1話 始まり
クリシア地方の森、そこは周辺の村からは【魔の森】と呼ばれ、怖れられている場所。その理由は一度足を踏み入れたら二度と戻れないとされるほど、この森の魔物が強く、凶悪だからだ。
国は【魔の森】を第一級危険区域にしており、侵入禁止としている。国の許可なく【魔の森】に入ることは大罪とされた。
国は下手に【魔の森】の魔物を刺激したくないのだ。というのも【魔の森】の魔物が外に出てきた場合、その強さは国が基準を設ける魔物の強さで言うとランクAは下らない。それを倒すにはランクAの冒険者を雇わなくてはならなくなり、その出費は馬鹿にならない。幸いにして【魔の森】に近づかなければ魔物が外に出てくることはない。
その理由としては、その森に住む魔物はレベルが高いために、わざわざ弱い人間を襲わないというのが論文として有名だ。だが、実際のところは誰も知らない。とにかく重要なのは、ちょっかいさえ出さなければ【魔の森】が人間に牙を向けることはないという事実なのだ。
そんな【魔の森】に今、とある一匹の魔物が侵入した。そいつの名は【蟲の女王】、国の定める危険度はランクS。
国の基準ではランクAで単体で都市一つを壊滅させられるレベル、
ランクBで単体で都市一つを半壊させられるレベル、
ランクCで単体で村一つを壊滅させられるレベル、
ランクDで単体で村一つを半壊させられるレベル、
ランクEで単体で人一人を殺せるレベル、
ランクFで単体で人一人を殺せないレベル、となっている。そして、今回【魔の森】に侵入した【蟲の女王】のランクSは単体で国一つを半壊させられるレベルだ。
それが人間にとってどれだけの脅威になるかは想像に難くないだろう。しかし、人間はその脅威に気付かない。
それがどれだけ愚かなことだったか気がつく頃にはもう遅い。【蟲の王】が生まれてからでは間に合わない。
その時は【蟲の王】の前に人は為すすべもなく散るだろう。
◆◇◆◇◆◇
俺の人生は呆気ないものだった。孤児だった俺は幼い頃にとある爺さんに引き取られ、里子となった。爺さんは格闘家で死ぬ前に、自分の生きた証を残したかったらしく、俺に爺さんの培ったもの全てを無理やり押し付けてきやがった。
毎日限界まで稽古させられた。死にそうになったことも多々ある。そして、やっと俺が爺さんの満足いくレベルにまでなった時、俺は死んだ。事故だった。
爺さんの道場が火事になって、逃げ遅れた爺さんを倒れてきた木材から庇って俺は呆気なく死んだのだ。
俺は爺さんを少なからず憎んでいたけれど、同時に愛してもいた。だから、爺さんを守って死んだのは呆気なくとも無価値では無かったように思う。死に際の爺さんの泣き声が未だに耳に残る。
とにかく、俺は死んだ。
いや、死んだはずだった。
「……なんだ?」
死んだはずの俺の目に光が飛び込んできた。
おかしい。確かに俺は死んだはずだ。
いや、もしかして奇跡的に助かったのか?
「この子が最後の王子よ。」
聞き慣れない声が聞こえる。少なくとも爺さんの声じゃない。もしかして、ここは病院なのか?
段々と目が慣れてきて周りの様子が見えてきた。どうやらここは洞窟らしい。
………なぜ?
俺が洞窟にいる理由が見つからない。無理やり考えつくところでは、爺さんが俺の死体を洞窟に捨てたとか?
さすがに無いな。
「この子の名前は《ベルゼブル》。最強の名を持つ王子。」
「畏まりました。」
おかしいな、目の錯覚か?
目の前に化け物がいるんだけど。もっと具体的に言うと、人間みたいな形をした蟻さん?
あ、でももう1人は人間っぽいな。
……触角と羽以外は。
「ベルゼブル様、こちらへ。」
手を引かれる俺。
どうも体がベタついて気持ち悪い。それにやけに周りのものが高い気がする。
いや、俺がちっこいのか。
「こちらでお身体をお清め下さい。」
俺が連れてこられたのは洞窟にできた大きな水溜まりのような場所。
目の前の化け物は怖ろしいが、今のところは敵意を感じないので放置。まずはこの体のベタつきをどうにかしたい。とりあえず、水で流そうと水溜まりに近付いた。
そこには、触角のある幼き頃の俺の顔が映っていた。
「なんだこりゃ!?」
触角を引っ張ってみる。
痛い。どうやら痛覚も通っているようだ。
更に自分の体をよく見てみると、尻尾まであった。形状は蠍の尻尾みたいだ。
触ってみると、確かに俺の体の一部だと感じられた。
「俺、どうしちまったんだ?」
改造手術でも受けてショッカーになってしまったのだろうか?
「もう終わりになられましたか?」
あの化け物に訊いてみるか。
「ここはどこで、俺は誰だ?」
「ベルゼブル様は随分と知能が早熟でございますね。
質問の答えでございますが、ここは私達【蟲】の国で、あなた様はこの国の王子でございます。」
おいおい、聞いたか?
俺は虫の王子らしいぞ。
「嘘だろ?」
「本当にございます。」
しかし、いきなり虫の王子とか言われてもピンとこない。
分からないことは置いといて、ひとまず水浴びしよう。
そして俺は体を綺麗に洗ってから再び化け物のところへ行く。
「俺が人ではないのは認めよう。」
触角と尻尾があるのでは人間とは言えないわな。
「ベルゼブル様は人などでは御座いません。
【蟲の王】となる可能性のある王子でございます。」
虫の王子だって。はぁ、生まれ変わるならせめて人間が良かったよ。
「俺は何をすればいい?」
「ベルゼブル様にはこれから試練を受けて頂きます。」
「試練?」
「はい。ベルゼブル様は知能レベルが既にお高いので説明いたしますが、これは選別です。
【蟲の王】には強い王子しかなれません。ですから、産まれた王子はまず最初に選別されます。
これは、あなた様の兄弟にあたる王子達もくぐり抜けてきた道でございます。」
なるほど、自然界ってやつは厳しいんだな。まさに弱肉強食だ。
「まずは服が着たい。」
俺は今、全裸だ。さっき産まれたのだから当たり前だろう。
さすがにこのままでは恥ずかしいので服が着たい。
「畏まりました。」
俺の頼みを聞き、どこかに去った蟻さん(いつまでも化け物扱いは酷いからそう呼ぶことにした)が服を持って戻ってきた。
「ありがとうよ。」
「いえいえ、とんでもございません。」
「仕方ない、行くか。」
選別って言うくらいだから死ぬ確率もあるのだろう。だけど、俺は不思議と自分が死ぬような未来を想像できなかった。
まるで不可能なことなど無いようにすら思える全能感を俺は密かに感じていた。