8-4
気がつくと俺は、倉庫の壁を突き破って城の吹き抜け部分へと身を放り出していた。
俺自ら跳んだ訳でなく、ぶっ飛ばされた結果だ。
<ソウルドレイン>の体力吸収効果で体力を回復させていなかったらヤバかった。死んでいた。というかそんな感想よりもまだ危機的状況は続いている。
俺が物のように吹っ飛んで突き抜けた壁の向こうから、いくつもの竜巻が伸びて来た。急に元気になりやがってあの女。
竜巻が人の手のように、俺を囲み握り締めようと閉じる――その寸前、横からシズネが体当たりしながら抱きしめて来てその勢いのまま竜巻から脱出する。
「ご無事ですか? ああ、ダメですね。マグロみたいになってますね」
ジェット噴射によるハイジャンプで空中にいた俺を救い出し、吹き抜けを横切るいくつもの橋の一つに無事着地した直後の台詞がこれである。こんな時でも余裕なシズネに涙が出てきそうだ。
俺の今のステータスには麻痺状態である事が示されている。感電でも毒でもない疑似麻痺、痛みによる麻痺だ。
「あんの、野郎ッ! 自分が受けたダメージどころか痛みを倍にして返しやがった!」
余すことなく全身に響く激痛。電極突き刺して直接電気を流し込まれているように痺れて痛い。痛すぎて痺れる。痛みと痺れの区別がなくなりそうだ。
「シズネ、後ろ!」
視界の端、壁の穴から黒い影が現れた。警戒を促す為に叫ぶのと黒い影が片翼を広げ飛翔するのは同時だった。
シズネは後ろを振り向かずに再び跳躍する。直後に橋がバラバラに刻まれ崩壊した。
影の動きは早く、橋を斬り刻んだかと思うと翼を上から下へと羽ばたかせてほぼ一瞬でシズネの背後に迫った。
てっきり新しい得物で斬りかかるかと思いきや、腕を広げてそのまま突進してきた。
「オイ、まさか――」
その意図に気がついた時には高揚した表情を見せるアイツの顔が間近に迫っていた。
「ヤベェ――」
シズネに注意を促すよりも速く、アイツはシズネを背中から抱き締めた。彼女の背から生える片方だけの黒い翼も手の平のようにしてまわして俺ごと包み込んで来る。
そして触れた瞬間、
「――キ、アアアアアアァァァァァァッ!?」
「――ィ、グガアアアァァアアアアァァァァッ!!」
痛みと痺れとか、そんな区別もできない激烈な感覚が全身を駆け巡る。人の声とは思えない獣の声が腹の底から出る。
種族が魔導人形で感覚が鈍い又は無視するシズネまでもが、悲鳴なのか雄叫びなのか分からない声を上げている。
それほどまでにアイツから与えられる痛みは想像を絶し、神経が焼き切れ、脳が痛みという情報だけでパンクする。
最悪な天使に抱き抱えられた俺達は吹き抜けの壁に激突するが、止まることなくそのまま壁をぶち破って外に飛び出す。
青い空が視界に入る。雲に遮られていない太陽の光が目に飛び込んでくる。
痛みでそれどころではない筈なのに、太陽がひどく眩しかった。日光を直視したからか、痛みでとうとうショック死でもしたのか視界が真っ白に染まる。思考もまた無になる。そういう時に限って色々と取り留めのない思考が水を吸い込んだスポンジのように染み込んでいく。
どれもこれも感じているのは電脳世界で再現された感覚にしか過ぎない。だが決して錯覚ではない。現実世界の肉体はさぞかし水揚げされた魚のように跳ね回っているだろう。
電脳世界での受けた影響は馬鹿にできないのだ。だからこのクソッタレな痛みも本物だ。
そう、本物。錯覚の類ならともかくエノクオンラインで生じる痛みは本物。やせ我慢にも限界がある。というか人間一定以上の痛みを感じるとどうにかなるのだ。なってしまう。
「つうかよ――――いい加減離れろやキチ女がッ!!」
ザリクの短剣を取り出してシズネの腹に突き刺す。
短剣のリーチではシズネの背にいる馬鹿女には届かないが、代わりに風の刃が刃先から発生して奴の腹を切り刻む。
ザリクの短剣はマジックアイテム。魔力を消費させれば風の刃が発生して攻撃してくれる。
風の刃の反動でシズネの背からキチ女の体が離れ、俺の背にまわされた黒い翼も拘束が緩んだ。
その隙をついて、今度はシズネを俺が抱き寄せ、馬鹿女の腹を蹴る。命中すると同時に投擲スキルを発動。飛ばす対象は勿論アイツで、効果が発動した瞬間、黒い羽根をまき散らしながら吹っ飛んでいった。ノックバック効果のある格闘スキルで蹴っても良かったが、熟練度の高さから投擲スキルを使った。
青空の下、無駄すぎる物理法則再現で俺はシズネを抱いたまま落下する。ああ、空って広いなあ。
別に現実逃避ではない。その証拠に俺はちゃんと現実を見据えている。痛みによる痺れを受けるのは二度目だが一度目と二度目とでは種類が違うようで、後者にはバッドステータスはつかなかった。それとも精神抵抗値が高いせいだったのか。対してシズネは顔を普段の無表情さから人形のそれに変え、物のように動かない。
これではハイジャンプによる落下ダメージ軽減は期待できない。
「はぁ…………」
下は見たくない。見たくないが、つい見てしまうのは人の性か。
シズネを抱いたまま首だけ動かして下を見る。すると本城と尖塔を結ぶ橋の上でPL達がチマチマとモンスターを相手取っているのが見えた。
その内の一人、装備から射手と思われるPLがこっちに気づいて指さす。
「みんな見ろ! 空からメイドが!」
「おおっ、本当だ! 魔導人形、つまりロボ娘だ!」
「メイドロボ? メイドロボなのか? メイドロボなんだなヒャッハー!」
…………ああ、間違いなく<ユンクティオ>のギルドメンバーだ。大なり小なり、頭お花畑なネタに走るPLは(特に掲示板に)存在する。そして、ネタじゃなくて素で頭に花咲いてるのが<ユンクティオ>のギルドメンバーには多い。
「よっしゃ受け止めるぞっ!」
「どけ! お前みたいな腕力弱者が受け止めきれる筈ないだろ!」
「お前みたいなブサメンよりやっぱ俺だろ。魔法で軽減させれば俺だって!」
PL同士で争いが始まった。馬鹿だな。というか、俺の存在は完全にあいつらの視界に入っていないようだった。どうでもいいけど、こいつ結構重いぞ?
「<フロウ>!」
段々と橋の床が近づき――落下予定地点に誰も来ないなあ、と諦観していると落下速度軽減の魔法が俺にかかる。
「うおっ!?」
だが、魔法の効果があるのは一人だけ。シズネは元の速度のまま落ちそうになって、俺は慌てて抱え直す。若干速度は落ちたが、それでも結構速い。
「わっ!? ――裸族の皆さーん!」
すっげー変な呼称が聞こえた気がした。恐る恐る(最早落下ダメージ云々の危惧は消え失せた)下を改めて見てみると、褌一丁のマッチョマンが手を広げて真下に待機していた。その周りでは他のパンツ一丁(中にはネクタイ付き)のマッチョマンらが壁となって頭パーなPLから着地地点の空間を確保している。
「…………はあ」
もう溜息しか出ねえよ。
軽い衝撃が背中にあり、さっきまで感じていた落下感が消えた。そして、抱えたシズネの肩越しから褌マッチョのスマイルが見えた。
「えーと、あんがと?」
「フッ――」
とりあえず礼だけを言っておいて、ニヒル?に笑ったらしいマッチョマンから早々に降りてシズネを床に寝かせる。
「礼には及ばないとも! 人類皆助け合ってこそだからな! それに私の肉体はこういう時の為に鍛えていたのだから。何時なんとき誰が助けを求めるのか分からぬこの世界、この鍛えた筋肉が少しでも――」
何か語りだしたぞこのマッスル。というか、鍛えたと言われても実際の筋肉量はエノクオンラインに関係ないから。まあ、最初からそこまでマッチョという事は現実世界でもそんな感じなのだろうから凄いと言えば凄いが。
「アンタら、いい加減持ち場に戻れーーッ! モンスターに倒される前に私が撃ち抜くわよ!!」
一方的に話されている間に、射手の女PLが男全員に矢をぶちかましていた。見覚えのある女で、彼女も<ユンクティオ>のメンバーだ。
「クゥさんって、よく上から現れますよね。投身自殺の願望でもあるんですか?」
麻痺でもないのにマグロになったシズネのステータスを確認しようとしていると、エリザが駆け寄ってきた。おそらく<フロウ>を使ったのもこいつだろう。どうやら、エリザ達は城内モンスターの間引きをしているようだ。
射手の女に頭を軽く射抜かれたPL達は橋の上での戦闘に戻っていく。
「自殺願望はない。まあ、さすがに大分ビビったが」
「よくもまあ心臓が持ちますね。心臓に毛でも生えてるんじゃないですか? それにどうやったら城の壁から離れたこんな渡り橋の上なんかに――」
「そんな事よりも回復アイテム持ってないか? 俺もシズネも結構なダメージなんだ」
「あっ、はい!」
空を見上げようとしたエリザの動きを遮るかたちでアイテムを要求する。実際、先の戦いで体力バーがかなり減っている。シズネの疑似麻痺はそう時間を置かずに回復するだろう。
「盾が動けないとか使えないにもほどがある。漬け物石がまだマシだ」
「自分の使い魔だからってボロクソですねえ」
「俺の方が普段からボロクソ言われてるから。主人なのに」
エリザが見上げないよう会話を繋げていく。蹴り飛ばしたし、結構な高さでの戦いだったからこっちには降りて来ないと思うが、それも希望的観測に過ぎない。<気配察知>での反応はなく、俺も思わず見上げたくなってくるが我慢。
だが、そんな俺の些細な努力は無碍にされた。
「<ディスケ・ドロル>」
何か光が上空から煌めいたかと思うと、小さな悲鳴と共に強烈な痛みが全身に走る。
「がっ!?」
「イィ!?」
「アッ!?」
戦っていたPL達も動きを止め、あまりの痛みに蹲るPLまでいる。モンスター達も酷く呻きだし、戦闘で体力を消耗させていた一部がそのままエフェクトを発生させ消滅する。
「あいつ――っ!」
これはあの女が最初に俺を吹っ飛ばした時のスキルか? 俺が受けた時よりもダメージや感じる痛みが小さい。だが、スキル発動のエフェクトである光や疑似麻痺を与える効果は一緒だ。
こっちの策敵範囲外からでも届く攻撃だったか。それとも同系統のスキルか。何にしても非常に厄介だ。
疑似麻痺で動かなくなった体だが、目は動かせる。そして視線を今まで避けていた空を見ると、黒い影が宙に浮いていた。
「ユイ、さん?」
耳に、俺と同じく空を見たであろうエリザの声が届く。ああ、だから見せないようにしていたんだが。
俺が城で戦っていた天使が空に浮かんでいる。片翼となった翼は白から黒へと代わり、髪も伸びている。その二点と破れた服や槍では無く鎌を持っている事を除けば外見は先程と大して変わっていない。
だが、身に纏う雰囲気が明らかに変わっていた。固い印象から開放的と言うか、今のこの状況さえも楽しんでいるように見える。ただし、負の方向でだ。
「ああ………………」
天使が笑みをこぼし、溜息を吐く。<聞き耳>スキルの熟練度はそれなりにあるので遠く離れていてもある程度は聞こえる。
そして天使は大鎌を持っていない方の手で服が破けて露出した腹をさすった。そこは確か俺が蹴ったところだ。
「痛みが在ると云うのは良いですね」
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「クゥさぁーーーん!! 何したんですか一体!?」
「うるせぇ! 俺のせいじゃねえよ!」




