0-3
気が付くと青い空が視界一面に広がっていた。
「いや、なんでだ?」
体を起こすと、始まりの街の外壁が少し遠くにあるのを見つけた。
という事は、俺が今いるのはモンスターが闊歩するフィールドということになる。
まあ、RPG物の定番で最初の街周囲のはザコしかいないのだが。
あっ、ザコ代表のデカいネズミ発見。
反射的に、地面に転がっていた石を掴んで投げつける。悪ガキの行動だが、ネズミの行動は動物そのもので、命中せずに脇に落ちた石に反応して勢いよく跳び退いた。
そして、俺の気づくと威嚇するように鳴き声を上げる。
なんか――チューッ、とか言っているような気がするが、実際のネズミの鳴き声ってあれでいいのか?
ネズミーが出っ歯を剥き出しに俺に飛びかかってくる。
単調でさほど速くない動きに対し、俺はステップで回避する。そして、すれ違いざまに装備していたブロンズソードでネズミの胴を上から斬る。
小さく悲鳴を上げ、勢いを失ったネズミが地面に転がった。
ネズミの頭上に見える体力バーが三分の一ほど減る。
敵モンスターの体力バー以外にも、自分のライフや魔力、スタミナなどが自分にしか見えない視覚情報として表示されている。
ゲーム内で言うのもおかしな単語だが、拡張現実と言うやつだ。
俺はワンパターンなネズミに対して同じことを二度繰り返し、無傷で倒すことに成功。
体力がゼロになって倒れるネズミー。
直後に青白い光に包まれてパズルのようにバラバラと分解され、消えていく。
後には小さな毛皮だけが残った。
俺はしゃがんで毛皮を掴み、腰のポーチへ放り込む。大きさ的に絶対入らないと思うのだが、淡い光を放つ蓋の口に触れた途端に毛皮は光の粒子となり、一瞬でポーチの中へ吸い込まれていった。
ポーチはアイテムボックスで、収納物への大きさは問わない。代わりにスロット数――入れられる種類に限界があり、同じ物でも九十九個しか同スロットに入れられない。さらに重量という概念もあり、あまりため込むと動きにマイナス補正がかかってしまう。
換金アイテムを回収した後俺は少し念じる。すると目の前に基礎メニューのウィンドウが表示された。
ウィンドウの枠自体は自分以外にも見えるが、内容を見ることは出来ない仕様になっている。
俺はタッチパネル形式であるメニュー画面の項目を指で押し、アイテムボックスの内容を開く。
どちらもこうやって手で操作する方法と、念じるだけで操作する方法がある。だが、後者の方はまだ慣れていないので指で操作する。
アイテムボックスにはザコモンスターを狩って手に入れた換金アイテムがそこそこ集まっていた。
RPGではよくモンスターが何故か人間の貨幣を落とすが、換金という形ならツッコミを入れる気はあまり起きない。
ついでにステータスウィンドウも開く。
先ほどの戦闘で中型武器・刀剣のスキルとステータスのAGIが僅かにだが上昇している。ついでに、石を投げたせいか投擲スキルもだ。
このエノクオンラインは……なんて言うんだ、コレ? スキル制? ゲームにも英語にも詳しいどころか無知とか無頓着とかいう域に達している俺には明確な名称などよく分からんが、多分そう呼ばれるシステムだ。
武器や魔法、物作ったりなど何かしらの行動を取っていくことでそれに関連したスキルの熟練度が貯まっていき、その量に応じてプラス補正や特技を得るのだ。
今は初期装備として持っていた剣を使っているので、中型武器・刀剣スキルの熟練度が主に上がっている。
だが、ステータスウィンドウを見る限りは武器をはじめ多種多様なスキルがあるのが分かる。こうなると、色々試したくなってくる。
「そろそろ金にするか」
一度始まりの街に戻ってアイテムを換金して、その資金で槍とか弓矢とかを購入しよう。回復アイテムはキャンペーン特典として余分にあるので、そっちは買わなくて――
「あ?」
なんて思ってアイテムボックスを確認すると、特典で貰った筈のアイテムが無かった。どうやら、すっかり使ってしまったのを忘れていたらしい。
こういうところが周囲に抜けてるとか言われる所以だろうが、一向に直る様子もなければ特に意識して直す気もない。
「まあ、いいか」
無い物は無いのだ。
俺はメニューウィンドウを閉じて、街に向かって歩き出す。
街の周囲ではプレイヤーキャラ、PC達が疎らにモンスターを狩っていた。おそらく、キャンペーン参加者以外のプレイヤー達だろう。
キャンペーンに参加した連中の中には速い奴だともう別の街へ移動しているかもしれない。
タカネのゲームサークルの連中ならおそらくそこまで進んでいてもおかしくない。
サークルの面子は最初のログイン時の驚きから目を覚ました途端、メンバーを集めてとっとと街へ行ってクエストや狩り場を探し始めた。
明らかに場慣れしている感がある。
初心者ではないが、だからといってそれほどやる気があるわけじゃない俺は一人で街周辺をウロウロし、サークルの連中に余裕が出来たら合流して色々教えてもらうという手筈になっている。
これは、俺が連中の足を引っ張ってスタートダッシュを遅らせるわけにもいかないからゲーム開始前に取り決めていたことだ。
同時に俺が楽をする為でもある。実際、モンスターの歩き回るフィールド上で昼寝するような奴は足手まと……い……?
「昼寝? 寝てたのか俺は。ゲーム内で?」
いくら現実と遜色の無いこの世界とは言え、電脳世界内で寝るなんて有り得ないはずだ。
いわゆる寝落ち、という状態に陥るとその脳波を機械が読みとってある程度時間が経過すると、端末側が自動でスタンバイモードに移行してゲームからログアウトさせてしまう。
これは睡眠中でも脳に負担をかけさせない、もしくは寝ている隙をクラッカーに襲わせない為の、端末の新旧関係ない安全措置だ。
名称は知らないがそういった規定も法律で定められている機能だ。
だから、ゲーム内で睡眠を取って目覚めるなど出来ない筈だ。
「寝ていた、じゃなくて意識が飛んでた?」
いや、それならより安全装置が作動し、電脳世界専用に設立された健康センターに繋がるようになっている。より危険な状態と判断されれば、レスキューに通報までされる。
疑問に頭を悩ませていた時、悲鳴が聞こえた。
「――っ」
演技とは思えない、痛々しく強烈な悲鳴の声だ。
声のした方に振り返ると、二匹の狼と戦闘している三人組パーティーがいた。
パーティーの内一人が腕を狼に噛まれたのか、剣を落として腕の部分を反対の手で押さえていた。
残り二人が、仲間の尋常ではない様子に狼狽える。
ここからでは細かいことは分からない。だが、その痛がる様子と悲鳴は本物だと分かる。何がおきたのか分からず、動きを止めたパーティーに向かって二匹の狼が襲いかかった。それぞれ牙や爪による攻撃を受けた彼らが、悲鳴を上げ、混乱する。
「まさか……」
剣を引き抜き、自分の腕を浅く切ってみる。
「痛い……」
予想していたのと、浅く切ったおかげで悲鳴なんて上げなかったが、それでも確かな痛みがあった。
――以上だ。
今までの戦闘でダメージを受けた事は何度だってある。その時に感じたのは痛みではなく、柔らかい物で強く押されたという感覚だ。
触覚はあっても、痛覚に類するものはなかった筈だ。
再び聞こえてくる悲鳴。
顔を上げると、混乱の隙を突かれたパーティーが一方的に攻撃を受けて全滅しかかっていた。
「…………」
俺は足下に転がっていた石を二つ掴み、一つを左手に持って、残った右で石を投げる。
投石は、今度は敵に正しく命中した。
最初に悲鳴を上げていたPCの喉笛に噛みついていた狼が短い鳴き声を上げ、首から口を離すと俺の方に振り向く。
仲間の行動に気づいたもう一匹が同様に振り向いたので、そいつにもう一個の石を投げつける。
石は目に当たり、ライフバーが最初の犬よりも大きく減った。
「ああ、やっぱり急所の概念があるんだな」
ネズミ相手に剣を振っている内に気づいたことだ。
要はクリティカル扱いになるということだろう。
「さて、と……」
二匹の狼が完全にターゲットを俺へと定めて、駆け始めている。
剣を抜き、それを迎え打つ。
最初に来た狼に向けて横薙ぎに剣を振る。しかし、狼は跳ぶ事で斬撃を避けた挙げ句にそのまま俺に跳びかかってきた。
「チッ」
とっさに左腕を前に出す。
直後、鋭い痛みが奔った。
首の代わりに差し出した左腕に狼の牙が深く食い込んでいる。
血は出ない。しかし、自分で皮膚を切った時よりも鋭い痛みを味わう。
「クソが!」
反射的に悪態をつき、剣を回して刃をクソ犬の喉元に添える。そして、そのまま剣を引く。
肉を切る感触が柄越しに伝わり、喉を深く斬り咲いた。
それでも狼は顎を外さず、ライフバーも少し残している。
どころか、危険な状態になったことで逆に噛む力が強くなっているような気がする。
「いい加減、離せ!」
左腕を上から下へ振り、狼を地面に叩きつける。
それがトドメとなって、ライフバーがゼロとなり狼の姿が消えていく。
休む間もなく、二匹目が襲いかかってきた。
今度は振るのではなく、突きで攻撃する。当然のように横へ避けられるが、更にもう一歩足を踏み込ませながら突きを放った体勢から剣を横に振る。
狼の胴を斬り裂くことに成功、さらにそのまま追撃として、上段に構えて一気に振り下ろす。
狼の首が刎ね跳び、そして空中で胴体ごと消えていく。
「おー、痛って……」
左腕を見ると、傷口が淡く青い光として残っていた。ゲーム内での負傷の痕はこうして青い光によって再現されているのだ。
「おーい、大丈夫か?」
襲われた連中の元に歩いて近づくが、いつの間にか三人の内二人の姿が消えていた。代わり、皮鎧が二人分に剣と槍、そしてアイテムがいくつかと硬貨が入っていると思われる小さな袋が落ちていた。
状況から、おそらく二人が死亡して装備やアイテムだけが残ったと考えられる。
だが、PCが死亡した場合は始まりの街にペナルティを受けた状態で復活するだけで、こんなふうにアイテムを残して消える仕様では無かった筈だ。
「………………。おい、あんた」
三人目、杖を持って倒れている男に声をかける。
「あ……ぐ、ぅ…………」
男の全身に牙や爪による青い光が無数についていた。
「た、助け……」
直後、男の姿は青白い光に包まれてモンスター同様に分解し、消えていってしまう。
「………………」
正直言って気まぐれで助けに入っただけなのだが、さすがに助ける為に動いた結果がこれだと後味が悪い。
まあ、残したアイテムはしっかり貰うが。
「さて、と。一体何事なんだろうな」
アイテム全てを回収し、再び始まりの街に向かう。
痛みを感じるようになった。言ってしまえばそれだけなのだが、痛覚という危険を知らせる感覚の再現は法律上禁止されている筈だ。
思いついたのでメニューウィンドウを開き、ログアウトボタンを押す。
「………………」
何も起きなかった。
数度、ログアウトを試みるが、やはりログアウトできない。
街の入り口近くまで来ると、落ち着きのないPC達の姿をいくつも見ることができた。
どうやら、得た痛覚とログアウト不能の事態に皆が困惑し、慌てている。
その時、視界中央に何かを知らせるメッセージが表示される。
何かとは何かだ。
とにかく、なんか来たよーって感じでメッセージが表示されたので、メニューウィンドウに変化がないか見てみると、クエストの項目が点滅している。
それはどうやら俺だけでなく他のPC達も同じらしく、全員がメニューウィンドウを開いているのが見えた。
「怪しすぎて開けたくねー」
そうも言ってられないけど。
とにかく、クエストの項目を押すと別ウィンドウが開いてクエストの受歴を表示する。その画面には、見たこともないクエスト名が追加されていた。まだ一つもクエストを受けていなかったので、よりそれは目立っていた。
とりあえず、このオンラインゲームと同じ名を持つクエスト名を押して内容を表示させる。
・クエスト名:エノクオンライン
・依頼種別:討伐
・依頼者:ジョン・ケリー
・内容:世界各地を支配する魔王達の討伐
・情報:
現在この世界から現実世界への帰還は禁止されている。脱出したいというのなら、魔王を倒せ。
ただし気をつけるといい。肉体は現実世界にあっても、その精神はこの世界に拘束されている。その体はPCという殻を破り、PLの魂魄そのものだ。
風を感じ、痛みに泣き、快楽を得ることができる代わりに、死をも甘受する。