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20. ICU 自殺願望者

 今回はちょっとシリアスなお話です。

 今日はICUという事で来たら、やっぱり何となく思っていた通り見張り番だった。

 「おはよ、エドナ」

 「おはよ、チカ」

 病室と病室の間に作られているスペースに座ってこっちに手を振るエドナに、あたしは手を振り返す事無く肩にかけていたランチボックスを足下においてから彼女の隣りに座る。

 「チカが私の次?」

 「そうみたい・・・さっきジェシーが今日はICUでシッターだって言ってたから」

 そう言いながら病室に視線を向けると、エドナも同じように中を見る。

 薄暗くしてある病室のベッドにはかなり年配の男の人が眠っているのが見える。

 「ねぇ、リストレインしてるの?」

 「そう、ちょっと暴れたからね、ドクに許可を取って」

 リストレインというのは、拘束の事。意識不明でも体に付けられているチューブを抜き取られたりすると命の危機に関わるから、医療上どうしても患者を束縛しなければいけない時にする手段だ。

 「もう3回点滴を抜いちゃったのよ。それにベッドから降りようとして暴れてナースたちを殴るから、こっちと患者の安全を考えるとね、仕方ないっていうか」

 「あぁ、そうだよね。でも安静剤はいれてないって事?」

 「点滴で定期的に入れてるんだけど、それでも暴れちゃってね。あの状態でしょ? 飲み薬は無理だから、どうしても点滴を使ったものになっちゃうんだよね」

 確かに無意識で暴れる人相手に、飲み薬を飲めとは言っても無駄って事か。

 「それで、あの手首の包帯はリストレインのため?」

 ふと、患者の手首の包帯が目に入る。両手首にしてある包帯はその上にリストレインのための手首カバーがあるから、普段はそう言う事はしないけど、もしかしてって思ったんだ。

 「違う違う。彼、両手首を切ったんだよ。それを姪だったかな? が見つけてここに運ばれたって訳」

 「リストカット?」

 「そう、結構深かったみたいで、ERのドクターが縫い合わせたって言ってたわよ? それもあってあまり暴れて欲しくなかったみたいね」

 なるほど、と思いつつ、それで自殺願望という事でシッターがついたんだと納得する。

 「エドナは彼と話したの?」

 「ううん、暴れたら抑えつけるための手助けはしたけどね。でも、まともな会話なんてしてないわね。彼もなんだか意識が混濁しているみたいで何を言っているのかよく判らなかったのよ」

 「そんなに暴れるの?」

 あまり暴れると困るな、と思いつつ聞くと、ニヤッと笑ってからエドナが頷いた。

 「夜中の2時にここに来たんだけど、それからず〜っと暴れっぱなし。やっと薬が効いておとなしくなったところだよ」

 「って、ラッキー?」

 「どうだろうね。ERでも安静剤を何度か投与したらしいけど、それもあんまり効き目がなかったって言うから、もしかしたら今だけかも」

 「ちょっと、変なジンクスしないでしょ。どうせならこれから半日はおとなしくしてるかもって言うジンクスの方があたし的には嬉しいだけど?」

 一日暴れる人間の見張りって言うのは、本当に体力仕事なんだから、それは出来れば勘弁してもらいたい。

 「だってこればっかりは判らないじゃない? もしかしたらチカの言う通りかもしれないし、私の言う通りかもしれないでしょ」

 「あ〜、はいはい。判ったわよ」

 全く、がっくりする事しか言ってくれないんだから。

 そうは思うもののそれ以上言い返す言葉も無い。

 仕方ないからそれ以上からかわれる前に、もう少し患者の状態を教えてもらって、軽く手を振って帰って行くエドナを見送った。



 暫くはただ眠っているだけの患者さんであるミスター・シャープを見ているだけだったんだけど、朝も10時を過ぎる頃になると安静剤が切れたのか、身動きをするようになってきた。

 ぐいっと腕をあげようとするものの、拘束のために取り付けてある手首から伸びているヒモがベッドの下の部分にある輪っかにつなぎ止められているので、腕は20センチほどしか持ち上げる事が出来ない。

 「うぉお〜〜」

 何度か繰り返すうちにままならない腕に腹が立ってきたのか、よく判らないうめき声と言うか叫び声というか、とにかく変な声を発し始めた。

 「ミスター・シャープ、大丈夫ですよ。落ち着いてください」

 「うぉおっ。あぁ〜」

 「そうやって動かすと、腕の傷口が開いちゃいますよ。だから、じっとしていましょうね」

 「あああっ、ノー」

 こちらの言葉はきっとあまり伝わっていないんだと思う。

 だって、彼はただ腕を動かそうとしているけど、あたしの声に反応しているようには見えなかったから。

 そうやって暫くは傍にいて落ち着くように声をかけていたけれど、あまり効果は無いみたいで、それを見かねたのか、担当のナースであるエルドンがやってきて、点滴を使って安静剤を注入した。

 「すぐには効かないと思うけど、でも10分くらいしたら落ち着くと思うから、それまでは傍で声をかけてやっててな」 

 「は〜い。あんまり役に立ってないと思うだけどね」

 「それでも、傍で人の声がするって言うのは気持ち的に落ち着くと思うからさ」

 多分彼は病院にいるなんて事に気づいてないと思うから、そう付け足してからエルドンは次の患者の部屋に向かった。

 それを見送りながら、必死で腕を動かそうとしているミスター・シャープの手をそっと握ってやると、見た目からは想像もつかないような強い力で握り返される。

 「うわっ、ちょ、ちょっと痛いです」

 握りかたが中途半端だったせいか、指先が凄く痛い。

 だから痛いといったんだけど、相手にはもちろん判ってないみたいで、なんとか力を緩めてもらおうと指を開こうとする。

 「ほらほら、少し力を抜いてくださいね〜。そうそう・・・もう少し・・・・よしっ」

 なんとか指先を少しだけ動かせるだけの隙間を空けてもらえて、指の位置を調節してからそのまま手を彼に預ける。

 これだったら少々強く握られてもそれほど痛くない。

 「メアリー」

 「メアリー?」

 メアリーって言った気がするんで聞き返したけど、返事は返ってこない。

 なのでそのまま黙って彼の傍に座って、握られた手を預けたままもう一方の空いた手で彼の腕をそっと擦る。

 「メアリー」

 「ミスター・シャープ?」

 「メアリー。俺が殺したんだよ」

 Killって言ったよね。殺した? 

 「そんなつもりじゃなかったんだ。けど、ボブは死んでしまった」

 「ミスター・シャープ?」

 「俺が、ライフルで撃ったんだ。殺すつもりなんて全くなかったのに・・・」

 声が少しづつ小さくなっていって、最後の方はちゃんと聞き取れなかったけど、それでもミスター・シャープの口から出た言葉は凄く衝撃的で。

 もしかして、そのせいで自殺を計ったという事なんだろうか?

 「メアリー・・・・俺は許されない事をしたんだよ・・・・だから死んで謝るしか無いんだ・・・」

 「駄目ですよ。死んじゃったら駄目です。そんな事してもボブは喜ばないです」

 「しかし俺がいなかったらボブは死ななかったんだよ。メアリー、助けてくれ」

 メアリーって一体誰なんだろう? 奥さんかな?

 それにボブって人は? ミスター・シャープの親友、それとも?

 疑問は頭にいくつも浮かぶけれど、答えはもちろん判らない。

 ミスター・シャープはぶつぶつとまだ何かいっているけれど、だんだん口の中で呟くだけになってきて、あたしにはそれ以上の言葉は聞き取れなかった。

 

 

 それからはずっと眠ったままで、あたしは力が緩んだ彼の手から自分の手を抜き出して、最初に座っていた病室と病室の間にある席に戻る。

 コンピューターで15分ごとの記録をしながらも、頭から離れないのは先ほどのミスター・シャープの言葉だった。

 当たり前だけど、いくら考えても判る筈も無く。

 それからランチを食べて夕方に近くなった午後4時頃、2人の女性が病室の前にやってきた。

 「あの・・・ここ、ランドルフ・シャープの部屋ですか?」

 「あっ、はい。でもちょっと待ってくださいね」

 ミスター・シャープは精神疾患患者レベル1なので、訪問者と会わせる事は出来ない。

 なので、彼の担当ナースであるエルドンに声をかけた。

 「エルドン、この人たち、ミスター・シャープのところに来たんだけど?」

 「ああ、判った」

 あたしがかけた声にやってきたエルドンは、2人をナース・ステーションに連れて行ってから何かを話しているようだけど、ここからは何を話しているのかも聞こえない。

 けど、ほんの数分ほどで3人がこちらにやってくるのが見えた。

 「チカ、この2人は会わせてもいいから。ちゃんとドクターにも許可を貰ってる」

 「はーい。他にも会わせてもいい人っていますか?」

 「いや、今はまだこの2人だけにしておいて。それ以上の事はまた彼女たちと話し合ってからになると思うから」

 彼女が彼のガーディアンなんだ、と付け足してきた。

 痴呆症を患うようになってから、弁護士を通してそう言う話になったから、その時にきちんと書類も揃えたそうだ。

 「ミス・メアリーとミス・ジェシカだよ」

 「叔父がお世話になっています」

 「いえ、あたしは何もしてないですよ」

 そう言いながらも、2人を中に案内しているうちにエルドンはさっきまで座っていた場所に戻って行く。

 中に入ると2人はそっとベッドの両方からおじさんであるミスター・シャープの手を握りしめた。

 ミスター・シャープは薬で眠っているせいか2人に反応はしないけれど、それでも2人は気にしないまま握りしめている。

 あたしは部屋にある椅子を引っ張ってきて、2人の傍にそれぞれ置いたから、座るように促す。

 「ありがとう」

 「彼の様子はどうかしら?」

 それぞれがお礼を言ってくれてから、気になっていたのかミスター・シャープの事を尋ねてくる。

 「そうですね・・・申し訳ありませんが暴れるので、今は安静剤を与えています。それから、同じ理由で手の自由を拘束させてもらっています」 

 「あぁ、それは仕方ないわね。手首の傷には支障はないんでしょう?」

 「そのこともあって拘束するという手段をとっているようですね。傷口を縫ったので開かないようにするためにも眠らせておとなしくしてもらっているようです」

 それだったら仕方ないですね、と椅子に座りながら返事をしてくれたのは、多分メアリーさんだと思う。

 「あの・・・ボブって言う人、知ってますか?」

 「ボブ?」

 「そうです・・・あのですね、今朝の話なんですが、ミスター・シャープがメアリーさんに謝っていたんですよ。その・・・・ボブを殺したんだって言って」

 「えっっ?」

 驚いた表情を浮かべたメアリーさんに、私は申し訳ないと思いつつ今朝の出来事、というか今朝ミスター・シャープが口にした事を出来るだけ思い出して伝える。

 「・・・というわけで、ちょっと気になっちゃったんです。多分、それが原因で今回の自殺未遂を起こしたんだろうと思って」

 「そうだったの・・・でも、ボブは10年前に亡くなっているのよ」

 「えっ?」

 「アンクル・マシューのいうボブは、多分彼の隣人だった人だと思うわ。その人とアンクル・マシューは凄く仲のいい友達でもあってね」

 「まさか、10年前にライフルで殺したなんて事は・・・」

 「それは無いわ。ボブは10年前にガンで亡くなったの。アンクル・マシューがライフルで撃ち殺したなんて事はないわ」

 それを聞いてホッと息を吐き出した。

 本当の事をいうと、実はもしかしたらなんて事も思っていたんだ。

 だって、ここは銃社会。そんな事があっても不思議じゃない。現にあたしのダンナの知り合いにも何人か撃たれた事のある人がいるくらいだから。

 「痴呆症だから、もしかしたら頭の中でそう言う事になっているのかもしれないわね」

 「そうね・・・この2年ほどは物忘れも酷かったし」

 「あの・・・お二人は姪なんですよね? あたし、最初彼がメアリーって言ったのを聞いたとき、てっきり奥様の名前だと思っていました」

 「アンクル・マシューは結婚した事ないわ。生涯独身で、ガールフレンドがいた事もあんまりなかったし」

 「そうそう、仕事が一番だって言ってたわよね」

 メアリーさんとジェシカさんの2人でうんうんと頷いてから、トラックの長距離運転手をしていたんだと教えてくれる。

 「だから、仕事を辞めて引退してからは隣りに住んでいたボブと一緒に釣りに行ったりして、あとは私たちの子供の子守りをしてくれたりとかね」

 「そうそう、結婚なんてめんどくさい事したくないっていつも言ってたわね」

 2人でくすくすと笑いながら話してくれるミスター・シャープは、本当に良い人みたいでホッとする。

 なんといっても本当に人を殺してなくて良かったよ。

 けど、そう思い込んでいるミスター・シャープに何を言えばいいのか判らない。

 痴呆症だという事だから、多分あたしが何か言ってもきっと頭に残らないだろうし、それは彼の姪が言ったとしても同じ事なんだろう。

 どうすれば良いのかなぁ、と思いつつあたしは自分の座っていた定位置に戻った。






後日談


 ミスター・シャープは、結局一人で家に帰らせることが不安だという事で、老人ホームに入る事になった。

 彼の姪が選んだ老人ホームは、そのオーナーがハンド・オブ・メイデンという宗教に所属しているという理由で、テレビが置いていない。

 テレビで殺人事件などのニュースが耳に入らない方が、自殺未遂の原因となった親友射殺事件というような想像をしないのではないか、という理由らしい。

 というのを、次にそのフロアで働いた時にエルドンが教えてくれた。

 彼は結局、最後まで親友を殺したと言っていたそうだから、確かにその方が良いのかもとあたしも思った。

 だって、何もしてあげられなかったから、せめてこれからはもう少し心穏やかに暮らして欲しい。






 こういう時は、本当に自分が無力だと感じます。

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