第1話 聖女辞めたい
部屋のドアがノックされる音で目が覚める。
窓の外は真っ暗で、月明かりが微かに部屋を照らしているだけだ。
まだ眠りについてから二時間ほどしか経ってない。
それでも疲れの取れ切れていない身体を起こし、ドアを開ける。
訪ねてきた侍女はいつも通りの要件を告げる。
「レオルド王子がお怪我をされて帰ってこられました。治療をお願いします」
「わかりました。すぐに行きます」
私はネグリジェ姿のまま部屋を出て王子の部屋へと向かう。
長い廊下を歩き、階段を上ってさらに突き当たりまできた場所にあるのがこの国の第一王子レオルド様の部屋だ。
小さくため息を吐いてからドアをノックする。
いつもと変わらない陽気な「はーい」という返事を聞いてから部屋に入った。
「やあシエル、こんな時間にごめんね」
レオルド王子はベッドに腰掛けたままニコリと微笑む。
金髪碧眼の見目麗しい王子。私はこの隙のない笑顔が嫌いだ。
謝るくらいならこんな時間に呼び出さないで欲しい。
そもそも王子が頻繫に怪我して帰ってくるなんて大丈夫なの。
心の中でたくさん悪態をつくけれど、絶対に口には出さない。
なんてったって相手は王子様ですから。
私もできる限りの笑顔を貼り付けて王子の近くへと行く。
「今日はどこを怪我されたのですか?」
「ここだよ。血はすぐに止まったんだけどね。僕の顔に傷があるなんてあってはいけないでしょ?」
前髪をかき上げた生え際に、三センチほどの裂創があった。
血はもう出ていないし、前髪で隠れてるんだから放っておけば治るでしょ。
と思いはしても言わない。
「そうですね」
私は王子の額に手のひらをそっとかざす。
魔力を傷口に込めると、三センチほどの裂創はあっという間に綺麗になった。
「ありがとう。シエルがいてくれて助かるよ」
「お顔に傷を作るなんてどうされたのですか」
「ちょっと女性にグラスを投げられてね」
また女性か。
王子は節操がないことで有名だ。
貴族のご令嬢から市井の女性まで関係なく。
それでもあまり大きな問題になっていないのは、王子という権力があるからだろう。
「あまり奔放にしてますといつか刺されますよ」
「もしそうなったらよろしくね」
「死んでしまっては私でもどうすることもできません」
「さすがに女性に殺されてしまうほど柔くはないよ」
当たり前だ。
レオルド王子は幼少期から剣術、体術を習得してきている。
本来なら今日のグラスだって避けられたはずだろうに。
王子に怪我をさせておいて女性がなんの罪にも問われないことを考えても、わざとやっているようにしか思えない。
本当にいけ好かない人だ。
「とにかく、お遊びもほどほどにしてください」
「ああ、そうするよ」
噓ばっかり。
何度「そうする」という言葉を聞いてきたことか。
けれど王子の女遊びが止むことはない。
それがなくなるだけで深夜の呼び出しが格段に減って私の睡眠時間が確保できるのに。
私は嫌みを込めて深々とお辞儀をし、部屋を出た。
長い廊下を歩いて階段を下り、また長い廊下を歩いて自室へと戻る。
行き帰りだけでもかなり面倒だ。
ベッドと机と椅子、小さなタンスがあるだけの簡素な部屋に戻り、もう一度横になる。
変に目が冴えてしまってすぐには眠りにつけそうにない。
十三歳で癒しの魔力が発現してから七年、聖女としてずっとこんな生活を続けている。
王宮の中に閉じ込められ、王子にこき使われ、時々戦場や討伐現場に同行させられる。
本当だったら十三歳で学園に入って、穏やかな学園生活を送って、それなりに友人を作って、卒業すればそのうち結婚して……なんていう普通の人生を歩むはずだったのに。
まあ貧乏男爵家の私に婚約者とか恋人なんてものはいなかったけど、それでもいつか結婚するとは思っていた。
同じくらいの身分のご令息と結婚して、のんびり刺繡でもしながら過ごす未来を想像していたのに。
こんな軟禁状態な生活で恋なんてできるわけもないし、王宮に住んでいる聖女に婚約の申し込みが来ることもない。
唯一良いことはそれなりにお給金が貰えるということ。
実家の両親が生活が楽になったと喜んでくれているのがわずかな救いだ。
そんなことよりも、私はこの国の聖女という仕組みに納得がいっていない。
癒しの魔力を持つ者は全員が国に帰属し、治癒師として王家管轄のもとその力を使うことになっている。
ここまではまだ納得できる。
けれどその治癒師の中で、国内ただ一人の特別な存在として聖女の役割を担う者がいる。
そして聖女は特にさまざまなことが制限されるようになる。
まず聖女は純潔でなければならない。
王宮内に住み、いつ呼び出されても対応しなければいけない。どんな仕事も断ってはいけない。国民から崇拝される対象として振る舞わなければいけない。毎朝身を聖水で清め、礼拝堂で祈りを捧げなければいけない。
とにかくやることと制約が多い。
現在治癒師は私を含めて四人いる。
先輩治癒師の二人はもう結婚していて、通いで王宮に隣接する医療所で働いている。
そしてもう一人は昨年新しく癒しの魔力が発現した新人治癒師のイーディア。
彼女は、十五歳で純潔少女のため聖女の条件を満たしている。
私は彼女が入ってきた時に聖女を交代したいと言ったら、レオルド王子にあっさり却下された。
イーディアはまだ聖女を背負うのは早いと。
私の時なんて十三歳で治癒師になってすぐ聖女にされたのに。
「あー。聖女辞めたい」
私ももう二十歳だ。
このままじゃ本当に貰い手がなくなってしまう。
それ以前にこんな生活をいつまでも続けていたら身体がもたない。
せめて聖女じゃなくて普通の治癒師として働きたい。
いやいっそのこと通いで働けるようになったらこっそり国外逃亡してしまいたい。
何にも縛られずゆっくり生活したい。
誰にも邪魔されることなくぐっすり眠りたい。
「あー。聖女辞めたい」
毎日何度言っているかわからない言葉を呟きながら目を閉じた。




