21.AC 紫色のおしっこ
今回はシモの話なので、苦手な方はパスしてください。
なんだかんだと言って、ここで働いている年数だけは長い。
ホント、年数だけ、なんだけどね。なんせ、もともとは週に1日しか働いてなかったからなぁ。
なんて事を考えながら、ナースコールで呼び出された患者の部屋へと歩いていく。
コンコンとノックをしてからドアを開ける。
「大丈夫ですか?」
そう言いながら入ったら、顔見知りの患者さん。
名前は憶えないようにしているから憶えていないけど、顔を見れば思い出せる。
「あら? ひさしぶりね〜」
「そうですね。でも、ここで久しぶりって言うのはあんまりよくないんですけどね」
「そうね。確か、次はウォールマートで会おうねって言ってたわよね」
「そうそう。でも、会えて嬉しいですよ?」
あら、嬉しいわね、なんて言いながら笑っている患者さんの傍へ行きながら、手にしていたクリップボードに挟んでいる紙を見て名前を確認する。
あぁ、そうそう、ミス・ギャバード、だったっけ。
名前を憶えないようにしているのは、患者の守秘のため。何かの弾みで名前を口にしないように気をつけるのが大変だから、そのためになるべく部屋の番号で憶えるようにしているんだ。
じゃないと何かの拍子で本名を言っちゃうかもしれないから。
友達や知り合いに仕事の事を聞かれたりするから、そう言う時は病気の話をネタでするんだけど、そう言う時に 思わず名前を言っちゃうかもしれない。
それが知らない相手ならいいけど、もしかしたら話している相手の知り合いかもしれない。
そんな事まであたしは知らないから、患者の名前はタブーだ。
と、これでも一応考えてはいるんだよね。(一応だけど、ね)
でも、こうやって顔を見ると前回の入院中の会話も思い出せてくるからおもしろいよね。
「すぐじゃなくてもいいんだけど、あとでコーヒーを持ってきてくれると嬉しいわ」
「え〜っと・・・確か、ブラックにクリーマー2つでしたっけ?」
「そうそう、よく憶えてくれてるわね?」
「全員じゃないですけどね。たまに憶えている人もいます」
「そうなの?」
全員の好みは憶えられない。けど、彼女は前回の入院の時に4−5回コーヒーのためにナースコールで呼ばれたから、それで憶えているんだよね。
その当時、忙しい時にって思てイラっとしたんだけど、そのこと事は黙っておこう、うん。
「他にも憶えてますよ、ほら、パープル・ピー(紫のおしっこ)もね」
「あら」
そうなのだ。あの時の事をよく憶えている理由の1つが、これ。
入院してきていきなりあたしに言った言葉が、『あなた、紫色のおしっこした事ある?』だったのだから。
思わず声に出して『はぁっ?』と言っちゃったのは許して欲しい。
だって、そんな色のおしっこなんて見た事ないんだもの。
ここは病院だからいろんな患者が来る。だから、当然患者たちのみたくもない排泄物を見る機会も多い訳で・・・・
特におしっこは、本当にカラフルなんだよね〜。
黄色は当たり前だけど、クスリのせいでオレンジ、緑、青なんて色もあるし、脱水症状で濃い茶色と化したものもある。それに血が混じって赤かったりなんて言うのもあるし・・・
そういえば以前雨の日によく話すナースが、外に出られないから綺麗なレインボウ(虹)はみれないけど、病院の中ではではレインボウ・ピーが見られる、なんてジョークを飛ばしていたっけ。
あれには返事に困ったけど・・・・・まぁ、苦笑まじりに笑っておいた記憶がある。
話が脱線しちゃった。
ということで、いろいろなピー(おしっこ)は見た事あるけど、さすがに紫色というのは見た事がない。
彼女も結局入院中にはその色のおしっこはしなかったしね。
ま、時々そう言った色のおしっこが出るんだ、という事なので、私は2日間しかお世話をしていないから仕方なかったのかもしれないけど。
「よく憶えてるわね」
「そりゃそうですよ〜。だって、そんな色のピーなんて見た事ないもの」
「私だっていっつもそんな色って事じゃないのよ? 本当に時々なんだから」
「それで、今回の入院はそのせいですか?」
やっと原因が判ったんだろうか?
「ううん、高血圧、高血糖値のせい」
「あ〜、そう言えば、血糖値、高かったですよね」
「そうなのよね、具合が悪かったから夜中にERに行ったんだけど、そしたら血糖値が400越えてるって言われちゃったのよね。それで、そこで暫く様子を見ていたんだけど、反対に500越えそうなくらい上がっちゃったから、入院になっちゃった」
それは・・・ハンパない数字だなぁ、と彼女に同情する。
健康な人の血糖値って言うのは大体70−110くらいで、70より低いと低血糖値という事でオレンジジュースなんかを飲んで早期にあげてしまい、それからチーズやピーナッツバターなんかのタンパク質を食べさせて、上がった血糖値をその数値で維持するようにする。
反対に高過ぎちゃうと、すぐにすぐはどうしようもないからとりあえずインシュリンなんかでコントロールして、それから食事療法なんかを取り入れてゆっくりと体質改良して、そう言う事でコントロールできるのであればそうする。
「それで、血糖値チェックを1時間ごとにしなくちゃいけないんだ」
「そうそう、ごめんね」
「いえいえ、あたしよりミス・ギャバードの方が大変ですよ。だって痛いでしょ?」
血糖値チェックをする度に、血液採取のためにあたしに刺されちゃうんだから、ミス・ギャバードの方が痛くて大変に決まっている。
なのに、謝られちゃうと困るなぁ。
「さっきナースがチェックした時は320だって言っていたから、ちょっとはマシなんじゃないんですか?」
「どうなのかしらねぇ。あまり感じないんだけどね」
う〜ん、あたしは糖尿とは縁がないから判らないけど、そういうもんなんだろうか?
「そういえば、もうパープル・ピーは無いんですか?」
「あれからも時々あったわよ」
前回の入院の時に、肝心のパープル・ピーがでなかったから検査できなかったので、結局原因を突き止める事が出来なかったんだ。
「でも、まだ判らないんですよね?」
「ううん。それがね、今回はさっきERにいる時に出たの」
「えっ? じゃあ」
「原因、判っちゃった〜」
凄く嬉しそうに笑うミス・ギャバードには申し訳ないが、嬉しそうに言う事なんだろうか?
まぁ、原因が判ったって事は嬉しいんだろうけど、この会話でその顔は無いような気もする。
でも、原因が判ったって言うのはいいニュースだよね、うん。
「それで、何が原因だったんですか?」
「尿バッグ症候群(Urine Bag Syndrome)だって」
尿バッグシンドローム? 何だ、それ?
ハテナマークが顔中に出ていたんだろう、ミス・ギャバードが苦笑まじりにすぐ側に立っているあたしの足を叩いてくる。
「そうよね〜、私も聞いた事の無いシンドロームだったのよ。だから、ERのドクターに聞いたら、珍しいんだって」
そりゃそうだろう、だって、あたしも見た事無いもん。
「なんかね、フォリー(尿カテーテル)をしている人には結構あるみたいなんだけど、私みたいにそんなものをしていない人には本当に珍しいみたい。だから、最初私がパープル・ピーの事を言った時に、すぐにそれと結びつかなかったらしいのよね」
「ミス・ギャバードって、フォリーしてないですよね?」
「してない、してない。した事も無いわよ」
「だったらなんで?」
よく判んないよ。だって、フォリーを付けている人に起きる症状が、なんで付けていない人に起きちゃうんだろう。
「バクテリアのせいで、それに反応して色がパープルになるんだって。だからそのバクテリアが繁殖しやすい環境がフォリーらしいわね」
「なるほどね〜」
尿感染症みたいなものなのかな?
「だから、フォリーも付けてないから、最初にその可能性は却下されて他の方面で調べたから、それで判らなかったみたいね」
「そう言うこともあるんですね」
「チカもフォリー付けてる患者さんがいるから、見た事あるんじゃないの?」
「いいえ、あたしはないですね。オレンジとか緑や青だったらありますけど、紫は見た事無いです」
今でもどんな紫色だったのか、実は大変興味がある。
でも、もしかしたら見た時に、こんな色か〜とがっかりする気もするんだけどね。
というか、記録する時に困るようなものもあるのだ。
特に泌尿器科の先生の用語が面白い。
コンピューターでチャート(記録)するときに、尿の特徴をその中から選ぶんだけど、色にハワイアンパンチなんて言う表記やトマトペーストって言うのがあったりして、そんなチャートをしているだけで食欲が落ちそうなチョイスが意外と多い。
確かにそう言ったものの方がこちらとしてもどんなものか想像ができるんだけど、それにしてもねぇ。
同様に大きい方(大便)も色々な表記がある。確かに形状を記録しないと、実物を見ていないドクターとしては判断が出来ないって言うのは判るんだけどねぇ。
ただ、その中にカレーって言うのが無いだけマシ。こっちではカレーはアメリカ人の一般的な食べ物じゃないので、本当にありがたいと思っている。
ただ、家でカレーを作った時に弁当で持っていくかどうかで、本気悩む事はここだけの話。
「でも、よかったですね。ずっと心配されていたから、パープル・ピーの原因が判っただけで、少し気分的に楽になりますよね」
「ホント、そうよねぇ。結構真剣に心配していたのよね、これでも」
「そりゃそうですよ。判らないと治療も出来ないし」
「そうそう、それに難しい病気だったらって、思ったらやっぱりね」
うんうんと頷くミス・ギャバードと一緒になって、あたしも頷く。
それにしても、もし将来あたしから紫色のピーが出てきても、彼女のおかげで原因がある程度予測できるようになったって言うのは嬉しいかも。
そう思った事が顔に出ていたのかもしれない。
ふと目が合った時に、ミス・ギャバードがニヤッという感じの笑みを浮かべた。
「チカは心配しなくても大丈夫ね。だって私で知ったもの」
「えっと、そう言う意味じゃ」
「いいの、いいの。そうやって色々知っている方が、将来役に立つわよ。私も息子たちにもしこんな色のピーが出たら、バクテリアに感染しているからって言っちゃったもの」
さすがに5歳の孫に忠告しようとしたら叱られちゃったけど、と付け足すミス・ギャバード。
うん、あたしでも止めると思うな、それ。
「じゃ、とりあえずコーヒー、取りに行ってきますね」
ふと時計を見ると、既にここに15分以上いる。
まずいまずい。のんびりしていると仕事が溜まっちゃうよ。
「よろしくね、急がなくてもいいから」
「いえいえ、すぐに持ってこないと忘れちゃいますから、すぐに持ってきますね」
正直に言うと、笑い声を上げたミス・ギャバード。
それを背中にあたしは部屋を出た。
私もネットで調べたけど・・・英語文は難しくてよく判らなかったです。グーグルで和訳したけど、それでも専門用語・・・う〜んと唸りながら、結局はナースに聞いて納得しました。(苦笑)




