25.ER うちの子は健康?!?
大変ご無沙汰していました。
パタパタとERの中を走り回る。
ここは超田舎の病院だから、何しにきたんだ? と聞きたくなるような程度の患者さんもやってくるから、余計に忙しいんだと思う。
面白いのが雨の日は患者数が増えるというのがある。
ま、あくまでもあたしの感想なんだけど、でも結構当たってると思うんだよね。
「ねぇ、なんで雨だと忙しいんだと思う?」
以前、ナースに聞いた事がある。
「そりゃ、他にいくところもする事もないからじゃない?」
というのが、あたしが尋ねたナースの返事だった。
う〜む、当たらずも遠からずと言ったところだと思う。
人口が2万人弱で、周囲にも人口数百人程度の町しかないここには、「エンターテイメント!」と言うような物がない。
それはそれで田舎ののんびりしたこの辺りの風潮にぴったりだと思うけど、雨の日のERの忙しさを思うともう少し娯楽があるといいなぁって思ってしまう。
今日も今日で歯痛から心臓発作まで、多種多彩な患者さんが次から次へと運ばれてきて、その度に処置室へ入る手伝いをして、彼らが帰ったらシーツ交換や部屋の消毒アンド片付けをして、とじっとしている時間が全く無い。
だから、パタパタと走り回る羽目になっているんだよね。
なんてぶつぶつ言っている間にも、また救急車が患者を運んできた。
「チカ、処置室5にアンボが患者連れてくるから」
「はぁい」
アンボっていうのは、救急車の事。英語でAmbulance (アンビュランス)っていうんだけど、その略語がAmbで、あたしの耳にはアンボって聞こえる。
「どんな患者さんなの?」
「チェストペインね」
チェストペイン、つまり心臓痛かぁ。
「17歳だよ」
「えぇっ、17歳でチェストペインって早すぎない?」
「チェストペインってあくまでも症状だから、心臓が悪いとは限らないんだよ」
「そぉなの?」
「気管支に問題があって、その痛みが心臓痛と思われる事だってあるからね」
なるほど、と頷いているうちに自動ドアが開いてEMT(*)がやってきた。
「処置室5へ行ってください」
「はいよ」
ナースのエレインがどこへ患者を連れて行けばいいのかを指示して、ストレッチャーを押す彼らのあとを付いていく。
あたしもその後ろから付いて処置室へと入る。
先に入ったEMTのジョンがストレッチャーの高さと処置室のベッドの高さを合わせている。
その横で体温計(箱形の結構でかい)を片手に患者がベッドに移されるのを待っているあたし。
う〜ん、デカイ。
患者を見てのあたしの第一印象がそれだった。
身長は多分175センチくらい? でも、体重はどう見ても200キロは堅いと思う。
なんせ、ストレッチャーの幅ギリギリか、広いくらい? あるんだもの。
でも、チェストペインっぽくないなぁ、なんて事を考えながらジョンたちが彼をベッドに移すのを、あたしは部屋の隅で邪魔にならないように見ているだけ。
ほら、邪魔しちゃ悪いでしょ?
なんとかジョンたちが彼をベッドに移し、あたしは傍に行って体温を測る。それから心電図を計るためのコードを彼に取り付けているあたしの横で、エレインが血圧計を計っている。
モニターを見上げると、そこにはとても規則正しい心電図が見えている。
ベッドに寝ている彼は確かにしんどそうにしているけど、それは心臓に負担がかかったからという感じじゃなくて、それよりも運動不足で息が上がったんじゃないかっていう印象をあたしに与えていたから、あまり心配する事もないだろうなと思う。
どうみても心臓じゃないね、これは。
多分、エレインも同じ事を思っているんだろうな。
なんて事を思いながらも、とりあえずそれ以上あたしがする事はないので、あとをエレインに任せて部屋を出た。
だってあたしはナースじゃないから手伝いはするけど、それ以上の事は出来ないからね。
それにする事はいくらでもあるから、彼に掛かりきりになっていたら他のナースから文句を言われちゃうっ。
「チカ、外にミスター・サウンダーの両親が来ているから、中に入れてあげてくれる?」
「いいよ〜。でもミスター・サウンダーって誰だっけ?」
患者の事は名前じゃなくて部屋番号で憶える事にしているから、どうしても名前を言われるとどの部屋の患者さんなのか判らなくなってしまう。
「ほら、処置室5の人」
「おー、あの高校生の両親ね」
言われて思い出した。
そう言えば、両親が来るってエレインが言ってたんだっけ。
ERに運び込まれてから、彼はEKG(心電図検査)を受けて、CATスキャン(コンピューター断層テスト)を受けて、と色々なテストを受けていた。
ERドクターも特に何も言っていないから、テストからは何も見つからなかったんだと思う。
ま、見つからない方がいいんだけどね。
あたしは待合室に出て行くと「ミスター・サウンダーのご家族の方はいますか?」と声を掛ける。
けど、誰も返事をしない。
おかしいなぁ、と思いつつもう一度呼ぶと、公衆トイレの方から返事が聞こえた。
待合室からそちらを見ていると、一組の男女がやってきた。
見るからに、ミスター・サウンダーの両親と判る体型の夫婦。なんて事を言っちゃいけないんだろうけど、息子ほどでかくはないにしても2人ともどう見ても超肥満体型で、正直食生活が心配です。
「処置室にお連れしますね」
そう言って名札を使ってドアを開けて、そのまま2人を処置室5へと案内した。
「ここがミスター・サウンダーの部屋です」
ノックをしながらドアを開けて2人を中に促すと、息子の名前を呼びながらまず母親が入り、次に父親がそれに続いた。
「じゃあ、何か用があれば声を掛けてくださいね」
心配そうに息子に声を掛ける母親の会話を聞きながら、あたしがこちらを見ている父親に声を掛けていると、ノックがしてドアが開いた。
あれ? と振り返るとそこにはドクター・グリフィンが中に入ってくるところだった。
「ご両親が来られたとナースに聞いたので、息子さんの説明に来ました」
そう言いながらも、ドアのところに立ったままなので、あたしはすっかり部屋から出て行くタイミングを逃し、おまけにドクターのせいで出られない。
仕方なく部屋の隅っこに移動して、彼らの邪魔にならないようにする。
「息子さんはチェストペインと言う事で運ばれてきましたが、その事は学校から連絡が言ってますか?」
「はい、保険医から聞きました」
「それでですね、EKGをしてなんの異常も見つからなくて、念のためCATスキャンもしましたが異常はありませんでした」
ホゥッと安堵の溜め息をつく母親と、彼女の肩を抱き寄せる父親。
よかったよかった、とそれを見ているあたしの前で、ドクターは更に説明を続ける。
「尿検査や血液検査でも特に異常は見つかりませんでした。ただ、気管支の方が弱いので、それもあって呼吸困難まではいかないにしても、体に負担がかかったのだと思います。ただそちらも安静にしていれば大丈夫でしょう」
「じゃあ、連れて帰ってもいいんですね」
「はい、結構です」
息子のすぐそばに立ってドクターの話を一生懸命聞いている母親は、気管支の話をした時に少し眉間に皺を寄せていたけど、それでも帰っていいと言われて嬉しそうだ。
「それで、ですね。気管支の方に負担がかかる主な理由は、息子さんの肥満です。体重を落とした方が気管支に掛ける負担も減りますし、おそらく肥満のせいで心臓にも負担がかかったこともあり、それがチェストペインに似た痛みを起こしたんでしょう」
「でもドクター。うちの息子は今までだってずっと元気でしたよ?」
「そうですね。でもそれは若いからです。10代の若い体だから少々の負担を掛けても何とかなっていたんでしょうが、それでもこれだけの肥満だと今はまだ何とかなっても、これから将来に掛けて色々な弊害が出てきてもおかしくありません」
うちの子は元気だと言い切る母親に、きっぱりとそんな事はないと言い切るドクター。
父親はただ黙って、2人の会話を聞いているだけ。
「急に体重を落とせとは言いません。けれど少なくとも3分の1ほど体重を落とした方が体にかかる負担は随分減ると思いますよ」
「そんなに落としたら痩せ過ぎになっちゃうんじゃないんですか?」
「いいえ、それでも体重は多いくらいです。それでは肥満を解消するために手助けが必要であれば、そう言った機関を紹介しますから」
言うだけ言って部屋を出て行くドクター。患者であるミスター・サウンダーの両親からこれ以上の反論は聞かない、とその背中が言ってる気がした。
後に残されたのはあたしとサウンダー一家。
ただ、またまた出るタイミングを逃したあたしは、ドアに向かってそろそろと移動している時、母親と目が合った。
「え〜っと、それじゃあ、何か必要なものがあれば言ってくださいね」
にこっと笑って、頭を下げるあたしに、母親が言った。
「うちの子は、今まで病気もした事ないのよ」
「そうだな、スポーツだってするし、ちゃんと体育の授業でも頑張っている」
「健康な子なんだから」
あたしに何か返事を期待しているのか?
悪いけど期待されても、期待に答える返答をする気はないよ、あたし。
だって、ドクターの言う通りだと思うもん。
返事に困って目を逸らしたあたしからは期待するような返事はないと思ったのか、2人は今度は息子に向かって同じ事を繰り返して、彼から同意を得ようとしている。
「ねぇ、ディビッド。あなたはちゃんと運動しているわよね〜」
「そうだよな。この前だってフットボールの試合にでたもんな」
「別に変える必要なんてないわよね」
それはまずいんじゃないのか、と思うものの、あたしが言う事じゃない。
ここで余計な事を言ったら、薮から蛇が出てくる気がして口を貝のように閉じる。
だって、ドクターには文句は言えなくても、あたしには言えるからね。
「失礼しました」
夫婦でぶつぶつと自分たちに言い聞かせるようにいう2人に何も返す事なく、あたしはドアを開けて外へ出た。
処置室を出てナースステーションへ行くと、ドクターが苦笑を浮かべてあたしを見ていた。
「何か言ってなかったか?」
「・・・・言ってました」
「どうせ痩せる必要はないとか、そんな事だろう?」
「ドクター・グリフィ〜ン。判ってたんなら、部屋を出る時に一緒に連れ出してくださいよ」
ムゥッと文句を言うと、ドクターは頬をぽりぽりと掻きながら、あたしから目を逸らした。
「うちの子は健康なのよ、って言われましたよ。それに病気もした事ないから、ダイエットなんて必要ないんだそうですよ?」
「そう言うと思ったよ。けど、ちゃんと言わないと教えてくれなかったってあとで文句を言われても困るからな」
どうせ言っても何もしないと思ったんだ、と嫌そうな顔をして言葉を続けるドクターを見ると、なんか御愁傷様、と言いたくなってしまったから、そのまま言葉に出す。
「アイム・ソーリー(御愁傷様)」
「ミー・トゥー(ホントにね)」
思わずドクターと顔を見合わせて溜め息をついてしまったのは、そこだけの話。
EMT = Emergency Medical Team(救急隊員)




