襲撃前夜
夜の帳が城を覆い、古城ノクターン・ヴァルトは昼間の柔らかな光とは打って変わって、冷たく暗い空気に包まれていた。
霧は厚く、石造りの塔や廊下の端々に不穏な影を落とす。
黒薔薇の枝葉は夜露に濡れ、甘く、かすかに鉄のような匂いを漂わせる。
蝋燭の炎が壁の漆喰に反射し、揺れる影が廊下を蠢くように動く。
犬面のメイド、レアは静かに廊下を歩く。
黒と深紅のゴスロリ服は薄暗がりに赤黒く映え、フリルやレースの裾が微かに揺れる。
耳を敏感に動かし、鼻先をかすかに震わせる。
彼女の感覚は人間のそれを遥かに超えており、城内に潜む微細な変化や異臭、空気のわずかな揺れさえも逃さない。
「……気配が増えた」
低く、しかし確実な声が漏れる。
犬面のため、表情は読み取りにくいが、瞳の奥には警戒と鋭い緊張が宿る。
夜の静寂の中で、レアは影を追い、石畳を踏む音を最小限に抑えながら城内を巡る。
書斎の窓際で、若き伯爵は書類を整理していた。
冷静に見えるその表情の裏に、薄い不安の影が漂う。何も知らず、ただ静かに城の夜を過ごしている。
彼の整った顔立ちは、朝の光に照らされると柔らかく、夜の闇に沈むと孤独な影を帯びる。
廊下の奥で、微かな影が揺れた。
金属の冷たい匂い、革の擦れる音、踏まれた石畳の振動――すべてがレアの犬面ならではの感覚に届く。
敵が忍び寄っている。
昨夜の排除では終わらない、より精鋭な刺客たちが主を狙っているのだ。
レアは静かに扇子を手に取り、短剣を腰に固定する。ゴスロリのフリルとレースが揺れ、月光を受けて赤黒く輝く。
舞踏のような動作で、廊下の角を回り、影の接近を待つ。
全身に緊張が走るが、表の顔は忠実なメイドそのままに、冷静さを崩さない。
城の壁の向こう、黒薔薇の庭園では夜霧が揺れる。
影が一つ、また一つと潜み、刺客の足取りが庭園を這う。
レアの鼻先が揺れ、耳がぴくりと動く。
彼女の意識は、主と城の安全のために全方位に広がり、敵の意図や距離、動きまで正確に感知している。
「伯爵様、今夜は外出なさらぬよう……」
微かな声をかけるが、主は書類に夢中で顔を上げない。
レアは微笑みながらも、心の奥で戦いの予感を噛み締める。
表向きの穏やかさと、裏での冷徹な警戒――この二つを同時に維持することが、彼女に課せられた使命だ。
廊下の影に忍び寄る黒い外套、刃の光。
城の深部、夜霧と黒薔薇の影が交錯する空間で、戦いは既に静かに始まっている。
レアは呼吸を整え、耳と鼻と瞳を最大限に研ぎ澄ます。
夜はまだ深く、霧は濃い。城全体が息をひそめ、影と光の狭間に揺れる。
そして、犬面メイドの目には、次に起こる襲撃の全貌が微かに映る。
忠誠と孤独、冷徹と優雅――すべてを胸に、レアは影に潜み、主を守る戦いの夜を静かに待つのであった。




