7-8
彗星のように霜の尾を引く青い光が迫って来た。
「跳べッ!」
俺が叫ぶと、首に腕を回していたシズネが離れて一足先に水路の底を蹴って水の中から跳躍する。続いて俺も脱出。
直後、バレーボール程の大きさの青い光が水路へと飛び込み、流れ落ちていた水が全て凍りついた。
「凍結か」
アスモデウスが石化、そして火の魔王が火傷の状態異常を仕掛けてきたらしい事からレヴィヤタンも何かしらの状態異常攻撃、水属性から腐食か毒だと予想していたが、まさか凍らせる効果だったとは。
俺がヴェチュスター商会で買った鎖にも凍結効果はあるが、エノクオンラインは南の火山地帯のように熱い場所はあっても寒い土地は無かった。だから相手を凍らせる効果をモンスターは今まで見つかっていない筈だ。
空中に身を踊らせた俺達にレヴィヤタンの掌が向けられ、そこから先程と同じ青い光球が連射される。
俺は一番最初に来た光球、氷弾を左手で受け止めると、右手で腰の収納スロットから投げナイフを投げて続く二発目を迎撃する。幸いにも、ナイフは貫通されず、代わりに凍り付いて勢いを無くして落下していった。
視界隅に表示されたステータスを見ると、やはり凍結というバッドステータスが表示されていた。
凍結の効果は即死性はないものの受け止めた箇所の動きを制限し、しかも少しずつ継続ダメージを与える。左手で受けた際の体力バーの減りとその後から少しずつ減っていくダメージ量は俺の体力が魔術師以上戦士未満だと言ってもバカにできないほどだった。
凍傷、なんて言葉もあるから石化と火傷の効果を足して割ったようなものか。治療法は…………知らん。魔法には未だ全状態異常回復も凍結回復も無い筈。薬も同様。自然治癒か砕いて割るしかないが、後者は痛いので遠慮したい。
ともかく、バレ(てい)たからには逃げの一手だ。
滝が完全に凍りつくと、続いてその下の水面までもが凍っていく。
「止めろ! このまま着地するぞ!」
腕に内蔵された砲で下の氷を破壊しようとしたシズネを止め、そのまま氷の上に着地する。相手は水の魔王。既に姿を見られた状態で水の中に飛び込み、万が一水中戦になろうものならこっちが圧倒的に不利だ。地上戦が有利とも言えないが、水中戦よりはマシだろう。
「たった二人で魔王を相手とか、自殺願望がおありでしたか?」
うるさいよ言われなくとも応援呼ぶから。助け求めるから。
そんな訳で手間のかかるメールではなくてボタン一つですぐに使用できるボイスチャットを使用する。範囲はエリア。城の中とその外周にいる全てのPLの耳に届く。
「誰か助けてくれ」
『………………』
切実な願いは無視された。しかもレヴィヤタンが再び氷弾を飛ばしてきた。泣きっ面に蜂だクソが。
右腰から鎖を取り出して振り回し、氷弾を迎撃する。鎖は氷弾に振れると勢いを失うが、光球を破壊した上に凍りもしない。
相手に有利な属性で攻撃すれば大きなダメージを与え、同属性だとダメージが少ない上に相手によっては体力を回復される。だが、逆に言うと相手の攻撃も同属性で受ければ効果は半減もしくは無効化。防具だけでなく、武器で迎撃しても同様の効果が得られる。
「ドヤ顔してないで早く助けを呼んでください」
「わかってるから」
それと、ドヤ顔なんてしていない。
鎖で氷弾を弾きながら移動し、ボイスチャットで助けを求め続ける。レヴィヤタンは玉座から動くことなく光球を機械作業のように撃ち出しているだけなので、幸い今すぐどうにかなる訳じゃない。
「救援くれ」
『ハハッ。ワロス』
今笑ったの誰だコラ。ログ見れば分かるんだぞ。
『というか、今どこ? 何か特徴的な物は近くにある? 窓があるならそこから何が見えるか教えて』
ようやく、シュウが反応してくれた。やはり持つべき者が友人だ。数が少ない分余程貴重だ。聞き方がなんかアレだったけど。
『何か迷子の子供を探す保護者みたい』
『リアルでもお友達らしいですが、手慣れてますねー』
『フッ…………わたしより子供』
『ハッハッハッ、そうだな。モモはクゥより真人間だとも』
『クゥさんの事ですからきっと城の天辺に昇って――人が蟻のようだ、とか言って遊んでるんじゃないですか? 訳分からない道行くのが得意ですから』
『昔から忽然と消えるのが得意なのよ。それでクゥ、今どこなの?』
言いたい放題だな、オイ。
フレンドリストの検索機能じゃ正確な場所まで分からない。早く助けて欲しいので、恥を忍び現在地を簡潔に伝えよう。
「ボス部屋」
チャットが一瞬沈黙し、直後に――
『――アハハハハハハハハハハッ!』
「うるせぇよ馬鹿! 他にも笑いやがった奴いるな!? 早く助けてに来いお前等ッ!」
レヴィヤタンは一歩も動いていないが、俺とシズネを逃がすつもりはないようで出口をいつの間にか氷で塞いでしまっている。壊せそうではあるが、その間に背中をズバッとやられるのは勘弁したい。
『仕方ないわね』
必死こいて逃げ回っていると、ボイスチャット用の耳飾りから溜息混じりでタカネの声が聞こえてきた。
『十分で行くわ』
そして、ぞくりとするほど頼もしい声が返ってきた。
「十分、だと」
「それは頼もしいですね。クゥ様も男の甲斐性見せてください」
スカートの裾を翻して氷弾を避けたシズネが無感動で言う。言いたい事は分かる。魔王の一角を相手に二人がかりでどこまで生き延びられるのか、それが問題だった。
「よし、マゾメイド。盾になれ」
「事実無根で不名誉な名前で呼んで都合よく盾にしないで下さい。まあ、やりますが」
走り回っていたシズネが俺の前に立ち、槍で氷弾を切り払いながらもその身を盾とした。こういう姿を見ると、こいつが俺の従者なのだとようやく実感できる。それはそれで問題だが。
レヴィヤタンは遊んでいるのか、先ほどからずっと玉座から動かずに凍結効果のある氷弾を飛ばしている。アスモデウスのようにヒスってない分マシとも思えるが、逆に何時気分が変わるか分からない故の違う怖さがある。
「今気づいたんですが、クゥ様なら簡単に避けられるのでは?」
氷弾を弾きながらシズネが正面を向いたまま疑問を口にした。弾き切れなかったり、余波を受けて節々が凍っているが魔導人形はタフだ。体力バーなんて俺よりもあるし、種族上凍結による継続ダメージもない。
「それもそうなんだが、そうすると別の攻撃方法に切り替えられるかもしれないし」
シズネは平気な顔をしているが、やはりダメージはある。ボスの攻撃にガリガリ削られていく体力を魔法で回復させてやる。盾を気遣う俺ってば優しいな。
「このままでも時間の問題だと思うのですが?」
シズネの忠告を、レヴィヤタンはすぐさま実行して見せた。こっちの会話が聞こえていたかのようなタイミングの良さだ。
青い光球もとい氷弾を撃つ手を止めたレヴィヤタンは片手を高々と頭上に掲げ、その手の平の先に巨大な氷柱を作り出した。先端が槍のように尖っており、冷気が白い煙となって吹き出している。
「あー、クソッ!」
俺はシズネの腰を掴むと、一気に横へ駆け出す。直後に放たれた氷柱は俺達が一瞬前までいた場所に向かっていく。
既に氷柱からは避けられる距離まで離れてはいるが、俺はそれでも足を止めない。あんな、あからさまなエフェクトが掛かっている物がただの氷柱な訳がない。
俺の予想は当たっていた。氷柱が床に着弾した瞬間、そこを起点にして氷柱が剣山のようにして生えた。
「うおおおおっ!?」
効果が発揮される寸前で滑るようにして前に跳んだが、片足に氷柱が刺さってブレーキが強制的にかかる。不意に起きた勢いの停止に抱えていたシズネを投げ出してしまった。
俺はそのまま床から伸びた氷柱によって宙づりにされてしまう。
「痛ッてぇ!」
「クゥ様!」
不格好ながらも着地したシズネは急いで俺の元へと駆け出す。
俺も急いで宙吊りの原因となった氷柱の腹を蹴る。その程度で折れるほど柔な氷ではなかったが、蹴った反動を利用して氷柱から足を引き抜く。急がないと、追撃が来てしまう。
落ちる間、宙で逆さまになった身を翻えしながら目だけ動かしてレヴィヤタンを見る。
姿が消えていた。
玉座にしなだれていた筈の魔王の姿がなく、氷像のような椅子がそこにあるだけだ。
「シズネッ!」
同時に反応を示した<気配察知>。とにかく声を上げて簡潔に危機を知らせ、俺は鎖でシズネの足首を狙う。
落ちながら、しかも体を回転させた状態で狙い通りいくか分からないがやらないよりマシだろう。
足が床を踏むとすぐさま振り返る。俺に向かって走っていたシズネが足首に鎖を受けたことで前に倒れ込み、その頭上をいつの間に移動していたのかレヴィヤタンの蹴りが通過していた。
どうやら足癖の悪い奴のようだが、その攻撃方法のおかげで助かった。天使も一撃で吹っ飛ばし瀕死にする魔王の蹴りだ。当たれば頑丈なシズネでもただじゃ済まない。
立ち上がり様に収納スロットから投げナイフを掴んで魔王向かって投擲する。俺の行動で後ろの魔王に気づいたシズネはナイフが頭上を通過するのに従って振り返り様に槍に突き放つ。
「ハハッ」
玉座の周りを流れる水路を移動してきたのか、全身が濡れたレヴィヤタンは嬉しそうに笑うと右手の甲で軽く弾くようにしてナイフの軌道を逸らし、返す手で槍の柄元を掴んだ。
「――あ?」
思わず、声に出てしまった。
レヴィヤタンは槍を掴んだまま、シズネが対応するよりも早く踵で体を半回転しながら腕を大きく回転させて穂先を無理矢理下へと向けさせる。
槍に振り回されたシズネの体が前のめりとなり、その横顔に左の肘鉄が叩き込まれた。
「………………」
扉の方まで吹っ飛ばされたシズネだが、俺はそっちに視線を向ける事なく、腰から剣を取り出し、鎖と共に構える。彼女の無事は、視界内の俺の基礎ステータスの下にあるシズネの体力バーから分かっている。
手首を軽く振り、余裕そうな笑みを浮かべるレヴィヤタンに対して俺は正直焦っていた。
冗談じゃない。ふざけんな。レベルキャップとか熟練度がどうとか、そんな話じゃ済まない。
「何をそんなに睨む? もしかして驚いているのか?」
喋りながら悠々と俺に近づいてくるレヴィヤタン。その顔には――言いたくてたまらない、という笑みが張り付いている。
俺は、近づいて来た分だけ後ずさる。
「技は汝等もやっていた事だろう。吾らが使ったとして、何か問題でもあるのか?」
「問題ありまくりだろ」
シズネを吹っ飛ばした一連の動き。元のステータス差もあったが、あれは戦いの技術だった。
NPCである魔王が、PLと同じく、スキルに依存しない技を使ってきた。
「最悪だ、クソッ」
魔族をはじめとしたボス達を相手にPLが唯一持つアドバンテージ。それが技だ。格闘技、武道、武術、戦闘技術、呼び方はどうでもいいし区別も俺には分からないが、何にしても戦う為の技術の事だ。
モンスターの中には武器を扱う奴もいるが、スキルを除いて連中の動きは分かりやすく単調。知能の高い魔族でさえ簡単なフェイントをする程度で奴らは明らかに、人より高い反射神経で動いているに過ぎない。
どうやったのか知らないが、現実世界で修得し、電脳世界での実戦により洗練された技術がよりにもよって魔王に盗まれた。
「フフッ――」
レヴィヤタンがいきなり加速する。
牽制目的で鎖を振るが、急停止してきたことで紙一重で当たらない。俺はすぐに剣を中腰に構える。
レヴィヤタンは再加速するがすぐに停止、足を交互に動かしながら鎖の動きを見切れるギリギリの距離を保ちつつ、どこからすぐに跳んできて蹴りを放つか分からない。
普段だったらその細い足に見取れても良かったが、足だけでなく上半身も僅かな動きで構えを変えて、どのように攻撃するか読ませない。おかげで、俺もわざと鎖を軽く鳴らしたり浮かせたり、剣の構えを変えたりして牽制し続ける。
こういう読み合い、大っ嫌いなんだが。
もういっそこのまま飛び込んでやろうかと思った瞬間、背中に冷たくて硬い感触がした。
レヴィヤタンが氷柱で作った氷だ。
マズいと思うよりも速く、レヴィヤタンが滑るようにして急接近し蹴りを放ってきた。
迎撃が間に合わないと判断して、とっさに身を床に伏せて回避する。後ろで氷が派手に砕ける音を聞きながら、しゃがんだ状態で剣を振り、足を狙う。これでどうにかなると思っていないから、接近された事で邪魔になった鎖を収納スロットへと戻す。
半ば予想通り、剣は当たらなかった。レヴィヤタンが片足で浮くように軽く跳躍し、氷を蹴った足で踵を頭上から落としてきた。
俺は転がるように避けながらレヴィヤタンの背後に回る。逃げたいが、背中見せれば間違いなくやられる。シズネが復帰して駆けつけるまでの短い時間を一人で何とかしなければならない。
収納スロットから短剣を取り出す。ザリクの短剣は便利だが風属性で、水属性のレヴィヤタンには効果が薄い。
剣で払い、短剣で突きを行う。それを、レヴィヤタンは振り返り様にそれぞれ両手の人差し指と中指で挟み、砕いた。
「ッざけんな!」
すぐに破壊エフェクトの青い粒子を散らす柄から手を離し左で腰の、右で背中の収納スロットに伸ばす。
左腰から穂先だけが出た槍を引き抜くと同時に投擲し、その間に背中から斧の柄を掴んで引き抜きながら振り下ろす。
槍の矛先が手の甲で弾かれ、斧も刃の無い根本で受け止められる。槍と斧から再び手を離し、左手で収納スロットから投げナイフを連続して投げ、右手で接近してくるレヴィヤタンに短剣による突きを放つ。
ナイフは全て肘や手の甲で受け流され、短剣の一撃は紙一重で避けられると同時に伸ばした腕がレヴィヤタンの脇に挟まれて拘束されてしまう。
直ぐに腕を切断して逃げようとするが、それよりも速くレヴィヤタンの手が俺の顎を掴んだ。
「ハハハハッ、玩具箱みたいな奴だ」
「くっ…………」
そう言って、レヴィヤタンは俺を引き寄せ、下から顔をのぞき込むように見上げてくる。
「汝、サキュバスと一緒にいた男だな。…………成る程、そういうのもアリか」
俺をのぞき込んでくるレヴィヤタンの目はまるで蛇だ。密着する体からは温もりも感じない。これで舌が二枚に別れていたら完全に蛇女だ。
「じっと見つめてなんだ? 照れるじゃないか。このままキスしてやろうか。んん?」
うっすらと唇を開けてレヴィヤタンの顔が近づいてくる。口の中から冷気出しながら何言ってんだこいつ。
「――ッ、ぐ、うっ!」
顎を押さえられて上手く喋れない。拘束を外そうと抵抗するものの、PL一人と魔王とのステータス差は絶望的。それ以上に体が上手く動かない。凍結を受けた訳ではないのに体力バー、それだけでなく魔力、スタミナと減っていく。
「てっ、えぇ――」
吸われていく。体力もそうだが、俺を構成する何かが、奪われてはマズイものが吸収されていっている。これが全てなくなれば俺は死ぬと本能的に察する。
「大した精神抵抗値だが、時間の問題だな。汝の魂、貰うぞ」
テメェ、と言葉に出せないままアイテムボックスのポーチに手を突っ込む。このまま吸われて死ぬのも接吻で氷像になるのも勘弁だ。そっちがその気なら、こっちも考えがある。幸いにもシズネしかいない。誰の目も気にすることなくアレが使える。
「ソ――」
「クゥ様――ッ!?」
辛うじて取った魔法媒体の結晶を砕こうと握った瞬間、シズネが俺の名を叫び、同時に爆音が轟いた。
視線をそこに向けると、シズネの背後、氷付けになった玉座の間の扉が破壊され粉塵が巻き上がっていた。
粉塵の中から数本の矢が飛来する。粉塵を突き抜けた矢は正確にレヴィヤタンに向かっていくが、全て片手で叩き落とされていく。
最後の一本を払った瞬間、レヴィヤタンと俺の頭上に影が差す。
見上げると全身を水に濡らし、一括りにした黒髪から水飛沫を飛ばしながら槍を持つ女の姿があった。
宙で体を回転させ、矢を弾く為に体を離したレヴィヤタンと俺の間に槍を入れ、本来なら振り払うモーションで放たれる槍スキルによってレヴィヤタンの体が玉座の間端の水路の中へと吹っ飛んでいった。
「………………早かったな」
着地する気力も無く、そのまま背中から情けなく落下した俺は彼女を見上げる。
「まだ時間じゃないだろ」
「私が十分って言ったなら、それ以上速く来るに決まってるでしょう」
十分と言ったくせに五分で来やがった事を指摘すると、タカネは濡れた髪を後ろに払いながら当然のように言ってのけたのだった。