2. ER 死体運び
「チカ、今日はERに行ってね。」
毎朝お決まりの会話が、今日の行き先を教えてもらうこと。
ディレクターのいる3階のナースステーションで、その日の行き先を教えてもらうのが、朝一番のあたしの仕事。
ということで、今日はER、エマージェンシー・ルーム。
多分、日本では救急救護室という名前なんだと思う。
とはいえ、日本の救急救護室と、アメリカでのERはちょっと性質が違うんじゃないかな、と思う。っていうか、ここは超が付くような田舎だから、余計にそう思うのかもしれないけど・・・
ここのERは急患の患者の他に、保険を持っていない患者がやってくるところでもある。
アメリカは医療費が無茶苦茶高い。日本の医療費を思うと、暴利と思ってしまうほどに高い。保険を持っていても、それでも高いと思ってしまうくらい。
だから、保険を持っていないと、とてもじゃないけどビンボー人には行けない。そしてその医療保険も無茶苦茶高いから、低所得者にはとてもじゃないけど払えない。なんせ家族割引があっても月に300ドル以上が相場なのだから。
病気になって普通のクリニックへ行くと、その場でお金を払わなくっちゃいけない。だけど、ERの場合、その場で支払いをする必要はなく、後日郵便で届けられてくる請求書の金額を月賦払いできる。だから、お金の無い人でも、いざと言う時に診て貰うことが出来る。そして、病院のERはそんな支払い能力のない患者でも、患者は門前払いをしてはいけないことになっているから、お金の無い人達が利用する場所にもなってしまっている。
とは言え本当の急患もガンガン入るから、バタバタする時は半端じゃない。
「おはようございま~す。」
「おっ、今日はチカが来たんだ。」
「そうで~す。お手柔らかにお願いしますね~。」
すっかり顔なじみの看護婦さんたちに、朝の挨拶。英語だから、はっきりとした敬語なんてものはないも等しい。だから、相手が医者だろうと友達だろうと、はっきり言って話すノリは一緒。きっと、本当はちゃんとした使い分けって言うのもあるんだろうけど、そこは外国人だからといういい訳を使ってやり過ごす。
ERのナースステーションに入ると、壁に掛かっている電光掲示板に目をやる。そこには病室の番号と、そこに入っている患者のイニシャル、それに症状、検査の有無が表示されている。
それを見れば今何人の患者がいて、どうしてここに来ているのか、検査は済ませたのか、といったことが判るようになっている。
それによると、今ERにいる患者は1人だけ。MVAとあるから、交通事故患者だ。MVAは、Motor Vehicle Accidentの略で、大抵の症状はこんな風に簡略に記されていて、一般の人が見てもすぐに判らないようになっている。だから、名前もイニシャルで、フルネームではない。そうやって患者の個人情報を保護しているんだとか・・・・
取り急ぎあたしの出来ることはないな、と判断してから戸棚からいつものチェックリストを取り出して、空いている部屋の備品のチェック。ナイトシフトが既に済ませているはずだけど、でも一応確認を兼ねてすることになってるから。
『こちら、EMT。応答願います。こちらEMT。応答願います。オーバー。』
不意に、ナースステーションにおいてある無線から、そう声が聞こえてきた。
EMTっていうのは、Emergency Medical Teamのこと、つまり救急車の乗員からの無線ってことになる。
「こちらER。ジェーンです。オーバー。」
無線に近いところに座っていた看護士のジェーンが、すぐに対応するために無線機の前に座って返信した。通話終了の合図として、お互い最後に『オーバー』と1言つけることになっている。
『ただいま45号線北から連絡してます。交通事故によるボディーの受け入れをお願いします。オーバー。』
「ボディーのみですか? オーバー。」
『そうです。交通事故、死者1名、負傷者1名。負傷者はそちらの方が近いので、北上して上の州の病院に搬入しました。オーバー。」
ボディーと言うのは死体のこと。ここは州境に近い町なので、こういう時は州が違っても近い方に患者を搬送することができる。ただ、遺体の方はもう急ぐ必要がないから、死者の住まいに近い方に送られる。
「判りました。用意して待ってます。オーバー。」
通話が終わったのか、ジェーンは立ち上がってこちらを振り向いた。
「交通事故で、ボディーだけここに来るみたい。20分くらいで到着の予定。」
「モーグ用のガーニーの空きは?」
「ある筈だけど・・・・一応確認しておいてくれる?」
モーグは死体置き場、っていうか死体を入れることの出来る冷蔵庫といったほうが判りやすいかも。ガーニーって言うのは運搬用のテーブルのことで、これはステンレススチール製で、手入れがしやすいようになっている。
ガーニーは普段ERでは使わないので、用具置き場のようなところに置かれている。
ジェーンに言われて、JJが確認のためにERを出て行った。
あたしがすることは特にないので、JJを見送って、ジェーン達に手を振ってから、先刻までしていた備品チェックに戻った。
しばらくして、救急車用の搬入口がざわつきはじめた。
ってことは、きっと先刻言っていたボディーが到着したんだろう。
あたしはあと2部屋で終わり、と思いつつ、チェックリストとにらめっこ。このリストは4ページからの備品のチェックだから、結構時間が掛かる。と言っても、慣れてくるとそれぞれの引き出しに入っている物の数を数えて、何品あるかでOKを入れちゃうんだけど。いちいちあれだこれだって名前なんて見てると時間が掛かってしょうがないもの。
「おーい、チカ。ちょっとこっちに来てくれよ。」
JJのでかい声がERに響く。
おいおい、ここはERだぞ。他に患者は1人しかいないとは言え、そんな大声を出さないで静かにしないといけないのに。
「何、JJ? あたし、忙しいんだけど?」
「いや、ちょっと人手が足んないんで、手を貸してくれるといいなと思ってな。」
そう言ってにこやかな笑みを浮かべて、JJはあたしの方にやってくる。
だけど、その笑みに嫌な予感を読み取ってしまうのは、別にあたしの意地が悪い訳じゃないと思う。
「あっちにジェーンもエイミーもいるじゃん。あたしは今忙しいの。」
「あいつらは、これから搬送されてくるって言う、老人ホームから来る患者の受け入れ準備で忙しいみたいでさ。」
嘘かホントわからないけど、そう言われてしまうとそれ以上無碍に断れない。
ドアのところに立っているJJの後ろを伺うように、体を動かして外を見ると、確かにジェーンたちがトラウマ・ルームの準備をしている。
「手伝いって、なんの?」
「ほら、今ボディーが到着してさ。それをガーニーの乗せないといけないんだけど、人手が足りなくってさ。」
あたしにボディーバッグを運べと言ってるのか?
やっぱりあたしの嫌な予感は当たってた・・・・
「え~っ、やだよ。そんなの、救急隊員たちがいれば十分じゃん。」
「いやいや、そんなことないよ。」
「えっ、ちょ、ちょっと待ってよ。」
と言われて待つようなJJじゃない。彼はそのままあたしの手首を掴んで、そのまま救急車用の搬入口へと引きずっていく。
「マジでヤダってば~。JJ、人の話聞いてんの?」
「聞いてる聞いてる。ちょっとだけ手伝ってくれりゃいいんだよ。」
聞いてない、あんたは絶対に人の話を聞いてない。
何とかJJの手を解こうとするけど、手首を掴む腕の力は抜けない。
そのまま、あたしはずるずると引っ張って行かれて・・・
救急車のストレッチャーの上には、黒いボディーバッグが置かれてある。その周りを3人の救急隊員が囲んで、何か話をしている。
3人のうちの1人は女の人。だから、確かにあたしがそこで一緒に手伝ってもおかしくはないんだろう。
だけど、JJも入れて4人もいれば、ボディーバッグの1つくらい簡単にガーニーに移せるんじゃないの?
「ガーニーのロックが効かなくってさ。動くから、誰かが抑えてないといけないんだ。だから、もう1人手伝いがいるんだよ。」
ホントかよ、と思いつつ、まるであたしの考えてることなんてお見通しって言うJJの言うことは筋が通ってるんだけど、でも日頃のJJの行いを思うと素直に頷けない。
「じゃ、あたしがガーニーを抑えるよ。」
「いや、それはスーがするよ。スーは腰を痛めてるから重いものは運べないんだ。だから、チカはこっちを手伝えよ。」
これまたホントらしい理由を言ってくる。
けれどそれを素直に受け入れられるほど、あたしはJJを信用していない。
眉間に皺を寄せてじ~っとJJの顔を睨みつけるけど、それを彼女の問いただすほど厚顔無恥でもないから、仕方なくため息を一つついてボディーバッグの方へ。
「体の方はおれらが持ち上げるから、頭の方を頼むよ。そっちの方が重くないだろ。」
「判った・・・」
渋々といった態度を隠すこともなく、あたしは言われたとおり頭の方に移動する。
どうやら体の部分を両方からJJと隊員の1人で、足と頭をあたしともう1人の隊員で持ち上げてガーニーに移動させるようだ。
いつまでもふてくされている訳にもいかないから、あたしは他のメンバーがボディーバッグに手を掛けたのを見てから、自分も頭の部分を持ち上げるために手を下の部分に差し入れた。
と、JJの視線を感じて、顔を上げると、壮絶に何かを企んでいますと言う笑みを浮かべたJJと目があった。
嫌な予感がする。
本当っに、嫌な予感がする。
「あのさ、チカ」
「何よ。」
「言い忘れたことがあるんだ。」
もったいぶった言い方と、その顔に浮かぶ笑みで、どんどん不安が増してくる。
それにあわせて、あたしの眉間の皺も深くなっていってるような気がする。
「どうも、かなりのスピードを出してたみたいなんだよね、彼女の乗ってた車。」
「そうなの?」
彼女だったんだ、亡くなったのって。無線ではボディーとしか言わなかったから、判らなかった。
「でさ、事故った時に横転して3-4回転したらしくってさ、運転手は車の中に残っていたんだけど、パッセンジャーは放り出されたみたいで、倒れてるのを見つけたときには頭が無くってさ。」
「・・・・・・」
「丁度事故った場所はちょっとした斜面だったんで、ボーリングのボールみたいに転がっちゃって、警察やこいつらが手分けして捜したんだって。」
話の凄さに、何と言って返事をすればいいのか判らない。
っていうか、そんな話をJJが始めてくるなんて思ってもいなかった。
なのに、本人は相変わらず意地の悪そうな笑みを浮かべている。
「だから、さ。チカ、気をつけて持ってくれよ。頭だけ転がるかもしれないか――」
最後まで聞いてられなかった。
あたしは両手をバッグの下から引き抜いて、JJに腕を捕まれる前にナースステーションに向かって走っていた。
後ろからJJの笑う声が聞こえてくるけど、そんなの気にもならない。
「ジェーン!」
半泣きになりながら、ナースステーションに戻ると、受け入れ準備が出来たのか、ジェーンが椅子に座ってコンピューターの画面を見ていた。
けど、あたしの様子にびっくりして、腰を浮かしかけてる。
「もうっ、JJったら信じられないんだよ~。」
そう言って先刻のJJとのやり取りを話して聞かせる。
「まったく、JJはねぇ・・・」
呆れたようにそう言って、頭を振っている。後ろからいつの間に戻ってきたのか、エイミーが苦笑しているのが聞こえてきた。
「彼は、チカをからかうのが好きだからねぇ。」
「いい加減にして欲しいよ、ホント。」
ムッとしてそう返すけど、本当のことだからそれ以上反論が出来ない。
あたしのことを気に入っているといいつつ、いっつもこうやってからかってくる。
けど、今回のは質が悪すぎる。
「チカの反応が面白くって、するんでしょうね。」
エイミーがそういってあたしの肩を叩く。きっと慰めてくれてるんだろうけど、ちょっともあたしの気持ちは晴れない。
「まぁ、とにかくもう少ししたら救急車が到着するから、それまで一息ついておいたほうがいいわよ。」
「そうそう、救急車が来ちゃうと忙しくなっちゃうからね。」
「判ってるけど・・・」
「ひっどいなぁ、チカは。」
後ろから、ノー天気はJJの声。
ぴくっとこめかみをひくつかせながら、後ろを振り返ると、思ったとおりJJがこちらに向かってやってくるところだ。
「手伝いもしないで、走って行っちゃうんだもんな~。」
「誰があんたなんか手伝うか!」
「え~、看護士の手伝いをするのがチカの仕事じゃん。」
JJの言ってる事は間違ってない。
けど、出来ることと出来ないことっていうのがある。
「ふんっっ。」
でも、どうせJJに口で勝てるわけが無いから、むかつく気持ちを隠す事なく、そっぽを向く。
「JJ、あんたやりすぎだってば。」
「そうそう、話を聞いてても判ったけど、チカの手助けなんて最初っから必要なかったんじゃないの? どうせ、チカをからかうつもりで呼んだんでしょ?」
「いや~、そんなことなかったぞ。いつでもチカの手助けは歓迎だからな。」
そう言って、わっはっはと笑うJJ。それを聞いてるだけで、あたしがああいった反応をすることを知っていて、あの場に呼んで手伝わせたのが判る。
「もう2度とJJの手伝いはしないからねっっ!」
あたしが顔を真っ赤にしてそう怒鳴ったのは言うまでもない。