メランコリックシンドローム
うるさい。
うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい
だあああああもう
うるっせんだよ、黙れよ
池上駆はそう呟いていた。
周囲の人物は、誰ひとりとして喋ってなどいない。
ここは学校の図書館である。
こちらをいぶかしげに横目でちらりと一瞥した女子生徒。
原佳理那。
原の周りには、多数の女子がいる。
その多数の女子も、こちらを見る。
というか、睨んでいる。
池上駆は、そういった女子の視線に対してうっとおしさを感じていた。
もはや、池上駆の中では、うるさいの域にまで達した。
この時、別に誰も喋っていないというのは触れないことにする。
駆はイライラしてくる。
いや、もううるささを感じる少し前にはイライラしていたか。
原佳理那、ふざけんなよ
駆は、原佳理那を睨みつけてやりたかったが、視界に入れる事さえ拒む。
きっと、今の状況では悪い方向にしか進まない。
…………便所。
行こ。
駆はひとまず落ち着こうと考えた。
席を立つ。出口に向かう。
「…ね、佳理那!!」
女子生徒が原佳理那の袖を引っ張る。
あ、やっちまった
そう思った頃には既に手遅れだった。
駆は、原佳理那が席を立つと同時に立ち上がってしまった。
さっきの女子生徒の声は、原佳理那に対する警告のようだ。
しかし、駆はもう出口に向かって歩きはじめてしまった。
後にはもう引けない。
今戻ってたとしても、俺は不審がられるばかりだ。
「こっちくるよ」
「何、超キモい」
…ふざけんなよ、思い上がりやがって
駆は内心イライラしたが、悟られないよう無表情を保った。
「…………」
「…………………」
「……………………………」
通り抜ける瞬間、空気がピリピリとする。
無言の攻撃。
駆に向けられる。
周りは全員敵だった。
駆は悔しさでいっぱいだった。
図書館近くの男子トイレに入って、深く息を吐き出した。
トイレの方が、空気が綺麗だと思ってしまった。
それほど重苦しかった。
今日はもう帰ろうか。
いや、それはダメだ。家に帰っても俺は絶対に勉強しねえ。断言できる。
自習場所を変えようか。
それは悔しいってかムカつくからダメだ。
何で俺があいつの為に場所を変えなきゃならないんだ。そんなの有り得ない。お前が変えろよ。
駆は蛇口を捻る。
水道からぼたぼたと大粒の水滴が垂れた後、ゆっくりと水力が増して行く。
駆たちは、テスト前であった。
テスト前になると、図書館や自習室は異常な混み具合を見せた。
今日も、駆は、どうにか帰りの会が終わった後に図書館に駆け込み、席取りを達成した。
なのに、何であいつが来るんだ。
今日に限って、何で。
あいつ、原佳理那。
原佳理那は、隣のクラスの女子だ。駆とは、一度も同じクラスになったことはない。話したことも、数回しかない。
駆は原佳理那に告白した。
二年近くも前の話だ。
駆は今では、原佳理那に対して、好意的な感情を一欠けらも感じていない。
何で今更、昔の話を引っ張り出すんだよ。
駆はどうにかなりそうな気持ちを押さえ付けるかの如く、蛇口を閉める。
カラン
「あ…!!」
蛇口の手裏剣のような部分が外れ、落ち、音を立てた。
ネジが取れてしまったようだ。
「……はあ」
正義感が許さなかったので、直そうと試みる。
「………」
意外と行けそうだ。完全にはまった。
どうやら力を入れすぎたのがいけなかったらしい。
昔は昔、今は今、
過去と現在が同じではなく、まして未来なんか何があるのか分からない。
何でみんな分からないんだ。
何でみんな過去にこだわるんだ。
過去なんて、単なる指標でしかない。誰も分かっちゃいない。物事が常に変化してるだなんて。
特にそうだ。
感情なんて。
感情に永遠なんて存在しない。
俺は今まさに、それを体現しているんだ。
俺は原佳理那が好きではない。
むしろ嫌いだ。
ここまで変わってしまうだなんて、自分でも思わなかった。
原佳理那は、俺にまだ恋愛感情が残っているのだと思っている。
自分が告白されたからって、自分の優位を信じて疑わない、そういうところが嫌いだ。
原佳理那は俺の永遠の愛情を信じている。
だが、俺にはそんなものは皆無だ。
馬鹿が。
原佳理那は、俺の事をストーカーか何かだと思っているのだろう。
そうに違いない。
俺、めっちゃキモい奴みたいじゃないか。
改めて腹が立つ
原佳理那は、自分の周囲の人々に、俺の事を話した。
あの周りの反応からして、絶対に俺のしたことを知っている。
去年までクラスが同じで、割と話したことのあるやつまで、俺をいぶかしげな目で見てくるようになった。
不快だ。
俺の何を知っているんだ。
一年以上同じクラスだった俺よりも、たった数ヶ月の原を信じるのか。
がっかりだ。
所詮、友情なんて薄っぺらいものなのか。
「はあ…」
図書館へ戻る。
再び、原佳理那達が駆に一瞥してくる。
…もうさ、何なんだよ
俺だって集中したいんだよ。
いいや、教室
教室いこ。本当はだめだけど。
再び重苦しい空気の中を通過する。
何故か、息を止めた。
駆は机の上を片付け、カバンを持ち、図書館を出ようとした。
「よかった、帰るっぽいよ、佳理那。」
女子が、聞こえるか聞こえないか、絶妙な音量でしゃべる。
こちらが反撃出来ないようにあえてそうしているのか…
「!!…」
またか
と思った矢先、原佳理那が口を開いた。
「あっはは…うるさいよ」
…
駆はゆっくりとドアを閉めた。
原佳理那はそれ一言しか言わなかった。
何が、うるさいよ
だよ。
…原佳理那の声、久々にまともに聞いたな。
教室に向かう。
駆のクラスは、実は図書館から一番遠かった。
だから、放課になると廊下を走らなければならない。
学校中がテスト前だからか、静かだった。
時々、自分や自分以外の生徒の足音がするのみ。
…そういうふうに、本当の事言わねえ所が嫌いなんだ。
裏では、俺の事クソ悪くけなしてる癖に。
勇気が無いんだか知らないが、そういうことは直接、俺に聞こえるように言やぁいいのに。
大っ嫌いだ。
教室に着く。
生徒はいないように思えた。
「………なあ」
「!」
いや、いた。
「原さんってやっぱダメかな。」
「!…」
駆は思わず息を潜めた。
クラスの中にはまだ生徒が二人ほどいた。
「ダメだろ、だって池上いんじゃん。」
駆は声を上げそうになったが、堪えた。
話してるのは誰だ?
見たい
「池上と原さん付き合ってんの。」
「知らね。付き合ってねんじゃね??」
「あ、でもだいぶ前に池上告ったらしいじゃん。」
「マジで?!どうなったん」
「知らね〜…でも二年くらい前だぜ」
「じゃあもう無かった話かな!?」
「でも池上まだ好きらしいぜ」
「マジかよ気持ちわ…」
「!!」
駆は、廊下と教室の境目、つまり扉の真下に立っていた。
「…池上じゃん」
「え、今の…」
その時、俺はどんな表情をしていたんだろうか。
「聞いてたよ」
俺は生徒二人の顔をしっかりと見てやった。
「好きだったよ」
生徒二人は、あんぐりとした。
「正直、お前らが話してんの聞いてても、少しイヤだった。何で俺以外の奴が話題にしてんだよって。でも、俺は原佳理那と付き合ってないから、そんなこと言う権利はない。」
「あん時は正直どうでもよかったんだ。死んでもいいって思えた。でも今は違う。」
「いちーち反応してんのがムカつく。自分の方が立場上だとか思ってんのがムカつく。裏では俺の事けなしてんのがムカつく。全部何もかも広めたのがムカつく。」
「それに何より」
「俺に一生好かれてるとか思っちゃってんのがムカつく。」
「…………」
生徒は何も言わず、駆を見ていた。
「…って何いってんのかな。勉強しすぎたかな。」
三人で愛想笑いをする。
「本当にそうなのか」
「は?」
生徒が駆に言った。
しっかりと、瞳の奥まで覗き込まれた。
「本気で原さんがどうでもいいのか。」
「……何で」
俺は事実を言ったまでだというのに。
「それじゃあ、まだ好きみたいに聞こえんだけど。」
「………………」
まだ好き??
ありえない。
「全然好きなんかじゃねーよ」
生徒は、駆を見た。
「じゃあ俺、今から告るから。原さん図書館にいるんだろ。」
「………」
本気かよ。
駆は表情を崩さないよう努めた。
「いいな」
「……………」
よくなんか
「………………」
「…行ってくれば。」
いいわけないだろ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
…………
原佳理那は「いいよ」と言った。
原佳理那と俺と同じクラスの男子生徒は付き合いはじめた。
…………
……。
大っ嫌いだ。
何もかも。
俺自身、
全部、全部、
原佳理那だって大嫌いだ。
クソ
くっそ〜…
ああ…
『ごめん、今はやりたいこといっぱいあるから』
じゃあ、いつだよ。
今じゃなくなるのは。一体いつなんだよ。
今って、今じゃないのかよ。
結局俺の事が嫌いなんだろ、俺じゃダメだったんだろ。
そうハッキリ言えよ。
嫌いだ。
お前なんか嫌いだ。
…大嫌いだ。
『ごめんなさい』なんて、悪いとも思ってないくせに。
二度というな。