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幻想世界の放浪者  作者: 紫貴
第一章
6/122

1-1


 ◆


 岩肌に囲まれた洞窟の中で、一匹のゴブリンが深々と息を吐いた。

 灰色の背中からは哀愁を漂わせ、その黒く鋭い筈の目は垂れ落ちて生気を感じさせない。粗暴で考えなしと言われているゴブリン種として非常に珍しい光景だ。

 オールドゴブリンと言っても過言ではない老成したそのゴブリンは、部下であり息子同然であるレッサーゴブリン達が近隣の村から奪ってきた食料など戦利品の山を見て再び息を漏らした。

 ――平和過ぎる。

 それがゴブリンが抱いている思いだった。

 昔は村の人間に雇われた人間達が食料を取り返しによく現れたものだったが、今ではめっきりそれが無くなってしまった。

 部下達が殺されず、奪い返されない。家業が上手くいって万々歳な日常ではあるのに物足りない。

 要は退屈なのだ。刺激が無いし、ゴブリンとはいえ血湧き肉踊る戦いをしたい時だってあるのだ。

 三度目の溜息を吐いて、ゴブリンは盗んだ野菜を掴んでかじりつく。甘い。

 高度なAIを積んでいるとはいえ、たかがゲーム内のNPCであり低レベルモンスターであるゴブリンが知る由もない事だが、彼らは冒険者とイコールで結ばれるPL達と相見える事はこの先二度とないと言ってよかった。

 近隣の村で受けられる初心者パーティー向けのゴブリン退治クエスト。それをゲーム開始から数週間経った今、受けるPLなどいないのである。

 新たにログインしてくる筈もないこの世界で、新たな初心者PLがやって来る事もなく、最早通過点だったとして忘れられる運命にあるのだ。

 自然の甘みを味わいながら、ゴブリンは数日前の事をふと思い出した。

 ――そういえば一人、活きの良い人間がやってきたな。

 いつもは数人のグループになって襲ってくる人間達の中には珍しく、一人で挑んできた男がいた。

 その者はたった一人でレッサーゴブリン達相手に奮闘したが、最終的にはフルボッコされて寸前のところで逃げ出した。

 ――おそらく、あれが最後の敵なのだろう。

 何百、何千というパーティーに倒され、その度に復活してレッサーゴブリン達を率いてきたゴブリンだ。もしかすると、復活する際にリセットされる記録の残滓が残っており、それが本能という形として彼に訴えているのかもしれなかった。

 そんな時だ、部下のレッサーゴブリンが慌ててやって来たのは。

 慌てふためく部下を叱責し、何が起きたか確認しようとした途端、彼にも何があったのか理解できた。

 煙が洞窟内を満たそうと迫ってきていたのだ。それも紫色のした毒の煙だ。

 報告に来た部下は既に毒煙を吸っていたらしく、喋っている途中で力尽きる。

 ゴブリンは急ぎ部下に最低限の物を、なによりも毒消しの薬を持たせて走り出す。

 煙の中で解毒しても再び毒に冒されるだけ。外に出て煙から逃れた後でないと薬の意味はない。

 だが、おそらく外にはこの毒煙を仕掛けた敵がいる筈だ。

 毒煙に満たされた洞窟を脱出し、最初に外に出たゴブリンは斧を構えながら周囲を警戒する。

 だがしかし、敵の影はそこには無かった。

 レッサーゴブリンが次々と脱出し、解毒薬を使う最中も姿を現して襲ってくる気配はない。

 心身共に毒を抜かれたゴブリンが斧を下ろす。その時、背後から部下の悲鳴がいくつも聞こえた。

 ゴブリンが慌てて振り返ると、脱出した部下の内何人かがトラバサミによってその場から動けなくなっていた。

 同時にゴブリンは異臭を感じ取る。毒煙のせいで最初は気付かなかったが、油の臭いを確かに嗅いだ。

 よくよく周囲の地面を観察してみると、薄い溝が掘ってあり、それにそって油を浸したと思われる木の枝が並んでいるではないか。

 ――しまった!!

 気付いた時には遅かった。

「ファイヤーボール!」

 森の中から突然炎の玉が放たれ、洞窟前に集まっているレッサーゴブリン達の一角を吹っ飛ばした。

 同時に油へと引火し、ゴブリン達を包囲するように炎の壁が出来上がる。

 トラバサミに捕らえられたレッサーゴブリン達は炎の壁に巻き込まれ、焼死する。

「ク、クククッ、ハーッハッハッハッハッハッ!」

 炎に囲まれて身動きが出来なくなったゴブリンを哄笑する声が森の中から聞こえた。

 木々の間から、枝を括りつけた緑色の布を放り捨て、一人の男が姿を現した。

「ざまぁみろ、ハゲ! この前の仕返しだコラ!」

 ――こいつは!?

 その男こそが、数日前にレッサーゴブリン達から逃げ回っていた人間だ。

 人間の雄は高笑いしながらも弓矢を取り出して、生き残ったものの炎の壁に囲まれたゴブリン達に狙いをつけた。

 逃がす気はまったくないようで、魔族みたいな凶悪な笑みを浮かべている。

 もしかすると本物の魔族なのかもしれない。いや、きっとそうだ。でなければ、本物の魔族に悪い。

「………………」

 ゴブリンは覚悟を決めた。

 火傷に痛む体にムチ打って、毒で減った体力を振り絞り、男に向かって走り出す。

 炎の壁があるというのに、だ。

 その彼の後ろ姿を見、生き残りのレッサーゴブリン達がそれぞれ木の混棒を持ち、その背中に続いた。

 人と妖魔の生死をかけた戦いの火蓋が切って降ろされたのだった。


 ◆



《雑談スレ》

『ゴブリンの森が燃えてる件について』

『ゴブリンの森ってたしか、あの雑魚相手に無双するクエがあるやつ?』

『そう。超イージーな初めてRPGする人向けのチュートリアルみたいなクエ』

『あれ、六人パーティーで挑んだらすぐに終わった』

『三人だとキツくなるけどな』

『数多過ぎなんだよ。まあ、今なら一人でもクリアできるけど』

『出来てもやる価値ねー。で、そこが燃えてるって? なんで?』

『知らん。ただ、鷹目で弓の熟練度上げてたら偶然見つけた。てか、フィールドとかのオブジェって普通に壊れるんだな、このゲーム』

『いまさらw』


 やっぱり騒ぎになったか。

 酒場兼宿屋の店で朝飯を食いながらゲーム内専用の掲示板に目を通してみれば、森のフィールドを焼き払ったことは当然話題になっていた。

 事の発端は、俺が森の中で採取スキルを使って飯の山菜や回復薬の材料を探していたらレッサーゴブリンの集団に襲われたところから始まる。

 一度迎撃する為に戦ったのだが多勢に無勢。マジで殺されかけながらも必死に逃げてなんとか近くの村に辿りついた。

 復讐を誓った俺は隠密スキルと追跡スキルでレッサーゴブリンの後をつけて、奴らの塒を発見。一度村に引き返して調合キットで毒煙玉を作成、少ない有り金でトラバサミと油などを購入して強襲する準備を整えた。

 最終的には勝つことに成功したが、結構やばかった。それに火を消す事なんて考えてなくて、森一帯が焼けてしまった。

 まあ、俺以外にPLはいなかったようだから別にいいか。

 それと、あのゴブリン退治のクエがあったのか。もったいないなと思いつつも、面倒だから受け直す気はない。

 掲示板を閉じ、軽く炙った米をスプーンで掬って食べながら次はマップを開く。

 どうでもいいけどこのパエリア? パエリエ? なんでもいいが旨い。味覚有りとはこのゲームとことんレベルがおかしい。

 マップには俺が今まで歩いたり街で買った地図で拡張されている。だが、果てが見えない。

 もうすぐ、ログアウト不可能な閉じられた電脳世界になってから一ヶ月近く経とうとしているが、どのPLもこの世界の果てに辿り着くどころか、脱出するための手がかりである魔王の一人も見つけていない。

 一応、それっぽいダンジョンは見つけているという情報が掲示板に載っていたが――

「関係ねえわな」

 最後の一口を食べ終える。

 ゲームクリアに興味は無い。むしろ俺はまだしばらくこの世界にいたいと思っている。

 ぶっちゃけ、現実社会と違って気が楽なのだ。社会的負け組の言い訳に聞こえるが、今のご時世、現実よりも電脳世界の方が生きてる実感がある若者は多い。

 特に今までなかった五感まで感じられるのがそれに拍車をかけている雰囲気を掲示板のやり取りを見て思った。

「さて、と。次は……」

 開いたままのマップを確認する。次は南の方に行こうか。初日で南東に行ったはずがいつの間にか北東に進んでいたからな。次こそは迷わず南の方に行ってみたい。いや、このままいっそ北に行くか?

 俺は、ここの方が生きてる実感があるとかマゾい事言う連中とは違うが、それはそれとして旅を楽しんでいる。

 PLが既に探索し尽くしたとか関係なしに山を登り、森を歩き、川を進む。そして、人の手によって造られたとは思えない景観を眺める。

 現実でアウトドアな事をやらなかった分、素の身体能力が関係ない電脳世界で我ながらはっちゃけてしまっているようだ。

 まあ、何度か死にかけたけど。

 始まりの街から出たあの日、食料は買ってもそれ以外の道具を買っておらず、明かりがなくて転けまくるわ、うっかり大型猫科系のモブを踏んでしまって暗闇の中で死闘を繰り広げるわで死にかけた。

 今ではサバイバルキットを駆使してテントや焚き火で快適な旅を行っている。時たまベッドが恋しい。

 目的(というか向かう方角)を決めた俺は店の主人であるNPCに金を払って酒場を出る。

 出発する前に一度必要なアイテムを補充しなければならない。特に魔法に必要な媒体を買わなければ。

 魔法を使うには、使いたい魔法を覚えて十分な熟練度を伸ばしているのは勿論のこと、魔法媒体を持っていなければならない。

 小さな瓶に入った液体のそれは使い捨てで、使用する魔法のランクで消費する量も変わってくる。

 消費しない媒体もあるらしいが、俺にはまだ縁のない物だった。

 ショップが固まって集まっている広間へと行く。その時、広間の中心にある騎士の像の足下に一人のPLが座り込んでいるのを見つけた。

 鎧ではなくローブのような軽装からして魔術師だろうか。

 男は胡座をかいて座ったまま、中空に投影されたキーボードを膝から少し上の位置に置き、指を世話しなく動かしている。

 宙に浮かべて表示させることの出来るウィンドウの内容は基本、表示設定をイジらなければ他人から見ることはできないようになっている。

 なので男が何をやっているのか分からないが、おそらく掲示板に面白いことでも書こうと頑張っているのだろう。

 無視して、ショップを向かおうとする。

 ――刹那、風船の割れたような音がした。

「は?」

 パァンて、パァンて音した。

 短くもはっきり聞こえた大きな音に驚き、自分でも間抜けな声を出したと思う。

 音のした方に振り返れば、先ほどの男がいる。だが、男は顔を上げて目と口を大きく開き、体を小刻みに震わせて痙攣していた。

 そして、目と口の中から徐々に体を光の粒子へ変換させて崩れ消えた。

 男は死んだのだった。


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