0-2
僅かな振動で目が覚め、俺はもたれ掛かっていた窓の縁から身を離す。
「ふぁあ~ぁ」
でかい欠伸を一つして、周囲を見回す。
首の骨がポキポキと痛そうな音を立てた。同時に左肩に重みを感じたので見てみれば、貴音が人の肩を枕代わりにして眠っていた。
顔にラキガキをする絶好のシチュエーションなのに、ペンを持っていないのが悔やまれた。
まあ、それはいいとして、俺が今いるのはバスの中だ。席は全て埋まっており、それぞれの席に座る連中が楽しそうに談笑している。
今日は約束の日だった。
そう、約束の日――知り合いらが作ったゲームサークルに混じってナンタラと言うオンラインゲームのキャンペーンに参加する日だ。
実は言うとその約束を俺はすっかり忘れていた。
なので、人が惰眠を貪っている時に奴らが押し掛けた時はかなりビビった。
男だが女か分からない謎生物の八幡が人ン家の電子ロックをクラックして鍵を開け、インテリマッチョの矢部が俺を肩に担ぎ上げた際に人攫いと勘違いして膝蹴りを矢部の顔面に喰らわした俺は悪くないはずだ。
どうやら、俺が約束をすっかり忘れていた事は貴音と翔太の予想通りだったらしい。
夏の猛暑でパンツ一丁で寝ていた俺は当然準備などできていなかった。
しかしそれも予想の範疇だったようで、勝手知ったる他人(友人の子)の家と言った感じで美恵さんが手早く(勝手に)箪笥を開けて着替えを用意された。
携帯端末と貴重品を一カ所に置いておく癖も当然見破られていたので、ものの十分で出かける準備が完了。
再び矢部に物のようにして担がれて俺はそのまま拉致されてしまい、企業側がチャーターしたバスの中に、他の参加者に注目されながら放り込まれたのだった。
非常識にもほどがある。
寝起きの頭でぼうっとそんな事を思い出していると、一部の乗客が騒ぎ始めた。どうやら目的地についたようだ。
キャンペーンの会場は支社にあるが、宿泊先としてホテルを使うらしい。
本当なら冬からのオープンらしいが、プレオープンとしてキャンペーン参加者の部屋を用意したらしい。
キャンペーン参加者は家から直接支社の方に行くか、企業側が用意したホテルから行くかの二択になる。
首都圏から離れた地域に住む人間は当然後者が多く、首都圏とそれ以外の中間の半端な地域に住む俺達も後者の宿泊組だ。
贅沢と思うと同時に、軽くネットで調べるとこのホテル企業の傘下の一つだった。
バスが段々とホテルに近づいて、ロータリーの所でとうとう停車する。
バスのドアが開いた直後、ガキを筆頭に若い順から勢いよく降車していく。
「行くか」
慌てたところでゲームは逃げない。だいたい、新型端末があるのはホテル近くの支社の方だし、なによりエノクオンラインのサービスが開始されるまではまだ時間があるのだから。
用意された部屋に荷物を置いた後またバスに乗って、実際のある会場となる支社の方に移動した。
説明会があるというので参加したが、眠かったのでぶっちゃけロクに聞いていなかった。
サークルの連中に話を聞いてみれば、なんのことはない事前にゲームの事をネットで調べれば出てくる情報ばかりだったとか。
……いや、一週間泊まり込みになるんだからその辺りの話も出ていただろうに。
それを突っ込んだら、寝ていた奴が言うなとか言われてしまった。
「こちらです」
案内係の女性社員がある部屋の扉を開け、俺達を招き入れる。
両側にスライドした扉を超えて部屋の中に入ると、そこは想像以上に広い空間だった。
明かりを発する真っ白の天井の下、何十もの新型端末があった。
マッサージチェアのようなベットの頭部分にはコードで繋がれたヘッドギアがある。
ベットは腕を伸ばして届くどうかという距離を離し、一定間隔で将棋盤のように綺麗に並べられている。
「お好きな場所を選んでください。貴重品などありましたら、私どもが責任持って預からせていただきます」
案内の人が説明してる間も、ガキを筆頭に何人が落ち着かない態度を取り、同伴している保護者に注意されているのが見えた。
このキャンペーンに参加しているのは合計で一体どれくらいいるのか知らないが、各地域の支社などをフル活用していることから相当数いるのが伺える。現にここにいる連中だけでも数十人がいるのだ。
参加者は子供の付き添いで参加する親子や、俺たちのようにグループで、またはボッチと様々だった。
「私達が一番人数多いから、あっち行きましょう」
と、いざ場所を確保する時にゲームサークルのリーダーである貴音が率先して進んでいく。そして真ん中を陣取った。
むしろ邪魔になるだろうと思ったが、上手い具合に別グループが隅に収まり、その隙間を親子連れやボッチが埋めていく。
「ねむ……」
ベットの上に横になり瞼をこする。徹夜で動画を見ていたせいで大分眠い。寝落ちしなければいいんだが。
端末を装着している間に寝てしまうと、その脳波をキャッチして端末自体がスリープモードに移行してしまう場合がある。そうなるとゲームによるが、自動でログアウトしてしまうから気をつけないといけない。
「もうそろそろか」
寝転がりながら時刻を確認する。俺が持っている時計は今では珍しいアナログ時計なので貴重品として預けたが、端末には横になったままでも時間を確認できるよう埋め込み式のデジタル時計があった。
ゲーム開始時間が迫りつつある。
キャンペーンの参加者は通常のオープンβ参加者と違い、一時間程度だが早くログインできる。その他にも回復アイテムなどの優遇などがキャンペーン特典として与えられるらしい。
ヘッドギアを付け、備え付けの枕に頭を沈める。
同時に、係りの人間がもうまもなく稼働するので準備をしてほしいと言ってきた。
宙に手を滑らして、ウィンドウを空中投影させる。
既にゲーム用に設定されているのだろう。すぐにログイン画面が表示された。
まだログインできないが、キャラクター自体はすぐに作れるようだ。準備とはこれの事だろう。
エノクオンラインはファンタジーRPGだ。 種族は人しかいない。だが、祖先というのを選べる。
「妖精の血」「亜人の血」「竜人の血」などを選べる事ができ、プレイヤーキャラの成長と共にその血が色濃く出、専用のスキルが使えるようになるらしい。
だけど面倒なので「人間の血」を選び、外見もイジらずに先へ進む。
電脳世界での自分の分身となるキャラクターは基本的に生身の外見と同じだ。
通常の匿名性の高いネットとは違い、電脳世界では視角で明確に相手を捉えることができるので、なりすましなどが見逃せないレベルになる。
そして実名が載っていようと気にしないくせに、他人が自分の姿を明確に見ているという意識、つまり人の目があると馬鹿は馬鹿をやらないらしい。
外見の変更は電脳世界の法律上破る事はできず、もしプロテクトを破って外見を変えれば逮捕されてしまう。
なので髪型やその色、目や肌の色、ちょっと体型をスリムにする程度の変更だけは出来るものの基本は生身と同じ顔だ。
電脳世界上のゲームはそのルールの外にあって大きく変えることはできるが、データ変換と悪質なユーザー対策上、電脳世界のルールをそのまま起用するゲームも少なくない。
このゲームも電脳世界と同様に外見の大きな変更はできないようだった。
キャラクター――PCの作成から次に移動すると、今度はアンケートのような質問が表示された。
「はぁ?」
なんでこんなものが…………。
そういえば、翔太が何か言っていたな。
えっと、簡単な心理テストをやって、なんだっけ? PCの特色を決めるシステムとかなんとか。
まあ、いいや。とにかく質問に答えればいいんだな。
選択肢を指先でタッチしたり、ウィンドウ同様に投影されたキーボードを打つなど様々な解答形式に沿って答えていく。
「………………」
ポチポチ、カチカチ。
ちなみに擬音であって、実際に音は鳴らない。鳴るよう設定できるが、新型端末にはそんな設定はされていないようだ。
「………………」
カタカタ、ポン。
「――うっわ面倒クセェ! 何が簡単な質問だよこれじゃまるでテスどぅわっ!?」
叫んだ直後に横からタオルを投げつけられた。
ヘッドギアを押し上げて隣を見ると、貴音がこちらを睨み付けていた。
「はいはい」
静かにしろってことね。
これ以上怒らせてもしょうがないので、真面目に質問に答えていき、最後のを終えるとようやくPCが完成した。
あとは稼働時間を待つだけとなった。
直後、広間にカウントダウンのアナウンスが流れ始める。
ユーザーよりもスタッフの方が悪ノリしている気がする。
10、9、8、とカウントの数字が段々小さくなっていく。
そして0になった途端に俺の意識は遠のく。いや、吸い込まれるようにして落下していると言った方が近い感覚だ。
どこに落ちるのか。決まっている。
電脳世界の基盤に立つゲームの世界に、だ。
黒に染まっていた視界が急に光に満たされる。
何も見えない事に変わりないが段々と光度が下がっていき、周囲の物の輪郭がはっきりとしてくる。
だが、その前に風の流れを感じた。
「風が?」
通常の電脳世界において視角や聴覚を感じることはできても触覚はない。
ゲームもまた電脳世界の上に存在しているのだから、電脳世界にないものはゲームの中でも無いはずだ。
それなのに――
「香りまであるのか!?」
風に乗って、鼻孔に草木の香りが入ってきた。
「おいおい……」
風の音は一定ではなく不規則。足下の草木の動きも同様で風によって滑らかに動いている。
足を数歩動かせばしっかりと踏んだ箇所の草が倒れ、影同士が重なったときの強弱まで目に見えた。
一体どんな処理能力があればここまでの再現ができるのだろう。明らかに既存のものなど足下に及ばない。
周囲は俺同様にログインした途端、その処理能力に驚いていた。その中にはゲームサークルの連中もいる。
皆、中世風の格好に各先祖の血によって外見的特徴で多少印象が変わっているが、現実世界と同じ姿だ。
新型端末のある広間で見た覚えのある姿もある他に、おそらく別会場からのキャンペーン参加者だと思われる姿もあった。
一様にそれぞれが戸惑う中、俺は視線で周囲を巡り見る。
ここは公園の中と思われる場所で、皆の位置はゲートポートと思われる円形の屋根のある小さな建造物の周囲だ。
ゲームの開始地点は確か始まりの街と呼ばれる場所で、ここはその街の中にある丘の上に立つ公園のようだ。
ざわめきを聞き、振り返る。
何人かのPC達が街を、そしてその外に広がる世界を見ていた。
俺も、そこへ行って彼らと同じ場所から街とその外を見やる。
そこには、陽の光によって影を差すレンガ造りの町並みが、更にその外には広大な大地とどこまでも続くかと思われる青い空が広がっていた。
凄い、なんてものでは無い。
最早や感嘆の息しか出ず、言葉でどう表現していいのかも分からない。
ただ確実なのは、リアルティを感じるまでもなく、それは目の前に確かに存在するものだと感じさせる圧倒的な存在感があった。