28. AC 移民と言われても・・・・
大変、お久しぶりです。
少しリハビリを兼ねて、久しぶりに病院ネタを書かせてもらいました。
「チカ、新しい患者さんが19号室に来るから担当お願いね」
「はぁい」
あ〜、もうっ。1人退院したと思ったら、もうすぐに次が来ちゃうのかぁ。
内心ガッカリとしつつも、とりあえず返事はする。
「男、女? どんな患者さん?」
「女。73歳、病名はコライティス(Colitis)」
コライティスってなんだったっけ?
乏しい知識を必死に思い出そうとするものの、確か腸の病気だったかな〜とくらいしか思い出せない。
「ねぇ、コライティスってなんだったっけ?」
「コロン(腸)の炎症よ。下痢嘔吐に発熱っていうのが症状で、細菌によるものが多いから、まずは色々とテストしなくちゃいけないし、どのくらい弱っているのか判らないから、ベッドサイドコモードとハット忘れないでね」
「オッケー」
そうだそうだ。腸の病気だと思ったけど、それ以上は憶えていなかった。っていうか、英語の病名は憶えていてもそれが日本語でなんの病気かなんて、全く判らないものが多いんだった。なんせ、両方憶えるなんてあたしの脳みその許容範囲を超えちゃうんだもの、無理だよ。やっぱり英語、苦手だよねぇ。
で、ベッドサイドコモードと言うのは、ポータブルトイレの事。ベッドの横に置ける便器って言うのが直訳になるのかな?
それからハット、というのは尿や便を採取するために便器に入れておく入れ物。形がハットに(帽子)に似ているから、通称がハットになっている。確か正式名称もあるんだけど、憶えていない。
とりあえず19号室へ行ってベッドの準備。まずはベッドカバーを除けてからパッドを置いて、それからハットやその他の入院患者の必要なものをピンクのバケツに入れて持っていく。とは言っても本物のバケツじゃなくて、縦横30センチX40センチ、深さ20センチくらいのプラスティックの入れ物で、水を張って清拭やその他の事に使うためのもの。その中に歯ブラシ、歯磨きチューブ、石けん、櫛、ワイプ、箱ティッシュなんかを入れて部屋に並べる。それと一緒に持ってきたタオルやハンドタオル、それにガウンなんかをベッドの上に置いて準備完了。
あとは患者が来るのを待つだけ。
だったんだけど、これが大変だった。
患者がERからトラッカー(*1)に載せられてナースと一緒にやって来た。
「アーリーンが患者さん連れてきてくれたんだ」
「そ、私が担当だったからね」
顔見知りのERのナースを見て思わず声を掛けてしまう。彼女は患者が乗っているトラッカーを押しながら病室へ行くから、あたしもその後ろを付いて歩く。
「あとでミス・グリーンの家族がやってくる事になってるから。ちょっと前までERで待っていたんだけど、もう少し病室に移動するまで時間がかかるしランチの時間だから食べに行くようにって言ったら、ミス・グリーンと少し話してからランチを食べにいく事にしたみたい」
「じゃあ、あとでメーガンに言っておく。多分1度ナースステーションに寄るだろうから」
多分アーリーンが家族には病室の番号を言っていると思うけど、それでも一応確認のためにナースステーションに行くだろう、と予想してそう言うとアーリーンも頷いている。
「じゃあ、ミス・グリーン。とラッカーから降りてベッドに移動できますか?」
「ええ、手を貸してくれたら大丈夫だと思うわ」
「じゃあチカと2人で補助しますね」
アーリーンが患者に確認してからとラッカーを下げてブレーキをかける。その間あたしはドアを閉めて一応念のためにカーテンも閉める。
「じゃあ、1、2、3で立ちますよ」
アーリーンが患者の右手に立つからあたしは患者の左側に立って手を脇に差し込んでいつでも補助ができるようにスタンバイする。
「はい、1、2、3」
アーリーンのカウントと同時に手に力を入れて立ち上がらせると、そのままピボットでクルッと体を動かしてベッドに座らせた。
ミス・グリーンはERから来ているから既にホスピタルガウンを着ているので、着替えさせる手間が省けててちょっとラッキー。
「もう少し上に移動してください。その方がベッドに足下にずれ下がらなくて済みますよ」
「あっ、はい」
「1、2、3」
もう一度カウントして、アーリーンとあたしが患者を立ち上がらせて2歩ほどベッドの頭の方へ移動させる。それからアーリーンが上半身、あたしが下半身に手を掛けてベッドに寝させると、予定通り頭の一がベッドの枕の位置に来てホッとする。
「じゃあ、あとはチカ、任せるね」
「はぁい。ではミス・グリーン、入院手続きを始めますね〜」
「よろしくお願いします」
「私がするのは持ち物リスト作成と、いくつかの同意書のサインだけです。医療関係の関する質問はナースがするので、彼女が来るまで待ってくださいね」
そう言いながらあたしは壁に掛かっているホワイトボードに今日の日付、ナースとあたしの役名と名前を書いていく。
「あたしの名前はチカでCNAです。担当のナースはスーザンです。何かあったらナースコールであたしたちを呼んでくださいね」
それからミス・グリーンの許可を貰ってアーリーンが置いて行った彼女のもしものが入った袋を開けて中身を確認する。その中であとからやってくる家族が持って帰るものはそのままで、ここに置いておくものだけをリストに書いていく。
そしてそれが出来上がったらミス・グリーンに確認してもらって彼女のサインを貰い、それから他のいくつかの同意書にも説明をしたあとでサインを貰う。
「じゃあ、あたしからの入院時の手続きは以上です。あとからスーザンがやってきて山ほど質問をするから覚悟しておいてくださいね〜」
笑いながら言うと、彼女も同じように笑顔を浮かべた。
「それから1人で大丈夫と思うこともあるかもしれないけど、一応1番最初だけはあたしたちを呼んでくださいね。ベッドサイドコモードを使う時でも、ですよ。あたしたちはミス・グリーンの状態を知らないから、何ができるかを見せてくださいね」
心配ですから、と付け足すと、ちゃんと呼ぶ、と返事をしてくれた。
「じゃあ、早速で悪いんだけど、トイレの手助けをしてくれる?」
ERでは部屋にトイレがなかったからずっと我慢していたの、と少し困ったような笑みを浮かべて首を傾げる彼女は、なんか可愛いおばあちゃんだ。
あたしもOKと返して、早速彼女の手助けを始めた。
ミス・グリーンが病室に落ち着いてから1時間ほど経った頃、彼女の娘と言う女性がナースステーションにやってきた、とメーガンが教えてくれた。
それでもあたしにはまだ他に担当している患者が7人いるから、そちらの仕事もしなくちゃいけない。
CNAの担当患者の数は大体7−9人というところで、当然全ての患者にこまめに顔を見せに行く時間はない。なので、大抵はナースコールをよく使う患者のところに行って手助けをする事の方が多いから、申し訳ないと思いつつも手の掛からない患者のところにはヴァイタルサインや血糖値チェックといった時にしか顔を出せない事も多々ある。
とはいえ、患者の中には放っておいてくれた方が良い、と言う人もいるからそれはそれでいいんだろうけど、それでもやっぱり申し訳ない気持ちにはなってしまう。
「ミス・グリーン、ヴァイタルサインの時間です。いいですか?」
「はい、大丈夫よ」
ノックをして中に入るとベッドの上にベッドを起こして座って新聞の広告を見ているミス・グリーンと、そのすぐ傍にある椅子に座っている50代後半くらいに見える女性が1人。多分、聞いていた患者さんの娘さんなんだろう。
ニコニコして迎え入れてくれるミス・グリーンとは対照的に、その女性はじろじろと値踏みをするような視線であたしを見ている。
まぁ、元々田舎で日本人は多分あたししかいないような場所柄、じろじろと見られる事には慣れてはいる。
でも、彼女の視線はどこか蔑むような色があって、あたしは彼女には黙礼をするだけですぐミス・グリーンのところへと言って彼女の腕に血圧計を取り付ける。
それから体温計を彼女の口に入れてもらったところで、ミス・グリーンの娘らしき人が部屋を出て行った。
「熱は無いですね〜。それに、血圧も上が142で下が80だからぼちぼちです」
「そう? 良かったわ」
「お腹は大丈夫ですか? さっき、痛いって言ってましたよね?」
雑談をしながら、彼女の数値を手にしていたボードに挟んでいる紙に書き込んでいく。
「そうね。スーザンが痛み止めをくれたから、今は大丈夫よ。ありがとう」
「いえいえ、痛みが無くなったのなら良かったです」
「ちょっと体がずり落ちちゃったから、手を貸してくれる?」
「いいですよ」
あげていたベッドを元の状態に戻してから、ベッドの手すりを掴んで上にずり上がる手助けをする。
ベッドのシーツのせいかマットレスのせいか判らないけど、ベッドを起こしているとそのうち体が足下にずり下がってしまうようで、こうやって頼まれる事が多い。
「はい、そこまで体をあげれば大丈夫ですね」
あたしは手すりに付いているボタンを押して、またさっきのようにベッドを起こした。
「あぁ、これで楽になったわ、ありがとう」
「いえいえ、膝の部分も少しあげておきますね。ズレ落ち防止です」
「ありがとう」
ボタンを押して膝の部分も少しだけあげてやっていると、先ほどでて言った娘さんが戻ってくる。
「じゃあ、また何かあれば呼んでくださいね」
そう声を掛けて部屋を出て行くあたしに手を振るミス・グリーンと、無言で嫌そうにあたしを見る娘さんは対照的だった。
そして、部屋を出てナースステーションに戻った時、あたしは彼女がなんのために部屋を出て行ったのかを知った。
「チカ、ちょっと」
「なんですか?」
「あのね、さっき、ミス・グリーンの娘さんが来たんだけど」
なんとなく歯切れの悪い口調で、看護士長さんが話しかけてきた。
「彼女、ミス・グリーンをあなたに任せたくないんだって」
「えっ?」
いきなりの話であたしは聞き返した。
それから何をしたんだろう、とつい先ほどの事を思い返すけれど、なんにも思いつかない。
「ジェーン、それってどういう事?」
「スーザン」
あたしが何も言えなくなっているところに、看護士長のジェーンの言葉を聞いたスーザンがやってきた。
「それがねぇ、ミス・グリーンの娘さんが、チカには母親の病室に入ってきてもらいたくないって言ってきたのよ」
「チカが何かしたって事?」
そう言ってじろり、とスーザンが視線を向けてくる。
「えぇぇ、何もしてない、と思うんですけど」
「チカは何もしてないわよ」
「じゃあ、どうして?」
ジェーンが慌ててそう言ってくれるけど、だったらどうしてなのか余計に判らなくなってくる。
「チカが移民だから、嫌なんだって」
「はっ?」
「はっ?」
移民だから?
思わずはもってしまったあたしとスーザンはそのままお互いの顔を見合わせる。
「さっきここに来てね、チカはどこから来たんだって言うから、日本からだっていったのよ。そうしたら、移民なんかに母親の世話なんかできる訳ないっていいだしちゃって」
「でもジェーン、チカって患者さんからの評判いいじゃない」
「私も彼女は真面目に仕事をするから大丈夫だって言ったんだけど、移民は駄目だって聞いてくれなくって・・・だから、チカ、悪いんだけど彼女の担当はシーラに任せるから、シーラの患者と交換してくれない?」
「あたしはいいですよ」
そんなめんどくさい患者の家族と付き合わなくて済むんだったらその方がラクチンだし、と心の中で付け足す。
「それって日本人だけなの?」
「さぁ、どうなのかしらねぇ。ダニエラはブルガリア人だし、ソニアはフランス人でしょ。それにエリエンダはフィリピン人だから、そんな事言われるとこっちも誰が誰を受け持つかなんて事考えると大変よ、ホント」
こんな田舎の病院なのに、人種に関しては結構バラエティに飛んでいるのだ。ただこの辺りは黒人差別が根強い地域だから、黒人の患者なんか滅多に見ないし、黒人の雇用者は1人もいない。
「まぁ、仕方ないわねぇ」
めんどくさそうにスーザンが言うと、ジェーンがもう一度謝ってくる。
「別に謝らなくても良いわよ、ジェーン。でもさ、ちょっと質問」
いつまでも済まなさそうな表情を浮かべるジェーンに、あたしはにやりとした笑みを浮かべる。
「あたし、ネイティブ・アメリカン(*2)以外は、み〜んな移民だと思っていたんだけど、違うんだ」
「チカ」
「そうだね〜、み〜んな移民だね。私もイギリス系の移民だし」
嗜めるジェーンの横で、スーザンはぷっと吹き出してからうんうんと頷いている。
「ってか、今じゃ生粋のネイティブ・アメリカンなんて殆どいないから、そう考えるみんな移民って言ってもおかしくないわよね」
「それにしても、移民だからって言う理由で断られたのは初めてだな、あたし」
「あぁ、そう言えば前に日本人だからって蹴り出されてたわね」
「そうそう。まぁ、あれはあれで仕方ないって思えるけど」
懐かしい話を持ち出されて思わずスーザンとあたしは2人でうんうんと頷き合う。
「まぁあの患者さんの娘、ちょっとめんどくさそうな人だなって思っていたから、ラッキーと思ってシーラと替われば良いわよ」
「スーザン、話す機会あったの?」
「あったあった。来てすぐに母親の容態にいつ退院できるかなんて聞いてきてね。そんなの判らないっていったら、判らないなんてナースって言えるのか、って言われちゃったわ」
「へっ・・・へぇ〜。でもERから来たばかりで、どうやっていつ退院できるかが判るなんて思うんだろうね」
さっき顔だけ合わせた娘の顔を思い出しながら、確かにめんどくさそうな人だったな、と少し憤慨しているスーザンに返す。
それからジェーンを振り返った。
「とにかく、ジェーンからシーラには言ってね」
「判ってるわ」
「じゃあ、あたしは仕事に戻りま〜す」
シーラから文句を言われたくないから、面倒はジェーンに押し付けてあたしは仕事に戻った。
もちろん、シーラがぶ〜ぶ〜文句を言ったのは、それから10分ほどあとの事。
そして、次の日、ダニエラが移民だからって言われたと怒り心頭であたしのところに言いに来たのも、今となっては話のネタで、それから暫くは「移民だから〜」って言うのが流行った事は言うまでもない?!?
*1 トラッカー ストレッチャーの事。ブランド名がトラッカーなので、ストレッチャーと呼ぶよりはトラッカーと呼ぶ事の方が多い。(って、なんて事無い理由・・・)
*2 ネイティブ・アメリカン 俗にいうインディアンの事。でも、インディアンと言うと嫌がる人がおおいから、この辺りではインディアンなんて呼ぶ人は殆どいなくて、ネイティブ・アメリカンと言う。




