2-3
「あー……何だか面倒だ」
というか、何だかややこしい方向に進んでいるような、その一歩手前のような感じがする。
アールとクサれロボ娘から聞いた話を統合すると、この街自体が外の大雨と関係なしに色々と事情(長期クエストなど)を抱えているようだった。
多分、この街で受けられるいくつものクエストも今朝の事に関連したものだ。となると、もしかすると特定条件下で発動する強制クエストに巻き込まれたか。
だが、スッカラカンのクエストウィンドウにはそんな表記は見当たらない。まあ、強制クエストだろうが何だろうが、ログアウト不可になった直後に全PLに渡された魔王討伐クエスト同様に放っておけばいいのだ。
などと考えていると、宿で借りた部屋での作業を続けていた俺はドアがノックされるのを聞いた。
「お客様、よろしいですか?」
宿の従業員の声だった。
「ちょっと待ってくれ」
今入られたらNPCが死ぬ。いや、NPCも攻撃禁止の対象だっけ? あれ? だとしたら俺が今やってる事って無意味なんじゃ……。
ちょっと自分のしている事に鬱りながら、ドアを開ける。
「で、なに?」
「夕食の時間になっても下りてこられませんでしたので」
「ああ、もうそんな時間か。飯、残ってる? 残ってるなら今行くわ」
まあ、残ってないと呼びに来ないわな。
「ああ、そうだ。隣、どうしてる?」
隣の部屋、アヤネが泊まっている部屋のドアに視線を投げかけながら聞く。俺がアヤネの看病を任せたのはこの女従業員だった。
「お粥をお食べになった後、もう眠っております。熱も下がって、明日には元気になるかと」
「ああ、そう。これ、お礼ね。後はもうこっちに任せていいから」
NPCにそれなりの金を渡す。
「えっ、でも、先に頂いて……」
「あれは必要経費。こっちが報酬」
「さすがにこんなにも受け取る訳には」
自販機のように素直に受け取っておけばいいものを、NPCは結構食い下がった。一度出した金を戻すなんて男の沽券に関わるとか、そんな恥ずかしい嘘を言ったらようやく受け取ってくれた。
「マジで治ってるな」
下で食事を終え、アヤネの部屋に入った(鍵は開錠した)俺は<能力解析>で彼女のステータスを見ると、病気のアイコンが消えていた。
ベッドの上で仰向けになってシーツを被るアヤネは朝の苦しそうなものと違い、安らかな寝顔を見せていた。なんか、安らかなって言うとまるで死んだような言い方だが、ちゃんと生きている。
アヤネの額の上に乗っていた、すっかり乾きつつあるタオルをどかして額に触れてみるが、熱もしっかり引いている。
それでも熱による疲れなのか、アヤネはこうやって触っているにも関わらず起きる様子はなく、一定のリズムで呼吸を繰り返す。
「…………疲れる」
肉体ではなく、精神的に。
タオルを持ったまま、備え付けの椅子に腰掛けて深く息を吐く。
アヤネのか細い呼吸の音が窓に当たる雨の音にかき消されている。買い物から帰った時に聞いたのだが、白竜がいる間の豪雨は止んだり降ったりを繰り返すらしく、今の雨足は大人しい。店主によれば、おそらく今夜には晴れ、そして短い休息の後にまた大降りになるという。
「………………」
アヤネが僅かに呼吸を乱し、呻きにも似た微かな息を吐く。熱がまだあった時に流した汗が不快だったようで、無意識に呻いたのだろう。
ちょうどタオルを持っていたので、それで額や頬、顎下の汗を拭ってやる。そのまま滑らかな曲線を描いて首へ。
僅かに汗を吸い込んだ布越しに、旅の途中度々聞こえるアヤネの歌の発生源たる喉の感触を掌が得た。
「………………」
警告ウィンドウが出たことで、俺は手を離して椅子に座り直す。
背もたれに体重を預ける際に体重をかけすぎたのか四つ足の椅子が後ろに傾くが、バランスを取って二本足の傾いた状態で停止させる。更に横に体重をかけて、一本足で姿勢を固定する。
現実世界じゃできなかった芸当だが、ゲーム内では簡単にできるようになっていた。
……そう、ここだと向こうでは出来なかった事が色々とできてしまう。
「そろそろ限界だな……」
甘い果実の匂いがした。
窓が開いているのか風が室内に入り込んでくる。雨は止んでいるようで雨音は聞こえず、それでも湿気の生温い空気を感じる。
そして、腐りかけのようでいてそれでも甘酸っぱく、人を誘惑する香りも外の空気同様部屋の中に入ってくる。
体が苦しい程火照る。自然と息が荒くなる。そんな苦しみとは逆に浮遊しているような感覚に陥る。
「気配がしないと思ったら、隣にいたんだ」
女の声が聞こえた。囁くように小さく、しかし耳の穴から直接脳を擽られるような不思議な声だ。
木の板でできた床をゆっくりと歩く足音が聞こえたかと思うと、膝に人が乗ったような重みを感じた。
うっすらと目を開けると、女の顔がすぐ目の前にあった。
「ふふっ、それに可愛い子もいるじゃない。あの子はデザートとして、まずはあなたね」
俺が目を開けているにも関わらず、女は臆するどころか上目遣いに見つめ返す。更には、俺の首に腕を回し、谷間を大きく露出させた胸を押しつけるようにして体を密着させてきた。
暗い室内の中においてぼんやりと光る、猫の瞳のような目で俺を見つめる女は肉厚な唇を舐める。
「それじゃあ、いただきまァす」
小さく口を開けて、女の顔が近づいてくる。
部屋に満ちる甘い香り、そして女の瞳を見てからまるで脳が痺れるような感覚に襲われ、もうこのままされるがままになってしまえと思う気持ちが沸いてきた。
そして、体に籠もる熱をこの魅力的な肉体を持つ女にぶつけてしまいたいという欲望が滾ってくる――――が、それはそれ、これはこれ。
無防備な女に格闘スキルで腹パンする。
「――っ!?」
完全な不意打ちに、女はあっさりと引き剥がされて床に転がった。
「チッ、口が……」
殴った衝撃で女の歯が唇に当たったらしく、痛みを感じた。舌で無かった分、というかこれだけで済んでマシと思うべきか。
視界の隅のパラメータを確認すると、あれだけの時間で満タンだった体力、魔力、スタミナが減っていた。
「ウッ、ゲホ、ゲホッ! な、なにが――」
俺は椅子から立ち上がり、女の子座りで咳き込む女の前に立つ。
<能力解析>を使用してみると、体力バーを初めとした様々な情報が表示された。固有名は伏せられていたが、種族は分かった。やはり、サキュバスだった。
今朝、起きた時の体力バーなどの減少は<エナジードレイン>というスキルによるもので、夢で見たエロいのも含めてこの女の仕業だったのだ。
恥を捨てて諸々をアールに説明した時、返ってきたのがサキュバスという名の種族だった。
サキュバスは<魅了>と幻覚魔法を操る魔族で、同時に<エナジードレイン>で相手の体力諸々を奪うのだ。そのやり口は名前の通り。エロい夢を見せ(という事にしておく)、その隙に生気を吸い取る。
「ど、どうして私の魅了が利いてないの!?」
サキュバスが俺を見上げ驚いている。いきなり俺が動いた驚きか、腹パン喰らった衝撃なのか、先程までなかった羊の丸っこい角と大きなコウモリの羽が顕わになっていた。
「知らん」
昨夜は記憶が朧気な事から効いていたのは間違いない。
<魅了>や幻覚魔法に対抗するには精神抵抗値の熟練度が高くなければならない。だが、そもそもそれを必要とする場面が少なく、<魅了>や幻覚を使うモンスターもまた滅多に出会うことがないので精神抵抗値を上げる機会がない。
わざわざ豪雨の中、店に行ったというのに対魅了用もしくは精神抵抗力上昇のアイテムは売り切れだった。
だから正面からいかずに、自分の部屋にトラップを仕掛けて隣の部屋で待ち伏せていたのだ。
それが途中で眠ってしまい、賊の侵入に気付けば既にあの妙な香の匂いがしてきてちょっと男の沽券的にヤバい、服を着ていても街を出歩きたくない状態になってしまった。一生の不覚だ。というか寝たら待ち伏せの意味ねー。
「くっ――」
女の瞳が妖しく輝き、視線が俺を射抜く。<魅了>だろうが、一瞬ちょっとクラッときたものの効かない。
「そ、そんな!?」
「さて、と……」
どういう理由かは知らないが、難しい事は後でアールにでも聞いて調べるとして、この機会を逃す手は無い。
収納ベルトから武器を取り出し、女を囲むように突き立てて並べる。
「え?」
キョトンとした表情を浮かべ、女が自分の周囲を見回す。
並べたのは大剣、直刃剣、斧、鉄槌、槍、棍だ。
「えっと、あのぅ……?」
<魅了>をかけた時と打って変わって、女はしおらしい態度でやや頬を引き攣らせながら俺を見上げる。
「な、何をするつもりか聞いていい?」
「ここで質問だけど」
女の言葉を無視して俺は右手に鞭を、左手に短剣を装備して言葉を続ける。
「切り刻まれるのと叩き潰されるの、どっちが好みだ?」
ああ、きっと今の俺は笑顔だ。
「い、いやぁーーっ、助けてーーっ! 悪魔がいる!」
「逃げんなコラ! それに誰が悪魔だ!」
悪魔に悪魔なんて言われたくない。
それほど広くない室内で暴れ回る。キャーキャー言いながら抵抗する女は伊達に魔族をやっていないらしく、予防注射を嫌がる猫みたいな感じなくせに結構ダメージを与えてくる。
だが、<魅了>を初めとした厄介な能力を持つ分それほど基礎能力は高くなく、俺一人でも取り押さえる事に成功する。
「さぁて、どうしてやろうか。ククク……」
鞭の<束縛>で縛り上げて床に踏みつけ、中型武器:刀剣である片刃剣の腹で女の頬を軽く叩く。
「何でもしますから命ばかりはァ~!」
「えー」
仮にも命そのものである体力バーが半分も削られたわけだしなあ。
「ってか、さっきからこのお香みたいなの何だよ」
部屋には魅惑的な甘い匂いが充満している。この哀れなサキュバスが動いたりダメージを負う度に、花粉をため込んだ植物のように匂い濃度が強くなっているような気がする。
「これは私の匂いよ」
マジで体臭かよ。
「サキュバスは体から相手を欲情させて誘惑する匂いを放つことが出来るの」
と、馬鹿なサキュバスが説明し出すと同時に、目の前にウィンドウが開いた。それは、今説明された事と似たような文章が表示されている。
どうやらスキル説明のようだ。
匂いは<魅惑香>というものらしく、特定の種族の分泌液から発せられる――汗かよ!
って、そんな事はどうでもいい。今までこんな風にわざわざウィンドウが勝手に開いてスキル説明した事なんてなかった。
「…………その目が光ったのは何でだ?」
「魅了を使うとこうなるのよ」
と、ちょっと試しに聞いてみたら新しいウィンドウが開いて、今度は<魅了>についての説明文が現れた。
どうやら、魔族から説明しても情報が登録されてウィンドウが開くようだった。
「って、そんな事はどうでもいいな」
<束縛>の圧力を強める。
「痛ァ! くぅっ…………あぅぅ。プレイとかの域超えて普通に殺される~」
「お前まだ余裕あんな」
「イタいイタいイタい~~」
「………………」
どうしよう。段々と楽しくなってきたかもしれない。
サキュバスがまき散らした匂いもあって、この絵的に非常に犯罪なこの状況が、口に出すのも憚れる感じにとっても楽しい。
いやぁ、マジどうしよ。このまま行くと俺、危ない方向に更に進む可能性が。
「ん?」
そこでふと思い出す。結果オーライになったが、本来は隣のトラップ部屋で撃退する算段であり、その間はその隣の部屋で待機していた。
……この部屋で寝泊まりしていた本人はどうした?
この騒ぎでも起きてこないのはどういうわけか。ていうか、なんか……なんつーの? まあ、嫌な予感がするわけで。
逃げられないようサキュバスへの<束縛>を強くしつつ、アヤネが寝ている筈の寝台に視線を向ける。
「あ」