2-1
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ヴォルトという街にて六人のパーティーが月下を駆けていた。
月の光さえも避けるようにして路地裏を行き来する彼らは武器を手にし、油断無く周囲を警戒する。
反対側の大通りではNPCの怒鳴り声と剣戟の音が小さく響いている。
現在、彼らはヴォルトの街限定の長期イベントクエストの真っ最中であった。
多数のPLがどちらかの陣営に属する形で参加し、複数のクエストをこなしていく事で情勢が変わるイベントであった。
そして今行われているのは街の東側を支配する組織でのイベントクエストであった。各陣営のクエストが交互に行われる為に、PL同士が直接対決する事はない。
だが、競争はあった。
多人数が参加できるクエストでは成果によって報酬が変わる事が多く、自然と競争が苛烈化する。
現に彼ら以外にも、複数のパーティーが網の目のような路地裏を素早く移動していた。
クエストの内容は、広い表通りで組織の構成員たるNPCが騒ぎを起こしている内にPLが裏から敵の拠点を落としていくというものであった。
フィールドや洞窟などとは違う市街戦、他PLとの競争、そしてNPCとは云え人の形をした存在との戦い。何よりもゲーム内で死亡すれば現実でも死ぬかもしれないという可能性が、彼らに通常よりも強い緊張を与えていた。
目標の一つである拠点――一般住宅に偽装した武器庫を目の前に、彼らは走りを強くする。
彼らは進む。ひたすら進む。武器を握る手に汗を滲ませ、緊張と興奮で体温が上がる。
スタミナゲージを減らしながら、上昇する体温を放出するように息を吐く。
走って、走って、走り続ける。
まだ、着かない。目標は目の前だと云うのに。
どういう事だと、さすがに皆が異変に気付いた。何故か乾く喉を鳴らして、疑問を口にし始める。
その時、女の笑い声が聞こえてきた。
敵かと、背中合わせに円陣を組むパーティー。流石にこの幻想世界での戦いは慣れたもので、その動きは素早かった。
声は複数。艶かしい女の声だ。
鳥が鳴くように、断続的に聞こえる女の笑い声。しかし、<気配察知>を使ってもその出所が分からず、PL達の額に汗が流れ出す。
妙に体が熱い。何より興奮しているのを自覚する。恐怖を誤魔化す為か。
いや、体の内から湧き上がるそれはそんな上等なものではなく、今この戦闘状況において場違いな熱であった。
そこで、パーティーの後方支援担当である魔術師が――まさか、とある事に気付いて、今までどうして碌に確認もしなかった常に視界隅に表示されているパラメータを確認した。
しまったと、気付いた時には既に遅い。
彼らはいつの間にか女の笑い声と甘い香りに包まれて意識を、そして命を失っていた。
◆
煙と馬鹿は高い所が好きだと言うが、ならば登山者は馬鹿なのだろうか。中には雲よりも高く、雪崩やらクレパスなどの危険たくさんな山に登る奴もいる。
彼らは馬鹿か? 己の肉体と精神の限界を超えて険しい山々を登るという偉業を成し遂げる。一時の名誉の為に、そんな事をすると言うのなら馬鹿だろう。
だが違う。彼らは名誉ではなく、頂きから見下ろせるコレを見る為に登るのだ。
俺は今、山の天辺という大地を見下ろせる場所に立ち、眼下に見えるその光景に魅了されていた。
そう、先人たる山男達はこの絶景を見る、ただそれだけの為に危険な場所を登るのだ。
その行為はまさしく――
「あっ、お湯沸いた」
空気が薄いのまで再現されてるのか知らないが、お湯が沸くまでの間、頭がちょっとおかしな具合になっていた。
始まりの町からずっと北西にある険しい山脈を目的もなく登り、命からがら山頂に到達。別に伝説の武器が突き刺さってるわけでも、レアアイテム収集が趣味の怪鳥の巣があるわけでもない、ただ石と岩が転がる何もない場所だった。
あるとすれば、この幻想の大地を見下ろす特等席ぐらいだ。
「苦い…………」
だけどこの安物コーヒーの不味い苦さが癖になる。
サバイバルキットでお湯を沸かして作ったコーヒーは現実世界のインスタントコーヒーと遜色ない味だ。当然、街の食堂のと違って不味い。
手頃な岩に腰掛け、景色を眺めていると背後に気配を感じ、首だけを動かして見る。すると、タイミングよく崖の方から人の白い手が下から現れて縁を掴んだ。
「フゥ、フゥ、ハァ、ハァ」
若くして出産でもする気かと突っ込みたくなるような切れ気味の呼吸を繰り返して崖からアヤネが姿を現した。
スタミナバーを大きく減らした彼女はフラフラとした足取りで二人分のお湯を沸かしていた鍋に近寄る。
スタミナバーが減ると現実世界同様の疲れや倦怠感が出る。だが、現実と違ってスタミナバーが元に戻れば疲れも何も吹き飛んで、ヤバい薬でもやったんじゃないかと思うぐらいまた元気になる。
アヤネは鍋に残ったお湯を使ってコーヒーを作りはじめた。意外なことにアヤネもコーヒー派(もっと上品で高級なもの)であった。
コーヒーは効果としては、睡眠の解消とスタミナ回復の効果がある。なので、普通なら水とかスポーツドリンクを飲めよと言いたいところだが、エノクオンラインでは間違っていない選択だ。
「はぁ~」
コーヒーを飲んでスタミナを回復させたアヤネが間の抜けた声を上げた。わざわざ正座して黒い液体の入ったカップを両手で持ち、白い息を空に向かって吐く。
「………………」
開拓が終了したあの日から一ヶ月近い時が経っていた。
物好きな事に、あれから俺の後をついてくるようになったアヤネ。ちょっとヤンキー風に――何ついて来とんじゃワリャァ! とか半分脅し気味に聞いてみたところ、いつでも恩を返せるようにだとか。
ついでに、そのままにしとくと完全に忘れてそうだからとも言われた。あながち間違ってないのがムカつく。
まあ、そんなわけで俺はアヤネに絶賛ストられ中だ。
こいつもそんな事止めてミノルさんらの所に残れば良かったのに。見た目とは裏腹のしつこさ、もとい執念深さ、じゃなくて根性でついてきて、それで死んでしまったらつまんねえというのに。
この山を登る時だってそうだ。明らかに正規ルートから外れた道を進み、崖を登り、時には落ち、勝てる筈のない強そうなモンスターの目から逃れては見つかって襲われる。
そんな事を繰り返しても懲りずに放浪する馬鹿な男など放っておけば良いと云うのに。
「綺麗ですね」
ようやく一息付けて周囲を見る余裕が出来たのか、アヤネがそんな感想を漏らす。
「そうだなァ」
単純な言葉ではあるが、むしろ言葉を無為に重ねて変に着飾るよりは好きな表現だった。
と、二人してぼや~っと山頂からの景色を眺めていた時だ。北西の方角から何かが飛んできていた。
距離が離れているので小粒にしか見えないが、鳥のように見える。
「何でしょう、あれ。鳥……でしょうか?」
アヤネも気づいたらしい。
その影は大きくなっていき、段々とこちらに近づいて輪郭などがはっきりしてきたがさすがにまだ遠い。
気になった俺は弓スキルの熟練度を伸ばすことで修得できる、遠くにある物を見る事が出来てそれに対する命中補正を得る<鷹目>を使用する。
「…………逃げるぞ」
「え――きゃぁっ!?」
有無を言わさずアヤネの腰に手を回して肩に担ぐ。そのままサバイバルキットを捨て置いて全力で走る。
「一体何を――え? あ、あれって!?」
アヤネの驚く声を放置して俺はとにかく山頂の崖に向かって全力疾走する。多分あれは思った以上に遠い距離から来ていて、それも超高速でこちらに向かっているのだ。
まとめると、色々スケールがデカい。
後ろから、今まで聞いた事のない獰猛な鳴き声が聞こえてきた。
躊躇してる暇などない。俺はそのまま崖から飛び降りる。直後、頭上に強烈な突風が吹き荒れるのを感じた。
落下しながら見上げると、白銀の美しい鱗を持つ巨大な竜が通り過ぎるところだった。
続いて、山の頂上が崩落して岩石が転がり落ちてきた。
「…………いい眺めだなー」
「クゥさん、クゥさん、現実逃避しちゃ駄目です!」
そもそも現実世界じゃないけどな、ここ。
「落下緩和の魔法」
「は、はい!」
とにかく、依然落下している事に変わりないのだからアヤネに落下ダメージ軽減の魔法を唱えさせ、俺は空いた手で腰のベルトを触れる。
開拓隊にいた時に入手した収納ベルトだ。特定の箇所に触れる事で設定したアイテムを瞬時に取り出せる。
こういのをマクロ? マグロ? いや、何で魚類なんだ。そもそも違う気がする。もうショートカットキーとかそんな分かりやすいのでいいや。
ともかく、腰の収納ベルトに八つあるスロットの一つに触れて登録した武器の一つ、手斧を取り出す。
手斧は片手で扱える斧だが、種別が刀剣扱いで該当スキルも斧ではなく小型武器・刀剣だ。
「詠唱完了しました!」
「使え!」
「はい! ――フロウ!」
アヤネが風属性の魔法を発動させた瞬間、体全体に僅かな浮遊感を感じ、落下するスピードが落ちる。だが、速度が減速しただけで落ちていることに変わりない。どころか、相対的に岩石との距離がみるみる縮まる。
「よっ、と」
手斧を崖に向かって振り下ろす。当然それで落下を止められる訳もなく、そのまま斧を引きずる。そもそも止まったら岩石に潰される。
「――チッ」
アヤネの魔法で腕にかかる負担は小さいがやっぱりキツい。こんなところまで再現しなくて良いと毎度突っ込んでいるが、こちらも利用させて貰っているので微妙な気持ちになる。
「風圧で吹き飛ばすやつ、アレ頼む」
「はい! ――あっ!」
アヤネが頷いた瞬間、頭上に影が差し込む。
崖の側面にぶつかり砕けた岩石の一部が真上に来ていた。
「フッ!」
斧を引き抜き、その反動で体を空中で回転させて崖に沿って横へ移動し、人の頭ほどあるそれを紙一重で回避する。
そして回転の勢いをそのままに再び斧を崖に突き立てて一瞬だけ落下の勢いを無理矢理殺し、足を崖に付け、斧を抜いて今度は崖を斜めに走って下る。
斧で勢いを止めた時、一気にスタミナバーが減ったが、まだいける。
「あ、あわわわわっ……」
目、回してら。
「魔法」
「は、はいぃ……」
アヤネはそれでも先に多面体の結晶がついた杖を握り、魔法詠唱を開始する。
魔法を使うには小さな瓶に入った魔法媒体を消費する必要がある。だが、アヤネの持つ杖の結晶は同じく魔法媒体であり、消費型魔法媒体とは違って無くならない。
ただ、魔法に応じて消費型魔法媒体の数が変わるように結晶には発動できる魔法に上限がある。
まあ、アヤネが持つロッドは開拓の際にジブリエルの城下町で買った物なのでそこそこの魔法がそれだけで使えるが。
崖から落ちてるのか走り下りてるのか分からない状態のまま、上から次々と岩やら石やらが落ちてくる。
小石程度なら当たっても痛い程度で済むが、さすがに頭と同じ大きさかそれ以上なら体力バーが減るどころではない。
俺は手斧を壁面に突き立てて停止と加速を繰り返すことで落ちてくる岩石を回避する。しかし、それもスタミナバーの残り的に終わりが近づいている。地上ももうすぐだし、このまま上手く着地出来たとしても岩の雨で潰される。
「で、出来ました~」
何時まで目回してんだか。魔法の詠唱は間に合ったからいいけど。
「合図したら崖に向かって撃て」
「は、はい~」
着地地点は…………あの辺りが良さそうだ。届くかは微妙だが、その周囲も木々豊かだから大丈夫だろう。
崖下にある森の中で一番高い木と広がる枝にあたりに付け、俺は崖を蹴って跳ぶ――直前に俺の身長を超える岩石が迫り落ちてきた。
「クソッ!」
「ク、クゥさん!」
「使うな!」
迷う暇は無く俺は上に、正確には横にだが、跳ぶ。
ギリギリで避けきれない。だから左足で岩石を蹴る。
「グゥッ! ――ッラァ!」
触れた瞬間に左足が折れた。つうか砕けた。クソ痛ェ。危うく泣きそうになる。
それでも足を犠牲にして何とか岩石から逃れる。おかげで勢いがついたらしく想定していたより距離を稼げた。
「撃て!」
「はい! ――エア・ショット」
合図と共に、アヤネが魔法を崖に向けて発動させる。
指向性を持った暴風が杖先から放たれ岩肌を僅かに削る。同時に、宙へ身を投げ出していた俺達の体はその反動で崖からより離れる事に成功した。
その成果を確認し、俺は身を捻って空中で姿勢を整える。足を犠牲にした甲斐あって、予想以上に着地地点として目標にしていた場所に近づいていた。
「残りは!?」
こう忙しいと主語とか抜けて聞いてしまう。
「あと二十です!」
だが通じたようで、フロウの残り効果時間をアヤネは知らせた。他人からの支援効果の残り時間は使った本人しか分からないのだ。
残り二十秒、ギリギリか。
頭上に大石が落ちてきたのを<気配察知>で察知したので、手斧を後ろに投げて迎撃しつつフリーになった両手で肩に担いでいたアヤネを胸の前に持ち直す。
そのまま抱き締めるように左腕をアヤネの小さな背中に回して固定する。
眼下には森の木々が既にあった。
「クッ」
いくつかの枝を折りながら森の中を落下していく。太い枝にぶつかった時に落下ダメージとして体力バーが段階的に減っていく。
しかし、枝のクッションのおかげで落下スピードは大分落ちている。
右手で腰のベルトに触れて、収納していた鞭を取り出す。地面はもうまもなくだ。鞭を振るい、目測で頑丈そうな枝に巻き付ける。
足を上げ、頭を後ろにやる事で背中を地面に向ける。本当は背中じゃなくて両足で着地したいが、左足がオシャカになっているので無理だ。
そして、右手に持つ鞭が真っ直ぐとなりロープ代わりとして俺の体を引き留めるのと、背中に強い衝撃を受けたのは同時だった。
「――――」
声にならない。リアルだったら絶対口から内蔵吐いてるぞ。
「う、うぅ……っ!? だ、大丈夫ですかクゥさん!」
「体力バー見えるだろ。大丈夫だ」
大分減ってしまったが生きているので大丈夫だ。
アヤネを庇って背中から着地(落下)した俺は左腕を離して四肢を地面に投げ出して大の字になる。
「すみません……私を庇ったせいで」
「お前に何かあったら俺がセナとか色々な奴になんか言われんだよ」
セナの奴、ああ見えて面倒見が良いというか、過保護というか、アヤネが俺について行って旅するようになってからしばらくは頻繁にアヤネとチャットしていた。他にも、アヤネのフレンドリストには開拓隊にいた女子どもの名がある。アマゾネスマジコワイ。
「なんでもいいから、回復してくれ。このままモンスターに襲われたら面倒だ」
「は、はい!」
アヤネが回復魔法の詠唱を開始する。
俺は魔法による癒しを受けながら、仰向けのまま空を見る。
下り降りた山の頂上に一瞬だけあのドラゴンの翼が見えた。
ねぐらだった? それにしては、らしい痕跡は無かった。
それに、この山を中心に雲が少しずつ集まっているような気がする。回復が終わったらすぐに降りた方が良さそうだ。
…………どうでもいいけど、この状態はシュールだ。
段々と回復していき半分の値を超えた体力バーを尻目に、俺は顎を下げて寝転がる自分の体を見る。
アヤネが俺の腹の上に跨っていた。
「………………」
背中から落ちた俺が下で、胸の前で抱き締めたアヤネは上が位置。落下直後の体勢のまま動いていないのだから、動かずにいたら自然とそうなった。いや、何でだ。
「おっ……」
目の前に、馬乗りになっているアヤネのスカートがあった。だから掴んで持ち上げる。
「――――ッ!?」
フツーの下着だった。しかも色は青だ。
「え、ぁ、うっ…………」
悲鳴ぐらい上げろよ。
「お前なぁ」
スカートから手を離し、溜息をつきながら顎を戻して再び空を見上げる。雨が降りそうになっていた。
「男の上跨るんならもっと色っぽいの履けよな」
「………………」
アヤネはやや俯いたまま、回復魔法を続けた。