月光の誓い
深夜。城の大時計がゆっくりと十三を打つ。
鐘の音は厚いカーテンを震わせ、薄い月光が部屋を淡く染めた。
レアは窓辺に立ち、長い睫毛の影を頬に落とす。犬のような口元にわずかな笑み。
磨き抜かれた窓ガラスに映るその姿は、まるで夜そのものだった。
「この夜もまた、静かでありますように──」
彼女の背後、ベッドの上では小さな令嬢が穏やかな寝息を立てている。
白い寝間着に包まれた姿は、あまりにも無垢で、外の世界の冷たさを知らない。
レアはその小さな寝息に合わせるように、耳をぴくりと動かした。
外の風が変わった。月光の色も、少し濁った。
気づく者などいない。
だが、レアの嗅覚は異変を嗅ぎ取っていた。
──鉄の匂い。血ではない。錆びた鍵の匂い。
人ならざる何かが、城の古い扉を開けたのだ。
静かにレアは動く。足音は床を滑るほどに軽く、裾のフリルも乱れない。
廊下の蝋燭が揺れ、壁に映る犬の影が長く伸びた。
「……主の安寧を乱すもの。許しませんよ」
囁きは月光と共に消え、レアは廊下の奥へと姿を溶かした。
手には扇子。
だが、それは飾りではない。閉じた扇の縁には細工があり、刃がひそやかに仕込まれている。
彼女にとっては護身具などではなく、主を守るための儀礼具──誓いそのものだった。
階段を下りた先、古びた扉がわずかに開いている。
風ではない。誰かが通った跡。
そして……地面に落ちる足跡はひとつ。だが、靴底の形はこの屋敷の者のものではなかった。
レアはため息のように微笑む。
「客人とは、礼節をわきまえていただきたいものですね」
刃を抜くことはない。
ただ、静かに扉を閉め、鍵をかけ、見えぬように印を刻む。
“侵入者はここから先に進めない”──それだけの、静かな封印。
夜明け前。
レアは再び令嬢の部屋に戻った。
カーテンの隙間から差し込む月光が薄れていく。
少女が目を覚まし、まだ夢の中のような声で問いかけた。
「レア……どうしたの?」
犬面のメイドは、かすかに頭を下げた。
紅い瞳に柔らかい光を宿し、いつものように微笑む。
「なんでもありません。お嬢様」
そう言って、レアはそっと窓を閉めた。
霧の向こう、夜はまだ完全に終わっていなかった。




