16.BH 延長コード 後編
「チカ、ナース・ステーションに来てくれる?」
フェイが声を掛けてきた。
あたしはオッケーと返事をして、デイ・ルームにいるみんなにすぐに戻るからねと声を掛けて、フェイの後についていく。
「彼女、大丈夫?」
「多分ね。鬱になってるんでしょうね」
「まぁ、だからここにいるんだろうけど・・・・でも、あれにはビックリしたよ」
「私もよ」
並んで歩きながら少しだけ言葉を交わしてナース・ステーションに戻ると、リンダと夜勤のナースが並んでいた。
「チカ、一応確認のために聞くけど、あの部屋の鍵、開けなかったわよね」
「開けてないよ、っていうか、あの部屋に行く必要ないもの。あたしの持ってる鍵で開けられるの?」
「そうよね、一応確認のために聞いているだけだから。私も今日ちゃんと鍵がかかっているのをチェックしたから、鍵がかかっていた事ははっきりと言えるわ」
どうやら、なぜ鍵がかかっていなかったか、という事を話していたらしい。
あたしが入る必要のある部屋は、患者のシャワー室とその備品の置いてある部屋、それからごみや汚れ物をしまうための部屋とキッチンくらいで、後の部屋には入る必要はない。っていうか、あの部屋に何が入っているかすら知らなかったのに。
ふと、ホールの方をみると、ナース・ステーションの窓口のところにいるのかに来たのか、キャロラインが立っている。
「まだ落ち着いてないみたいね」
「そうだね、ドクターには連絡したの?」
「さっきね。鎮静剤を少し余分にあげてもいいって」
薬で取りあえず落ち着かせようってことか。
なんだかそれだけだと何の解決にもならない気がしないでもないけど、あたしが言える事は何もない。
「ちょっっ、きゃあっっ」
と、キャロラインに話しかけていたナースがドアを開けるためのピーと言う音が聞こえたかと思うと、キャロラインがナース・ステーションに飛び込んできた。
取り押さえる間もなく、彼女はそのままナース・ステーションを突っ切って外に走り出してしまう。
マジッッ?!?
「チカッッ」
「フェイ、コード・オレンジを掛けてっっ」
走るキャロラインを追いかけるあたし。
その後ろから、夜勤のナースが走ってくるのが見える。
だけど今はキャロラインを捕まえるのが先。
とはいえ早い早い。さすが20歳。
そのまま走ってERの裏口まで追いかけると、キャロラインはそこに座り込んでしまう。
その彼女の横に立って、声をかけるけど、返事をしない。
「キャロライン、中に入ろうよ」
何度目かのかけ声に、頭を横に振ってみせる。
フェイに頼んだコード・オレンジはどうやら無視されたようで、誰もやってこない。
まったく。
夜勤のナースが追いついてあたしの隣りに立つ。
「デビー、ハウス・スーパーバイザー(病院全ての監督的な位置にいる人)に電話した?」
「携帯持ってないわよ」
いや、だから、他のナースが電話入れてないの?
そう聞くと、判らないとの返事。
呆れてものが言えない。BHがオープンしてまだ1年と経ってないけど、それにしてももう少しマシな対応ができてもいいんじゃないんだろうか。
だけど、今はそんな事を思っている場合じゃない。
ついさっきメールチェックをした後、キャロラインの事があってそのままポケットにスマフォを入れておいて良かった。
そのままスマフォを取り出すと、アドレスからハウス・スーパーバイザーの番号を呼び出すと、そのままボタンを押してからデビーに渡す。
「キャロライン。とりあえず、中に入ろうか」
「あそこには戻らない」
「どこに行きたいの?」
「・・・・」
精神病棟には戻りたくないというので、どこへ行きたいのかと聞いたけど返事はない。
帰る場所もないってことなんだろうか?
どうしようと思っていると、デビーの会話からハウス・スーパーバイザーであるキムがここに来る事になったようだ。
「じゃ、そりあえず中に入らない? ここ、寒いでしょ。春らしくなったけど、やっぱり日が落ちると寒くなるね」
「寒くない」
「そう? でも、これからどんどん寒くなるよ?」
ゆっくりとした口調で声をかけると、キャロラインはようやく頭を上げた。
「でも、あそこには帰りたくない」
「そうだね。じゃあ、ERに行かない?」
そう言って、目の前にある救急車受け入れ用のERの裏口を指差す。
「あそこ、ERだから、あそこに入ればあったかいよ」
「・・・」
「いつまでもここにいても仕方ないでしょ? ほら、一緒に行こうよ」
小さく頷いてから、あたしの差し出した手を掴んでようやくキャロラインが立ち上がる。
それをみてホッとしながらも、それを顔に出さないように彼女の手を引いていく。
そんなあたしたちの後ろからデビーが付いてくる。
ERの裏口はIDを使わないと入れないようになっている。しかも病院で働いている人間なら誰のIDもいい訳ではなくて、ERかEMSで働いている病院関係者のIDしか使えない。
ラッキーな事にあたしはフロートだから、あたしのIDはこのERの裏口でも使える。
こういう時、フロートで良かったって思うよ、ホント。
と、後ろから人が近づいてくる。
振り返ると、そこにいたのはキム。
外に出てきてくれていたんだ。
「キャロライン、彼女はキム。あたしのボス」
キムは、ニコニコと笑みを浮かべて、キャロラインの肩に触れる。
そのままあたしは彼女から手を離して、場所をキムに譲る。
「ハイ、キャロライン。私はキムよ。大丈夫?」
「・・・」
キャロラインは黙って頭を振る。
そんな彼女の背中をポンポンと叩いてから、キムは彼女が顔を上げてキムをみるのを待つ。
「じゃあ、私と話をしない? 何でも言ってくれていいから」
「何でも?」
「そう、なんでも。今日は大変だったって聞いているわ。その事、話してくれる?」
小さく頷いたキャロラインをみて、キムがその背中をそっと押して歩くように促す。
「でもここじゃ話なんてできないから・・・そうね、どこに行くのがいいかしらね」
「どこでも・・・・」
「そう? じゃあ、あなたの部屋でいいかしら? そこだと誰も邪魔しないと思うから」
「・・・」
おぉっっ、素直に頷いた。
それをみて、あたしはとりあえずその気になっているうちにと、自分のIDを使ってERの裏口のドアを開ける。
そのまま先導するようにみんなの前に立ち、ERの中を通らず横からキャロラインがいた病棟へと向かう。
時々振り返って様子を見るけど、先ほどまでとうって変わって、キャロラインは素直に付いてくる。
さすが、キム。
心の中で拍手を送りながら、それでも歩みを止める事をしないで真っ直ぐBHに行き、そのままドアをIDを使って開けた。
「ありがとう、キム」
「ありがとう、チカ」
小声でお礼を言うあたしに、小声で返してきたキムはそのままキャロラインを伴って彼女の部屋へと入っていった。
な〜んか、一気に疲れたよ。あたしは2人を見送ってから、ナース・ステーションへ向かった。
** 後日談 * *
1週間後の金曜日、あたしの仕事先はICUだった。
そこへ行くと、顔見知りのナースが数人いて、愚痴代わりに先週BHで何が遭ったかを話すと・・・・
「その患者、知ってるよ」
「えっ、マジ? なんで、トレイシーが知ってるの? もしかしてBHに行ったの?」
訳知り顔で頷くトレイシー。
なんで彼女が知っているんだろう。
「だって、彼女月曜日にここに来たもの」
「えっっ、ってことは、もしかしてあそこで何かしたって事?」
「ううん、ジェイル(留置所)」
「えぇっっ?」
一体いつの間にキャロラインは留置所なんかに行ったんだろう?
「土曜日にね、BHで他の患者を殺すとか、ナースを殺すって言って脅したんだって。それで仕方ないから、マニュアル通りに警察に通報してきてもらったみたいよ。で、彼らに対しても暴れちゃったからそのまま留置所に入れられたんだけど、そこで拘束されていた部屋の壁に頭を打ち付けて頭部の皮膚が裂けちゃったから、日曜日にERに運び込まれたのよね。で、ちょっとその傷が落ち着くまでってことでここにいたの」
そういえば、トレイシーは毎週金、土、日が仕事だった。
だから彼女がここに来た時、働いていたんだ。
「だけど、さっき聞いた話だと、火曜日にBHに移動させるようにドクターが言ったら、向こうのドクターが彼女が入院する事を拒否しちゃってね。結局水曜日に彼女はまた留置所の戻ったみたいね」
「でも、それからどうするの?」
「大きな町の、それ専門の病院にポリスカーで送る事になったって聞いたわよ。それまでここに置いておくわけにはいかないから、それでとりあえずは留置所に戻す事になったんだって」
日本の留置所の使い方とは違うアメリカ式に、今ひとつ馴染みがないあたしにはビックリの連続だけど、まぁそう言うこともあるんだろうと納得するしかない。
「拒否、できるんだ」
「ドクター次第だからね。ドクターが引き受けないって言っちゃうと、それ以上ごり押しはできないのよ」
「そうなの? でも、お医者さんって、患者を断る事が出来ないんだと思っていたんだけどね」
「そんな事ないわよ。彼らにも断る権利って言うのがあるのよね。ま、うちのドクターがいい顔してなかったけどね」
そりゃそうだろう。
頭の傷が落ち着いたから、精神科の方に入院させたいと思っていたのに、それを拒否されたんだから。
とはいえ、何となくアメリカらしいと思ってしまったあたしだった。
いかがでしたでしょうか?
アメリカの田舎の病院だけかもしれません。でも、普段から大暴れする患者がいたりすると警察に通報して、そちらの方から手助けしてもらう事はよくあります。そのまま良くなってから退院と同時に留置所に連れて行かれる事もたま〜にですがありますしね〜。
さすが、アメリカ?!?(-_-;)
そう言えば・・・・
評価、お気に入り登録、ありがとうございます。
気がつくと、ポチポチと増えていました。
こんなしょうもない話でも読んでもらえて嬉しいです。でも、毎日こんなに刺激的な事が起きる訳じゃないですよ。とはいえ、全てのセクションで働くあたしが遭遇する確率は、他の人たちより格段に高いですが・・・・