朝霧の仕度
東の窓から、やわらかな朝の光が差し込んでいた。
カーテン越しに透ける光は白絹のように淡く、部屋全体を銀の霧が包んでいるようだった。
レアは静かに扉を開けた。
足音は一つも響かない。
彼女は毎朝、令嬢が目を覚ます前に部屋に入り、暖炉に火を入れ、紅茶を用意し、カーテンを少しだけ開ける。
犬の顔を持つメイドの指先は、意外なほど繊細だった。
長い髪をまとめながら、銀のブラシを手に取る。
朝の空気に溶け込むように、優しく声をかけた。
「お嬢様。朝でございます」
ベッドの上の少女が、薄く目を開ける。
まどろみの中で、光を受けたその瞳がゆっくり焦点を結ぶ。
「……レア? もう朝なの?」
「はい。今日は少し肌寒うございます。
お気に入りの白のドレスをご用意いたしました」
少女が小さく頷くと、レアは布団をめくり、足元にスリッパを添える。
その動作は一つ一つが儀式のように丁寧で、美しかった。
髪を梳く音が静かに響く。
レアの動きは滑らかで、手の中のブラシが月光のように光を反射する。
犬面の横顔に浮かぶのは、穏やかで無機質な微笑。
「レア……夢を見たの。黒い薔薇が、誰かを包み込む夢」
「それはきっと、幸運の前触れでございますよ」
そう言ってレアはリボンを結び、柔らかく髪を整えた。
その動作の裏で、耳がかすかに動く。
──城の外、遠くで馬車の音。まだ夜明けのはずなのに。
だが、声色は一切変えない。
「朝食には、蜂蜜入りのパンケーキをご用意しております」
「わぁ……レアのパンケーキ、大好き!」
令嬢の声が明るく弾んだ。
その笑顔を見て、レアは短く目を伏せる。
守る理由は、それだけで充分だった。
支度を終えた令嬢が立ち上がり、レアの方へ振り返る。
「レア、どうしたの?」
犬面のメイドは、柔らかく微笑んだ。
「なんでもありません。お嬢様」
朝靄の中、二人の影が重なる。
今日もまた、静かで穏やかな一日が始まる──ように見えた。




