24.なんだか、嫌な予感がします。
「用もなく、朝から人の屋敷に来ることはないでしょう。
何かあったのですか?」
私がそう尋ねると、ソナは一瞬、言葉に詰まったような顔をした。
ヘラヘラした仮面の下から、憲兵隊隊長としての鋭い眼差しが覗く。
ソナは真剣な面持ちでシルヴァンを振り返った。
「シルヴァン。……場所を変えよう。お前がまともに喋れる場所で話したい」
その言葉だけで、冗談で済まない事態であることを察した。
シルヴァンも無言で頷く。
(なんだか、嫌な予感がする……)
胸の奥が、ひそりとざわついた。
「私も、ご一緒しても?」
私が聞くと、ソナはシルヴァンを見る。
「この領地の話なら、彼女に隠す必要はない」
シルヴァンがきっぱりと言い切る。
「隠す必要はない、ね。ふーーん……」
ソナは、わざとらしく一拍置いた。
にやり、と口の端を上げる。
「って、ことは……一緒になる覚悟決めたの? お前」
「…………!」
シルヴァンは一瞬だけ視線を彷徨わせ、
それから――耳まで赤くして、小さく頷いた。
その様子を見た瞬間、私の胸がきゅん、と鳴る。
「ぐう……かわ……」
「心の声が口に出てるよ、お嬢さん……」
ソナからジト目でつっこみを受けた後、
私たちは連れ立って屋敷の裏手に広がるラベンダー畑へと向かった。
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風が吹くたび、清涼な香りが鼻腔をくすぐる。
花畑の中心まで来ると、シルヴァンが深く、息を吐き出した。
呪いの枷がゆるむ様子を伺いながら、ソナが口を開く。
「北の国境付近で少し妙な動きがあってな。不穏な風の音が届き始めてる」
「……ヴォルガの連中か?」
シルヴァンの声が低くなる。
――ヴォルガ。
その単語を聞いた瞬間、背中に氷を押し当てられたような戦慄が走った。
原作小説の中盤。
シェリーがレデナンとの愛を深めていく裏で、電撃侵攻してきた隣国。
ヴォルガ王国。
「ああ。小規模な偵察部隊を出し入れして、こっちの防衛網の隙を探ってる。
いつもの小競り合いじゃない」
ソナは、言葉を選ぶように一度区切る。
「俺の勘じゃ、今回はデカいのが来る」
その言葉に、私は思わず口を開いていた。
「でも、それは早すぎます……」
二人の視線が、一斉にこちらに向く。
しまった。
転生知識が、つい先走った。
「い、いや……判断が、早いんじゃないかなぁ~って……」
慌てて言葉を濁す。
危ない。今のは、かなり危なかった。
(ヴォルガ王国が動きを見せ始めるのは、もっと先のはずだけど……)
ここで何の根拠もなく「早すぎる」などと言えば、未来を知っているかのような物言いになる。
かといって、転生だの原作小説だのを語り出せば、どう考えても頭のおかしい人間だ。
ソナはともかく、せっかく気持ちが通じ合ったばかりのシルヴァンに、
そんな目で見られるわけにはいかない。絶対に。
私は一度、深く息を吸って焦りを落ち着かせる。
それから、転生の記憶に刻まれた“原作の流れ”を、改めて呼び起こした。
原作小説だと、ヴォルガ王国の侵攻は、収穫期の終わる秋に起こる。
冬に備えて蓄えられた作物や物資を丸ごと奪うため、収穫が終わるその時をじっと待っている。
麦俵が積まれた倉が燃え、乾いた藁の匂いと、踏み荒らされた畑の黒い土。
冬の口を奪われる、という言葉があった。――そう描かれていた。
しかし、季節はまだ春。
誤差があるとしたって、早すぎる。
「お前の感が、そう示す理由は?」
シルヴァンがソナに問う。
「偵察隊の動きが違う。退路を考えていない。
逃げる前提じゃない。……勝ち筋が見えてる連中の動きだ」
そして、ソナは小さく息を吐いた。
「それに、嫌な噂もある」
「噂?」
ソナは眉を下げて溜息をついた。
「皇太子が、外交の席で盛大にやらかしたらしい」
「皇太子殿下が?」
「ああ。ヴォルガの事を、『野蛮な国』だと、失言こぼしたとか」
(……あの阿保)
思わず、天を仰いだ。
想像がつく。あまりに容易に、その光景が目に浮かぶ。
今までは私が事前に発言内容を精査し、根回しをし、手綱を握っていた。
ストッパーがなくなり、レデナンは何も考えずに、虎の尾を全力で踏み抜いたのだろう。
あの男は、スーパー空気が読めない。
「それが本当なら……ヴォルガの連中は黙っていないな」
シルヴァンが、低く唸る。
「侮辱への報復。これ以上ない、大義名分だ」
ソナは、真っ直ぐにシルヴァンを見据えた。
「皇宮から報せは来てない。噂の信憑性も、正直わからない。
だが――」
その一言で、空気が引き締まる。
「……備えたほうがいいぞ、シルヴァン」
言葉が落ちたあと、
ラベンダー畑を渡る風の音だけが、やけに大きく聞こえた。
沈黙が、重く、横たわった。




