22.AC 地獄でもどこでも行かせてください。
アメリカ人は暑がりなんだろうと思う。
だって、年中建物の中は寒いんだもの。
それだけじゃなくて気管支系を患っている患者の中には、室内の気温を15度くらいに設定しているから、標準日本人(と思っている)のあたしには寒くてたまらない。
夏だろうが冬だろうが、病院の中ではいつも薄いジャケットを羽織っているあたし。冬はそれに7分袖のシャツをスクラブの下に着込むのだ。
今日も、あうあうと震えながら患者の部屋に入っていく。
「ミスター・ガンテラ。何か用ですか?」
ノックをして中に入ると、済まなそうな顔をしたミスター・ガンテラと目があう。
それから彼が視線を足下に下ろすから、あたしも釣られて足下に視線を向けて、呼ばれた理由が判った。
ベッド脇の足下はテーブルから落ちたであろう水の入ったカップが転がっていて濡れている。
「あ〜、済まないねぇ」
「いえいえ、大丈夫ですよ〜。すぐに拭いちゃいますね」
そう言えばさっきタオルを3枚ほど持ってきたんだっけ、と思いつつ近くの椅子に目をやると、あたしが持ってきた替えのリネンがまとめておいたままになっている。
そこからタオルを2枚ほど取ってから、壁に設置されているビニル手袋ホルダーの中から自分のサイズの物を選んで取り出して嵌める。
そこにはサイズS、M、L、そしてXLの4種類が常備されている。
まぁ、ちゃんとストックされてない時が結構多くて、そう言う時は我慢して大きめのものを使うこともあるんだけどね。でも、さすがにXLは大きすぎてちょっと手を振るだけで飛んでいってしまうほどの大きさだ。
とりあえずちゃんとビニル手袋を嵌めてから、タオルを手にかがみ込んで床を拭く。
もちろんあっという間に乾くって訳じゃないから、モップで拭いた感じになっちゃうんだけど。
「一応拭きましたけど、それでもまだ濡れているからちょっと歩かないでくださいね。滑って転んじゃうと困りますからね」
そう声を掛けながら、あたしは手袋ホルダーの上に置かれていた青いビニール袋を1つ取り出して、そこに濡れたタオルを入れた。
衛生面の理由で患者の部屋から出た洗濯物はビニール袋に入れる事になっているのだ。
ただこの袋、大きいんだよねぇ。家で使っているゴミ袋より大きいのだ。確かに濡れたシーツやブランケットを入れなくちゃいけないから、かなりの量が入る大きさじゃないといけないって言うのは判るんだけど、それでもタオル数枚を入れるだけのために使うのはもったいない。
というのも、このビニール袋を持って他の部屋に行くわけにはいかないからだ。患者の部屋を出たらランドリーに持っていく事になっている。他の患者の部屋に持っていくという行為は、感染拡散になるから駄目、なんだとか・・・・
確かにその通りなんだけど、それでもついつい《もったいないなぁ》って思っちゃう。
「他に用はないですか〜?」
「ないよ。ありがとうね」
「いえいえ、どういたしまして」
じゃあ、後でまたバイタルサインを取りにきますね、とミスター・ガンテラに声を掛けてから病室を出た。
いつもはもっと刺のある言葉を言われるんだけど、今日は自分が水をこぼしてその片付けを頼んだからか、いつになくいい人だったなぁ、と本人が聞いていたら怒るような事を考えながら、青いビニール袋をランドリーへと持っていく。
ここは3階なので、ランドリーシュートを使う事になっている。エレベーターの隣りに鍵の付いたドアがあり、そこに入ると何もない小さな部屋の奥に常備の洗濯ものを入れるバスケットが1つある。
その奥の壁にランドリーシュートが設置されている。
これはダストシュートならぬ、ランドリーシュート。洗濯物が入ったビニール袋をここに入れると1階にある大きないれものに落ちるようになっていて、それをランドリー係の人が回収して洗ってくれるのだ。
各階でランドリー袋の色が違うから、それでどこから来た洗濯物なのかが判る仕組みになっている。ちなみに2階はERが使うんだけど彼らが使う袋の色は白。
と、手に持っていた袋を無事ランドリーシュートに入れてドアを開けると、エレベーターの前で年配の女の人がウロウロと辺りを見ている。
「どうしましたか?」
どうせ患者の部屋が判らないって事だろうと予想して声を掛ける。
「病室が判らないの。4318号って聞いたんだけど、どっちに行けばいいのかしら?」
「4318号室ですか? だったら左にいってナースステーションの前を通ったら右に曲がってください。ナースステーションから、え〜っと・・・右側の4つ目のドアが4318号室になる筈、です」
頭の中でホールに並んでいる病室を思い浮かべて、いくつ目のドアかを数えながら教えると、ありがとうと言ってあたしが今教えた方向へ歩いていく。
それを見送ってから、あたしはバイタルサインをするべくクリップボード片手に歩き出した。
いくつかの病室を回って次の部屋へ行こうと、今バイタルサインをとっていた患者のいた部屋を出ると、先ほど病室を探していた女の人が通りかかる。
「無事にお見舞い、済みましたか?」
「あら? さっきの人ね。ありがとう」
ニコニコしながらお礼を言う彼女に、どういたしまして、と返してから隣りの病室に入ろうとすると後ろから呼び止められた。
「なんでしょう?」
さっきのエレベーターの場所が判らないのかな、と思って振り向くと、先ほどとはちょっと違って笑みのない顔がこちらをみていた。
「あなた、クリスチャン?」
「へ?」
「だから、あなた、クリスチャン?」
思いもしない事を聞かれたせいか、一瞬何を聞かれたのか判らなくて変な声を出したら、少しいらついたような声でもう一度聞かれた。
「いいえ、違います」
「だったら、今すぐクリスチャンになった方がいいわよ。あなた、いい人みたいだから、私はあなたに地獄に行って欲しくないわ」
凄く押し付けがましい台詞をいいながら、手に提げていたバッグの中から小さな冊子を取り出した。
見なくても判るよ、あれ。絶対にキリスト教勧誘の冊子だ。
「ほら、これを受け取りなさい。それで日曜日にでもうちの教会に来ればいいわ。洗礼する気があるんだったら、私が牧師様に頼んであげてもいいし」
「え〜・・・別にいいです。あたしはブッディズム(仏教徒)ですから」
「なんですって」
なんか勝手に話を進めているおばさんがめんどくさくなってきて、思わずいらないって言ってしまった。
別に仏教徒って言う訳でもないんだけど、でもキリスト教には全く興味がない。
「ブッディズム(仏教)なんて信じていても、あなたは救われないわ。クリスチャンにならないと、地獄へ行っちゃうのよ」
「ブッディズムにも天国と地獄って言う考え方はありますよ? だから、大丈夫です」
それより、あたしは仕事があるんだ。バイタルサインも早くしないと、仕事がどんどん溜まっていっちゃう。
そんな事を思ってさっさと仕事に戻ろうと、彼女に頭を下げて行こうとしたら、ぐいっと腕を掴まれた。
「何言ってんのよ。あなた、自分の言ってる事判ってないでしょ。地獄へ行くのよ、判ってるの」
「だから、ですね。クリスチャンじゃなくても、天国へ行けるんですよ」
「いける訳ないじゃない。そんな邪神信じてたら、地獄に堕ちるに決まってるわ」
「いや、だから―――」
「クリスチャンじゃないなんて、信じられないっっ。何考えてるのよ、あなた」
全く聞く耳を持ってないと言うか・・・
かといって無視してここを去るという訳にもいかないしなぁ。
仕事中じゃなかったら、とっとと逃げ出すんだけど、そんな事を思いながらどうやって彼女から逃げようかと考えるけど、良い案が思いつかない。
「大体キリスト教じゃないのに、どうしてここで働いているのよっ。邪神をあがめた人間を雇うなんて信じられないわっ」
「え〜、っと、ですね――」
「クリスチャンじゃないんだったら、仕事首になる前に辞めなさい。それともキリスト教を信仰するの?」
じろっと睨みつけられて、どう返事しようか、と悩む。
別にここで、はい改宗しますと言う事は簡単だけど、そんな嘘をつく気は全くない。
「いいえ。あたしはブッディズムで満足していますから」
「まっ、な」
嘘をつく事もなく仏教徒でいいと言い切るあたしに、彼女は顔を真っ赤にして睨みつけてきた。
まずい、と思わず心の中で呟いた時には既に遅く、彼女は掴んでいたあたしの腕を振りほどいて大きな声で叫ぶようにこう言った。
「地獄へ行ってしまえ!(Go To Hell !!)」
般若のような顔を見ていると、とてもじゃないけど彼女の話を聞いて天国に行けるとは思えないけど、それでも彼女と一緒にキリスト教の天国へ行くよりは、地獄の方がいいかも、と思ったのはここだけの話だ。
足を踏み鳴らしながらエレベーターのある方向へ歩いていく彼女を見送る。
実は小さな声で、「Okay」と呟いたんだけど、彼女には聞こえていなかったようだ。
ま、聞こえていたらもっといろいろと罵倒されていた気がするので、よしとする。
あまりの声の大きさに、別の病室にいたナースが顔を出してきたけれど、あたしは何でもない、大丈夫、と声をかけてから、仕事に戻る。
あたしが住んでいるこの辺りは、キリスト教教徒が多い事で知られている。バイブルベルト(聖書の帯と言えるほど、キリスト教信者ばかりが住んでいる)、という異名を持っているほどだから、とにかく周囲にはクリスチャンばっかり。
強引な勧誘を受けたこともあり、一時はキリスト教にいい感情を持っていなかったこともあったけど、仲のいい友達の中には全く押し付けてこない人もいて、人それぞれなんだな、と思ったこともある。
そうして、さっき行こうとしていた隣りの病室の患者さんのバイタルサインを調べている時に、ふと昔働いていた老人ホームでの会話を思い出した。
そこに住んでいたルースは、あたしの事を凄く気に入ってくれていた敬虔なクリスチャンだった。
「チカは、やっぱりブッディスト以外は駄目なの?」
ほぼ毎回彼女と2人きりになるとそうやって聞かれてきてた。
「そうだね。キリスト教は、あたしが信じるものじゃないと思う」
そしてあたしの返事もほぼ一緒で、クリスチャンになる気はないと言うとがっかりしていた。
「私はチカを気に入っているから、あなたが死んだ後に地獄に行くのかと思うと、それが本当に心配なのよ」
「どうして地獄に行くと思うの?」
「だって、クリスチャンじゃないんだもの」
あたしは彼女と話すまで、(キリスト教を信じている人たち全員じゃないけれど)クリスチャンはキリスト教以外を信じている人は死後に地獄へ行くと思っている事を知らなかった。
別に今日地獄へ行くと言い切ったあの人だけじゃなくて、何度かあんな風に言われた事がある。
だから、ある日、ルースにこんな事を言った事があるんだった。
「じゃあ、ルースは全世界の人口の70%が地獄へ行くっていうの?」
「えっ? どういう意味?」
「あのね。世界の人口が何人かって事は憶えていないけど、確か全世界人口の30%がクリスチャンなのよ」
これは昔読んだタイムスマガジンに載ってきた記事から得た知識だ。もしかしたら憶え間違いがあるかもしれないけど。(苦笑)
「だから、ルースが言うように、キリスト教信者以外は全員地獄へ行くとしたら、30%しか天国へいけないって事になるんだけど、どう思う?」
あたしが言った事など今まで考えてもいなかったんだろう、そう問いかけた途端に考えるような顔をした。
「本当に、キリスト教信者って30%しかいないの?」
「うん。確かそうだったよ。それにね、どの宗教にも天国と地獄の概念はあるんだって。仏教にも、もちろん天国と地獄って言う考えがあるんだよね」
あたしが言う事を有り得ないと決めつける事もしないで、ちゃんと聞いて考えてくれるルース。
そんな彼女があたしは好きで、彼女の頼みであれば聞いてあげたいけれど、こればっかりはねぇ。
どちらかと言うと無信心者であるあたしではあるけれど、ここで何も信じていないと言うと無理矢理にでもキリスト教を信じるようにと言われると困るので、人前ではブッディズムで通している。
(実際酷い目にあった経験有り)
なのであたしが偉そうにお説教をするのは間違っていると思うんだけど、それでも可愛がってくれている人には偏った考えのままでいてもらいたくない。
「あたしはルースが信じる神様を否定しないよ。だって、それはルースが決めた事でしょ?」
「そうね・・・私の家族はみんなクリスチャンだから」
「ね。周りがみんなそうだと、同じような考えになっちゃうよね。だから、あたしもそうだって思わない?」
「どういう意味?」
「だから、あたしの回りには仏教徒しかいなかったのよ。正直言って、実家の近くに教会は小さいのが1つあっただけ。その代わりお寺や神社はたくさんあったけどね」
この辺りの人には仏教と神道の違いが判らないし、神道の説明をしてくれと言われてもちゃんと説明できるかどうか判らないから、ついつい自分の事をブッディズムと言ってしまうんだよね。
ブッディズムであれば、よく知らなくても言葉は知っているだろうから。
「そんなところに住んでいるとね、考えがブッディズムになるんだよね。それが当たり前なの。ルースがクリスチャンしかいない環境で大きくなったのと一緒。そんな相手に面識のない宗教を信じろって言っても、押し付けにしかならないと思わない? 」
「そう、ね」
「そうそう。 だからね、お互い信じたい宗教を信じればいいんだと思うよ」
うんと頷いてニカっと笑うと、その顔を見てルースも苦笑を漏らした。
「もしね、無理矢理宗教を押し付けられたら、あたしだったら反発しちゃうよ? それを信じないと地獄へ行くぞ、なんて言って脅されたら、いいよって返事しちゃう。地獄でもどこでも行かせてくださいって言っちゃうよ、多分」
「チカ、駄目よ、そんな事言っちゃ」
「うん、判ってる。だから、無理矢理押し付けられたらって言ったでしょ」
「仕方ないわね」
困った子供を見るような顔を向けてくるルースに、あたしはにっこりと笑ってみせる。
多分納得していないんだと思う。でも、あたしの言葉でこれ以上言ってもあたしが改宗する確率は低いということは納得したんだと思う。
だから、そうだよって見せるために笑ったのだ。
そんなルースは2年前に亡くなったと、老人ホームで働いている人から聞いた。
彼女は、望み通り天国へ行ったのだろうか?
キリスト教信者、本当に多いです。職場にもたくさんいて、ランチの時間に聖書を読んでいる人もいます。
ある意味羨ましいかも・・・・・(^_^;)




