7-4
飯をざっと食い終わり、食後の酒を楽しむ精神共に一部のアダルティな面子を食堂に残して大半のPL達は城館に用意された部屋で一夜を過ごす事になった。というか、前見たときよりもデカくなっていて城館というより城そのものみたいになっていた。
俺は一人で城の中を散歩する。途中でメイドロボと遭遇し、いくつか軽い食べ物を貰い、歩きながら食べる。
フラフラと歩いていると、廊下の窓から下の階にあるテラスで涼んでいるPLの姿を見つけた。
現実世界では有り得ない青白く強い月光に照らされるという演出掛かった光景だ。それが似合うというのだから、褒めるべきか呆れるべきか。
「………………」
窓を開け、縁に足をかけて飛び越える。壁面を蹴って軌道修正して、そのままテラスの手摺りへと着地。なんだか、前にもこんな事をした覚えがある。その時は下から登ったのだが。
「お前はリストカットとかしないよな?」
「何言ってるの?」
怪訝そうに見られた。まあ当然だが。
「何やってるんだ?」
床に下り、彼女の隣で手摺りに背中から体重を預ける。
「月見よ」
俺の問いに、タカネは簡潔に答えて月を見上げる。顎が上がり、喉に綺麗なラインが作られる。
俺はメイドに貰った菓子をアイテムボックスから取り出してタカネの前に持ち上げる。
――ありがと、と言ってタカネがそれを受け取って自分の口に運んだ。
「面倒な事に巻き込まれた。まさか、魔王の城に飛び込めとか言われるとは」
話題提供の意も込めて、愚痴のように食堂での話を出してみる。
「あんたの不満は身の危険とかじゃなくて、こき使われる現状だけでしょう。それよりもこれ美味しいわね」
友人が危険な場所に行こうとしている事より菓子の方が重要らしい。
「まあ、実際に危ないのは魔王と真っ正面から戦うお前等だよな。優等生…………ついでにユリアも死んだ」
目だけを動かしてタカネを見やる。彼女もまた、こっちを見ていた。その目から何を思っているのか分からない。ただ、動揺するような揺らぎは無かった。
「私は死なないわ。何が来ようとやられるつもりは無いし、生きてここを出る」
大きな声ではなく静かな声。けれども力強く、よく通る。アヤネとはまた違った良い声だ。腹違いの姉妹らしいが、声に関しては遺伝だろうか。だとすると共通の雄側から受け継いだ訳で、その父親は一体なんなんだという話に。
「…………なに考えてるの?」
「別になんにも。相変わらずだと思っただけだ」
そう、相変わらずなのだこいつは。こんな所にもう一年以上閉じこめられているのに、タカネはタカネのままだ。死ぬかもしれないのにボス攻略に参加しようなんて気丈な女と言えばミサトさんをはじめ結構いる。むしろ熱の入りやすい男よりも冷静なので心強い。
だけど、そんな彼女達も何らかの心情の変化があった筈だ。何かが自分の行動を押し上げたり、引っ張ったりした結果だろう。
しかし、タカネは現実世界にいた時と変わらず強い女だった。
「………………」
「………………」
気が付けば、タカネと目が合っていた。
「じゃあな。俺はもう寝る」
俺は手を離して、テラスから城の中へと戻る。背中に視線が注がれている事には気づいていたけれど無視する。手にはあいつの肌と温もりの感触がまだ残っていた。
部屋に戻るフリをしてこっそりと城を出た俺は港近くの路地を通り、裏通りを進む。寝静まった他の区画と違い、裏通りは昼間の大通りの喧噪に対抗するかのように賑わっている。
「あかんわー」
思わず変な方言?が口から出る。
ストレスが貯まっている。魔王を倒してからはモンスターが強くなったこともあってあまりハシャいだ事はしていない。明らかにステータス足りてないだろ、と突っ込まれるのは分かった上でダンジョンを進むのを躊躇している訳じゃない。むしろ普段からそんな冒険の仕方だったし。
単純に、魔王城付近以外はだいたい行き終えてしまったからだ。それに、ヴォルトの時の様な事件もない。
テラスでの一件もある。ここは一つ、発散させなければならなかった。
シズネを呼ぶのも有りだが、あいつは女子会で給仕係をやっている。主人じゃなくてそっちを優先するNPCとか欠陥だろ――とか思ったが、そういえばこの街の前領主を裏切ってゴールドに協力したのもNPC達だ。怖ェよこの電脳世界。
「………………」
世界の不条理さに物思い耽っているフリをして、いかにもいかがわしい店からの呼び込みを無視して歩いていると、なんともいかがわしい雰囲気の集団を発見してしまった。
「お前等、何やってんの?」
「おわっ!? ――っと、なんだクゥか。脅かせやがって」
クウガをはじめ<ユンクティオ>の男衆がいた。何でこんな所にいるのかと思わず聞きそうになったが、そんなもの決まっている。賭博、酒、そして――。
「お前等も相変わらずだよな」
確か、前にもこうやって発見した事があった。
「おいおい、何を決めつけているのか知らないが俺達は――」
「行くんだろ? 娼館」
「…………はい」
図星をつかれてうな垂れるクウガ。
「懲りないよなぁ」
同じ男として気持ちは分かる。だが、女衆にバレたら絶対零度の視線を浴びせられる事もまた分かりきっている筈なのに。
「みんな城にいる今がチャンスなんだよ」
ゴールドの城に集まった女PL達は女子会と言うべきか、パジャマパーティをしている。たしかにそれなら町中でばったり会う確率も低いだろう。告げ口する奴がいなければ。
「ちょっと待て。いや、待ってください!」
俺の企みに気づいたクウガと男PL達が飛びつき懇願するようにしがみ付いてくる。そんなに女衆が怖いか。
「冗談だから。というか、そんな調子でよく行く気になるよな」
「新入れがいてよ。そいつまだ女を知らないんだ。何があるか分からないこんな世界だからせめて…………と思ってな」
シリアスっぽく言われても知らねえよそんな事。それに、そんな事言っても結局は素人童貞もとい電脳童貞だから。
「まあ、いいじゃねえか。ミサトさんとか見なかったフリしてくれるし。まあ、次の日は皆から冷たい視線を浴びるんだけどな!」
いきなり朗らかに説明し笑顔を見せるクウガだが、最後の台詞に切なさを感じた。そんな未来が分かりきっているというのに、こいつらは行くというのか。馬鹿だな。
「そういうクゥだってなんでここにいる」
「淫魔のいる店に行こうと思って」
「なんだよ、お前だって――」
「お前等も来るか? 紹介してやる」
「是非お願いします」
単純ってレベルじゃないな。
とりあえず、俺も幻覚を見せる霧の魔法などに必要な触媒が必要なので案内してやることにした。
「そういえば、シズネはいないんだな」
「あいつは女子会で給仕やってる」
――女子会か、などと反復してクウガが呟き、他の連中を続いて何か呟いている。きっと、逞しく妄想しているのだろうが、女子だけの集まりは陰口か色恋の話と決まっている。
「真面目な話…………」
クウガが声を低くして、俺にしか聞こえない音量で喋り始める。何かのフリか?
「シズネの事なんだが、なんだ、その……なんて言うのかな?」
思いの他、真面目な話になりそうだった。だから一応、言葉を探し倦ねて口ごもるクウガに茶々を入れずに言い終えるまで待つ。
「あーっとだな…………あいつらはあいつらじゃないのか?」
濁した言い方ではあったけど、意味は分かる。
「俺に聞かれても知るかよ」
「でもよ、一番長くいるだろ。アヤネちゃんにも付きっきりみたいで、まるで…………。それに、天使の中にだってよ…………」
「詳しい事はアールにこっそりと聞け」
アールはゴールドに協力していると同時にエノクオンラインのシステムについて水面下で調査している。俺が渡す情報収集用クリスタルを見せてもあまり満足した顔を見た事がない点であまり進んでいないだろうが、それでも誰よりも詳しい筈だ。シズネや、あのユイそっくりの天使の件についても。
もう一人、特に詳しそうなPLに心当たりはあるが、根がこんな奴であるクウガを悪女と合わせるにはさすがに僅かな良心が咎める。
「何であろうと普通にしてろ。どっちだろうと、関係ねえよ。むしろ挙動不審だと――気色悪いぞ」
「ああ、そ――今、気色悪いって言ったか?」
クウガを無視してアマリアの娼館に、夜な夜な女衆の目を盗んで青い情熱を処理する馬鹿連中を連れて歩いていると、不意にメロディが聞こえてきた。
耳元を擽るようなか細い声だが、はっきりと聞こえた。最初はアヤネかと思った(あいつの歌スキルの範囲は今やラシエムの港町全てが対象内に入る)が、どうやら違う。一度も聞いたことのない曲だし、何より声が違った。
変な例えかもしれないが、アヤネの声を澄んでいると表現するならば、今聞こえている声は粘りがある。
「おい、どうした? いきなり立ち止まって」
「いや、何でもない。それよりここだ」
ざっと周囲を見たところ、クウガをはじめ声に反応したような素振りを見せた奴はいない。喧噪の中に混じっているからか、気にしていないだけか。
鼓膜に纏わりつくそれを気にしながら、俺はアマリアの店を指さす。想像以上に豪華な建物だったからか、男共の口から感嘆が漏れる。そして、店の入り口から一人の美女が出てきた事でなんともだらしない声に変わった。<ユンクティオ>の女衆が呆れるのも納得だ。
「アマリアか」
店から出てきたのは娼館の女主人、アマリアだった。彼女は胸元が大きく開き、深いスリットの入った黒いドレスを着ている。手には細長い木箱を持っていた。
彼女は俺の傍で鼻を伸ばしている男達を見ると不敵な笑みを浮かべた。客商売してるのにその笑みは如何なものかと思うが、そう思ったのは俺だけのようで、他の連中の目には妖艶なものに映ったようだ。馬鹿だな。
「こいつら、俺の知り合い。今度からゴールドのとこにも頻繁に出入りするギルドの連中でもあるから」
何か質問したいようで肩を叩くクウガの手を叩き落として、アマリアに説明する。
「ああ、それはよく来たね。今日は楽しんでいくといい」
言って、開け放たれたままのドアに振り返ると手を叩いた。すると店の奥から娼婦達が現れた。
そして有無を言わさず、男衆の腕を絡み取り、その肉感的な肢体を押しつけながら店の中に引っ張っていく。魔王と戦った事もある屈強(ステータス的に)な男達は為す術がなく、そのまま店の中に誘拐されていった。
その光景は、罠を張り獲物が掛かった瞬間巣穴に引きずり込む捕食者を連想させる。
外に残ったのは俺とアマリアだけになる。
「あんたはどうする? 抱いていくかい?」
「いや、俺は…………」
顔を上げ、町並みの上を見る。この方角は港があり、先程から歌が聞こえてくる方角でもあった。
「こっちの方が興味あるな」
「それじゃあ、一緒に行こうかね。女の一人歩きは危険だし、ちょうど良かったよ」
何を言っているのだろう、この淫魔は。下手なPLなど蹴り一つで吹っ飛ばし、いざとなれば魔族の能力で戦わず勝てるくせに。
アマリアは木箱を持っていない腕を俺の左腕に絡めて先導するように歩きだす。マステマに連行された時も同じように腕を拘束されたが、その時と違いドレスから溢れんばかりの豊満な胸の感触が伝わってくる。まあ、あいつも体格からしたら決して小さいという訳ではないし、そもそもこれと比べるのは酷だろう。今度会ったらあまり見ないようにしてやろう。
「いきなり笑い出してどうしたんだい? 気色悪いわねえ」
特に急ぐ理由もなく、俺とアマリアはゆったりと夜の街を歩いていく。
聞こえてくる歌はどうやら一部の者しか聞こえていないようだ。最初は店から流れる楽士の演奏だと思って気にしていないだけかと思ったが、聞こえる者とそうでない者がいるらしい。
時折俺達と同じように、歌に導かれるようにして港へ向かっていくNPCの姿を見つける。歌は城まで届くようで、途中シズネから音声チャットが入った。大分気にしていたようだったが、城で待っているよう伝えた。
港が近づくにつれて段々と人気がなくなって、同時に闇も深くなる。アマリアは魔族だし、俺も<夜目>のスキルがあるので明かりがなくても不自由しない。
歩きながら念のために<気配察知>で周囲を警戒するが変な気配はない。代わりに珍しい奴がいた。
港の倉庫としていくつかある大きな建物、その屋根の上に四つ足の大きな獣がいた。シルエットだけだが、あれはおそらくモモのペットである大虎のはずだ。
虎はネコ科特有の暗闇でも光を反射する目でこちらを見ると、興味を失ったかのようにそっぽを向いて港とは反対側、モモのいる城の方角へと去って行った。
「そういえば、どこまで使えるようになった?」
手持ちぶさた気味だったアマリアが口を開く。俺が彼女から(半ば無理矢理)受け取らされた隠しスキルの事だ。
<エナジードレイン>が便利なのでよく使っている。だから熟練度が上がっていくつかスキルを覚えているが、あまり使う気は無い。というか、そんなスキルを持っている事がゴールドやアールにバレれば何を言われるか分からない。
一応、ステータスウィンドウを表示させて熟練度値を教える。PLのメタな台詞を勝手に世界観に合った言葉に変換して受け取ってくれるので楽だ。
「それだけかい」
そして何とも落胆した様子で言われた。
この場で押し倒してやろうかと思ったが、ちょうど港の船着き場に到着した。
建物に反響していたせいか小さく聞こえた歌がここに来て急にはっきりと聞こえてくる。
<気配察知>が反応する場所に首を向けてみると、停泊しているいくつもの船、その一つの船首の先に女が座っていた。
女の格好は水着のようなビキニの上に半透明な薄地の服を着ており、白く細い足の先には何の靴も履いていない。女の髪は腰を越え船首の下にまで届くほど長く青い。瞳は歌に集中しているせいか閉じられてはいるが、均整の取れた肉体と整った顔立ちから美人だと思われる。
船の上で月を背景に歌う姿はシチュエーションが港だけあって人魚かと見間違いそうだが、頭からは二本の角が生えていた。
もしかしたらエノクオンラインの人魚は角付きという設定も考えられるが、<情報解析>から得られた女のステータスから少なくとも彼女が魔族に分類される存在なのは間違いなかった。