2-4
朝、日が昇る頃に再び大雨になった外を窓越しに眺めながら、俺以外に客のいない宿屋の一階にてコーヒーを飲みながら、PLが発行している新聞を読む。
「不味い」
店主が片眉を一瞬痙攣させたが気にしない。むしろ逆に――なんか文句あんのかコラ、という感じで睨む。
店主は慌てて視線を逸らして、さっきも磨いていた食器を再び洗い始める。
フハハッ。客という立場以上に今の俺には優位性があるのだ。
誰もいない店内、目覚めの朝を堪能していると二階から階段を下りてくる音が聞こえ、アヤネが姿を現した。
なんというか、視線を世話しなく動かしていて落ち着きがなく、顔もちょっと強ばっている。
例えるならオネショを隠そうとする子供のようであった。我ながら最悪の例えだな。
「あ、あの…………お、おはようございます、クゥさん」
「ああ、おはよう」
俺を見つけたアヤネは何か聞きたそうにしながらも最初に挨拶をしてきた。
「昨日は迷惑をかけてすいませんでした」
んで、次に病気になったことを謝罪。真面目だ。
「んー」
とりあえず、気にするなと言っても気にするだろうし、迷惑だったと言えばそれはそれで恩返し(償いとも言う)メーターが上昇しそうなので生返事しておく。
「あのぅ……。昨日、私の部屋に入りました?」
「ああ。悪いと思ったが一応様子を見ようと思ってな。病気も治ってたし、すぐに自分の部屋に戻った」
「…………部屋の中が、床とか壁に何故か戦闘痕があったんですけど?」
「ああ、すまん。ちょっと素振りしてた」
病人の横で素振りする奴がどの世界にいるのだろうか。まあ、時間なくてそこは修理できなかったが、それ以外の隠蔽工作はバッチリだ。多分。
「どうした? 怒ってんのか?」
「いえ、そういうわけでは……。ただ…………」
「ただ?」
オウム返しに聞き返すと、アヤネが顔を赤くしてモジモジし、何か気になるのか視線を一度俺の横に向けながらちょっと躊躇うように口を開く。
「わ、私、変な寝言とか言ってませんでしたか? 他にも寝相が悪かったりとか」
「いや、別に。至って面白味もなく横になってたぞ。奇声の一つでも上げてくれれば良かったのに」
奇声とは別の声は上げてたが。
「本当になにもなかったんですね?」
「ああ」
そういう事にしておけ。
「そうですか。良かった。なんて言うか、その……へ、変な夢見てしまったんで、醜態を晒したんじゃないかって、ちょっと心配になってしまって」
まだ顔が赤いままだが、見られていないと確信を得た(騙された)アヤネは小さく笑う。
そうそう、それ以上醜態見せる前に昨夜の事は忘れておけ。幸い、催眠効果のあるあの匂いのおかげで記憶はあやふやのようだ。
「痴態なら晒しッタァ!?」
「黙れよお前」
床に正座するサキュバスを棍で突く。
「イタいイタい! グリグリしないでぇ! あぅっ、え、抉れる! 抉れるからやめて~~」
昨晩のサキュバスはまだいた。というか、まだ生きていた。
諸々の処理をする為にとりあえず、せっかくセットしたのだからとトラップ部屋(俺が取った部屋)に窓から放り込んどいたのだが、翌朝戻ってみるとギリギリ生きていた。
トドメを刺してやってもよかったが、別の使い道を思いついたのでそのまま生かしてやる事にしたのだ。
「あ、やっ、ち、ちょっとそこマジでシャレになっ――いったーーーっ!!」
店主がカウンターから――困るよお客さん。うちはそういう店じゃないんだから、と言いたげな顔をしていた。
が、さっきもそうだったように今更店主に気を使うつもりはない。あのNPC、サキュバスが嵐の来る直前と、雨が一時止んだ昨夜に来ていた事に薄々気づいていながらも黙認していやがった。
まったく、とんだ宿に部屋を取ってしまったものだ。
「あ、あの、さっきから気になってたんですけど、そちらの方は一体? なんだか見覚えがあるような……」
「気のせいだろ。こいつについては…………」
さすがに、露出の高い女が俺の足下で縛られて正座してたら気になるよな。
「物置だと思え。どうせ後で金に代わる」
「それは人身売買と言うんじゃ」
「そうだそうだー。公国じゃ人身売買は犯ざ――~~~っ! 止めて止めて、足触らないで、棒でツツかないで、痺れてるのよ今――~~~~っ!?」
どういうルールか知らないが、NPCは正座すると疑似麻痺になるようだった。
「とりあえず飯食ったら荷物まとめろ」
「はい、わかりました」
「………………」
いや、そこはどうしてですかとか、こんな天気に外へ行くんですかとか聞くところだろ。なんでそう、疑問も不満も現さずに頷くか。逆にこっちが不安になる。
渡世の荒波に上手いこと漂う宿を引き払い、レインコートを装備した俺達は滝のように降り注ぐ雨の中を黙々と歩く。
俺は慣れているが、アヤネは濡れて滑る街の石畳に少し苦労しているようだった。
「あのー、私、いつまで拘束されなきゃならないのでしょうか?」
「四つん這いになって歩きたいのか。そうか、そういうのがご所望か。わかった。今首に巻き直してやるから待ってろ」
「ごめんなさい」
ちなみにサキュバスは俺が握る縄で両手を縛られた状態でレインコートを羽織って歩いている。頭からコートを被って連行される犯罪者のようだった。
「雨が跳ねて冷たーい。空飛んで帰りたーい」
脅したそばからこれだよ。
「あの、クゥさん。この人ってまさか魔族の方なんですか?」
さすがに気づいたらしい。
「そうよー。リムっていうの。よろしくね」
サキュバスが名乗った瞬間、視覚に表示されるこいつの情報に固有名詞が追加された。
「私はアヤネと言います」
名乗り返さんでいい。
「そう、アヤネちゃんって言うの。食べていい?」
「え?」
「お前魚の餌にすんぞ」
「ごめんなさい…………」
懲りない女だ。
「それで、私達はリムさんを連れてどこへ? そもそも、いつの間に魔族の方とお知り合いに?」
「こいつが人の物(体力とか魔力とかスタミナとか)盗みに部屋に入ってきて、それを撃退したんだよ。今向かってるのは……」
実はこの街、こんな頭悪そうなサキュバスが宿に泊まる人間を襲っても主人が何もしないことから大凡察しがつくように、普通とはちょっと違っていた。
このヴォルトという街にはある人種がいる。種族的なものではなく何と言うか、マフィアとかギャングとかそんな裏社会的なNPCだ。
そして現在、二大ギャングが抗争の真っ最中なんだとか。長期クエスト故の設定なんだろうが、ざけんな。
今はさすがのこの雨で大規模な衝突はなく、雨を利用した不意打ち合戦の泥沼となっているらしい。いや、さすがにそこまでの事が起きているかは怪しい。多分、この街の設定なんだと思う。
それで、対立する二つの組織の片方にはキナ臭い噂があった。それは、魔族を傘下に納め、その力で抗争を有利に進めているというものだ――なんて事を、昨日ヴェチュスター商会のあのロボ娘から聞き出した。おかげで金がスッカラカンだ。
「……着けばわかる」
アヤネへの返事もなあなあに、俺はリムを引っ張りながら先に進む。
おそらく、その魔族というのはこのリムとかいうサキュバスに違いない。というか、昨夜の内に本人からも聞き出した。
リム以外にもサキュバスがこの街に住んでおり、<魅了>や幻術を使う魔族として抗争に参加させられているらしい。
俺の所に来てエナドレかましたのは長く続く抗争でさすがに疲れてエネルギーを補給したく、間違って死んでしまっても宿の主人が何も想像せずに上手く処理してくれることもあり、余所者である俺に狙いを定めたのだ。
ハハッ、思い出したらやっぱムカつくわ。あの宿屋のオヤジ殺したくなってきたぞ。
「着いたわよ」
と、ちょっと殺意漏れ出そうになった時、ようやく目的の場所に着いたらしい。
「…………あの、クゥさん?」
「一応あらかじめ先に言っておくが、そういう意図はないからな」
まあ、サキュバスって点で予想出来てたが。
「ここが私達サキュバスが塒にしている娼館スブロサよ」
――娼館スブロサ。
人間に混じってサキュバスという華を抱えるこの店は、主人もまたサキュバスらしい。そもそもスブロサはサキュバスが安全に効率よく精気を吸う為にその店主が人間と交渉して手に入れた居場所である。
つまり何が言いたいかと言うと、マズったかもしれない。
スブロサに到着し、裏口から入った俺達はVIPルームと思われる豪華な部屋に通され、身を深く沈められるソファの上に座っている。
「さ~って……。こいつを向こうの陣営に渡されたくなければ金寄越せと脅し取るつもりだったんだが、雲行きが怪しいぞ」
足を組んで座り、背もたれに全体重をかけながら自分の浅はかさを悩む。直す気はないけどな。
専門職でもないくせにトラップの材料やらなんやらと買っているせいか出費がバカにならず、クエストも特に受けていない。フィールドモンスターが落とす換金アイテムでは限界がある。
だから金欲しさにこんな所へと突入したんだが。
「クゥさん。これって小悪党なモブキャラが死ぬフラグなんじゃ」
言うなよ。俺も思ってたけど。つうか、顔赤くしている癖にそういう事ははっきり言うのな。
隣に座るアヤネはここが娼館だと知るとま~た赤くなっていた。開拓時に脱童貞未遂事件もあったんだし、そろそろ慣れろよ。
「映画である分不相応に報酬をつり上げようとして殺されるパターンだと思います」
だから言うなって。もしかしてあれか? またこんな所に連れ込んだ仕返しか。
「はぁ……」
こんな事なら、アールあんな頼み聞かなきゃよかった。
アールからは奴が自作したという情報収集用クリスタルというアイテムを預かっている。その辺りの事は無知なので詳しくは知らないが、電脳世界でもハッカーがよく使う物で、自分の代理で知りたい情報を収集させるプログラムを応用したものらしく、持っているだけで周囲の情報を無作為に集め蓄積する物らしい。
魔王を倒すよりも、システムの解析に重きを置いているハッカー達はこれによってとにかくヒントを少しでも得られればと情報収集に精を出している。
特に操作も必要なく、色々とゲーム情報などアールから教えて貰っている俺はその礼と言う訳ではないがクリスタルを預かり、気が向いたら通常と違う行動を取って何か貴重な情報が(勝手に)得られないかやってみたりする。
この娼館に入ったのもソレが目的だったりするのだが、ちょっと無謀過ぎた。
「ふわぁ~~」
隣では捕まえたサキュバスが眠そうに欠伸している。この種族は夜行性らしく、朝になると眠くなってしまう。そういえば、この部屋に案内してくれたサキュバスも眠そうだった。
殴り起こしてやろうかなと思った時、部屋の扉が開いて黒い薄手のドレスを着た女が入ってきた。
「待たせて悪かったね」
女はそう言って俺達の向かい側にあるソファに腰掛けた。その途中、気だるそうな眼でリムを一睨みした。
眠そうにしていた筈のリムはソファに背筋伸ばして姿勢良く座り直す。
「……私はこのスブロサの主をやっているアマリアっていうんだ。よろしく」
女はキセルのような物を取り出して名乗ってから、その吸い口に口を付けた。
「さっそくだけど、身代金を要求してるんだって?」
紫煙を口から吐きつつ、アマリアと名乗った女が単刀直入に聞いてくる。
<情報解析>で見る限り、こいつもサキュバスのようだったが、詳細は分からない。万が一戦闘になれば勝てるかどうか怪しい。
「いいよ。払ったげる」
しかし、女はあっさりとそれを了承し、ソファの前に設置してあるテーブルの上からベルのような物を摘み、左右に振る。するとすぐにドアが開き、先程道案内した女が入ってきた。アマリマがその女に二、三ほど会話すると、女はすぐに部屋を出ていった。
もしかして、ずっと部屋の前でスタンバっていたのか?
「……なんか菓子でも買うような気軽さだけど、いいのか?」
自分でもやってて大分無理があったんだが。
「こんな馬鹿娘でも同族だからね」
キセルの先で示されたリムは気まずそうに苦笑いを浮かべて視線を逸らす。
「それに、魅了も効かない相手に金で解決するなら安いもんだよ」
「どうして魅了が利かないって分かるんだよ」
俺だって昨晩知ったばかりなのに。
「その子が捕まってるのが証拠。まさか、精神力が高い男がこんな所にいたとはね」
精神力? ……もしかして。
思考だけでステータスウィンドウを開いて精神抵抗値を確認すると、すっげー伸びてた。
抵抗値は基本的にその属性の攻撃を受ければ受ける程上がっていくマゾ仕様だ。多分、最初の夜に<エナジードレイン>を受けた時に上がったんだと思う。……伸び率がちょっとおかしい気もするが。
今度からはステータスの伸びやスキルもちゃんと確認しよう。
「まったく……今は抗争中だから大人しくしてろって言ったのに」
「でもでも、対策されて最近全然精気吸えないじゃないですか。お店だってお休みだし」
「はぁ?」
「ご、ごめんなさい……」
アマリアが金の瞳で睨んだ途端、リムが身を小さくしつつ謝った。上下関係が分かりやすい。
少しすると、さっきの女が小さな袋を持って再び現れて、それをテーブルの上に置いた。袋の中から聞こえる音からして、多分石類だ。
「それでどうだい?」
中身を見ろと、アマリアが顎を小さく上げてそれを示す。
「………………」
俺は袋に直接触らずに短剣を取り出し、その先端で袋を開ける。中には、多数の宝石が詰まっていた。
「わぁ、綺麗……」
「ああっ!? それ私の!」
「うるさいよお前」
女っていうのはどうしてこう光る物が好きなのか。
罠も何もないようなので、宝石の入った袋を今度こそ手に取ってアイテムボックスへ仕舞う。想像以上に重量があった。
そして、リムの両手を縛っていた縄を短剣で切ってやる。
「ああ……やっと鬼畜男から自由に」
「感慨深く言ってるとこ悪いが、誰が鬼畜か」
「あっ、それよりも……。実はその宝石は私ので…………」
「返してやらん。自業自得だ」
「ええぇ~~っ、そんなぁ! お願い、いいでしょう? サービスするからァ」
「お前しつこい」
何をサービスするつもりか。
立ち上がった俺の腰に抱きつき太股に胸を押しつけてきたりなど露骨にアピールする馬鹿淫魔。そんなに光り物が大切か。
「おら、用は済んだ。とっとと行くぞアヤネ」
まだ襲われる危険がある。運良く換金アイテムが手に入ったので早々に出るべきだ。
「ほら、何だかんだ言ってアレ気持ちよかったでしょ? サキュバスの匂いと体液は後遺症も常習性もないから安全安心気持ちいいのお得仕様なのよ!」
知らん。この女、一体どれだけ宝石が大切なのか。
「サキュバス…………匂い…………」
「――げっ」
しまった。今ので気づかれた!?
「あ、ああああの、クゥさん! け、今朝の話の続きなななんですひぇど、ましゃか……」
噛み噛みになるなら無理に喋るなよ。
「さぁーて、帰ろ帰ろ」
リムを引きずって早足にドアへ向かう。
「ま、まま待ってくださーーっい」
「ああっ、くそっ、重りが一人増えた!」
アヤネが俺にしがみついた瞬間、リムが密かに笑みを浮かべた。
計画的犯行かよ! この女、やっぱりトドメ刺しておくべきだった。
「クックックッ……リム、離してやんな」
さっきまで、くつくつと笑って俺達のやり取りを眺めていただけのアマリアがリムをようやく止めた。
「今回の事は自分の責任だよ。宝石なら後で私が少し分けてあげるから落ち着きな」
地味に甘いぞこいつ。
「お嬢ちゃんは……まあ、何があったか知らないがそこは二人で解決しておくれ」
おい、どうせならこっちもフォローしろよ。
「それで……えっと、そういえば名前聞いてなかったね。あんた名前は?」
「クゥ」
リムが勝手にバラした。お前が答えるんかい。
「そう。それじゃあ、クゥ。リムの事は関係無しに頼みたいことがあるのよ」
「はあ?」
振り返ると、未だソファに座ったまま煙草を吹かしているアマリアが金色の瞳でこちらを見つめていた。
「さっきから警戒してるようだけどあんた達に危害を加える気はないし、報酬もちゃんと払うよ。その上で、このしがない淫魔の頼みを聞いてくれないかい?」
「………………」
彼女の言葉と共に、キセルの先から出る濃い紫煙が俺の前に集まり、すぐに晴れたかと思うと真っ黒なウィンドウでクエストが表示されていた。