7-9
濡れた服が肢体に張り付き美しい曲線が露わとなり、服から覗く白い肌はより瑞々しく、水を滴らせる黒髪はそれでも絹のように滑らかで光を反射している。
俺と同じく上にある八本の水路の一つを利用して侵入してきたであろうタカネは水の滴るイイ女だった。
「休んでていいわよ」
「言われなくてもそうする。シズネ、回復しとくぞ」
体を起こし、タカネの後ろで回復魔法を詠唱する。シズネはタカネと、玉座の間の入り口の方を見回して少し考え込むようにしてから俺が落とした装備を回収し始めた。
正面の、魔王が落ちた水路から水柱が立つ。だが、俺の<気配探知>は背後にアラームを鳴らす。
視線だけそちらに向けると、水柱を囮にして反対側から音も無くレヴィヤタンが飛び出していた。
魔王の腕がこちらに伸びた瞬間、横側から猛スピードで人影が割り込んでレヴィヤタンの脇に蹴りをぶち込んだ。
<鈴蘭の草原>の特攻隊長シオだ。
「誰が特攻隊長よ! ――ハァッ!」
こっちも見ず怒鳴り、シオは蹴りから即座に拳による連撃をレヴィヤタンに叩き込む。
シオの装備は手足と胸当て以外は布で、俺のファッションと似ている。違うの手のガントレット。俺は手足の防具を金属防具の布防具の中間だが、シオの肘から先は金属に覆われている。格闘スキルは手足の防具の防御力で攻撃力が決まるので、あんな無骨で頑丈一点の防具を腕につけているのだ。それ以外は動きやすい布装備で素早さを上げている。
韋駄天の腕輪を持つ俺の方が敏捷値は高いのだが、苛烈な攻撃を魔王に叩き込むシオには獣の耳と尻尾が生えており、<獣化>のスキルでステータスを上昇させている上でその流れるような動きから俺よりも早い。
「ハハハハッ、どうやって動いているんだ貴様は。まったく掴まらんぞ?」
ボカスカ殴られたり蹴られたり、時々防いだり避けたりしながらレヴィヤタンは子供のような笑みを浮かべ朗らかに笑う。口から冷気を出して。
「フ――グッ!?」
激しく動きながらも、レヴィヤタンはシオに向けて口の中の冷気を放出しようとして、顎を強制的に閉じらされた。
タカネがシオの援護として割り込み、槍の穂先でレヴィヤタンの顎を打ったのだ。
ダメージを与えてはいるが、レヴィヤタンは平然な顔で自分の口の動きを邪魔する槍に冷気を伴う手を伸ばして――今度は背中から斬られて前のめりになる。
いつの間に来てたのか、<竜人化>のスキルで竜の角と鱗を生やしたエイトが二本の剣でレヴィヤタンの背を攻撃していた。
「いたのか」
「いたわ、この野郎!」
俺の言葉に律儀にも答え、エイトはタカネとシオと共にレヴィヤタンに攻撃を加えていく。
さすがに少数精鋭が集まる西の中でも有名なだけあってあいつら動きは凄まじい。ゲームサークル自体、アクションや格闘ゲームの大会を中心に荒らしまくってるので元からこういった体を動かすゲームは得意なのだ。リアルでもこの平和なご時世に必要ないだろと思えるほど強いし。
人間の技を覚えたとは云え、さすがのレヴィヤタンも為す術もないようだ。攻撃が避けられるならまだしも、攻撃の動作の枕元を押さえられて反撃が出来ないのだ。生半可に技術を奪ったせいで、逆に熟練者である彼女らに動きを読まれている。
タカネ達はレヴィヤタンの動き読み、誘導すると同時に後から来る長い硬直を厭わずに攻撃スキルを連続使用する。初っ端から全力だ。
「螺旋槍――円月――連続突き!」
「双脚――乱舞――パワーナックル!」
「五月雨突き――スラッシュ――旋風斬り――ヤドリギノツルギ!」
三方向からの突き、斬り、多段攻撃による隙を与えない攻撃を繰り出し、そして水属性に有効な木属性の魔法剣を食らわせていく。タカネとシオが魔法剣を使用しないのは、彼女らの属性がそれぞれ水と火だからだろう。
普通のモンスターならとっくに決着は着いているが、さすがくさっても魔王。頭のおかしい印象を受けるレヴィヤタンはまだまだ余裕そうだ。怯んでもいない。
このままだと、スキルの連続使用による反動が起きて良い的になるだけだ。
なるべき目立たないよう移動しながら、破壊された扉の前にいるシュウ達の方を見る。俺の視線に気づいたシュウは軽く頷きを返してきたので大丈夫だろう。シュウは弓に矢を番えたままじっとタカネ達の戦いを見つめており、ハルカとミエさんは魔法の詠唱、クリスは試験管のようなガラス瓶を取り出していた。
「さすがに、そろそろ鬱陶しいぞ!」
レヴィヤタンが怒鳴ると全身から冷気を吹き出し、足下から氷柱が咲く。
タカネ達は範囲攻撃が来ると予測していたようで、氷柱が生える前に突進攻撃系のスキルで逆走し、一瞬で距離を離していた。だが、武器のリーチ上シオは完全に避けきれず、腕をやられた上に凍らされる。
氷柱と冷気の攻撃によってシオの体力バーが減った――かと思うとすぐに淡い光に包まれて体力が回復した。ダメージを受けた直後にミエさんが回復魔法を放ったのだ。
しかし、無事やり過ごしたもののスキル連続使用回数の限界が来て、三人は荒い息を吐くように膝をついて一歩も動かなくなる。
氷の花を咲かせたレヴィヤタンが頭上に多数の細い氷柱を作りだし、それぞれが三人へとその先端を向ける。
「させないわよ!」
氷柱が発射される前にシュウの隣にいたクリスが飛び出し、指の間に挟んで持っていた試験管を複数投げる。試験管は氷柱に命中し砕けると、大爆発を起こして氷柱を全て粉砕した。
爆発によって生じた光を見上げるレヴィヤタン。その隙だらけの魔王にシュウが矢を連射する。矢は正確に、傷つけることはできなかったがそれぞれ両目、額、喉、心臓、鳩尾に命中した。優男風の顔して容赦がない。
レヴィヤタンが踏鞴を踏んで体勢を直そうとすると、彼女の横に何の前触れも大柄な男が、ゴウが姿を現していた。
遮蔽物が無くとも姿を隠せる<潜伏>か<インビシブル>の魔法を使ったのか、レヴィヤタンにも察知されず移動していたゴウは攻撃動作に入った為に姿が見えるようになったのだ。
ゴウの持つ大型武器:斧は大きく円の軌跡を描きながらレヴィヤタンの胴体に向かう。不意打ちではあるが、大型武器の攻撃速度は遅い。レヴィヤタンは回避を試みようと上に跳ぶ。
横一直線に振られていたゴウの斧がレヴィヤタンの動きに合わせて軌道を逆袈裟へと方向転換させる。攻撃スキルには軽いホーミング機能は付いているが、そこまで方向を変えるほどの性能はない。つまり、ゴウが無理矢理軌道を変えたのだ。
横一閃から振り上げる形になった斧の一撃はレヴィヤタンの腹に命中、魔王の細い体を玉座へと吹っ飛ばした。
「ロックフォール・甲!」
自分の椅子へと吹っ飛び転がるレヴィヤタンに更なる追撃として、今まで溜めていたハルカの魔法が発動する。レヴィヤタンの頭上に大きな魔法陣が展開され、そこから巨大な岩が現れた。
レヴィヤタンはすぐさま起き上がろうとするが、シオを回復した後に何気ない顔で玉座の間を進んだミエさんによって刃の付いた二本のワイヤーに絡み付かれる。クウガが作ったガリアンソードによる鞭スキルの<拘束>だ。
あんな試作品、すぐに破壊されるが魔法によって作られた岩の落下には間に合わない。
そのままレヴィヤタンは玉座ごと押し潰される。その際に、ミエさんはガリアンソードを捨てる。
「逃げるわよ!」
轟音が鳴り止むよりも早く、硬直から復帰したタカネ達を含む全員が合流してくる。クリスが試験管を玉座の間の中央に投げ入れ、割れた試験管から大量の煙が噴射して煙幕を作り出す。
玉座の間が煙で充満し、視界が遮られたところで俺達はレヴィヤタンが起き上がる前に尻尾を巻いてボス部屋から逃亡した。
「いやいや、さすがだクゥ。やらかすと思って君を送り出した私の目に狂いは無かった」
「クゥ。あまり無茶はしないでくれ。君の自由を束縛する権利は我々にないが、集団行動を取るなら危険は避けるべきだ」
「実際、タカネ達が救助に行ったからね。幸いにも彼女達で対処できたけど、運が悪かったらどうなってたか分からない」
「…………はい、すいません」
魔王から逃れ、無事に城からも脱出した俺はフィールド合流地点に設けたPLのテントが集まる場所にてキリタニさんとミノルさんから説教を受けていた。ゴールドもいたが、こいつは笑ってるだけだった。
少し離れた場所では、アールが調査隊から渡されたマップデータを統合している。
「開拓隊の時から変わらず糸屑みたいなマップだ」
「水路とか無いですわー。マジないですわー。普通のゲームならともかく、出口の分からない密閉された水の中とか暗いし苦しいわで誰もが嫌がるのに。真面目な話、マゾじゃないですかね?」
「何も考えてないだけじゃないですか? 絶対に過去を振り返らない人ですよ」
「反省する気ゼロ」
「ほんと、うちのクゥがご迷惑をお掛けしました」
好き放題に言うヘキサとエリザ、モモにシュウが申し訳なさそうにしている。お前はいつから俺の母親になったのか。
「次からは注意してくれ。命を粗末にするんじゃないぞ」
そのキリタニさんの一言を最後に説教は終了した。ゴールドはまだ時折笑っていたので臑を蹴ってやった。
まるで職員室で教師の説教を喰らった後みたいな心情を抱きつつタカネ達のところに戻ると、彼女らは料理をしていた。
転送装置の距離の関係上、今夜はフィールドでキャンプすることになっている。その為の夕飯をタカネ達<鈴蘭の草原>と<ユンクティオ>の女性陣が作っていた。その中心で、黒一点というべきかエイトが腕を振るっていることに違和感を抱かないのは奴が女顔のせいだろうか。
エイトがいきなり手を止めて周囲を見回し始めたので、テントの設営を終えて腹を空かしたPL達に隠れて俺はそこから離脱する。皆、勘が良すぎて困る。
逃げる途中、タカネとアヤメの二人と目が合う。ボス部屋から出た後、タカネからは愚痴られて、城から出たらアヤメから無言の圧力を受けてしまった。
それに、料理を手伝っているシズネまで似合わない事に心配そうに俺へ視線を向けてきた。
なんとも居たたまれずにこそこそと離れる。
飯を作るというある意味修羅場なそこを離脱して、人気の無い場所に移動する。<ユンクティオ>のギルメンによる飯はまだかコールに怒鳴るエイトの声も遠い。
「元気だな、あいつらは。それよりも…………」
念のため周囲に誰もいないのを確認した後、メニューウィンドウを開く。
表示が一部欠損していた。
「………………チッ」
思わず舌打ちが漏れる。
よく見てみると欠けていると言うよりはパズルのようにバラバラにされてピースがあっちこっちに飛んでいるだけだ。それに、少しずつだがピースが一つずつ修正されてはいるようだ。
レヴィヤタンに肌の触れた場所からドレイン系の攻撃を受けた後からずっとこんな調子だ。直ってきてはいるので大して問題はないだろうが、念のためにギルドホームに戻ったらスキルのチェックをしよう。それと、一応アールに相談する事も考えるか。
<鈴蘭の草原>でもそういうのに詳しいのが多くいるが、あいつらには相談しづらい。普段から好き勝手している分、ユリアの時みたいに愚痴られては困る。
にしても、何でこんなバグっぽい現象が起きるのか。タカネ達のいつもの様子から、おそらくこんな事になっているのは俺だけだ。
考えても分からない。分からないまま思考を放棄すると今度はなんとなくこのまま飛び出したい衝動に駆られたが、そんな俺の思いの出鼻を挫くように<気配察知>に三つの反応があった。
エルパ、ネピル、そして一人の女がキャンプに並ぶテントの間から姿を現す。
「お前、よく参加できたな。ゴールドに顔見られてたのに」
ヴォルトでのPK連中の捕縛の時、ゴールドはネピルの顔を見ていた筈だ。まさかと思うが、顔を忘れたとは訳ではないだろう。…………さすがのあの馬鹿でも顔ぐらいは覚えているだろう。多分。
「たまたまプレイヤーネームが同じだったのよ」
ネピル本人の代わりに女が説明する。分かってて言っているんだろうが、ここはネームは重複しないと突っ込むべきか話合わせてスルーするべきか。
「それで何の用だよ。えっと、何さんだっけ?」
「エルよ。ちょっと聞きたいんだけど」
そう言って近づいて来るエルは何とも男受けの良さそうな愛想笑いを浮かべている。その後ろではエルバとネピルがただでさえ厳つい顔を無表情にしているせいで睨んでいるのか怒っているのか分かりづらい。
多分、一般社会に出て工作するのがエルで、後ろの無愛想な(俺も人の事言えないが)男二人は荒事専門なのだろう。
「向こうで何があったか、私に教えてくれない?」
「えー。面倒だから断る」
「そう言わずにお願い」
「えー。だいたい二度手間になる。知りたきゃ、セティスにでも聞けよ」
「残念だけど、セティスはここに来てないわ」
動揺の一つも見せない可愛げの無いエルに二の腕に装着した韋駄天の腕輪を見せて装飾の一つしてはめ込まれた青い珠を指で叩く。
エルは訳が分からないと言わんばかりに首を傾げるが、目は笑っていない。後ろのエルバとネルピも目を細めてよりカタギとはほど遠い人相になってる。
「盗み聞きもほどほどにしとけよ」
俺は腕輪に向かってそう言い、喧噪賑わうキャンプへと戻る為に踵を返した。
どこからか、鈴が鳴るような少女の笑い声が聞こえた。
◆
「ハッ、あのガキが!」
南地方火山地帯の一角で一人の少女が見た目の可憐さとは裏腹の笑みを浮かべ声を上げた。
彼女がいる場所は火の魔王率いる魔王軍によって一度は焦土となったフィールドだ。魔王が直接出陣し暴れまくった影響なのか、フィールドのオブジェが歪み、何もない中空に裂け目のようなものが発生している。
電脳空間を維持する以上膨大なデータが蓄積され、その世界を自由意志のもつ人間が引っかき回すのだ。必然的に不具合が生じる。それをNPC達は<歪み>と呼び、PLはバグと呼ぶ。厳密には違うのだが、分かり易さ重視ということだろう。
そんなバグだらけのフィールドで、セティス――いや、マステマは地面からむき出しになった石を椅子代わりにして座り、いくつかのウィンドウを空中に表示させていた。
そのウィンドウの一つが、クゥとのボイスチャットウィンドウだった。
個人チャットを行う為にはフレンド登録が必要であるのだが、マステマとクゥはフレンド登録などしていない。
だが、アスモデウスの城でクゥに与えた韋駄天の腕輪には<装飾細工>のスキルによって本来のステータス上昇効果以外に簡易チャットの機能がつけ加えられていた。簡易チャットは通常のチャットの機能を多く制限したものだ。大ざっぱに言うと特定の対象としか連絡が取れない。
チャットを盗み聞きしようとハッキングしたり、相手のプライバシーを無闇に覗く行為を行えばエノクオンラインのシステムによって遮断されるか最悪脳を焼かれる。だが、機能を制限する程度なら何も問題ない。それに利点としてフレンド登録してなくとも対象のアイテムを持っている者と通信ができる。
当然、相手に気づかれずに簡易チャット機能のアイテムを装備させたとしても、普通気づく。絶対に気づく。メニューウィンドウを開けばチャット機能が働いているのが分かる上、チャット機能がオンになれば効果音が鳴る。
マステマがレアアイテムに簡易チャット機能をつけてクゥに送った時は嫌がらせ程度の意味しかなく、もし気づかなかったら宝くじにでも当たった気でいようと思っていた。
そして彼女は宝くじに当たった。
クゥはメニューウィンドウの大半の効果音を切り、チャットやメールの着信は視覚で確認していた。マステマとの簡易チャットウィンドウは他のウィンドウに隠れる位置にあらかじめ設定してあったとは云え、節穴にもほどがある。
一向に切られる様子の無い簡易チャットウィンドウを見て、マステマは人の姿をした珍獣と思うようになった。
だが、今回の件でクゥは珍獣ではなく変人へとランクアップする。余計悪いと思うかもしれないが、少なくとも獣から人にはなった。
マステマは接続の切れた簡易チャットウィンドウを消し、簡易チャット用のイヤリングを外しながら立ち上がる。
「恩を売ったつもりか?」
クゥが何のつもりでチャットの事を放置していたのかは知らないが、何にしてもあの男はこちらの手札を増やしてくれた事には変わらない。いずれ、あの舐めた態度に色々と礼をしてやらなければならないだろう。
メニューウィンドウの時計機能を確認すると、もうそろそろ約束の時間であった。
「これで優位に立てたか? 少なくとも対等以下ではなくなったが、あの男はどう出るかな?」
ウィンドウを全て消し去り、拓けた視界の奥に一つの人影が現れる。黒い鎧に裏地が赤い黒のマント。黒尽くめの格好に男の金髪がよく映えた。
マステマは目を細めてその男の姿を見つめる。護衛はついていない。あらかじめ設置してあるオリジナルの探知魔法にはあの男しか反応が無いし、バグだらけのここでは隠れ潜むのは困難だ。それに、男は浅慮で約束を破るような小物ではない。
近づいてくる男の腰に下げられた剣を見る。
「………………」
マステマは口に煙草をくわえる。すると何もしない内に先端に火が付いた。
「…………気が利くじゃあないか。面白い剣を手に入れたな」
どうやら、情報という面でようやく互角になれただけだとマステマは判断した。
「そうだろう。私も気に入っているよ」
マステマが剣の正体を僅かな間で看破した事に慌てる様子もなく、むしろ自慢するようにその男は、<イルミナート>のレーヴェは笑みを浮かべた。
◆