夜影の襲来
夜霧が濃く垂れ込める城の庭園に、冷たい風が吹き抜ける。
黒薔薇の枝葉は揺れ、月光に濡れた花弁が薄紅色に光る。
石畳には露が光の粒となって散りばめられ、夜の静寂をわずかな音さえも吸い込む。
闇は厚く、どこまでも深い。城内の窓の向こう、蝋燭の光が揺れ、廊下に長い影を落とす。
その影を、犬面のメイド、レアは注意深く追っていた。
黒と深紅のゴスロリ服は夜霧に溶けるように赤黒く光り、フリルやレースの裾が微かに揺れる。
耳はぴくりと動き、鼻先は空気を震わせる。
微かな鉄の匂い、湿った革の匂い、影が踏む石畳の振動――すべてが敵の接近を告げる。
「……来るわね」
低く、静かに漏れた声。
犬面だからこそ、表情は読み取りにくいが、瞳は冷たく光る。
身体の筋肉が一瞬で戦闘態勢に切り替わる。扇子を手に取り、短剣を腰に固定する。
黒薔薇の影が廊下の端から伸び、彼女の影と重なる。舞踏のような動きで、静かに、しかし確実に影に備える。
廊下の奥から、影が現れた。黒い外套の刺客たちだ。
刃の先端が月光に反射し、冷たい光を放つ。
レアの耳が一瞬ぴくりと動き、鼻先がわずかに震えた。
刺客たちは音もなく、影の中に溶け込むように進む。城の奥へ、主のいる書斎へ向かって。
レアは静かに廊下を滑る。
足音はなく、フリルの裾がわずかに石畳に触れるだけ。
扇子を開き、刃先をかわす動きは舞踏のように優雅で、しかしその目は冷徹そのものだ。
刺客が一歩踏み出すたび、彼女の呼吸は整い、体が反応する。
一瞬の間。
空気が張り詰める。
黒薔薇の香り、夜霧の湿気、蝋燭のかすかな匂い――すべてが感覚を支配する中、レアは動いた。扇子で刃先を逸らし、短剣を振るう。
刃と刃がぶつかる音はほとんどなく、しかし確実に敵の攻撃を封じる。
フリルの裾が揺れ、レースが光を受けて赤黒く光る。舞踏のような動きと冷徹な殺意が、静かな廊下の中で溶け合う。
敵が一歩でも誤れば、その瞬間に制圧される。
レアの動きは滑らかで優雅だが、冷徹で容赦がない。短剣が影を切り裂き、扇子の端が刃を受け止め、音もなく刺客が倒れていく。
夜霧に包まれた城の廊下には、戦いの痕跡はほとんど残らない。
「……これで、よし」
息を整え、静かに姿勢を正す。
犬面の表情には微かな変化が現れるが、主の目には読み取れない。
廊下の奥から再び微かな影が揺れるが、レアの目は逃さない。
冷静に、しかし鋭く、次の動きを読み取る。
書斎の窓際で、伯爵はまだ書類に没頭している。
全く気づかぬまま、命の危険が廊下の先で交錯していたことも知らない。
レアはその姿を静かに見守りながら、忠誠心を胸に深く刻む。
犬面だからこそ、微細な呼吸の揺れ、体温の変化、微かな緊張までも察知できる。
黒薔薇の庭に夜霧が漂い、城は深い静寂に包まれる。だがその裏で、影は再び動き出す。
レアの戦いは終わらない。忠誠と孤独、冷徹と優雅――すべてを胸に、彼女は静かに、しかし確実に主を守り続ける。
夜影に包まれた城の廊下で、犬面メイドは微かな息遣いと共に、次の襲撃を待つ。
その瞳には、冷たい月光が映り、黒薔薇の影が揺れる。
静寂は依然として美しく、そして危険に満ちている。




