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三つ子の魂百まで

作者: kkeman
掲載日:2026/02/15

「三つ子の魂百まで」似たような諺は他の国でも多数見受けられる


この事について書く意味は、幼い子供にかける言葉その振る舞い、姿勢がいかに重要かと言う事と、他人に対する理解の為である

今から書く事に耳を傾けることができる人は、これを読まなくても、すでに、あるいはいずれそれを理解できるし、全く耳に入らない人、何を言っているのかわからない人ほど考える必要があると言う矛盾を抱えているが、それは、その根本的な仕組み、構造、原理、を語る場合には、少し違うかと期待して書く。


幼い時に与えられた情報で、その後得る情報の取捨選択のアルゴリズムも組まれてしまうと言う事である

得た情報を記憶として保存するその場所、脳における部位の選択にも関わり、いつでもアクセスできる場所や、長期的に棚上げされるような場所に振り分けられることにも関わる


生まれた瞬間に近いほど重要になり、百までと言うのは、下手するとそうなるが、ほとんどの場合はそうではない

もちろんいわゆる「魂」が良ければ百までそのままで良いが多くの場合はそうではない


生まれたばかりの赤ん坊でも基本的な認知的な機能があり、BIOS程度のものは当然ある

BIOSとはBasic Input Output System の略であるが

パソコンの青い画面や黒い画面で表示されるもので物理のハードとデジタルのソフトを結ぶものである

生まれたばかりでそのBIOSのようなものが載った状態でそこに9割は親、何かの事情で親から引き離されている場合などは、そこの施設の人などから入る言葉、振る舞いなど含めた全ての情報でまずOSが組まれる

OSというのはパソコンで言えば、Windowsや

Mac、スマホならiOSやandroidといったものである

人間とパソコンは違うだろうと思われるかもしれないが、コンピューターができて、その鉄の箱にどうやってものを覚えさせるかという時に、当時まだあまり解明されていなかった脳に関する専門家、哲学者、科学者などが一緒に開発にあたったが、コンピューターにものを覚えさせる過程で、「なるほど、ということは人間の脳はこのように覚え、理解し、考えるのか」というように人間の脳に関する理解と相互に発展してきた歴史がある


OSの良し悪しに関しては、悪いものというのは、それをアンインストール、つまり消す事ができないものである

どんなに使い勝手が良くて、良さそうに見えても、一旦入れたらそれが消せないものというのは良くない

逆にあまり良くない出来であっても、いつでも消す事を許しているものならば最低限の資格はある

もっというならその中を見る事を許しているものが望ましい、その中に書かれているコードなどである


OSが組まれる時に、劣悪なウイルス除去ソフトなどが入っているとさらに悪い

親が家族とそれ以外の人、社会などに対して、必要以上に危険視、敵対視するような話し方をしたり、自分を過度に擁護、正当化したような場合、子供は親を疑えず、親に対して同情するようになる


故に幼稚園、小学校に上がった頃にはすでに、どんなに良い先生、近所のいいおじさん、いい友達が涙ながらに「なんでこれがわからないの、何でそんな事するの」と言っても、耳に入らないのである

それは単に脳の電気信号の問題なのである


多くの人が経験していると思うが、なんか言ってる事はわかるし大事そうだなと思ってもそれをしっかり落とし込んで、自分のふるまいを改めるというような事にまで至らない、それは音声、視覚情報としてそれがダウンロードされてもインストールできないという状態である

劣悪ウイルス除去ソフトというのは悪い情報をどんどんインストールし、いい情報をばんばん弾いてしまう


だからといって親を責める事は違う

当然それはその親の親が原因であるからで、要するに人ではないという事である

人の脳に載っている情報のせいなのである

「罪を憎んで人を憎まず」ならぬ

「情報憎んで人を憎まず」である

親鸞という人が言った悪人正機というのも今では論理的に説明できる


これを理解していれば、世代間で「最近の若いもんはなっとらん」とか「年寄りは頭が固い」とかいうことはなくなる

要するに生まれてきてからそれまでに、目で見た、耳で聞いた、体験した情報が違うのである

その人が生まれた場所に生まれ、その人が見たもの聞いたもの、それにより育てば今あなたはその人と同じように考え話すのである

遺伝による影響よりも後天的なものの方がはるかに大きい


これに関しては、やはり先の戦争の影響は大きい 

戦時中の常識というものは、まともに考えたら正気ではいられないので、その時代を気が狂わずに生きていくために価値観、考え方ができているので、その時代としては正しいのである

戦後の統治体制でそれまでの教科書に墨が塗られても脳に墨は塗れないのである

故に価値観、思考、も含めた脳の情報は数世代かけてグラデーションで消えていくものということを知らなければいけない

しかし、そういった戦時中でも、その通常からすると歪んだ常識に一切侵されない一部の特権階級もいてもちろんその子孫もその情報に汚染されないというのもまた事実としてある


ちなみに少し話はそれるが、それでも当時の戦争で亡くなられた多くの方々はそういったことまで理解していて、洗脳されていたわけではないということが、遺された遺書などを読めばわかる

当時の状況をかなり正確に把握していて戦争に必ず勝てるとも思っていない、それでも自分たちの生き方、死に方その如何によって、その後の日本を含め世界に与える影響を考えていた


反抗期というものがあるが、もちろんいいOSが入っていれば反抗期がなくて良いが、悪いOSが入っていて反抗期がないとまずい

反抗期というのはOSを疑うという事に他ならない

だからそのOSは自分を分析する事を許し、それを消す事を許しているので、最低限の資格はある

しかし悪いOSでしかも、その中を見る事を許さず、消すことも許可していない場合、反抗期は訪れない

こうなると厄介な事になる

その場合、そのまま百までになるかというと、下手するとそうなるがほとんどはそうならない

トラウマ的な体験などもあるが、大きくは次のような場合である

OSをつくった人つまり親、あるいは本当に大事な人が死んだ時、自分が死にかけた時にそれが書き換わることがある(自分は死んだらそれで終わりなので)

よく奇跡の生還を果たした人などが病室で「人生観が変わった」などという事があるがそれはOSが書き換わったという事である

このOSを頭に載せていると、大事な人も守れないし、自分の身も危ういということが身に染みてわかった時である

できる事ならそういう事になる前に、自分の事について考えたい、ということでこれを書いている

情報はそれ自体も大事だが、それを伝える時の伝える側の感情、姿勢というのも重要である

なぜなら言葉の学習は、その状況との関連、反復で、覚えていくからである

同じ言葉であってもその裏にある感情が違えばその言葉は別のものとして理解され記憶される

さらに情報はそれ自体の質も大事だが、それが入る順番というのが大事で、先に誤った情報が入れば、後から正しい情報を入れようとしても入らない


あと、その情報が入る状況、例えば一対一で、密室空間などでは、それは変性意識となり洗脳空間になる

記憶の置かれる場所もその後、自我のレベルの意識からは捉えられない場所に置かれたりする

これはいい事も悪い事もある  

セラピストなどはこのテクニックを使うことがある

ちょっと上記の部分と矛盾しているように感じるかもしれないが、伝える側が愛情をもって、良かれと思い話せば必ずしも良いというわけではなく、客観的に正しい情報が正しい順序で入らなければいけない


幼い時、たとえ酷い環境に置かれても、ちゃんとしている人もいるじゃないかと、思われるかもしれないが、それはやはり何らかの情報がいいタイミングでいい場所に入っているのである

同じような状況に見えても、些細な一言、出来事が救いとなり、また呪いのようなものになることがある


皆いろんな選択肢がありそれでも葛藤しながら何とか正しい方を選びながら生きているだろうと思われるかもしれないが、やはり葛藤できて選択できるというのも、その前に決まっている

決定論的に思われるかもしれないが、知らずにいると決定論的になるという事である

哲学的な決定論から逃れられるものでなくとも、自分が納得してより良く生きれるか、無明のままとは全然違う


とても難しいことのように思われるが、要するに親は自分のことも含め、世界を子供自身の目で見させ、自分で考えさせる事が重要だという事である

それでも生きていればいろいろ複雑なので当然間違うだろうが、上記の事を頭に入れておけば、自分の事、他人の事について、いつでも客観的に見直す事ができる


上記の事をAIに読み込ませ、寓話的な物語をつくってもらいました

よろしければ



硝子師の村


むかし、ある山あいに、硝子師の村があった。

その村では、子が生まれると、親が一枚の硝子を磨いた。まだ目の開かぬうちに、その硝子はそっと瞳の奥にはめ込まれた。以来その子は、世界のすべてをその硝子越しに見た。光も、闇も、人の顔も、その一枚を通ってから心に届いた。

硝子の色合いは、磨く者の手で決まった。が、磨く者もまた、かつて誰かに硝子をはめられた子であった。自分の硝子を通して見える色しか知らなかったから、それ以外の色で磨くことはできなかった。青い硝子越しに世界を見てきた母は、子の硝子にも知らず青を混ぜた。黄ばんだ硝子で育った父は、透明のつもりで磨いても、やはりどこかが黄ばんだ。

ある家に、男の子が生まれた。

父は不器用な男であった。父の父もまた不器用な男で、その父もまた。何代か遡れば、大きな戦のあった時代に辿り着いた。その頃の硝子師たちは、焼け野原の中で硝子を磨かねばならなかった。煤だらけの手で、割れかけた硝子で。あの時代を正気で生き抜くには、ものの見え方を変えるしかなかった。空が燃えていても「晴れている」と映す硝子。それはその時代を生き延びるためのものであった。だが戦が終わっても、煤は硝子の奥に残った。子へ、孫へと渡されるうちに薄くはなったが、何世代経ても完全には消えなかった。

父が息子に磨いた硝子は、分厚かった。割れないように。傷つかないように。父なりの、不器用な祈りであった。しかし、分厚い硝子は光をあまり通さなかった。

男の子は育った。

花を見ても、どこか曇って見えた。友の笑顔が眩しいと感じることが少なかった。それが当たり前で、自分が硝子越しに世界を見ていることなど、考えたこともなかった。曇った景色こそが世界だと思っていた。

学び舎に、遠くからやって来た女の師がいた。師は一人一人の前にしゃがみ込み、静かな声で語った。「あなたの目の奥に、硝子がある。知っていましたか」と。男の子の番が来た。師はしゃがみ込んで、長い時間、男の子の目を覗いた。何か言おうとして、やめた。もう一度口を開きかけて、ただ微笑んだ。男の子には、師が何をしたかったのかわからなかった。わからないまま、その日は過ぎた。

ただ、師がしゃがみ込んだ時の膝の土の匂いと、口を開きかけてやめた時の、あの一瞬の沈黙だけが、理由もなく胸のどこかに残った。硝子の奥の、本人さえ気づかぬ場所に。

男の子は大人になった。父と同じように不器用に暮らし、やがて娘が生まれた。硝子を磨いた。手が覚えている磨き方で磨いた。それしか知らなかった。分厚くなった。父のように。

娘は育ち、あるとき泣いた。「お父さんの言うことは正しいのかもしれない。でも私には関係ないの。届かないの」と言った。男は怒った。何がわからないのかがわからなかった。正しいことを言っているのに。

その夜、男は眠れなかった。暗い天井を見ていた。ふいに、何の脈絡もなく、あの師の膝の土の匂いがした。しゃがみ込んで、何か言おうとして、やめた、あの沈黙。何十年も忘れていたはずのものが、不意に蘇った。

なぜ師は言葉をやめたのか。

なぜ微笑んだだけだったのか。

男は暗闇の中で、初めて自分の目に手をやった。

何かがある、と思った。

硝子がある。

師がしゃがみ込んだあの日に、師は確かにそれを見ていたのだった。言葉にしても届かないことを知っていた。だから言わなかった。ただ、言いかけてやめるその間に、種のようなものを、硝子の隙間に落としたのだった。硝子に弾かれるほど大きな言葉ではなく、硝子の傷のわずかな隙間から染み入るほど小さな沈黙を。

それが何十年も経ってから芽を出した。娘の涙に水をやられて。

男は翌朝、硝子を外そうとした。外れなかった。父が祈りを込めて磨いた硝子は、深く嵌まっていた。しかし、あることに気づいた。硝子に罅が入っていた。昨夜できた罅ではなかった。何十年も前からあった罅に、昨夜はじめて気づいたのであった。

男は娘の前にしゃがみ込んだ。何を言えばいいかわからなかった。正しい言葉を持っていなかった。ただ、しゃがみ込むことだけは知っていた。あの師がそうしたように。

何も言えなかった。言おうとして、やめた。

娘は泣いていたのをやめて、不思議そうに父を見た。

その日、娘の硝子の、本人さえ知らぬ場所に、何かがそっと落ちた。それが何であったか、わかるのはずっと先のことであった。あるいは、わからぬまま過ぎるのかもしれなかった。

村の外れに、あの師の墓があった。小さな石に、名前だけが刻まれていた。師のことを覚えている者はもう少なかった。しかし師が蒔いたものは、師の名前を忘れた者たちの硝子の奥で、静かに息をしていた。

夕暮れの山あいに、男と娘が並んで歩いていた。

二人の硝子はまだ曇っていた。けれど罅のひとすじから夕焼けが差し込んで、曇った視界の端が、ほんのわずかに、茜色に滲んでいた。

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