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ダンピール・エピオルニス  作者: 宗園やや
ソレイユ・ソワレ
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01 出会い

それは少し欠けた月が浮かんでいる夜の事だった。

東欧式の屋根の上に一人の男が立っていた。

闇に紛れる漆黒のマントを羽織っているが、銀色の髪が月光に輝いているので、天体観測が趣味の者が居たら見付かっていただろう。

しかしそんな事は一切気にせず、無造作に別の屋根へと飛び移る男。

その跳躍力は凄まじく、平然と建物をふたつ飛ばしにしてジャンプしている。


「……この匂い。あそこからだな」


目的の物を見付けた男は、ある豪邸のベランダに降り立った。

微かに乱れたベルベットのマントを神経質に正してから、窓に手を掛けて室内への侵入を試みる。

しかし、当然ながら鍵に拒まれる。


「だが、私には無意味だ」


呟いた男の右手が霧に変わった。

形と重みが無くなったその腕は、窓の隙間程度なら容易にすり抜けられるだろう。

試しに片腕だけを部屋の中に入れてみる。

魔除けや呪いの気配は感じられない。

なので、全身を霧に変えて室内に滑り込んだ。

男はすぐさま霧から元の姿に戻り、部屋を見渡してみる。

家の外観は立派だが、内装や家具はそれ程豪華ではない。


(貴族レベル中の下、と言う所か。魔物避けをしていないのは、教会への喜捨をする余裕が無いから、か)


人の世も世知辛いな、としみじみ想いながら部屋の隅に有るベッドに近付く男。

そのベッドでは端整な顔立ちの少女が寝息を立てている。

熟睡している様で、不用心に寝返りを打った。

その動きに伴って毛布から洩れる処女の薫り。

男はこの少女を襲わなくてはならない。

そして……。

だが、男は少女に背を向けた。


(やっぱり無理だ……。しかし、父上の説教も億劫だから何もしないで帰る訳にも……)


襲うか、日を改めるか。

場違いにも悩み始めた侵入者は、無意識に溜息を吐いた。


「……誰?」


突然の声に飛び上がる程驚いた男は、無様なポーズで振り向いた。

ベッドで寝たままの少女が目を開けていて、真っ直ぐ男を見ている。

一瞬だけ見詰め合う二人。


「あ、いえ、失礼、お嬢さん。お気になさらないでください」


言って、男は自分の間抜けさを恥じて顔を赤くした。

寝室に不法侵入している男を気にしない少女は居ない。

居るはずもない。


「泥棒さんですか?私の家には高価な物は有りませんよ」


妙に落ち着いている少女の声。

男の自分が慌てているのは余りにも情けないので、虚勢を張って背筋を伸ばす。


「私の目的は貴女ですよ、お嬢さん」


泥棒に間違えられた事が気に入らなかった男は要らない訂正をした。

プライドだけは一人前だ。


「私、ですか?」


少女の表情があからさまに暗くなる。


「そうですか。私ですか」


身体を起こして男を見据える少女。

長い金髪が顔面の右側を覆い隠したが、少女はそれを払わない。


「貴方は私をどうするつもりなんですか?」


男は少女の真っ直ぐな視線に緊張し、少女は男の美しい顔立ちに感心した。


「貴女の生き血を吸いに来たのです」


「生き血?」


「ええ。ですが、貴女が覚醒してしまったので、魅了の魔法が通じなくなってしまいました。今回は失敗なんです。と言う訳で、私はこれで……」


振り向いて帰ろうとした男に尚も話し掛ける少女。


「生き血を吸うと言う事は、貴方は、……バンパイヤ……、なんですか?」


「はい」


「本当に?」


「本当です」


少女はベッドから降り、男の前に立った。

男はスマートで背が高い。


「幼い頃にお婆様がしてくださった昔話では、バンパイヤは冷酷な魔物だったんですけど?」


男の顔を見上げるネグリジェ姿の少女。

お前を疑っているぞ、と言う考えを意識的に表情に出している。


「本来はそうです。しかし、私は落ち零れなので……」


「落ち零れ?どうして?」


「貴女を襲えず、貴女が正気のまま生きている。今のこの状況は、本来なら有り得ないんです」


「なるほど。据え膳を食べられない意気地無し、と言う訳ですね」


バツが悪そうに顔を背ける男。

図星だったらしい。

寝起きだった事を思い出した少女は、自身のネグリジェの乱れを確認した。

もしも色気の有る格好だったとしても、この男は手を出さなかっただろう。

そう確信した少女は、肩に入っていた力を抜いた。


「バンパイヤ。処女、乙女の生き血を吸う魔物。血を啜られた人間は死、もしくはそのバンパイアの従順な僕になる」


男が向けている視線の先に移動する少女。

二回も獲物から視線を逸らすのは情けないにもほどがあるので、仕方なく少女の動きを目で追う男。


「弱点は十字架、太陽の光、ニンニク等。しかし、それらでも完全な死を与えられない最強のモンスター」


「良くご存知ですね」


「私、この手の話が大好きなんです。子供の頃は、そんな怖い魔物には会いたくないって思っていたんですけど、ね」


寂しく笑う少女。

その笑顔には幼さが残っている。


「来月、結婚するんです。私。だから、今すぐ血を吸わないと貴方の嗜好に合わなくなっちゃいますよ?」


「……吸って欲しい様に聞こえますが?」


「私の前髪、右側だけ長いでしょ?これは結婚相手の顔を見ない様に、そして向こうからも見られない様に伸ばしているんです」


「結婚が嫌なのですか?」


頷く少女。


「貧乏貴族の末娘は、良い家の次男に貰って頂くしか使い道が無いんですよ」


「嫌なら断ってしまえば良いのでは?」


言ってから、改めて自分の間抜けさに気付く男。

自分も家の定めに逆らえないから、こうして人間界に来ているのに。


「嫌なんて言える訳がありません。家の名誉に泥を塗る事になりますから。貧乏貴族にも誇りは有ります」


毅然と胸を張った少女は、再び力無く笑む。


「でも、……バンパイヤに血を啜られて死んだのなら、相手にも言い訳が出来ます。……多分。だから、どうぞ吸ってください」


期待が込められている少女の視線に眉を(ひそ)める男。


「寝ている娘が触れない。悲鳴を上げられたら逃げ出す。揚句(あげく)の果てに貴女とお喋り。これでは血を吸えません」


男は優雅に苦笑しながら肩を竦める。


「私は血を吸わなくてもバンパイアの能力が使えますので、無理に人を襲う必要は無いのです。この出会いは無かった事にしましょう。さようなら」


「あの!」


窓に向かって歩き始めた男のマントを引っ張る少女。

当然、男はつんのめる。


「私、ノトルニスと申します。また会えますか?」


「いいえ、もう二度と会えません。何故なら、貴女は結婚をされますから」


引き攣り笑顔で名乗りを断る男。

その上で、マントを掴んでいる少女の手を少々乱暴に払う。

態度で拒絶を表しているのに、ノトルニスは男の腕に縋って来た。

その力の籠り具合に少女の必死さを感じる。


「あ、あの、私、あの!」


「何をグズグズしている」


低い男の声が部屋に響く。

第三者の存在に驚いた二人が周囲を見渡すと、室内なのに霧が充満していた。

その霧が一点に集まり、そこに威厳に満ちた初老の男性が現れた。

白い髭とロングへアーが渋いな、と暢気(のんき)に思うノトルニス。


「ち、父上!」


恐縮する男の腕にしがみ付いているノトルニスを睨み付ける男性。

珍しい金色の瞳。

その視線には妙な迫力が有り、少女は無言で(すく)み上がる。


「お前があちこちで姿を見せるから、この地域の魔除けが強化されて困ると言う苦情が私の所に来ているんだ」


「そ、そうなのですか?……申し訳御座いません」


「だからさっさと血を吸え。そしてしばらく人間界には近寄らずに……」


髭の男性が何かに気付いた。


「人が来る。その娘は連れて帰れ」


「しかし、父上……」


「なんだ?また意気地の無い事を言うつもりか?」


「い、いえ、その様な事は……」


若い方の男が縮こまったその時、部屋のドアがノックされた。


「どうしたの、ノトルニス?騒がしいわよ。誰か居るの?」


「お母様だ」


「早くしろ」


髭の男性に強く言われた若い男は、渋々ノトルニスをマントに包んだ。

暗いマントの中で窓が割られる音を聞いた少女は、若い男に抱き上げられる。


「申し訳ありませんが、一緒に来て貰います。落ちない様に、しっかりと掴まっていてください」


「はい」


ビロードの向こうから届いた男の声に頷いたノトルニスは、意外に(たくま)しい身体に抱き付いた。


「行くぞ」


コウモリに姿を変えた髭の男性が先に飛び、続いて人型のままの若い男が夜の空に向かって跳び上がる。

ノトルニスの母親の悲鳴を背中で聞きながら屋根から屋根へと飛び移って行く若い男。

激しい上昇と緩やかな落下が繰り返されているので、周囲が見えない少女でも男がどんな移動をしているのかは安易に想像出来る。

怖いので、無我夢中で若い男にしがみ付くノトルニス。


(……何故あの娘は抵抗しないんだ?)


マントの裾から見える少女の素足を見て首を傾げるコウモリ。

バンパイヤは、言葉や仕草に魅了の魔法を込める事が出来る。

魅了された少女は苦痛や恐怖を感じられない精神状態になり、絶対服従となる。

そうなれば容易に血を吸える。

だから少女が無抵抗である事自体には不自然さは無い。


(しかし、あいつがそんな事をするだろうか……?)


微かな不安を感じたコウモリは、万が一の事を考え、ノトルニスの足の裏に呪いの印を刻み込んだ。

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