクウェイル。
しかしドレス少女は敵意が無い事を示す様にぬいぐるみをベッドの足元に置いた。
「私は病院では争いません。貴女が興奮するのならその限りではありませんが」
クウイエルの灰色の視線とドレス少女の茶色の視線がぶつかり合い、火花を散らす。
先に折れたのはクウェイル。
「あの神父も来てるの?」
椅子に座り直し、ケンカ腰ながらもリンゴを仕上げるクウェイル。
爪楊枝が二本刺さっているのは自分も食べるつもりだからか。
敵であるドレス少女の為とは考え難いし。
「父は国に帰りました」
ベッドを挟み、クウェイルの対面の位置に移動するドレス少女。
そちら側には椅子が無いので立ちっ放し。
「今までなら子孫を突けば必ずエピオルニスが出て来たんだそうです。しかしそれが通用しなくなったので、新しいエピオルニス対策を練る為に」
「あんたはなんで残っているのよ」
「私はプラチナハートの監視として残りました。あと、私の名前はレメです」
「私の名前はクウェイルよ。まぁ、あんた達に見付かった時点で偽名も無意味だけど」
「プラチナハートって、クウェイルの本名?」
創流が会話に割り込むと、金髪美少女の眉間に刻まれていた皺が消えた。
「教会に見付からない様に名前を変えていたの。ごめんね」
「謝らなくても良いけど。でも、プラチナハートか。瞳の色から取ったのかな」
「おお、凄い、当たりだよ。でも、創流と同じ高校に通う間は、私はクウェイル・ローレル。だからクウェイルって呼んでね、レメ」
険悪さを消し、笑顔でドレス少女の名前を口にするクウェイル。
暗にお互い名前で呼び合おうと言っている事を察し、目を伏せて笑むレメ。
「貴女と仲良くすると父に叱られるかも知れませんが、分かりました。しかし私はクウェイルに用が有って来た訳ではないのです。貴方のお名前は?」
「俺?幾間創流」
開いた胸元から封筒を取り出し、枕元に置くレメ。
「イクマツクル。今回の入院費です。どうかお納めください」
「え?そんな、良いですよ。あの時に入院費とか何とか言ったのは、作戦って言うか、冗談ですから」
「そちらは冗談でも、こちらはそうは行きません。教会の決まりで、人間に迷惑を掛けたら責任を取らないといけないのです」
言った後、クウェイルに視線を向けるレメ。
「クウェイルも、まだ人間の様ですし。私達が原因で魔物を産むのも教会への反逆行為になります。だから貴女にも力を貸せません」
「え?」
レメは、途中から後ろに向けて言葉を発していた。
意味が分からなかった創流とクウェイルだったが、病室に入って来た人を見て納得した。
金髪碧眼の女性。
怪盗トードストールだ。
仮面を被っておらず、普通のロングスカート姿なので、今はミルクと呼ぶべきか。
「今から教会の味方をする、と言ったら?」
レメの横に立ち、背の低いレメを見下ろしながら言うミルク。
ドレス少女はクウェイルよりちょっとだけ背が高いが、怪盗と比べると子供に見える。
190センチ以上の背丈が有る創流から見れば全員小さいが、今はベッドで横になっているので女性達の背の違いが良く分かる。
「日本支部で特殊な洗礼を受け、忠誠を誓って貰う事になります。時間が有るのなら、本部に出頭すれば貴女の本気度がより伝わると思います」
「キシシ、それは面倒臭い。そっちは諦めるか。やっぱり創流くん達に繋ぎを取って貰うしか無いねぇ。エピオルニスと」
言いながら一本の花を花瓶に挿す怪盗。
見舞いのつもりか。
「まだそんな事言ってるの?あの人は私と創流が殺され掛けたのに出て来なかったのよ?絶対無理って分かりなさいよ」
ムッとするクウェイル。
しかし怪盗は挑発する様にヘラヘラと笑って応える。
「分からないね。自分の正体を知らないまま生きろって言うの?そんなの無理。だから君達がやってるネトゲのギルドに私も入れてよ」
「はぁ?なんでよ?」
「貴女達と繋がりを持っていれば、いつかはエピオルニスとも話が出来るかも知れないから。断るのは無しよ」
レメを顎で示す怪盗。
「そいつから話が聞けなくなったのは貴女達のせいだしね」
「それは、そうだけど……」
創流が手を翳したので語尾を弱めるクウェイル。
「悪いね。骨折のせいで喋るのが辛いんだ。えっと、ミルク、で良いのかな?」
「ええ」
「ちゃんとゲームをするのなら良いと思う。勿論、ギルドのルールに従って貰うけど。クウェイルはどう思う?」
「あの人の正体を知っている他人が接触すると絶対に逃げるってのを承知してるのなら、自己責任で勝手にやってとは思うけど」
「何の話ですか?エピオルニス関係の様ですけど」
身を乗り出して来るレメ。
「詳しくはミルクが説明して。レメが興味を持つ事が分かってて、あえてこの場でその話題を出したんでしょうから」
クウェイルが呆れた風に言うと、怪盗はいたずらっ子の様な笑顔になった。
「キシシ。まぁね。教会との繋がりを捨てるのも勿体無いからね。わざわざ予告状を出していたのも、教会みたいな組織が来るかなって思っての事だし」
「呆れた。手段を選ばないにも程が有ります。教会に退治されたらどうするつもりだったんですか?」
茶色の瞳を見開くレメに影の有る笑みを向ける怪盗。
「それだけ必死だって事よ。じゃ、私はこれで帰るわ。教会の子も、話が聞きたいなら来なさい」
早足で病室を後にする怪盗。
「分かりました。では、お大事に」
スカートを抓み上げながら丁寧に頭を下げたレメは、ぬいぐるみを抱いて怪盗の後を追った。
「全く。何なのよ。私を見ながらあの人の話ばっかりして。私はあの人を呼ぶエサじゃないっつーの」
怒りながら自分が剥いたリンゴを食べるクウェイル。
乱暴だった咀嚼音が段々と大人しくなって行く。
「でも、なんだかなぁ。前のギルドは私のせいで解散しちゃったけど、今度のギルドは私のせいで人が集まってるね」
椅子に座ったまま創流に後頭部を向け、病室の窓を見上げるクウェイル。
暗い色の雲が空を覆っているので、今夜辺り雨が降るかもしれない。
「そうだねぇ。良いのか悪いのか」
創流も同意しながらリンゴを食べる。
そこで会話が途切れ、二人で曇り空を見上げる。
「創流はさぁ」
ゆっくりとリンゴを飲み込んだクウェイルは、言葉を発するかどうかを悩んだ後、結局言う。
「教会に対抗する為には私が隠れるしかないって言ったよね。先祖みたいに、さ」
「うん」
食べながら喋るのは肋骨に響くので、相槌が精一杯な創流。
だから口の中の物をなるべく早く飲み込む。
「確かにそれが一番だと思う。逃げるが勝ちって奴?でも、私は隠れる気は無いよ」
もう一切れのリンゴを口に詰め込んだクウェイルは、咀嚼しながら二個目のリンゴを剥き始める。
「人の世界で生きている以上、他人と関わらずには生きて行けないんだよ。あの人も、ゲームの中だけだけど、一応は外の人と関わっているし」
んぐ、と音を立ててリンゴを飲み込んでから続けるクウェイル。
「私の方も、ずっと二人きりで良いと思ってたギルドに、こうして人が増えて来た。逃げても結局は追い掛けられるんだよ。縁が有る人達に」
「そうかな?先祖の人は、一応は隠れ切れてると思うけど」
「今はね。でも、その内に隠れ家が見付かると思ってる。そして逃げる事になると思う。あの神父はしつこそうだし」
切り分けられたリンゴが皿に並んで行く。
「んで、何度か逃げたら、結局は表に出て来ると思う。私には分かる。私に似てるあの人は、私と同じく寂しがり屋だから。それに、す……」
金色の頭を横に振って言葉を飲み込んだ後、創流の胸の辺りに目を向けるクウェイル。
骨折部分を固めるバンドみたいな物を見られた気がしたが、それはパジャマの下なので見える筈はない。
「あの人の生活は、創流がやったバイトに近いんだよね」
何かを言い掛けて、マズいと思って話題を変えたな。
この逃げ癖も先祖譲りなんだろうな。
今後も何かが有ったら逃げる選択を選び続けるだろうが、隠れる気は無いって言葉を信じるなら、創流の前から消える事は無いだろう。
「地下に籠ってゲームした、アレ?」
「うん。アレよりもっと狭くて暗い部屋で、何年もあんな生活をしてる。アレを体験した創流ならその辛さが理解出来ると思う」
「ああ、アレは辛かった。最初は楽しかったけど、後半はクウェイルが運んでくれる食事とパソコンって言う報酬が心の支えだったな」
「私も、創流がバイトしてる姿を見てなかったら、その生活の辛さは分からなかった。あんなの、私には無理」
「アレを何年もやってたら、本気でどこかがおかしくなるだろうね。身体も、心も」
「だから、生活を変えるチャンスが有ったら、ためらい無く変えると思う」
「そうだね」
「まぁ、出て来るとしても数年後だろうけどね。あの人は私達と時間の流れが違うから」
「三百歳だもんなぁ」
「あの人はあの人で勝手にやって貰おう。私は高校卒業を目標にする。普通の人間としてね」
笑むクウェイル。
牙は無い。
般若顔を見た後だが、相変わらずかわいいと思える。
こっちが彼女の本当の顔だから。
「俺も一緒に卒業出来る様に頑張るよ。だからノートを頼んでも良いかな。授業に遅れると困るから」
「うん、良いよ。日本語の字は超下手クソでグチャグチャだから、ルリに綺麗な書き方を聞いてみる」
「そんな問題も有ったか。まぁ、読めれば良いから。お願いするね」
「こんにちは。具合はどう?」
今度は茎宮先輩が来た。
当然ながらクウェイルと同じ制服を着ていて、お菓子屋のロゴが印刷された小さな紙袋を持っている。
「普通に痛いですが、すぐに良くなるそうです」
「そう、良かった。ところで、病院前に金髪と赤髪の外国人が居たけど、ローレルさんのお知り合い?会話の中で貴女の名前が出てたみたいだけど」
「あー。その人、怪盗トードストールです。金髪の方」
あまりにもクウェイルがアッサリと言うので、茎宮先輩は言葉を理解するのに数秒ほど掛かった。
「詳しく言うと創流の家がとんでもない事になるかも知れないので、今はそれ以上訊かないで」
「え?どうして怪盗がここに来たの?え?お見舞いに来たの?」
「うん。それで、あのネトゲのギルドに入れてくれって言われた。話し相手の赤髪の子も入るんじゃないかな」
普通の調子で言うクウェイルに困り顔を向ける茎宮先輩。
まぁ、混乱するよな。
「もしかしてとは思っていたけど、やっぱり幾間くんの骨折は怪盗のせい?」
苦笑いしながら静かに頭を横に振る創流。
「違います。茎宮先輩も頻繁にゲームに顔を出してみれば分かりますよ。あの人達は自分から秘密を洩らしますから」
「あー、やりそう。あっちが秘密を漏らしたら創流は被害を受けないよね。って、それじゃ私の秘密もバレちゃうんじゃ……」
大きく口を開け、しまった、と言う顔をするクウェイル。
しかしすぐに真顔に戻る。
「ま、良いか。教会やら怪盗やらが周りでウロチョロしてたら、いつかはバレるでしょうし」
「何だか良く分からないけど、ゲーム内の会話を見ていれば詳しい事情が把握出来るのかな?あ、これお見舞い」
持っていた紙袋をベッド脇の棚に置く茎宮先輩。
「骨折にはカルシウムって事で、カルシウムクッキーよ」
「ありがとうございます」
「元気そうで良かったわ。また学校でね」
小さく手を振りながら病室を後にする茎宮先輩。
創流と共にそれを見送ったクウェイルは、自分の太股を叩きながら立ち上がった。
「うっし、私も帰るか。あ、病院からネトゲにインって出来るのかな?」
「長期入院なら出来るだろうけど、俺は無理だろうな」
「そっか。数日間、寂しくなるな。まぁ良いや。私もゲームを休んで別の事しよ。怪盗達のギルド承認は創流の復帰待ちで良いよね」
「良いんじゃないかな。俺がこうなのは知ってるだろうから、早くギルドに入れろとは言って来ないでしょ」
「じゃ、また明日来るね」
クウェイルも帰ったので、病室が静かになった。
廊下の向こうから聞こえて来るどこかのおばさんの話し声を聞きながら落ち着く創流。
骨折はきつかったが、何とか教会の襲撃をやり過ごせた。
神父も帰国したそうだし、当面は安全だろう。
安堵の溜息をゆっくりと吐いた創流は、リンゴの残りに手を伸ばす。
栄養の有る物を食べ、早く骨をくっ付けないとな。
勉強もそうだが、もうそろそろネトゲのバージョンアップが有る。
クウェイルと一緒に新要素を遊ぶ為に、それに備えた素材集めとかをしなければならない。
レメはどんな姿勢でゲームをするかは分からないが、怪盗の方はクウェイルの機嫌を取る為に本気で頑張るだろうから良い戦力になりそうだ。
茎宮先輩も本気になってくれれば五人パーティを組める。
そうなれば、二人では無理だったコンテンツに挑める。
遊びの幅が広がる。
ああ、考えてたらワクワクして来た。
思わずニヤけてしまった創流は、早く骨がくっ付けと願いながら茎宮先輩が持って来たカルシウムクッキーにも手を伸ばした。
余談だが、退院するまでの間、クウェイルは毎日お見舞いに来てくれた。
ノートを完璧に仕上げる必要が有る為、授業をサボらずに。
それはとても有り難かったのだが、なぜか怪盗とレメも毎日お見舞いに来た。
手土産も持って来ず、適当に雑談をして帰って行く。
明らかにクウェイルの監視が目的の行動だったのだが、そのせいで病室内での創流のあだ名が『外人ハーレム野郎』になってしまったのだった。




